ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。書き続けてきたおかげで、奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年の「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言を書き込んで、自分の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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4112.2018年8月16日(木) 78歳の高齢者が行方不明児を発見

 山口県周防大島町で2歳の男児が行方不明になって世間を騒がせ心配されていたが、昨朝26時間ぶりに発見され保護された。テレビでも速報で伝えて日本中をホッとさせた。この発見は、今年78歳になるボランティア男性の絶対見つけるとの強い気持ちと勘によるものだった。

 この男性の心意気が素晴らしい。65歳まで鮮魚商を営んでいたが、誕生日を期に仕事を止めて第2の人生を社会のために尽くすと言って、ボランティア活動に賭けた。

 2004年中越地震、11年東日本大震災、16年熊本地震、17年北九州豪雨、今年の西日本豪雨の他にも16年に宮崎県佐伯市で起きた2歳幼児の行方不明捜索事件など著名な災害や事件には必ず加わったが、「自己完結するのが真のボランティア」との信念で、すべて自分で装備をして必要な生活用具を揃えてボランティア活動に参加して来られた。この男性のすごいところは、自分なりの経験と勘で歩くことで、昨日も山の上方面を目指して歩き始めてから約30分で幼児を発見し、抱いて母親に自らの手で引き渡した。母親の実家で家に上がることや、風呂に入るよう言われても固辞して一切お返しを受け取らなかったことである。何よりも母親と約束したことだからと言って、幼児発見後に幼児を警察に引き渡さずに抱いて母親へ直接引き渡して、大事に育ててやって欲しいとメッセージまで伝えていた。夕方には小型車を運転して大分まで帰っていった。

 今日のインタビューでもひけらかすことは一切なく、接触した警察官の優しさを褒めていたほどである。

 これまでのボランティアでも作業衣を身に着け、泥を片付けたり献身的に行動していた。こういう謙虚で周囲に甘えることなく結果的に実を上げるというのは、凡人には中々出来ることではない。とても爽やかなボランティア活動の実態を知った。こういう人が民間にはいることを知り嬉しい気持ちになった。

 同じ78歳で自己顕示欲が強く、退任を求められていながら背後で院政を敷こうとしている山根明・前日本ボクシング連盟会長とは随分人間性が違うものだと思う。

 また、先の国会で嘘八百を並べていた安倍首相にこの男性の爪のあかを煎じてたっぷり飲ませてやりたいものである。

2018年8月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

4111.2018年8月15日(水) 太平洋戦争終戦後73年が経過

 太平洋戦争終戦から73年を迎えた。今日武道館では、天皇・皇后両陛下ご臨席の下に全国戦没者追悼式が行われた。天皇は来年4月に退位され平成が幕を閉じるため今日が最後の追悼式への出席となる。最年長出席者は102歳で夫を亡くされた方で、車いすで出席された。歳月もほぼ3/4世紀を経過したので、武道館に来られた遺族も天皇が即位された平成元年に比べて様変わりしている。かつては、夫が戦死した妻の出席者は48%だったが、今日は僅か13人で0.2%にしか過ぎなかった。この30年間に彼女らも夫の後を追うように旅立たれ、最近では子・孫世代の出席者の割合が増している。

 あの太平洋戦争終戦の日のことははっきり覚えていない。当時国民学校1年生だった私に両親も特別に話をしてくれなかった。その後うすうす戦争が終わったらしいことは分かってきた。近所に金田くんという朝鮮人の同級生が住んでいて、母が「金田くんは朝鮮に帰れるので嬉しそうね」と言ったので、夏休み中に何かあったのだろうくらいにしか思わなかった。その後戦争が終わったことを知った。夏休みが終わり2学期の最初の登校日に金田くんは登校して来なかった。それきり音沙汰がなく、どうも朝鮮へ帰ったのではないかとうわさ話が聞かれた。金田くんについて先生が何か話したのかもはっきり覚えていない。

 3年8カ月の歳月を費やし、310万人の尊い命を犠牲にした無駄な戦争については、その後戦友会の戦跡慰霊団や、旧厚生省主宰戦没者遺骨収集事業に関わることになり、一般の方々に比べてより身近に戦争を意識するようになった。特に中部太平洋諸島や、ビルマでは現地の人たちとまだ交流を続けている。

