983.2010年1月21日(木) 旅行業界への風向きは良くなったか。

 日本航空が破綻したことは一航空会社のつまづきであるばかりでなく、日本経済全体に暗い影を落とした。関係が深い旅行業界からもご他聞に洩れず、あまり良いニュースが聞かれなかったが、それでも日本旅行業協会(JATA)の発表に依れば、2009年の大手旅行会社7社が取り扱った海外パッケージツアー参加者数が、近年漸減傾向の中で久しぶりに対前年11.5%増を記録した。新聞広告で集客している阪急交通社も、出張手配でネット旅行販売の世界的大手エジェンシア社と業務受託契約を結んだ。大手に名乗りを挙げたHIS社も長崎県佐世保市にあるハウステンボスに出資して経営支援するという。ともかく元気を見せてきた。

 こういうニュースはかつて新聞には取り上げられなかった。旅行業界の地位が低かったからだ。それが、今では大学生の求職人気も向上し、旅行関連ニュースが大分取り上げられるようになった。変れば変わったものである。

 今年中に書き上げられるかどうか分からないが、今「士農工商エージェントと添乗員一代記」(仮称)というドキュメントを書いている。かつてはエージェントの地位がいかに低く見られていたかということを思い切って書こうと思っている。実際在職中は随分顧客にバカにされたり、舐められたりしたものだ。倒産した日本航空に比べれば、天と地の差があった。それが今ではエージェントを見る目が軽蔑から大分好意的になってきたし、旅行業界の若者たちは、もうかつてのひがみ根性は抱いていないのではないか。まあ長年禄を食んでいた業界だけに、陽が当たるようになったことは嬉しいことである。

 さて、最近気にかかるニュースとして、ハイチの大地震の被害がある。死者が5万人から20万人と随分幅のある数字であるが、都市がまるごとつぶれてしまったので、被災者数もまったく見当がつかないようだ。大統領府も倒壊して、首都全体が崩壊し、国家自体が機能不全に陥っている。敢えて言えば、国家沈没、国家壊滅と言えるだろう。

 昨日になって地震による死者は7万人と公式発表された。まだまだ増えそうだが、そのハイチから避難民が続々とアメリカへ向かい出した。アメリカでは不法入国は認めないと警告しているが、現在のようなないないづくしの被災状況と今後の生活不安に、住民は不安を募らせ母国から逃げ出そうとしている。悲劇である。元々世界最貧国だったハイチは1人当たりの年間所得額が6万円程度で、やはり貧しい隣国のドミニカ共和国の約40万円に比べてみても、その貧しさは推して知るべしである。

 日本の医療班を主とする救援隊もハイチへやって来た。いつもは対岸の火災視している中国が、今回はスタート・ダッシュが早く他国救援隊の機先を制したかに見えたが、ちょっと躓いてしまった。出足は良かったが、早々に救援活動の最中に事故で救援隊員を8人も失ってしまった。救援活動より自国の隊員の救助、本国送還に忙しく、亡くなった隊員に弔意を表し国葬級の取扱で本国で連日報道するものだから、何のための救援活動だったのかと他国から非難や中傷をされる有様である。こう言っては悪いが普段やり慣れないことをやると、どこかに無理が出る。

 まだ当分ハイチは落ち着かない。

2010年1月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

982.2010年1月20日(水) 日本航空、果たして再生なるか。

 会社破綻の危機に瀕していた日本航空は、法的整理により昨日東京地裁に会社更生法適用の申請を行った。再来年度には黒字を計上するという再建計画の下に低空飛行で離陸した。果たして思惑通り再生が可能だろうかと考えると、絶対可能とは言い切れない点がある。これまでの国土交通省による採算を度外視した政治的要求と政治家の介入が、日航経営の足を引っ張った大きな原因と指摘されている。役所ももう2度とこういう馬鹿なことはしないだろう。そうなると再生のためには、日航自体が自ら抱える悪しき病的体質を健康体質に変えていかなければならない。

 そのために日航がなすべきことは3点あると考えている。

 その第1は、現在8つもある労働組合を1本化することである。組合同士で相手を非難しあう不毛のバトルを繰り返しているようでは再生なんか覚束ない。この点に再生委員会が条件をつけて踏み込まなかったのは不可解である。

