プロフィール

  • 好きな言葉
    為せば成る。為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬ成りけり。
  • 信念箇条
    現場の臨場感、正義感、一意専心
  • 尊敬する人
    福沢諭吉、河上肇
  • 近藤節夫人物評
    永遠の少年 知的生産の技術研究会会長 八木哲郎氏

☆2016年創立90周年記念として建設された「湘南高校歴史館」内に‘湘南大樹’の一葉として下記のように活動歴概略紹介

 ❛若い頃ヨルダン軍による身柄拘束の経験もある、ケタ違いの「海外現場臨場感重視」熱血行動派エッセイスト❜

高校まで

昭和13年(1938)11月3日(寅年「明治節」)、近藤家のニ男として東京都中野区に生まれ、明治節に因んで節夫と名づけられる。兄、弟2人、妹の5人兄弟。血液型‘A’、健康に成長し、終戦時国民学校入学以来、高校卒業までの12年間無遅刻・無欠席。父の転勤により度々転居。16年兵庫県芦屋市、19年神奈川県藤沢市、20年3月千葉県勝山町(現鋸南町)、24年9月千葉県幕張町(現千葉市花見川区幕張町)、27年9月京都市右京区、29年3月再び神奈川県藤沢市へ転居、4月神奈川県立湘南高校入学、湘南高校ラグビー部主将(前ラグビー部OB会長)、32年3月同校卒業。(小学2校[勝山国民学校・小学校、幕張小学校]中学3校[市川学園中学校、平安中学校、京都市立上桂中学校]に在学、京都平安中時代の同級生:平安高校野球部・昭和31年夏甲子園全国優勝

 

学生時代

2年間の浪人生活の後、昭和34年(1959)慶應義塾大学経済学部入学、38年卒業。飯田鼎教授ゼミで社会政策、労働運動史を学ぶ。学究肌で行動的な飯田教授(慶應義塾労組委員長兼務)の指導ゼミ、及び小松隆二・前東北公益文科大学学長ほか、院生指導のサブゼミで社会思想史、及び社会行動学を学び、議論を戦わす。ゼミナール委員を務める。大正デモクラシー、労働運動史、南北問題、並びにベトナム戦争に関心を抱く。卒論テーマは「河上肇論」。在学中国民運動となった「60年安保闘争」に参加。クラブ活動では山岳同好会慶應アルペンクラブに所属して、主に日本(北・南)アルプス、八ケ岳、丹沢に登る。南アルプス全山縦走。1962年10月富士山大雪崩により新宿駅で引き返し冬山登山断念。

 

社会人

自由なサラリーマン生活
昭和38年(1963)小田急電鉄入社、1年6ヶ月町田駅で出改札業務、トンネル内自殺体処理手伝い、不正乗車発見など、現場実務(隔勤々務)体験。小田急山岳部に所属、リーダー・幹事を務める。本社経理部、旅行部を経て、76年㈱小田急トラベルサービス設立と同時に出向、同社初代海外旅行課長。以後一貫して海外旅行業務、主に旅行企画及び営業部門に携わり、約20年に亘り旧文部省主催教員海外研修業務、及び旧厚生省主催戦没者遺骨収集事業に従事。役員、顧問を経て03年3月同社組織改革、再発足に伴い64歳で退職。この間海外訪問国70数ヶ国・海外渡航約200回。72年アメリカン・メソッドによる話し方講座‘DALE CARNEGIE COURSE’修了、同講座助手(GA)を務めた後、話し方日本語上級講座で研鑽を積む。社団法人日本旅行業協会(JATA)研修試験委員・指導講師として若手業界人の育成にあたる傍ら、シンポジウムや業界紙等を通して旅行業界に積極的な提言を行う。

 

著述業

~著述業の顔~
在職中ベトナム反戦運動沖縄返還闘争、春闘デモ等で活動。1966年12月政情不安のインドネシア、戦時下のベトナム等東南アジア、67年イラン、第3次中東戦争直後で戒厳令下のアンマンではヨルダン軍兵士に身柄拘束される。独立直後のアデン、アフリカ各地へひとり旅を重ねる。危機一髪の体験から臨場感の重要性を悟る。日米安保体制、社会主義国家の崩壊、ビルマ戦線の実態、太平洋戦争戦禍、理念なき教育行政、世襲代議士の跋扈、政治家のモラル欠如等に失望、同時に改革・改善の道を模索、曙光を見出す。この頃より論稿、エッセイを執筆・寄稿。小田急退職とともに、「臨場感」を啓蒙しながら著述活動を始める。2003年敬愛する(社)日本ペンクラブ理事の小中陽太郎氏、及び元会長阿刀田高氏の推薦により日本ペンクラブ会員、2017年理事に。2003年ギリシャ政府観光局長賞エッセイ入賞。日本旅行作家協会会員でもある。
著書に
南太平洋の剛腕投手」(現代書館刊)
停年オヤジの海外武者修行」(早稲田出版刊)
新・現代海外武者修行のすすめ」(文芸社刊)
現代 海外武者修行のすすめ」(新風舎刊)

共著に
そこが知りたい 観光・都市・環境」(交通新聞社刊)

「 知の現場 」(東洋経済新報社刊)がある。