今朝ネットを見ていて驚いた。一昨日夜間に起きた青森沖地震発生について、何とAIが間違った情報を流していたのである。津波警報が発せられ気象庁が住民に海岸や川の河口には近寄らず高台へ避難するように警戒を促していた正にその時、事もあろうに「現在、日本国内の主要な津波情報サイトでは、大津波警報・津波警報・津波注意報はすべて解除されており、発表されていません~」と誤った情報を伝えていた。専門家は命にかかわる分野で、AI検索に頼るべきでないと厳しく警告している。
これは大きな問題だと思う。仮にこの時大津波に襲われ、何人かの人間が命を落としたとしたら、AIはどう責任を取るのだろうか。気象庁が正式に公表している警戒情報を、AIは何ゆえに間違った翻訳をしたのだろうか。普段中々知り得ない、質問の仕方や答えも分からない時に、しばしばAIのお世話になって助かっている。その点では随分利用し易く感じている。
ところが、個人的にもAIに疑問を感じてAIの世話になることを断ったことがある。それは去る10月に出版された拙著「八十冒険爺の言いたい放題」の英訳版に関するトラブルである。お陰様で拙著はそれなりの販売数を伸ばしていたが、その過程である出版社が日本語を理解する外国人の何人かが拙著を読んでみて大変面白く、興味深かったので、これを英語版にしたら、同じように日本語の分かる外国人が挙って読んでくれるのではないかと、出版社へ英語版の出版を求めてきた。出版社はその声を受け入れ、著者の私に了解を求めると同時に、出版の方法、翻訳などについて話し合った。その時英語の翻訳を誰に頼むのかと尋ねたところ、初校は何とAIが翻訳し、英語の熟練者がそれをチェックすると言う話だった。あまり信用ならないなぁと思いつつ、了解した。しかし、出来あがった初校原稿を読んだところ、とても私の意に適っていなかった。事実を翻訳することは了としても、感情面の表現はどうも腑に落ちない。そこで、在米体験の長い知人とその友人で大学講師をしているイギリス人に依頼し、何とか事なきを得た。因みに拙著の英語のタイトルは『THE REBEL GRANDPA~Across Frontlines and Faultlines-Old Man’s War Against Complacent Journalism』に決めた。冒険爺がどこかへ飛んで行ってしまったようだが、「反逆の爺:戦果と断層を越えてー惰性のジャーナリズムと闘った男の記録」というものである。AIの有効性は大いに評価するし、前記のように日ごろ大分AIを利用している。だが、すべてに万能というわけには行かない。やはりケース・バイ・ケースで利用したら良いのではないかと思う。
今回の津波情報の取り消し通告なぞは、よほど管理者が大切な情報であるので、確認作業が欠かせないと思う。しっかり監視していないとこのようなケアレス・ミスを冒してしまう。今後一般的にもAIは広く利用されるだろう。よほど利用目的を精査したうえで、管理者がきちんと管理しないと同じようなミスを冒す可能性がある。物事にはすべて表と裏があるものである。