ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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6561.2025年4月30日(金) ベトナム戦争終結50周年に想う。

 今から半世紀前の1975年の今日、10年以上に亘って南北ベトナムが争っていたベトナム戦争が、北ベトナム軍戦車部隊の南ベトナムの首都サイゴンへの進軍により陥落し戦争は終結した。多少なりとも実戦の怖さを知っている者として、やれやれやっと和平が訪れたのかと待望していた終戦という安堵感に心から良かったと感動したものである。ベトナム戦争については、当初欧米ではパレスチナほど関心を抱かれてはいなかった。しかし、それまでの戦争とは少し概念が異なるベトナム戦争の実態については、あまり関心が向いていなかったようだったが、終戦により東西対立時代の米ソをはじめ、世界的に広く関心を持たれるようになった。

 私は1960年「60年安保闘争」に当時の全学連清水丈夫書記長に誘われ、反対闘争に参加して都内デモ行進にも加わり、新聞にも写真が載るようになった。それが、後々就職運動の際マイナスとなったが、当時は熱中していた。しかし、安保は学生、労働者らの希望通りにはならず、日本は終戦直後とまったく同じ米軍による被占領国と変わらない状態のままだった。安保闘争で希望成らず、当時並行的に進められていたベトナム反戦運動に参加するようになった。それには小田急町田駅で駅員として改札口に立っていて、何人かのアメリカ軍のベトナム帰休兵と知り合い、彼らから戦争は怖い、戦場にはもう戻りたくないと彼らの本心を聞き、同時に戦場に行ってみろと言われたことから、実際に戦場へ行ってみようと思ったのである。

 昭和20年太平洋戦争終戦の年に疎開先で国民学校(現小学校)に入学したが、ほとんど連日のように空襲があり、その都度近くのミカン山に掘られた横穴式の防空壕に逃げ込んで、「空襲警報解除!」の知らせを待ち望んでいたものである。学校の近くで米戦闘機編隊に襲われかかったこともある。その心臓に良くない恐怖感は、今以て忘れられない。

 ベトナム帰休兵のベトナムの戦地へ足を踏み入れてみよとの声に誘われるように、1967年1月南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)を訪れた。激しい戦時下だった。空港では観光客の姿を見ることはなく、軍服を着た米兵からは怖い目つきで睨まれる感じだった。空港でホテルを紹介してもらい、シャトルバスで市内のホテルに到着したが、カウンターで手渡されたのが部屋のキーの他に、マッチとロウソクだった。その理由を尋ねると、夜中に停電が多いので枕元に置いて必要の時に使うようにとのアドバイスだった。事実停電は頻繁に起きたし、郊外から大きな爆音が何度も聞こえた。翌日市内で米兵に銃を向けられるなど生身に危機感を感じる体験をいくつも味わった。ベトナムを去って間もなく外国人の入国は認められないほど双方の攻防は激しく、1年後にはテト攻勢が起きた。その戦場体験からつくづく知ったことは、戦場の怖い体験を実際に味わわないと戦争の怖さ、危険というものを本当に知ったことにはならないということだった。

 現在の国会議員にはすべて戦争体験がない。二階俊博元自民党幹事長が最高齢であるが、その二階氏ですら、私より若い。太平洋戦争の実体験がなく、況してや海外の戦争に触れたことがない政治家が、無節操に再軍備とか、憲法改正、敵基地攻撃能力などと言う言葉を安易に口走るのは、戦没者やその遺族の気持ちをまったく考えていないからである。

 ベトナム戦争終結50周年記念に当たり、改めて想ったことはいっぱいある。

2025年4月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6560.2025年4月29日(火) 「昭和の日」、ベトナム戦争終結半世紀を前に

 今日は祭日、「昭和の日」である。今年、令和7年は、昭和100年でもある。昭和64(1989)年1月8日、昭和天皇が崩御され、和暦は昭和から平成に変わった。その年から昭和天皇の「天皇誕生日」が、「昭和の日」となった。世界的に見てもその年は、11月に東西冷戦の象徴とされていた「ベルリンの壁」が破壊され、その後一方のリーダー国だったソビエト連邦が崩壊し、グルジア、ウズベキスタン、モルドバ、ウクライナ等ソ連邦の連邦国が次々とソ連から離れ独立した。世界の勢力図は大きく変わった。

