2170.2013年4月22日(月) アメリカ移民社会の暗部が露呈

 ボストンで爆破事件を起こした犯人兄弟のうち、弟が逃走中だったが、昨日身柄を拘束された。市内住宅地帯に非常警戒線が敷かれ、住民は外出を禁じられていたために、犯人逮捕の報を聞いた住民は歓喜して喝采していた。

 今回の事件では、今まであまり表に出なかった移民、或いは異民問題が端無くも露呈される結果となった。兄弟は家族とともに10年ほど前チェチェン共和国からボストンに移住してきた。26歳の死んだ兄は大学に進学しながらボクシングのアメリカ代表としてオリンピックに出場することを夢見ていた。しかし、家庭が豊かではなく大学を中退してからアメリカ人に疎外感を強く抱いて行ったようで、親しい友人がいなくて徐々に孤立して行ったようだ。次第に母国に多かったイスラム教徒の影響のせいか、イスラム教にのめり込んで行ったらしい。

 一方、19歳の弟は成績優秀で奨学金を得て医科大学に通学していたという。そんな兄弟がなぜ見ず知らずの人を殺害するような卑劣な行動に走ったのか、現在捜査当局が調べているところだ。

 アメリカは9.11同時多発テロ以来、テロへの警戒心が強くなり外国人の入国に対して水際で警戒を厳しくしている。だが、今回明らかになったのは2人がイスラム社会のチェチェンから来たとは言え、テロリストとなったのはアメリカ社会の中で成長し、教育を受け、アメリカ人との接触の中で心がイスラム化して過激派となった、いわゆるアメリカ育ちのテロリストである。今話題となっている‘HOME GROWN TERRORISM’である。

 2人のうち、兄は妻子がいる身でありながら、アメリカ社会に溶けこもうとせず、イスラム教がキリスト教より優れているとか、アメリカ社会の悪口を言ってはアメリカから気持ちが離れイスラム教に傾倒して行ったようだ。アメリカにいた一家は流浪の旅の末バラバラになり、両親は生まれ故郷のキリギスに戻って生活していた。もちろん例外はあるにせよ、またある面では止むを得ないとは言え、外国からの移民や外国人の気持ちを腐らせる生活環境、人種差別的言動、固有の文化や伝統に対する排他的な行為、等々が残念ながら現代アメリカ社会の中に育まれつつあるということになるのだろうか。

2013年4月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2169.2013年4月21日(日) 沖縄の「主権回復の日」は何のために?

 今年もゴールデンウィーク(GW)が近づいてきたが、ミクロネシア連邦トラック島(現チューク島)旅行の予定がまだ決まらない。というより決められない。藤沢市が島に寄贈した消防車はすでに現地に到着したそうだが、引渡し式の日時が未だ確定しないので、渡航予定が立てられない。仮にGW中に式典を挙行するようだと、フライトが混み合ってシートが取れないのではないかと些か気になっている。

 さて、そのGW冒頭の28日に、サンフランシスコ講和条約発効61年を記念して那覇市内で政府主催の「主権回復の日」記念式典が行われる予定である。しかし、事前に記念式典開催を打診された沖縄県は猛烈に反発している。沖縄の言い分はごもっともで、4月28日は沖縄にとって、奄美群島、小笠原諸島とともに日本から切り離され、米軍統治下に置かれた「屈辱の日」であると、県議会野党を中心に「4.28政府式典に抗議する沖縄大会」を開催することにしている。県民感情を考慮して仲井真知事は式典を欠席し、代理に副知事を出席させるという。

 なぜ過去何年間に亘って政府主催の行事が行われなかったのに、今年61年目という半端な年に、敢えて地元の反対を押し切ってでも政府の思いを強引にやり遂げようとするのだろうか。そこには安倍政権の日米関係の修復と固い絆を強めようとの一方的な願いがあるからに違いない。だが、それならそれでもう少し時間をかけて、沖縄の反発を招かず、日本人の誰もが納得できるような催しを考えられなかったのだろうか。それでなくても、政府、並びに日本国民は戦後一貫して沖縄に負担を強いてきた。

 問題は、式典に天皇・皇后両陛下のご臨席を仰ぐとしている政府の方針に対して、専門家のみならず地元からも皇室の政治利用ではないかと疑問の声が出ていることである。これだけ沖縄で反対の声が上がっている中を天皇・皇后両陛下に出席してもらう行為は、皇室の政治利用と受け取られるばかりでなく、下手をすると皇室への不信感、反感を招きかねない。両陛下と宮内庁も出席すべきかどうか頭を悩ませることになるのではないか。

