今日までこのブログを書き続けて連続6800回となった。2007年5月に書き始めているからすでに18年を超えている。来年には通算7千回になる。お陰様で時々ブログを読んでくれた友人らが連絡をくれ、いろいろアドバイスもしてくれる。彼らも読むのを楽しみにしていると言ってくれるのが嬉しい。書き続けることはそれなりに苦労も悩みもあるが、書いていると資料なども調べるので勉強になるし、何と言ってもボケ防止になる。ひとつの生きる張り合いでもある。いつまで書き続けられるかは分からないが、今の目標は1万回としているので、まだ9年近くかかる。その前にわが人生がつぶれるか、初志貫徹できるかは、分からない。今年仲間と創刊した雑誌「イコール」アクティブ・シニア革命号では、人生百年時代の「新・孔子人生訓」として、80歳から95歳までは「熟年期」と見ている。熟年期中も書き続けて、1万回はそれを過ぎた95歳から110歳までの「大人期」に成し遂げたいものである。まだ先は長いが、毎日コツコツと書き続けて行きたいと考えている。
さて、いま年賀状を書くのに大わらわである。年々書く枚数が減って来たが、中でも昨日突然知らぬ女性から電話を受けた。よく話を伺ってみると父親が亡くなり、これまでの交友関係のある人に死亡のご挨拶をしなければいけないと思い住所録を見たが、ぐちゃぐちゃになっていてよく分からず、困っていたと言っていた。少しは分かるのが電話番号だったので、電話番号が分かる人たちに電話でお知らせしているという話の内容だった。実は学生時代は親しかった娘さんの父親から今年の年賀状はもらえなかった。何となく以前の手紙のやりとりから体調が優れないのではないかと気にはなっていた。娘さんから父親が亡くなったということを知らされて、やはりそうだったのかと淋しく思った。それにしても娘さんも大変だし、よく丁寧に知らせてくれた。父親との交流を感謝すると言っておられたが、私もその心遣いには感心する。またひとり友人が旅立って行かれた。
こうして送る年賀状も減ることになる。これで今年冥界入りした友人は、3人となった。今日までに宛先を書いた年賀状は200枚余であるが、かつては500枚ほど書いていたが、ここまで減るとは年齢と同時に時代の年賀状感覚があると思う。まだ書き残している残りの年賀状はあと50枚程度であるが、一両日中に投函しないとどうも落ち着かない。
ただ、この忙しい時に先日具合の悪かったプリンターを知人のITコンサルタントに別品に替えてもらった。ところが、そのプリンターで肝心のプリントするのに中々思うように行かず、宛名を書くことも出来ない。明朝彼がチェックしに来てくれることになった。この年末になってから、急に忙しくなってきたが、それは年賀状にも言える。しかし、年賀状を書くことばかりは止めるわけにはいかない。
それにしても今年は他人事と思っていた年末年始の忙しさが、自らに押し寄せるとは思ってもいなかった。どういうわけか、4つも原稿依頼を抱えて、これも至急仕上げなければならない。これでは「年寄りは閑」どころではない。まさに高市首相が就任演説で「働いて働いて働いて働いて働いて参ります」と話したように、私も「働いて参ります」。