 第2に、現在所有している効率の悪い35機のジャンボ機を、中小機種に交代させるという。こんな経営上の問題点なんか当然分かりきっていたはずである。それに手をつけずに、これまで放置してきた経営陣の感度の鈍さは常識では図りきれない。ダメなものはダメと決断出来る経営判断が、果たして今後の経営陣に出来るだろうか。これもひとつの試金石だと思っている。

 第3には、甘い体質だった「親方日の丸」意識を全社員の頭から完全に払拭出来るかどうかである。また、人員削減を実行するというが、残る社員に経営悪化の原因を作った「親方日の丸」的な甘い体質が相変わらず残っているなら、以前とほとんど変わらないのではないかと懸念される。

 かつて世界中を飛び回っていたパンナムが1991年に倒産した。確か倒産したその年に、ステンレス業界団体の添乗員としてアメリカからブラジルへ周った時、アトランタでリオ行のフライトの再確認ができず、NYのパンナム本社、日本のパンナムへ度々電話したことがあった。しかし、それでも思うように予約をコンファーム出来ず、アトランタ空港へ早めにチェックインしたことを思い出す。その時アトランタ空港で驚いたのは、あったはずのパンナム専用のチェックイン・カウンターがなくなっていて、空港内を走りまわったことである。航空会社の倒産というのは、他には想像できないくらい大きな影響が出てくる。今日もテレビで専門家が、給油契約、機材の保守、着陸料現金払い、帰路の旅客の処遇等のさまざまな問題を孕んでいると解説していた。

 再生を目指す日航にとっては、これからが正念場である。散々利用させてもらった立場から、ぜひ立ち直って欲しいと祈るような気持ちである。

2010年1月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

981.2010年1月19日(火) 日米安保条約調印50周年

 半世紀前の1960年の今日、ホワイトハウスで岸信介首相とアイゼンハウワー大統領が現在の日米安保条約に署名調印した。そして6月15日新安保条約は国会で承認され発効された。私はこの時大学2年生で慶応日吉キャンパスに乱立するタテカンとチラシに取り囲まれ、スピーカーから流れるアジに当初は日1日と安保反対の機運が高まっていくのを不安気に感じていた程度だった。その内に福島出身の同級生・渡辺勉くんが高校ラグビー部の1年先輩だった清水丈夫さんのメッセージを伝えてくれた。東大生で当時全学連書記長として全国の学生運動の頂点にいた清水さんから慶応日吉キャンパスにオルグを作れという指令のようなことを伝えてくれたのだった。

 これがわが人生のひとつの節目となったかも知れない。2年間の浪人生活からやっと解放されて、のんびりと遊びたい時だった。かといってノンポリでは学生の権利と責任を主張し行使することにはならないとも考え、とりあえず安保反対闘争とは付かず離れず関心を持ち続けるというスタンスをとることにした。

 その後の自分自身の半生を振り返ってみると、特別な組織に参加することはなかったが、やはり60年安保闘争は自分の生き方に大きな影響を与えた。ベトナム反戦運動に手を染めたり、沖縄返還闘争に加わったのも、原点はこの安保反対闘争参加に遡ると言えると思う。

 あれから半世紀が経ったと思うとそぞろ感慨が湧いてくる。その間戦時下のベトナムや第3次中東戦争直後のアラブ諸国へひとりで出かけたのも、つまるところ安保闘争の残り火である。そして、それが結果的に終生旅行業に関わることになった。その意味では、60年安保闘争は間接的にわが人生を大きく左右するターニング・ポイントになったと言ってもいい。

 1960年6月には、国会における立法を巡り激しい論戦が展開され、国会周辺はデモ隊と警察との対立で危険な状態となった。15日には東大生・樺美智子さんが亡くなった。全国民が関心を抱き、熱くなった。私自身幾たびとなくデモにも参加した。

 大学内では連日デモが繰り出され、教室内でも安保条約は是か非かの熱いディベートが繰り返された。ライシャワー駐日大使、藤山愛一郎外務大臣、浅沼稲次郎社会党委員長、伊井弥四郎・共産党幹部らも次々とキャンパスを訪れ、安保改定に関して学生に自分たちの立場から、それぞれの考えを主張された。

 今にして思えば、あのような歴史に名を残した著名人の印象的なスピーチを目の前で直接耳にすることが出来たこと、そして国民的一大運動に身体を張って参加することが出来たことは、学生生活における素晴らしい宝になったと考えている。