 ところが、一昨日の定例記者会見で菅義偉・官房長官はノーテンキな見解を披瀝した。「『主権回復の日』式典に天皇・皇后両陛下が出席することに対し、政治利用という指摘があることについて『奄美、小笠原、沖縄も含めた日本の未来を切り開くという決意を新たにする式典であり、天皇・皇后両陛下のご臨席を賜るということは、ある意味では自然なことだ』」と述べたのである。官房長官には、天皇は国が主催するものならいかなる行事でも出席されるという意味ではないということがまったく分っていない。こんなに地元で反対の声がある中を強引に式典を執り行い、その渦中へ両陛下にお出ましいただくことが果たして象徴である天皇の国璽行為を行うことに当るのかどうか疑問だらけである。それにしてもわが日本国のスポークスマンである内閣官房長官が、よくもこんなことをぬけぬけと言えたものだとその浅はかな言い方には呆れかえるばかりである。

 国璽行為であるにも関わらず、現時点では都道府県知事は19人しか式典に出席しないそうである。また、専門家の間でも、沖縄問題に詳しい高橋哲哉・東大教授は「政府は、沖縄が新型輸送機MV22オスプレイの配備撤回を求めても無視し、米軍の占領状態をそのままにしながら『主権回復』を祝おうとしている」と批判的である。

 式典まで残り1週間となったが、まだまだ一悶着ありそうである。

2013年4月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2168.2013年4月20日(土) 白鳥事件とゾルゲ事件、伊藤律について聴く。

 白雲なびく駿河台の明治大学リバティタワーで現代史研究会、社会運動史研究会などが主宰する「白鳥事件 偽りの冤罪」発刊記念講演会が開催されと、主催者から案内をいただいたので興味を持って出かけてみた。1時から5時近くまで4人の濃密な講義を拝聴した。白鳥事件といえば、60年以上も前の事件で、今では知っている人も数少なくなったのではないか。

 4人の講師は、作家の宮崎学氏、本出版書の著者・渡部富哉氏、映画監督・篠田正浩氏、共産党員・伊藤律の子息・淳氏が普通では聞けない話を分りやすく話してくれた。それぞれ興味深い内容だったが、特に渡部氏は日本共産党員として白鳥事件の渦中にいた人物だけに、ディテールを事実に基づいて1時間に亘って一気に話された。渡部氏は白鳥事件は冤罪ではなく、ウソだときっぱり言い放った。それが本書の帯文に「白鳥事件=冤罪説を徹底的に批判!」と主張された所以である。かつて自分が所属していた日本共産党に対してよほど腹に据えかねていたようだ。松本清張著「日本の黒い霧」にも事実誤認があるとして、内容もさることながら、当時の日本共産党の白鳥事件への関わり方と誤った事実認識について厳しく批判していた。「冤罪は組織が最後に逃げ込む砦」とか、「個人はすべて組織のせいにせよ」とか、「完全黙秘は組織を守ることにならない。完全否認せよ」などは自身の体験上悟った信念だろう。

 映画監督の篠田氏は氏独自の視点から持論を展開された。これまでの人生の節目節目で戦争があり、特に氏が生まれた1931年には満州事変が勃発し、その後日本は大東亜戦争への道を駆け上っていった。そんな大変動の時代に幼少期を過ごしたことが、その後歴史認識や人生を考えるうえで少なからず影響を与えたという。ゾルゲと尾崎秀実に関心を抱いたのは、ゾルゲの日本の情勢分析が当時の日本人の誰にも見られなかったほど正確で的を射たものだったことであり、同郷の尾崎の書く論評も抜きん出て優れたものだったからである。特に尾崎は西園寺公一との昵懇な間柄だったが故に西園寺から得た戦争勃発危険情報をゾルゲにまで伝えていた。しかし、折角得た戦争を回避する貴重な情報が軍部上層部まで伝わっていなかったことが、戦争に突っ込んで行った原因だと論じた。

