980.2010年1月18日(月) 作家・山崎豊子の恥知らずな振る舞い

 昔お世話になった方の奥様から、数年前ご主人とご家族の経歴を記録として遺したいので自伝風に書いて欲しいと頼まれた。とてもその任に非ずと再三丁重に文書でお断りしたのだが、どうしても引き受けて欲しいと昨年暮れになって、大切な写真や家系図、謄本等の書類まで送ってこられたので、ご家族の希望するように書く自信はないが、そこまで仰られるなら自分なりにやってみましょうと、結局執筆することをお引き受けした。

 おっとり刀でお引き受けはしたが、例え長文でないにしても自費出版書ほどのボリュームはないので、手作業により製本屋へ持ち込む原稿を書き上げる必要がある。ところが、肝心の文章を納得いただけるまでに仕上げてから、組版、写真挿入、そしてその写真の説明まである程度形を作り上げるためには、私の現在のパソコン知識だけでは些か不充分で、思い切って先週久しぶりにパソコン技能について講義を受けた。今日もその後の調整のために受講したが、まだ形としては思うような原稿化とは行かず、これから文章を仕上げるに当って少々手間がかかりそうだ。

 しかし、そこそこの印刷物を期待されてしまったので、納得いただける体裁の書き物にしなければならない。少々忙しい時期ではあるが、気持ちを込めて仕上げたいと思う。

 さて、今朝の朝日新聞「文化」欄に直木賞受賞作家・山崎豊子の取材レポートが載っていた。現在85歳である。世に問題作を次々に問い、書く小説が悉く売れ、その作品がテレビ・映画化され、人気作家のひとりとして怖いもの知らずで、ご自分の思うところをズケズケ話している。

 昨年映画化された「沈まぬ太陽」は、今話題の日本航空が舞台であり、しかも偶々主人公が高校の先輩だったので、在職中一気に読んだ。中々迫力があって惹きこまれるようなストーリーである。確かによく業界事情を調査して精通していると感心するほどである。

 「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「二つの祖国」等々の作品を書くに際して、当事者を取材し、ここまで調べるかと思うくらい専門家顔負けの精査をしてペンを揮った。愚息からも「白い巨塔」は面白いから、ぜひ読んだらいいと勧められた。だが、私はこの山崎豊子の作品はもう一切読まないことに決めている。その理由は、作家として一番軽蔑される「盗作」作品が多いからである。そのうえ反省の色もなく、倫理観の欠片も感じられない作家だからである。盗作された筆者の気持ちが分からないのか、この人は1度ならず、2度までも同じ罪を犯したのである。その2度までも表向きは反省したふりをしているが、物書きとして悪いことをしたとか、筆者や読者に迷惑をかけたとの反省がまったく感じられない。こうなると確信犯である。2度目にはそれまで好意を持って見ていた先輩推理作家の松本清張からこっぴどく叱り飛ばされ、流石に恥ずかしいと感じたのか表舞台から姿を隠した。

 しかし、その社会派作家・松本清張が亡くなるや、もう怖いものなしと開き直った心境になったのか、堂々執筆活動を再開し出したのである。そして、筋肉が痛む難病で車椅子の生活に甘んじるようになった昨今は、作品のテレビ、映画化を積極的に進めて、再び世間の脚光を浴びるようになった。

 自らに非がありながら山崎はよほど松本清張を恨んでいたのか、今日のレポートには「昔から女・清張と言われていましたが、それには不服でした。清張さんはかわいがってくださいましたが、私には、清張さんは国家観が希薄だったように思えます」とまで言っている。よくもまあ恥ずかしげもなくそんな失礼なことを言えると思う。山崎豊子という人間はいっぱしの作家ではあるが、社会常識と思いやり、そして人間性に欠ける「人間の屑」である。とてもこんな半端人間の言うことや書いた物を信用出来ない。こういう厚顔無恥にして、傲岸不遜な作家はそうざらにいるものではない。

 数年前やはり盗作を非難され、自らの非を悟り、連載中の朝日の新聞小説を中途で止め、反省を込めて筆を折ると自ら表舞台から去っていった池宮彰一郎氏の潔さに比べて、何たる恥知らずか。池宮氏は71歳にして文壇にデビューした遅れて来た作家だった。しかし、それだけに期待もされ、読者の心を打つ作品を書いた。その池宮氏が筆を絶った。作家たるもの、それが分別というものであろう。しかるに山崎豊子のパフォーマンスは何だ? マス・メディアがこんなモラルの欠けた、恥知らずの作家をちやほやするから、文学界全体が地盤沈下するのではないだろうか。

2010年1月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com