 それにしても、今日まで日本の安全保障が維持されたのは、あの時安保条約が改定されて安全が担保されたからだと一方的に言われているが、それ以上に東西の対立崩壊が大きく影響していると見ている。当時われわれ学生が訴えた沖縄の米軍基地恒久化の懸念は、恐れていた通り今や現実となって沖縄県民を苦しめている。今日問題となっている普天間基地移設問題も別の意味で、今日50周年の節目を迎えた日米安保条約が日米間に横たわる大きな障害となっていることを忘れてはならない。

 これから新しい時代に入る日米安保条約が、今後も両国間に摩擦と障害を生まないことを、かつて60年安保反対闘争に参加したひとりとして心より願っている。

2010年1月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

980.2010年1月18日(月) 作家・山崎豊子の恥知らずな振る舞い

 昔お世話になった方の奥様から、数年前ご主人とご家族の経歴を記録として遺したいので自伝風に書いて欲しいと頼まれた。とてもその任に非ずと再三丁重に文書でお断りしたのだが、どうしても引き受けて欲しいと昨年暮れになって、大切な写真や家系図、謄本等の書類まで送ってこられたので、ご家族の希望するように書く自信はないが、そこまで仰られるなら自分なりにやってみましょうと、結局執筆することをお引き受けした。

 おっとり刀でお引き受けはしたが、例え長文でないにしても自費出版書ほどのボリュームはないので、手作業により製本屋へ持ち込む原稿を書き上げる必要がある。ところが、肝心の文章を納得いただけるまでに仕上げてから、組版、写真挿入、そしてその写真の説明まである程度形を作り上げるためには、私の現在のパソコン知識だけでは些か不充分で、思い切って先週久しぶりにパソコン技能について講義を受けた。今日もその後の調整のために受講したが、まだ形としては思うような原稿化とは行かず、これから文章を仕上げるに当って少々手間がかかりそうだ。

 しかし、そこそこの印刷物を期待されてしまったので、納得いただける体裁の書き物にしなければならない。少々忙しい時期ではあるが、気持ちを込めて仕上げたいと思う。

 さて、今朝の朝日新聞「文化」欄に直木賞受賞作家・山崎豊子の取材レポートが載っていた。現在85歳である。世に問題作を次々に問い、書く小説が悉く売れ、その作品がテレビ・映画化され、人気作家のひとりとして怖いもの知らずで、ご自分の思うところをズケズケ話している。

 昨年映画化された「沈まぬ太陽」は、今話題の日本航空が舞台であり、しかも偶々主人公が高校の先輩だったので、在職中一気に読んだ。中々迫力があって惹きこまれるようなストーリーである。確かによく業界事情を調査して精通していると感心するほどである。

 「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「二つの祖国」等々の作品を書くに際して、当事者を取材し、ここまで調べるかと思うくらい専門家顔負けの精査をしてペンを揮った。愚息からも「白い巨塔」は面白いから、ぜひ読んだらいいと勧められた。だが、私はこの山崎豊子の作品はもう一切読まないことに決めている。その理由は、作家として一番軽蔑される「盗作」作品が多いからである。そのうえ反省の色もなく、倫理観の欠片も感じられない作家だからである。盗作された筆者の気持ちが分からないのか、この人は1度ならず、2度までも同じ罪を犯したのである。その2度までも表向きは反省したふりをしているが、物書きとして悪いことをしたとか、筆者や読者に迷惑をかけたとの反省がまったく感じられない。こうなると確信犯である。2度目にはそれまで好意を持って見ていた先輩推理作家の松本清張からこっぴどく叱り飛ばされ、流石に恥ずかしいと感じたのか表舞台から姿を隠した。

 しかし、その社会派作家・松本清張が亡くなるや、もう怖いものなしと開き直った心境になったのか、堂々執筆活動を再開し出したのである。そして、筋肉が痛む難病で車椅子の生活に甘んじるようになった昨今は、作品のテレビ、映画化を積極的に進めて、再び世間の脚光を浴びるようになった。