 また、篠田氏が早大陸上部時代に親しかった東大陸上部の先輩から聞いた話として、その当時ヨーロッパに駐在していた商社マンから「日本の商社は昭和16年ドイツが対ソ戦に敗れたことを知っていたとの情報」を聞いた事実があるにも拘わらず、大日本帝国軍上層部が知らなかったという情報、諜報活動の未熟さと不備が、結局日本を戦争に向かわせた原因でもあると話された。 

 伊藤律は1980年67歳の時27年ぶりに中国から帰国した。日本共産党から「反党的反国民的裏切者」としてスパイ扱いされ、共産党から除名という不名誉な扱いをされ、前記松本清張著書の中でも不名誉な表記をされたことに対して、子息・淳氏が出版社・文藝春秋を訴えたがすでに松本死して止む無く和解し、一昨日出版総局長名で同書に追加文章を挿入することを了承したと語られた。その書状コピーもいただいた。 

 比較的難解な話が多く、相当これらの問題に関心と予備知識がないと付いていけないと思う。つまり白鳥事件、ゾルゲ事件、そして伊藤律スパイ事件についてきちんと理解していないと理解が難しい。そのせいもあって、今日の会場には500名以上の聴講者がおられたが、ほとんど中年以上の人だった。

 昨日朝日朝刊東京版に篠田氏の今日の講演について主旨とテーマについて紹介記事があったので、それを目当てに来られた人もいたようだ。先日山崎洋さんから篠田氏にお会いしたらよろしく伝えて欲しいと言付かっていたが、話しかける機会がなく、私の名刺に彼からのメッセージを書いて手渡したところ、目で合図してくれた。

 久しぶりに根を詰めて聞いていたので、少々疲れた。

 さて、今日も世界的に大きなニュースが2つあった。ひとつは、ボストン爆破事件で逃走中の犯人が逮捕されたことである。もうひとつは、中国四川省でM7の大地震があり、124人が死亡し、3千人以上が負傷したという。2008年に近郊でM8の地震があり、死者・行方不明者8万余人もの多くの犠牲者を生んだが、アジアにはどこにも同じような危険の可能性が内包されている。

 正確無比で知られるマヤ暦では、2012年が地球滅亡の年と予言されていたが、実際には2012年に何の異変もなかった。しかし、その予言には閏日が外されていたことが判明し再計算したところ、改めて2015年が地球破滅・人類滅亡と予言し直された。古代エジプト歴でも2015年が地球滅亡の年とされている。さらに、現在世界の核保有国が所有する核弾道弾は2万発で、これは地球を7つも破壊する威力があるという。自然の力であれ、人為的なものであれ、遅かれ早かれ、いよいよ地球最後の日が迫って来ているのだろうか。

2013年4月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2167.2013年4月19日(金) 騒がしくなった文化の街・学園都市ボストン

 アメリカ国内に凶悪な事件の連鎖ではないかと思える雰囲気がある。その初っ端に起きたボストン・マラソン爆発事件については、幼い子どもを含む3人の死者が出たことについて、オバマ大統領が犯人に対して強い口調で非難し、追悼式に夫妻揃って出席した。2人の容疑者については写真、動画が公表されていたが、銃撃戦の末身柄を拘束したところ、まもなく1人が死亡し、もう1人が逃走したというニュースが流れてきた。

 昨日はテキサス州の肥料工場が爆発し、今日現在まだ鎮火しておらず、死者14名、重軽傷者160人と報道されている。そこへ、今度はボストン市郊外のマサチューセッツ工科大学(MIT)内で警官が殺害された。マラソンで爆破テロを起こした犯人が国際的に有名なMITで新たなテロを仕掛けようと忍び込んだところを発見され、逆に警官を銃殺したとの見方がある。マラソンゴール地点、MIT、そして警官隊と撃ち合ったウォータータウン住宅街などボストン市内で発生した一連の事件は住民を恐怖に陥れながら広がりを見せている。

 しかし、このように物騒な事件が頻発するのは、アメリカ社会の矛盾と暗部が吹き出したからで、今に始まったことではない。

 折も折、昨日オバマ大統領が精魂を傾けた武器規制強化のための法案が、アメリカ上院で否決された。政権第2期の最重要課題として同法案の成立を目指していた大統領は「ワシントンは大いに恥ずべき日だ」と反対した議員らを強く非難した。理念や危険野放しよりも、利己的な欲が勝ったというところだろうか。こんな拳銃による死傷事件が発生した日に銃規制法案が否決されるとは、何とも皮肉なものである。銃社会をコントロールすることは、いかにアメリカ民主義国家といえども思うようにはならないものなのだろうか。