 2019年には、平成天皇が生前譲位されて上皇になられ、皇太子殿下浩宮様が天皇に即位なされ、和暦は平成から令和となって今年は令和7年である。日本では、幸いにもこのところそれほど大きな社会的事件などはないが、外国では戦争や、内戦、地震、戦争一歩手前の同国人同士の争いで多くの人命が危険に曝されている。

 ついては、明日はベトナム戦争が終結してちょうど半世紀、50年になる。実に早いものだ。ベトナム戦争終結の一報を耳にした時、社会人として働きながら、ベトナム反戦運動に関わっていたこともあり、漸く戦争が終わったのかというホッとする嬉しい気持ちで胸の内は感慨無量だった。10年前の戦後40周年の際には、昨年12月亡くなられた小中陽太郎氏らとともに港区芝公園で集会を開き、ジャパン・タイムズや、ベトナム・ニュースからインタビューを受け、それは新聞紙上に載り、テレビでもベトナム全土に放映された。それに比べると、国内では今年はベトナム戦争に関する情報が報じられて来ない。

 それは戦争の当事国であるアメリカについても言える。そもそもベトナム戦争が始まったのは、1954年のジュネーブ協定でベトナムが南北に分断されたことに端を発し、1960年ごろから南北の争いは激しくなった。65年には米空軍が北爆を開始して、世界中に大きな衝撃を与えた。私も67年に激しい戦時下のサイゴン(現ホーチミン)へ出かけ、怖い目にあったこともある。それが一方の旗頭だったアメリカ国内ではどう受け取られているのだろうか。ベトナム戦争終結記念の明日、首都ホーチミン市で開かれる終戦記念式典に、トランプ政権は駐ベトナム米大使を含むアメリカ外交官に出席しないよう指示したことが波紋を呼んでいる。アメリカ軍を退役した軍人らからも失望の声が上がっている。ベトナム戦争は、一般的にはアメリカの敗戦で決着が付いたと見られている。ベトナム戦争をアメリカの敗北の象徴とみる見方もある。当事国ではあるが、アメリカにとっては不名誉なことでもあり、あまり派手に取り上げてもらいたくない事件である。しかし、アメリカ国内では大学教授らが、この判断は大きな間違いだとして、「ベトナム、アメリカ両国の関係を後退させるだけでなく、新たな両国関係を歓迎してきた退役軍人を侮辱するものだ」と厳しく批判している。

 昨日の本ブログにも採りあげたように、今日就任100日を迎えたトランプ大統領の支持率が漸減傾向にあり、ワシントン・ポスト紙の世論調査では39%というルーズベルト大統領以来最低の支持率に低下したが、ニューヨーク・タイムズ紙の調査でも42%という低率に終わった。これには負けず嫌いのトランプ氏が黙ってはいないだろうと思っていたところ、案の定トランプ氏はSNSで「この国に自由で公正な報道機関はない。世論調査において、悪い記事を書き不正をする報道機関がある。悲しい」と、いつも通り自らは反省することなく、開き直るばかりである。自らの言動を反省することもなく、誹謗中傷を繰り返すようでは、今後支持率は限りなく0%に近づくことだろう。身から出た錆とは言え、こういう身勝手な大統領を選んだアメリカ人にとっても恥ずかしいことだと思うが、どうだろうか。

2025年4月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6559.2025年4月28日(月) 常識に欠けるトランプ氏の不評と不人気

 去る21日に亡くなったフランシスコ・ローマ教皇の葬儀が、昨日晴天の下にバチカンのサンピェトロ広場で行われた。160か国以上の国家元首や首脳らが出席された。沿道に詰めかけた市民らを合わせると約40万人が教皇に別れを告げたことになるようだ。

 この厳粛な場においても弔問外交が行われ、「吐乱夫」大統領とゼレンスキー大統領がサンピェトロ大聖堂内で向かい合って15分間の電撃的な会談を行った。何とこの2人は服装でも物議を醸したようだ。日本でもエチケットとして当然葬儀の服装についてドレスコードがあるが、ご両人は知ってか、知らずか、葬儀の際の喪服を着ていなかった。コードには、黒装束に、白いワイシャツ、黒ネクタイ着用と決められているが、「吐乱夫」は、青いコートに青いネクタイ、ゼレンスキー氏は黒一色だった。これには、メディアの間からも疑念を呈されている。