 自らに非がありながら山崎はよほど松本清張を恨んでいたのか、今日のレポートには「昔から女・清張と言われていましたが、それには不服でした。清張さんはかわいがってくださいましたが、私には、清張さんは国家観が希薄だったように思えます」とまで言っている。よくもまあ恥ずかしげもなくそんな失礼なことを言えると思う。山崎豊子という人間はいっぱしの作家ではあるが、社会常識と思いやり、そして人間性に欠ける「人間の屑」である。とてもこんな半端人間の言うことや書いた物を信用出来ない。こういう厚顔無恥にして、傲岸不遜な作家はそうざらにいるものではない。

 数年前やはり盗作を非難され、自らの非を悟り、連載中の朝日の新聞小説を中途で止め、反省を込めて筆を折ると自ら表舞台から去っていった池宮彰一郎氏の潔さに比べて、何たる恥知らずか。池宮氏は71歳にして文壇にデビューした遅れて来た作家だった。しかし、それだけに期待もされ、読者の心を打つ作品を書いた。その池宮氏が筆を絶った。作家たるもの、それが分別というものであろう。しかるに山崎豊子のパフォーマンスは何だ? マス・メディアがこんなモラルの欠けた、恥知らずの作家をちやほやするから、文学界全体が地盤沈下するのではないだろうか。

2010年1月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

979.2010年1月17日(日) ハイチ大地震救援に日本と中国の対応差

 早いもので阪神・淡路大震災から今日で15年になる。あの朝テレビを観た時の驚きは、今もはっきり覚えている。最近しきりに市民生活における防災対策が話題として取り上げられる。その点で以前に比べれば、国民の防災意識はかなり高まってきたと思う。

 火災に関する注意や警戒の呼びかけも向上して、来年は家庭でも部屋ごとに火災報知機を取り付けることが法制化されるので、わが家でも昨日業者に火災報知器設置を依頼したところである。自宅では階段部分を入れると6箇所に設置することが義務付けられる。まあ安全対策に関する法律だからある程度の出費は止むを得ないのではないかと考えている。

 さて、13日に発生したハイチの大地震は、国家が崩壊するほどのダメージを与えたようだ。人口850万人の国民のうち、一説に依れば死者が20万人とも言われている。大統領官邸を始め多くの建物が崩壊して、首都機能が失われたために、指揮系統が隅々まで徹底せず、個人がばらばらに救援や、後片付けを行っているらしく、復旧作業はほとんど進んでいない。支援物資が届いても人びとが闇雲に群がり、食料を奪い合う状態で、折角食料を運んできたトラックが被災民に襲われそのまま逃げ出すような有様で、今まであまり見られなかった光景である。

 各国の救援隊が現場にやってきても、どう手をつけたら良いのか呆然と立ちすくんでいる情景がカメラに映し出されている。この混乱状態の中で、思いがけず中国政府が地震発生後13時間内に救援隊派遣を表明した。翌日には約70人の救援隊が救助犬3頭とともに現地へ到着した。救援物資もまもなく到着する。こう言っては悪いが、前例のない中国の素早い対応には戸惑うくらいだ。だが、その真意はこの災害をきっかけにハイチを取り込む意図があると憶測されている。その理由として考えられているのが、これまで中米諸国は北京の中国政府ではなく台湾と外交関係を結ぶ国が多く、ハイチもその例外ではない。この機会に中国政府がハイチとの蜜月を期待したと考えても不思議ではない。

 もうひとつの理由として、カリブ海に浮かぶハイチはアメリカの裏庭であり、今後アメリカとの深いつきあいを考えるとそれなりに外交の橋頭堡を築いておくことが肝要だと判断したものと考えられる。

 一方、このような自然災害にノウハウを持つ日本が、直ぐ救援隊を派遣するかと思いきや、初動の対応が遅れて後手後手に回り、派遣を決めたのは発生から1日以上経過してからである。現場が混乱し過ぎているのでもう少し状況を把握してからだと考えたにしても、諸外国が抱く災害救援に積極的な国という好印象が低下する恐れがある。金融危機で混乱し、一時国家の破綻も噂されたアイスランドでさえ、「われわれは日本と同じ地震国で経験がある。財政が厳しくても、助けを求める声に応えるのは当たり前だ」と言い、直ちに他国に先駆けて捜索救助隊を派遣して一番乗りで住民を救助している。

 民主党政権は「コンクリートから人へ」と総選挙で声高に叫んでいた割には、敏捷な実行力が伴わない。もっとも政府・民主党のここ数日の内情をみていると、初めての通常国会開会を控えたこの時期に、小沢金権問題を抱え込み、カリブ海の小さな国の救援など構っていられないというのが本音ではないのか。