 オバマ大統領は失望の色を隠せず、今後とも銃社会を失くすために努力すると語ったが、今回否決された法案には同じ民主党内から裏切り者が出たことが大きなショックだったようで、それだけアメリカ国内の銃社会構造は複雑で根深いものがあると言えるだろう。

 この間北朝鮮による強硬な挑戦的行為はつんぼ桟敷に置かれていた。しかし、北朝鮮は国際社会の厳しい反発と非難に対して、対話に向け条件を出してきた。それは、国連制裁決議の撤回と米韓合同軍事演習の中止である。後者はともかく前者はとても受け入れられる筈もなく、日本はアメリカとともにこれを断固拒否すると公表した。これで北朝鮮の選択肢はさらに狭まった。

 今ボストン市内を逃走中の犯人はチェチェン人兄弟の弟で、兄は死亡したそうだが、写真も公開され、遅かれ早かれ逮捕されることになるだろう。北朝鮮だって振り上げた拳の下ろしようがなくなったように思えるが、どうだろうか。

2013年4月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2166.2013年4月18日(木) ビルマ人権活動家との懇談会に出席して

 些か拍子抜けしてしまった。昨日このブログに浅田次郎著「黒書院の六兵衛」の主人公・的矢六兵衛の殿中における無礼な行動は本当なのかどうか疑わしいと書き、近いうちに作者の浅田氏に会ったら尋ねてみようと気楽に記した。ところが、昨日の今日、思いがけずその浅田氏に会ってしまったのである。

 早速あの連載小説は面白かったが、あれは本当の話ですかと浅田氏に不躾に尋ねてみた。「いやぁ、あれはウソ、ウソですよ。だって小説ですもの」と浅田氏に笑いながら軽くいなされてしまった。まぁ小説だから浅田氏の言う通り、ストーリー通り真に受ける方がおかしいのだろうが、それでももう少し信じ込んでいる読者の気持ちも斟酌して作家としての思いも込め、フィクションであれ、ノンフィクションであれ、少しはたぶらかせてもらった方が良かったというのが勝手な言い分である。

 実は、今日兜町の日本ペンクラブ本部で「ミャンマーの作家・人権活動家マ・ティーダ博士との懇談会」があり、話を聴いてみたいと思い、参加を申し込んでいた。実は、これにペンクラブ会長として浅田氏が出席され、挨拶されたのである。出席者は円卓テーブルに座りマ・ティーダ博士を含めて23名だった。主宰したのはペン獄中作家・人権委員会で、委員長はペンクラブ常務理事で、直木賞作家でもある西木正明さんである。西木さんには先日元鎌倉市長の竹内謙氏からお誘いを受け入会することになった「鎌倉学会」について聞いてみた。西木さんは話を聞いていないということだった。早大探検部時代の同じ山仲間として親しい竹内氏が、鎌倉市とは直接関係ない西木さんには遠慮して連絡しなかったのかも知れない。

 さて、今日の懇談会のゲストである、マ・ティーダ博士は外科医でありながら作家として活動し、ビルマの民主化のために闘い、1993年不幸にして投獄されたが、現在47歳の働き盛りである。ビルマの民主化運動の経緯について自身の獄中体験を含めて話をされたが、投獄された理由は4つあるという。①治安を乱した、②非合法組織との接触、③無断印刷物発行、④同印刷物配布である。この4つの合わせ技で20年の刑だそうだが、それでも6年で出所することができたと仰っていた。

 博士のスピーチの後でイの一番に手を挙げて質問した。テレビでアウンサンスーチーさんが、憲法を改正したいと話していたが、改正のためには全国会議員の3/4以上の賛成が必要で、悪いことにはその国会議員の1/4が軍人である以上憲法改正は難しいのではないかと尋ねた。博士の答えは、確かに憲法改正は難しいが、その前2015年に実施される大統領選挙でアウンサンスーチーさんを大統領にさせたいと意欲的に語った。いずれも難しい課題であるが、それでも憲法改正より大統領になる可能性の方がやや多そうだ。ただ、彼女も現在68歳であり、仮に大統領になっても70歳を超えている。その後に山積する課題をクリアするのは、相手が民主化運動を弾圧してきた軍人だけにかなり厳しいのではないかと思う。