 細川首相以降、歴代首相が追悼式の式辞でアジア諸国への加害責任に触れ、深い反省と哀悼の意を表してきたが、安倍首相は第2次内閣成立以来6年間連続で言及しなかった。それでいながら憲法第9条の改正についてはご執心である。こういう人が首相であることは、2度と戦争を起こさないというほとんどの国民の誓いと気持ちに反することにならないだろうか。

 さて、今日甲子園では、中学時代に在籍したことのある平安中学の付属校・龍谷大平安高が八戸学院光星高を14-1で破り、甲子園通算101勝を挙げるとともに、15年ぶりにベスト16へ進出した。試合開始から午後7時過ぎの試合終了までまた見続けてしまった。偶然というべきだろうか、実況中継を担当したNHKアナが高校ラグビー部の後輩で、3年前のラグビー・ワールドカップで優勝候補南アフリカを破った試合を実況した豊原謙二郎アナだった。ゲームセット後、グランド内に流れる平安高校歌をまた口ずさんだ。

 ♪紫匂う 雲のかなた 希望の星の輝くところ~♪ プチ幸せである。

2018年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

4110.2018年8月14日(火) 沖縄知事選に佐喜真淳・宜野湾市長が出馬

 大学ゼミ先輩の奥様が音大出の妹さんと姪御さんとともに横浜の「かなっくホール」でコンサートを開いた。長年コーラスに熱中している妻と出かけたが、ゼミ関係者は8名が鑑賞にやって来た。姪御さんはクラリネットをソロで、或いは伴奏をしたが、姉妹がともにソプラノで声高らかに美声を聴かせてくれた。童謡以外はあまり知っている曲はなかったが、中々見事な舞台で皆感銘を受けたようだった。

 さて、先日翁長雄志・沖縄県知事が急逝されたため、後任を決める知事選が9月30日に行われることになったが、今日佐喜真淳・宜野湾市長が出馬を表明した。普天間米軍基地を抱える現職市長として米軍に早期返還を求めてきたが、自民党県連の政調会長を務めてきた経緯もあり、自民党の支援を受けて知事選を戦うとするなら全沖縄県民を相手にする気構えがないと苦戦は免れないだろう。尤も翁長前知事も立候補時は自民党県連幹事長を務めていたが、基地反対の県民の気持ちを巧みに掴み、保守・革新をまとめてオール沖縄の空気を作り上げて保守・革新から支援を得て仲井真弘多・現職知事を破った。知事就任後は翁長氏は、自民党と対立しながらも県民の気持ちを掴んで県民のバックアップは絶対的だった。それは心から県民のために奉仕しようとする翁長氏の気持ちが県民から理解されたからである。昨日行われた翁長前知事の葬儀には、4500名の弔問者が別れを惜しんだという。

 まだ、翁長氏を継承する「オール沖縄」の立候補者は決まっていないが、果たして佐喜真氏は、沖縄県民の気持ちを汲み取ることが出来るだろうか。

2018年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

4109.2018年8月13日(月) 無駄が多いオリンピック会場・施設の建設

 2020年の東京オリンピックについては話題に事欠くことはないが、今年2月開催された韓国平昌冬季オリンピックは、この猛暑の中で忘れ去られていくような気がしている。

 実は平昌五輪後の会場、及び施設利用については開催前から平昌が人口4千人の小さな村でもあり、あまり利用価値が高くないと悲観的な話ばかりが聞かれた。

 韓国の中央日報の調査によると日本円にして数百億円が投入された競技場と会場施設は、今や「白い象(大きくて厄介なもの)」となっている。開会式、閉会式が行われた体育館は今では倉庫同然となり、スキー競技の行われた場所は、元々傾斜面の貴重な植物の多かったところで他に有効転用出来るものではない。政府と自治体は、オリンピックが終わればスロープ敷地の55%以上を復旧し、自然生態系を回復させるとして環境団体などを説得していた。また、政府がそのために補助すると約束までしていたが、それも実行されていない。