2010年1月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

978.2010年1月16日(土) 逮捕者3人、小沢幹事長はどう説明するのか。

 昨夜遅くなってから小沢一郎・民主党幹事長のかつての秘書だった石川知裕・衆議院議員と同議員の秘書が、政治資金規正法違反の虚偽記載容疑により逮捕された。さらに今日になって小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」の会計責任者だった大久保隆規秘書も同じ容疑で逮捕された。

 昨年暮れ以来東京地検は小沢氏へ任意で出頭を求めていたが、小沢氏側に一向に要請に応じる様子がなく、しびれを切らした検察が一斉に小沢氏側の外堀を埋める行動に出てきたものだ。

 それにしても民主党総裁である鳩山首相はもちろん、民主党内から小沢氏を説得したり、その行動を非難する動きがまったく出てこないのは不可解である。むしろ応援団になってけしかけているように見受けられる。小沢氏の土地購入代金の出所が、不透明で怪しいことは、これまで小沢氏本人が一切説明しないからだ。西松建設や鹿島から何がしかのキックバックをいただいたことについては、両社の関係者の証言がある。購入代金と銀行借り入れの時期の不整合、これら建設会社の証言との食い違いなどを考えても不自然である。然るに民主党内に誰ひとりとして猫の首に鈴をつける、良識ある議員が現れない。こんな状態が長く続けば、民主党のイメージダウンは免れないことが分かっているにも拘わらず、小沢氏を諌める者がいないのである。何のことはない。子どものように、実力者・小沢一郎をただ怖がって怯えているのである。小沢氏にしても火の粉を早く振り払った方がよいと思えるのに、忙しいの一言で地検の追及から逃げ回っている印象を受ける。

 今一番問題になっているのは、世田谷区深沢の土地約440㎡の購入代金、約4億円の入手経路である。わが家近くの呑川遊歩道沿いに歩いて行けば、辿り着ける割合近くの土地である。この購入資金4億円をどうやって入手したのか、小沢氏は未だに説明しようともしない。結果的に関係者3人が逮捕される事態になっている。

 折りも折り今日民主党政権発足後初めての民主党定期大会が開かれた。幹事長としてどんな発言をするのか注目が集まったが、「法令に反していない」「幹事長職をやりぬきたい」「日本の民主主義を守るためにも屈してはならない」「断固として戦うことを決意した」と発言して、反省の色なぞ微塵も感じられない。強気に検察と徹底的に対決するという。それを鳩山首相以下民主党幹部に加えて、鈴木宗男議員までが後押しするという、まるで野次馬連合結成である。中には官僚の最高組織・検察と対決し、戦争も辞さないとまでわめく馬鹿な女性議員がいる。果たして国会議員が胡散臭い土地購入代金問題などで、国政を放ったらかしにして済むと思っているのか。小沢氏はまずきちんと国民が納得のいく説明をするのが疑惑を持たれた政治家の責任ではないのか。

 まったく納得がいかない。民主党幹部は政治を弄び自分たちのオモチャと考えているのではないだろうか。

2010年1月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

977.2010 年1月15日(金) 中西準子さんが相変わらず頑張っている。

 2冊の出版広告が目についた。1冊は昨日の朝日に載っていた高校の同級生である中西準子さんが書いた「食のリスク学」であり、もう1冊は今朝の朝日に掲載された、「知の現場」で編集仲間が取材した山田真哉氏の「目のつけどころ」で、発売1週間にして4万部が売れたという。

 2冊のうち、中西さんの著書は日本評論社から出されたものだが、この道の専門家らしい紹介のされ方である。「食の安全問題を中西リスク論がさばく!」と推薦文にある。彼女の持論も確たる定説になりつつあるようだ。地味な分野ではあるが、彼女は今や食品衛生問題で世間に警鐘を鳴らし一目置かれる存在になっている。高校入学早々同じクラスだったが、丸々として元気のいい女生徒で成績も良かった。最初の頃生物担当の若い新人男性教師から何人かの生徒に、授業中に好きな歌を余興に唄えと言われたことがあり、私も指名されお馬鹿さん丸出しで津村謙の「上海帰りのリル」を唄ったのに対して、彼女はその当時私がまったく知らなかった「インターナショナルの歌」を力強く独唱したのには度肝を抜かれ、クラスメートがみんな彼女の迫力に圧倒されたことが強く印象に残り、今でも忘れられない。今にして思うと、日本共産党員で、参議院議員だった父・中西功氏のDNAを受け継ぎ、多少左翼がかった傾向があったものと思う。その後横浜国立大学工学部へ進学して、母校と東京工業大学で教授を務め、数年前には国から勲章まで戴いている。その優秀な頭脳と実績には及びもつかず、とても太刀打ちなど出来ない。とにかくその当時から優秀だった。肩書きに「独立行政法人・産業技術総合研究所安全科学研究部門長」という長たらしい職名がついていた。