 来日中のアウンサンスーチーさんは今日安倍首相と会談した際、日本の支援を得つつ、自分も努力していきたいと述べ、同時に日本の若者にビルマへの関心を持って欲しいとも訴えた。

 マ・ティーダ博士が女性とは顔を見るまで気がつかなかったが、よく考えてみれば「マ」で始まるビルマ人の名前だから、少しでもビルマを知っている者なら女性だと気がつきそうなものだ。彼女は腰が低くて優しく、とても感じの良い女性で、私の質問にも丁寧に分りやすく応えてくれた。私がビルマへ度々行ったことがあると話したので、気安く話をしてくれ、名刺を交換して‘Selling Tours’誌1980年5月号に私が寄稿したビルマに関するエッセイ(日本語)のコピーを差し上げた。

 今日の懇談会に参加して、マ・ティーダ博士のように地道にビルマの民主化運動に取り組む姿に感銘を受けた。

2013年4月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2165.2013年4月17日(水) ‘的矢六兵衛’江戸城を去る。

 毎朝楽しみに読んでいた日経新聞の連載小説「黒書院六兵衛」が今日最終回となった。話の設定と進み方が奇抜で、謎を含んだような話の展開が読者を飽きさせない。この先どうなるのかと毎朝興味を持って読んでいた。その点では六兵衛の下城に合わせてストーリーが幕引きとなるのはちょっと寂しい気がする。

 日経の連載小説は大体面白く及第点をあげられると思っている。今回浅田次郎氏の時代物が、舞台が江戸城内の奥座敷で、時代物によくあるチャンバラや、人殺しがまったくないというのも珍しい。死人が1人も出ない時代小説も極めて稀だと思う。

 惹きこまれるように読んだ六兵衛の言動は、座したまま終始語らず動かずで、誰に対しても口を開くことなく、またほとんど殿中に閉じこもったままで動かず、あまりにも現実離れしているように感じた。330回の連載中ストーリーでは10ヶ月間も城内に引き篭もりっ放しで、僅かにほんの一部主人公六兵衛の屋敷周辺の挿話があるくらいである。

 それより何より徳川時代が終末近く明治への移行直前期であるにせよ、まだ徳川の権威が城内で完全に失墜したわけでもあるまいに、城内にいる武士の誰もが得体の知れない武士・的矢六兵衛にまったく手を出さなかったり、狼藉者に近い城内侵入行為を止められなかった筋書きは本当に真実だったのだろうか。俄かには信じがたい。今度浅田氏にお会いした時にそっとその辺りを聞いてみたい。

 さて、昨日イラン・パキスタン国境でM7.8の地震があったところだが、今日は東京でも午前中から何度か地震があった。震源地は三宅島でM5.2だそうだが、夜になって東北地方でも何度か地震が発生した。これは東日本大震災の余震である。先日の淡路地震と言い、今日の断続的な三宅島地震や東北地方の地震と言い、日本列島全体が活動期に入り天から揺さぶられているようで心中あまり穏やかではない。この際、危険な原発はもう絶対止めるべきだと思う。

2013年4月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2164.2013年4月16日(火) テロか? ボストン・マラソンで爆発

 昨年に続いて小田急電鉄OBの社友会が小田急相模大野駅隣の「小田急ホテルセンチュリー相模大野」で開かれた。新規入会者が増える一方で、毎年亡くなる人もいる。だが、会員数が2400名を超えるというから一企業のOB会としては随分大きな組織になったものである。久しぶりに会った元同僚と話が弾み、先日会ったばかりの山岳部の仲間とも懐かしい話をした。また、小田急電鉄大須賀会長と山木社長から次回出版作品について期待と激励の言葉をもらった。

 こういう場に来られる人は、健康で前向きな性格で昔の仲間と腹を割って話ができるからだと思っている。性格上こういう場は苦手という人や、会社に良いイメージを持っていなかったり、一切会社を去った以上もう組織から離れたいという人たちを除いて、元気なら出席する気持ちの人が多いと考えるが、中々そうとも言い切れない点が複雑なところだ。