 「吐乱夫」は葬儀場の位置でも注文をつけていた。事前に最前列の目立つ位置でなければ、葬儀に出席しないと強硬に主張していた。フランス語のアルファベット順に並ぶ参列者の順序から考えて、アメリカ(les Etats-Unis)は本来3列目の筈だったが、関係者はその強引さに負け、「吐乱夫」は最前列に並ぶことが出来た。ルールとか、世話人の苦労を顧みず、いつでも非常識な自己主張を通して周囲を悩ませ困惑させる「吐乱夫」大統領らしいと言えば、そうも言える。この他人に迷惑をかけ我が物顔の図々しさに、昨日ワシントン・ポスト紙が報じた最新の世論調査では、明日トランプ政権が発足してから100日を迎える大統領の支持率が、39%に下落してフランクリン・ルーズベルト以降歴代で最も低い支持率となった。

 しかし、これほど自己主張で世間を煙に巻く人物も珍しいと思う。とてもまともに話し合える人ではないと思う。まだこの先3年9か月も大統領の座に留まっていると考えると、各国が我慢できるだろうか。 

 さて、今日からちょうど1か月前にミヤンマーに大地震が発生した。元々貧しい国で、そこへ2021年2月国軍の軍事クーデターにより民主派政府が崩壊させられ、国内は混乱の最中にある。地震発生直後から国軍のミンアウンフライン最高司令官は、国際社会の支援を要請したが、必ずしも全面的な支援の恩恵には浴していない。厳しい目を注がれている国際社会からの支援は、充分とは言えず、貧しい国民は援助物資を得られない中で貧窮生活を送っている。国軍と少数民族武装勢力との内戦も止む気配はなく、それが海外からの支援を充分受け入れられない原因のひとつにもなっている。国連開発計画が2024年に公表した世界の最貧困国30か国のうち、28か国がアフリカの国々であるが、残り2か国がアジアで、ミヤンマー23位、ネパール29位で、その前年2023年のミヤンマーの貧困率は、49.7%である。地震により貧困率は更に悪化しているのではないかと気がかりでならない。ミヤンマー近現代史を専攻されている長田紀之・九州大准教授は、震災は国軍にとって「棚からぼた餅だった」と穿った見方をしている。というのは、「国軍は自らの正当性を主張すると同時に、対立勢力が正当性を得る状況を防ぐ狙いがあった」、「国際社会がミヤンマーに手を差し伸べざるを得ない状況を、国軍は利用できる」と考えたとみている。しかし、国軍強奪した現在の国の現状を国際社会は、必ずしも支援に値する状況にはないとみているようだ。ミヤンマーの復興はまだ遥か遠い彼方にある。

2025年4月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6558.2025年4月27日(日) 観光業発展の陰で日本人と外国人の動態に違い

 昨日からゴールデン・ウィークに突入した。5月6日まで11日間の長いお休みである。長い旅行をするには打ってつけの休みだが、物価の高騰が影響して勢いの良かった旅行客もこれまでほどは伸びないようだ。インバウンドの外国人旅行客も、昨年までは増えていたが、昨年10月をピークに、その後は毎月伸び悩み傾向が見える。その中で、実数、及び伸び率が著しいトップ3はアジアの国々で、1位韓国、2位中国、3位台湾の順である。4位に漸くアメリカが入った。

 今観光地で心配されているのは、物価の高騰に合わせてホテル宿泊代がかなり高くなり、特に観光都市の京都では異変が起きている。それは、市内のホテルに宿泊する日本人が減って、その一方で外国人が増えたことである。京都市観光課が昨年11~12月に調査したところによると、市内の主要観光地を訪れる日本人の数は減少してはいないものの、市内で宿泊することを諦めている人の数が多いとみている。また、主要な観光場所である金閣寺では外国人が前年に比較して29%増えているのに反して、日本人は19%減少している現象も見られる。似たような傾向は、他の主要観光場所である北野天満宮、清水寺、渡月橋、伏見稲荷にも見られる。京都市内の歴史的な観光箇所が外国人に圧倒されるように日本人訪問客が減っているが、その一方で周辺観光地の山科、高雄、西京などを訪れる日本人は前年に比べて20%以上も増加している。

 全般的に円安市場の影響が大分影響して、外国人にとって価格はリーズナブルであるが、日本人にとっては高価な印象が強い。近年市内中心部に新設された一流外国系ホテルを例に挙げれば、客室がすべて1室40㎡以上の広さで、1泊1室5万円以上である。日本人観光客にとってはやや高価という印象が拭えない。土産物店などでも高価なお土産品は、主に外国人が買い求める。地域経済を成長させるためには、日本人、外国人を問わず観光客1人当たりの消費額を上げる必要があり、その点では地域経済にとっては日本人より外国人の方が貢献していると言える。