 それにしてもそろそろ鬼籍に入る同級生も出てきた昨今であるが、こうして溌剌として活躍している友人の近況を仄聞するのも心強く嬉しいものである。

 ニューヨークの9.11テロ以来続けられていたインド洋上における海上自衛隊の給油活動が、今日で活動期限を迎え海上自衛艦は撤収されることになった。すったもんだの末、自民党政府は憲法に抵触する可能性を孕みながら、テロ活動を阻止するためとの大義の下に、8年間に亘ってアメリカの要望に協力してきた。民主党政権発足後、普天間基地移設問題がこじれ、日米同盟がぎくしゃくしている最中に、この給油活動の中止は、また日米間の新たな火種となりかねない。実際ジョン・ルース駐日米大使は、これに代わる国際貢献をどうやってくれるのかと日本政府に強く代償を迫った。確かにアメリカとしては日本がテロ対策のPKO活動から手を引き、アメリカ政府にとっては思い通りにことが進まないことに焦りもあり、約束違反とか、信義に悖るとか、不満たらたらである。

 一方日本サイドでも日米の信頼関係を壊して、今後どうやって日米の絆を再構築出来るのかとの悲観的な論調をアメリカの視点から指摘する声も多い。

 しかし、昨日の朝日朝刊にアメリカのシンクタンク「ニュー・アメリカ・ファンデーション」副代表・スティーブン・クレモンス氏が米外交政策に関する「オバマに離反する同盟国」の中で主張しているように、アメリカの外交政策自体が東西冷戦化時代のままで、世界全体の動向に充分目が配られていないと指摘している。近年になって、かつて世界最強国だった時代に面倒を見てきたとの驕りと感覚から抜け切れず、同盟国である、ドイツ、サウジアラビア、さらに絶対的なシンパだったイスラエルからも反旗を翻えさせられている。日本の民主党には自民党とは別の価値観があり、民主党が明確に過去の対米政策を再検討しているにも拘わらず、アメリカはいつまでも日本はアメリカに従うべきだと考えて、日本の立場に気づいていないと手厳しい。

 クレモンス氏の提言は極めてフェアだと思う。それを読んで思うことは、アメリカには例え政治が行き詰まっても、民主主義の理念とバランス感覚は崩壊していないということである。わが国でも、もう少し民主党の意見を活かしたニュートラルで、公平な見方や考え方がマス・メディアに取り入れられるべきだと思うが、その辺がどうも今ひとつ甘いような気がする。

2010年1月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

976.2010年1月14日(木) ハイチで大地震が発生、大災害か?

 一昨日カリブ海のハイチで起きた大地震は予想以上に激しいものだったようだ。家屋の倒壊により多くの被害者を出している。被害規模も推定に過ぎないが、死者は数万人規模という報道がある一方で、数十万人もの死者が出たとのニュースもある。救助もままならないようで、最終的にどれだけの被害者が出たのか気になるところである。わが国でもまもなく阪神・淡路大震災から15年目がやってくる。

 近年になって地震被害は大きくなっている。明らかに都市の過密化がその大きな原因である。大都市化は利便性を生んだ反面、一旦災害が生じると住宅の過密化で混乱が広がり、被害は大きくなるばかりである。新しいところでは、2004年12月のスマトラ沖地震が大津波を誘引して、28万人以上の死者が出た。2005年10月にはパキスタンで、そして北京オリンピックの前には中国四川で大地震があった。