 例えば、高卒だったが優秀だったYくんとは昨年駅勤務以来の再会を喜び合い、拙著を送ったり、メール交換をしたが、しばらくして音沙汰もなくそれっきりとなり今日も彼は出席して来なかった。彼の身に何かあったのだろうか。また、10年前に会社を辞めてから今日久しぶりに会ったKくんは、何かおどおどして笑いながら後ずさりするような仕種をする按配である。偶々話をしていた先輩が彼はちょっとおかしいのではないかと囁いた。在職中は同じ職場で働いたし、海外へも何度か一緒に行って随分信頼していた。それなのに進んで挨拶や会話もしようとしない。一見して「おかしい人」のようには見えない。だが、顔を合わせるとそむけるわけでもなく、ニコニコしている。私より6歳若いはずだから、認知症ではないと思いたいが、ひょっとするとそうなのかも知れない。昔の仕事仲間だけに寂しい気持ちになる。

 よく考えてみると近年周囲に同じような感じの人たちが多く見られるようになってきた。これも年齢のしからしむところであろうが、わが身を振り返ってそうならないよう今は適度な心身の運動を心がけている。

 さて、今朝世界で最も歴史のあるボストン・マラソンのゴール近くで突然爆発があり、3名が亡くなり、140名以上が負傷した。走っていたランナーの中には、爆発と同時にコース上に倒れたランナーもいた。どうしてこういう馬鹿げたテロもどきの卑劣な行為をやるのだろうか。

 このゴール地点は街の中心街にあり、近くにはボストン・レッドソックスのホームグランドであるフェンウェイパークがある。1976年に初めてボストンを訪問した時、ゴール手前を数歩走ってこのゴールラインを跨いだことが懐かしい。古い街だけに市街のあちこちに歴史の跡が染み付いている。

 昨日は南北戦争のレキシントン・コンコードの戦いが始まった日で、アメリカ東部3州では4月第3月曜日を「愛国者の日」と呼んでいる。マラソンの日取りもそれを記念して開催されるようになったと仄聞している。独立戦争前に起きたボストン茶会事件があったのもこの街である。ボストン港から道路上に示されたルートを辿っていくと、いつの間にか歩いてボストン市内観光ができるような仕掛けになっている。現役時代にそのアイディアをヒントに、後年外人向箱根パック商品「ODAKYU EXPRESS」を企画し、苦難の末商品化したことが思い出されてくる。

 昨4月15日、金日成の誕生日「太陽節」には何も起きなかったが、相変わらず北朝鮮の無法な恫喝が朝鮮半島を緊張させている。まかり間違っても戦火が起こるようなことがあって欲しくない。

2013年4月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2163.2013年4月15日(月) 30年前の出来事とその2年後の思い出

 俗に「十年一昔」とか、「一世代三十年」と言われるが、今日東京ディズニーランドが開業30年を迎えた。たかが、一遊園地がよくぞここまで繁栄続けられたものだとその弛むことなき企画力と営業力に脱帽である。昨日の各新聞には大きな全面カラー広告を出して新たな仕掛けをPRしていた。

 ディズニーランドと言えば本家本元のカリフォルニア州アナハイムに初めて行った時に、これは結構面白いと思ったが、これとほぼ同じ規模にして日本で営業しても、日本人の文化や嗜好に合うかどうか懐疑的だった。しかも計画自体が当時浦安沖埋め立て空き地跡を利用するというひょうたんから駒のような苦肉のアイディアと、スポンサー企業が三井銀行と赤字続きの京成電鉄だったことも、失礼を承知のうえで敢えて言えば赤字企業を予測させるものだった。

 それが、今までの入場者数は5億6千万人に上るというから、日本人が一人当たり4回以上足を運んでいる勘定になる。私はまだ2回しか訪れていない。他には類のないほどの成功例であり、このすごい人気は今後どこまで伸びるのか空恐ろしいほどである。スケールは比較にならないが、この種の似たような施設は各地に山ほどあるが、これほど成功したエンターテイメントはない。

 わが家でも初めて家族揃って出かけたのは、開業前の内覧会に義父の慶應幼稚舎時代の親友だった、首藤・初代東京ディズニーランド社長から招待券をいただいた幸運からである。聞けば今では、若者のデート・スポットにも利用され、最近では老若男女を問わず幅広い年代層がゲートを潜るそうだ。中には子どもから還暦記念に入場券をプレゼントされたという老夫婦もいた。

 俗っぽい表現で「継続は力なり」とよく言われるが、この東京ディズニーランドの30年はいろいろな意味で評価される年月ではないだろうか。

 時代とともに好みは変わる。この先東京ディズニーランドがどれだけ一時の幸せ気分を入園者に抱かせ、このまま入園者の期待に応えて、長く現在の成長トレンドを歩んでいくことができるか、見守りたいと思う。