 あれだけ世界中を興奮させ、世界記録を生んだ施設が、はっきり言って今や大きなお荷物となっている。最早遅きに失しているが、この事実を他山の石として日本の五輪関係者も施設の建設、利用について考えなければいけないと思う。以前から東京オリンピック用の会場施設については、前回1964年五輪大会で利用された既存の施設を補修、改善して使用したらかなり費用が節約出来るものと思っていたが、新し物好きな五輪関係者は箱ものを作ることに没入して、前回大会の会場施設をほとんど使わず、施設を新設する方向に気持ちが行ってしまう。

 自宅近くの駒澤オリンピック記念公園には、前回1964年大会で使用した運動施設がいくつか残されている。その中には日本人を熱狂させたバレーボール会場の屋内体育館や、サッカーが行われた補助球技場などがそのまま残されている。更に昨年第2屋内体育館が取り壊され立派な体育館が新築された。地理的にも、交通の便にも恵まれたそれらの施設を使用するのかと思いきや、2020年オリンピックではまったく使用されないのだという。実にもったいないことだと思う。

 そこへ最近になって直接オリンピックとは関係のないこんな問題も浮かび上がってきた。公園内の子ども用屋外プールが設備が老朽化したとの理由で閉鎖するという。近所の子どもたちの要望も強く、改修工事をすれば再び使用出来るので、そうすれば彼らが喜ぶという声がどう伝わったのか、東京都は近所に同じような施設があるからその必要はないと答えたという。近所の施設はすべて民間の経営であり入場料もバカにならない。そんなことが分からず、オリンピックには想定以上の費用を惜しみなく注ぎ込んでいる。

 こんな不経済なことを考えるから、経済的にも効率が上がらず、先週末に次いで今日も日経平均株価は大幅な下落をした。もっとも今日はトルコの通貨リラが1日で20%近くも急落したせいであるが、7月6日以来の440円もの値下がりである。経済感覚も普通の空気感も鈍っているのではないだろうか。

2018年8月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

4108.2018年8月12日(日) 日航ジャンボ機墜落事故から33年

 暑い中ではあるが、夏山シーズンとあって昨日は「山の日」という祭日だった。そして今日は山に関係深い大きな航空機墜落事故があった日でもある。

 今から33年前日航ジャンボ機が群馬県上野村御巣鷹山山中に墜落して乗客・乗員524人のうち520人の尊い命が奪われた。♪上を向いて歩こう♪を唄った人気歌手の坂本九さんもこの事故で亡くなられた。今日も多くの遺族が山へ登り「招魂之碑」の前で手を合わせた。年々慰霊に来られる遺族の数も減少気味だそうで、今日は昨年より13家族81人少ない、79家族266人がお参りされたそうだ。時が経つに連れて遺族も亡くなり、険しい事故現場を訪れる遺族が少なくなるのは致し方ない。今では日航社員のうち、当時在籍していた社員は僅か5%ほどである。事故で命を奪われることほど残酷なことはない。

 その当時すでに退職されていた元日航パイロットの方が、遺族の対応に人手が足らず困っていると会社から頼まれ事故現場で遺族との対応や片付けをやっていたところ、怒った遺族の方から随分厳しい言葉や嫌味を言われたとこぼしていた。自分らの後輩がその家族の命を奪ったので弁解しようがなく、ただお詫びを言うだけで黙っていたと当時の苦しい胸中を話してくれたことを思い出す。元陸軍航空隊の戦闘機パイロットだったその方もすでに彼岸へ旅立たれてしまった。

 航空機事故は、いくら防止しようと努めても想定外のことが原因で起きることがある。それが人間の生命を奪ってしまうだけに、取返しのつかないことになってしまう。

 つい2日前にも同じ群馬県中之条町山中に防災ヘリコプターが墜落して、機長の県防災航空隊員を含む乗員9名が全員死亡した。インタビューに応じた関係者が涙声で同僚を偲んでいた姿が何ともお気の毒である。

 一昨日からお盆休みに入ったが、昨日だけで日本人の海外への出国者は58,200人だそうだが、これだけ海外旅行者が増えると事故の可能性も高まる。絶対事故は起こさないとの決意の下に、航空会社には整備面などで十分注意を払ってもらいたいものである。

2018年8月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com