 今回の大地震に関して、欧米はすぐ救援隊を送るだろう。遅れて日本も続くだろう。こう言っては悪いが、他国で自然災害が起きた時に、経済成長著しい中国が自ら進んで救援隊を送ったと言うニュースはこれまであまり聞いたことがない。一昨年の四川大地震の折に世界中から官民ボランティアが住民救援に協力した。自分たちは被害者だったので、被害者の気持ちは痛いほど分かるはずである。いつも自分の都合だけで物申す中国に、この際率先してハイチ支援隊を派遣して欲しいものである。そうすれば、少しは他の国々も中国を見直すと思う。

 今インターネット・ウェブサイトのGoogleが中国国内で展開しているネット通信に中国政府の検閲が厳しく、市場を侵食しつつあったマーケットであるが、これ以上の締め付けがあれば中国市場からの撤退も視野にある。クリントン国務長官もグーグルが受けたサイバー攻撃に懸念を示している。どうやら政治問題に発展する恐れもある。

 しかし、中国政府は世論への影響力が強いネットへの規制を強化する方向であり、実際今夜のNHKニュースによれば、むしろ今の状態を徹底するとの方針を表明した。民主的権利を抑圧し、自由を奪い、他からのアドバイスに耳を貸さない。こういう傲慢なやり方はいつごろから中国の本質になってしまったのだろうか。わが国にとって中国は、歴史的にもつながりが深く、地勢的にも近くの国だけにこのまま中国が、わが道を往くの姿勢を貫かれては日本にとっても困るし、周囲の国々が迷惑を蒙るのははっきりしている。

 中国は人権の抑圧や金儲けばかり考えず、もう少し中国本来の「大人」ぶりを発揮して、ゆっくり、どっしり構えてもらえないだろうか。

2010年1月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

975.2010年1月13日(水) 観光共著書編集委員会に出席

 日本航空の法的整理が決まり、いくつかの再建条件が公になるにつれ、株式市場でもメッキが剥げた日航株は、一昨日の67円から、昨日はストップ安の37円となり、今日もストップ安の僅か7円となった。トップのCEOには、最近健康問題で辞任した前財務大臣の藤井裕久氏と同じ77歳の京セラ名誉会長・稲盛和夫氏が就任すると見られている。稲盛氏は会社再建に自信があるようだが、難しい航空業界ではまったくの素人だけに、そう思い通りに行くかどうか。これから、人員削減、関係会社整理、路線縮小、支店閉鎖等々の厳しいリストラが、再建を託された社員の肩に重くのしかかってくる。

 デッドロックに乗り上げていた企業年金の支払い額削減について、社員・OBの2/3以上の賛成が得られなければ、そもそも企業年金基金は解散される。そうなれば、給付額はさらに低減される。不利な条件をちらつかされたのが、効いたのか反対者の多かったOBも土壇場で折れ、雪崩を打ったように年金減額を受け入れることに同意した。これによって期限ぎりぎりの昨日になって漸く社員・OBの2/3以上の賛成が得られた。

 それにしてもこれだけ大きな企業だけに再建の道は、これからが大変だと思う。CEOに名前の挙がった稲盛氏は、リストラを徹底的にやって平成23年度には黒字にしたいと話していたが、役員は変われども実質的に仕事をするのは、会社をダメにした同じ社員だから、そう簡単にことがうまく運ぶだろうか。日航にとっては当分茨の道が続く。

 さて、今日の午後JAPAN NOW観光情報協会編纂「観光・都市・環境の情報事典」の編集委員会が海事センターで開かれた。中心人物である須田寛・JR東海相談役は来られなかったが、松尾道彦・JN協会理事長、白澤照雄JN協会事務局長、JTB出身の北村嵩・松陰大准教授、JN協会首藤秀敏氏、それに私の5人が寄り集まった。

 白澤氏がほぼ全体の構想を固めていたが、試案に対して北村氏同様に私にも疑問と意見があった。そのひとつは、「事典」という書名が、堅苦し過ぎて、読者が手に取ってみようという気にならないのではないかということである。第2に観光専門書の視点を変えて書いただけでは、読者に観光についての情報を与えることにならないのではないかという危惧である。

 白澤氏はもうすでに自分の考えを書き始めていて持論を譲らないので、ある程度意見は聞き入れられたが、基本的にはこちらの希望通りには進まない。せめて書名とされたタイトルを副題とすることによって、書名には新たにもっとくだけたネーミングをつけた方がよいと主張したことについては、今後検討するということになった。 私は「観光」を担当することになっているが、一応自分なりに思うところを書いてみようと思っている。「知の現場」の時もそうだったが、やはり共著というのは共著者の考え方がそれぞれに異なるので、意見を統一するのは中々難しい。