 前年に比べて京都市内では、日本人宿泊客が平均して15%減った一方で、外国人は約30%も増えた。混雑や、宿泊代、飲食代の高騰などを嫌い、日本人観光客が京都離れを示している可能性がある。このまま行けば、京都のみならず他の観光都市でも同じような現象が見られる可能性もあるであろう。オーバーツーリズムによる、観光都市への問題提起と同時に、円安による日本人と外国人への影響力を考えると、努力するだけでは解決が難しい問題でもある。

 今トランプ大統領の関税圧力の中で、ドル高・円安が問われている。観光という枠の中だけで考えてみるなら、円安は日本人観光客にとってマイナス面が強いが、日本のインバウンドによる観光業への影響面では、明らかに日本の観光業発展、財政の面で大いなるプラスである。この辺りを日本の財務当局は考えているだろうか。

2025年4月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6557.2025年4月26日(土) 小中校の教科書がデジタル化とは?

 噂で知った程度で計画が真実とは思ってはいなかったが、実際に計画が走り出していることを昨日の読売新聞朝刊で知った。それは、義務教育の現場で紙の教科書と同様に、デジタル教科書を正式な教科書とすることを中央教育審議会作業部会が提起していることである。デジタル教科書とは、学校教育法の改正により2019年度から制度上紙の教科書に代えて紙と同じ内容をデジタル化したものである。

 現在中央教育審議会で議論されているデジタル教科書は、現状では紙の教科書の「代替教材」の位置づけであるが、2030年度以降には、正式な教科書にする目論見である。もしそれが決定されれば、現在教科書は紙だけに限られているが、①紙、②デジタル、③紙とデジタルを組み合わせた「ハイブリッド」という形態になる。これまで教科書の選択は、紙の教科書の中から選ばれていたが、①、②、③のいずれかから選べることになる。現実に24年度から小中学校の英語と、算数、数学の一部でデジタル化教科書が導入されていることを恥ずかしながら知らなかった。

 読売の「論点」にこの問題に関する3人の専門家が提言しているが、いずれもデジタルの効用は認めるものの、紙の教科書が使用されなくなったらいかに学校教育で失うものが多いかと提起している。

 3人の専門家の考えを紹介するなら、まずアドレルクロイツ・フィンランド教育相は、同国内の一部の都市では、デジタル教科書から紙の教科書への回帰現象が現れて来たそうである。生徒のために教育現場でデジタル機材を提供してきたが、成果は現れず、むしろ国際的に生徒たちの成績は低迷している。それは世界の15歳の学力を測る「国際学習到達度調査(PISA)」で2000年度にフィンランドの読解力は世界のトップに就いたが、この20年間に徐々に順位を下げ、22年度には14位にまで下げた。読解力が低下した背景には紙の本を以前に比べて読まなくなったことが影響している。全般的に子どもたちの読書量が減り、そのため集中力を維持出来ず、長文の内容がつかめないなどの悪影響を及ぼすようになった。紙であれば情報をより良い形で記憶できる。下線を引いたり、メモを書いたりするのも簡単である。ただ、デジタル教材のメリットもあるので、一切排除するつもりはない。以上がフィンランド教育相の言い分である。

 他の2人の専門家の内、酒井邦嘉・東大教授も紙媒体のメリットをアピールしている。人間の脳の特性を踏まえると、学習に最も適しているのは紙媒体であると訴えている。人間の脳は、いつ、どこで、誰が、何をしたかをエピソードとともに覚える。紙の教科書なら、どのページのどこに書かれていたかの位置関係から内容を深く記憶することが可能となる。実際他の北欧国のスウェーデンの大学、ノルウェーの高校でも調査した結果、パソコンと紙で同じ内容を読んだグループの内、紙で読んだグループが好成績であったとの実例があるという。新井紀子・国立情報学研究所教授は、子どもたちの読解力が低下する懸念があり、デジタル教科書は「教材」として利用出来れば十分で、教科書に格上げする必然性はないと言われる。

 私の拙い経験から言うなら、教科書がデジタル化されたら、普通小中校の教科書で習う漱石や芥川の小説などが記憶に残らないのではないかとの疑問がある。それによって子どもたちの読書量が減ることが心配である。この問題については、あまり深く考えることなく現状のままで良いのではないかと考えている。

2025年4月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com