 とにかく7月末日までに原稿を書き上げるということになった。現在少々忙しいので、春になり「図解塾」講師の見通しがつくようになった時点で、執筆に拍車をかけたいと考えている。

 今日大相撲の関脇・千代大海が引退を発表した。ある程度予想されていたことではある。大関在位は66場所で、最高在位場所数である。しかし、大関陥落の瀬戸際に追い詰められたことが過去に12場所もあり、その点で3度の優勝を飾ったが、強い大関という印象はない。先場所大関から陥落して今場所10勝以上の勝ち星を挙げれば、大関復帰は可能だったが、初日から3連敗で自ら見切りをつけ4日目の今日引退発表となった。昨日は、大関・魁皇が通産808勝を挙げ、歴代トップの勝利数で気勢を上げていたが、魁皇と千代大海、2人のベテラン力士が明暗を分けた。いずれにせよベテランが頑張っていると応援したい気持ちにさせられるし、引退にまで追い込まれるとつい哀れみを覚える。これもスポーツ界のみならず、一般社会の現実だろうか。

 それにしても、今日の寒さは格別だ。南国・鹿児島市内にも降雪があったし、高知桂浜の坂本竜馬像と鹿児島市内の西郷隆盛像にも雪が積もった。わが国の景気も底冷えだ。

2010年1月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

974.2010年1月12日(火) 日航挫折が観光業の停滞を招かなければ良いが・・・。

 遂に日本航空が法的整理により、会社更生法の適用申請を行うことがはっきりした。巨星墜つとまでは言わないが、仄聞するニュースを見聞する都度、日本の経済力を世界に示威していた天下の日本航空が、こんな醜態を曝け出さなければならないのかと思うと少々寂しく残念な気がする。ここに至るまでには、それなりの原因があったわけで、当事者にとっては身を削られるような思いであろう。

 しかし、現在の経営状態をこのまま先延ばしするともっと傷口を拡げる危険性があり、つい感傷的になるが、この倒産も止むを得ないのかも知れない。

 それにしても、日本を代表する日本航空が倒産するとは想像すら出来なかった。私なりにある程度今日日航が行き詰まるに至った背景と原因を理解することは出来るが、それにしても惜しい。航空会社は外から見れば、華やかなイメージがあるが、経営的な実情はそれほど気楽なものではない。観光業界に奉仕していた立場から言えば、旅行商品を作るうえで重要なハード部分を担う航空会社が、低空飛行を続けると旅行のイメージも損なわれる。日航の頓挫が、観光業界全体の足を引っ張らないことを願いたい。

 偶々昨日の日経新聞フロント・ページにあまりにもタイミングを見計らったようなマイナス・イメージの記事があった。

 見出しに「店舗2割50店近ツー閉鎖へ」とある。近ツーとは、言わずと知れた旅行業界2位の大手エージェントである近畿日本ツーリスト㈱のことだ。同社は店頭販売の採算が悪化したので、店舗の統廃合によりコストの削減を図り、ネット事業を強化する方針だそうだ。業界首位のJTBも11年度末までには、2割の店舗を閉鎖する方針だという。

 このニュースを察するに旅行会社も安定的な経営に固執するあまり、メーカーと同じ発想で無駄な部分をどんどんカットする方向に進んでいる。

 しかし、旅行会社というのはメーカーの商品とは違って形のない商品を生産する会社である。目に見えない土地を説明し、感動、感激を顧客に味わってもらうために臨場感のある、情報提供と解説によって、顧客に夢を描いてもらい、訪れたことのない土地の文化に触れ、未知の人びとと交流して国際人となる機会を提供するものである。だからこそ、旅行を決める前にマン・ツー・マンでじっくり顧客と話をして、一緒に旅を作るぐらいの気持ちがないと決して良い旅行が出来るとは思えない。だから、店舗がなくなるということは、そういうコンサルタントとしての場所を失うことであり、エージェントもそうなら、旅行者にとっても気軽に相談出来ないということであり、お互いに不幸なことである。

 ソフト部分をどんどんそぎ落として行った末に、旅行者に対して臨場感に溢れた知識と感動を与える人と場がなくなってしまうのではないか。はっきり言って、これでは旅行会社ではないと思うのだが・・・・・。

2010年1月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com