 さて、30年前の東京ディズニーランド開業から、その2年後を思い出させるエッセイが今日の日経夕刊に掲載されていた。日産自動車の志賀俊之CEOが「サッチャー元首相と英国工場」と題したエッセイを日経に寄稿している。日産サンダーランド工場設立に先日亡くなられた元首相が尽くされた努力に対して感謝の気持ちを綴っている。サッチャー元首相が今も国内で高く評価されている国営企業の民営化への移行の折、日産工場をイギリスへ招致し日産海外基幹工場として根付かせた功績を称えているのだ。

 実は1985年9月文部省教員海外長期派遣団でこのサンダーランド(Sunderland)の北方15㎞にあるサウスシールズ(South Shields)で学校、教育施設を訪問したことがある。私たちはサウスシールズ市で女性市長主催の歓迎パーティに招待された。その折市長は日本人の優秀性を持ち上げ、日産の工場進出を雇用面の効果の点で高く期待し、日本とイギリスの友好関係が長く続くことを願っているとご機嫌で歓迎挨拶をされたことが強く印象に残っている。サッチャー首相ご臨席の下に日産サンダーランド工場が開所式を迎えたのは、私たちのサウスシールズ訪問からちょうど1年後の1986年9月のことである。

 これは偶々すべてが上手く行き、日産工場進出万歳、イギリス病解決、サンダーランドで雇用創出など成果を上げる結果となった。すべてこうなれば言うことなしだが・・・。

 すでに「一世代三十年」も昔のことになってしまったが、時折自分がトレースして思い出の残る時や場所が、歴史の舞台で演じられる「日本の海外成功プロジェクト」と結び付けられるのは、何とも言えず小気味いいものである。

2013年4月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2162.2013年4月14日(日) アウン・サン・スー・チーさん27年ぶりの来日

 昨日ビルマ(ミヤンマー)から国民民主連盟(NLD)党首・アウンサンスーチー女史が来日した。早速在日ビルマ人の集会に出席し講演した。2015年までに現行の憲法を改正したいと述べ、日本にいるビルマ人に日本で学んでビルマの国づくりに協力して欲しいと訴えた。出席者は顔を綻ばせて感激していた。だが、スーチーさんが現在置かれた立場と今後進むべき道は、依然に比べて極めて厳しくなったと言わざるを得ない。

 スーチーさんの今回の来日は27年ぶりで要人の滞在にしては1週間とやや長い。ビルマにおける日本企業進出に対する日本政府の期待による招待であるが、最近国際社会ではスーチーさんは政治家としては期待外れとの厳しい評価も出てきて、その行動が鼎の軽重を問われている。

 これまでビルマ独立の父、アウンサン将軍の娘として、また軍政への不屈の抵抗によって国民的人気を保ち、自由と民主体制の象徴的シンボルと見られていたスーチーさんであるが、昨年7月に国会議員に当選して以来国際社会とビルマ国内からも彼女の言動に対する失望の声が聞かれるようになった。それは15年間に及ぶ軟禁生活で外界から遮断されていた不幸な事情はあるにせよ、現実を知らなさ過ぎて政治家としての資質に欠けるという厳しいものである。

 かつて、毎年のようにビルマを訪れていた頃に度々聞いた話がある。バングラデッシュとの国境アラカン山脈に居住するロヒンギャ族は現在も無国籍者であるが、それでも当時はビルマ国民のマジョリテイを占めるビルマ族のビルマ政府とうまく共存していた。それが最近ビルマ政府の弾圧により被害を受けているらしい。もうひとつの少数民族カチン族にしても、ビルマ政府軍と停戦状態にあったが、最近政府軍の攻撃により北部カチン独立軍が厳しい状況に置かれているという。これら少数民族問題についてスーチーさんがほとんどコメントしないため、あまりにも民族問題について無知だというのである。

 少しずつではあるが民主化路線を歩き出したビルマは、アジアに残された唯一の未開の大市場という魅力があり、各国政府がアプローチを試みているが、最近まで中国を除いて思うようには行っていない。そのせいでビルマの様子が是々非々を取り混ぜメディアを通して伝えられるようになった。

 購読している月刊誌「選択」も、スーチーさんに対する評価が下落していることを大きく取り上げている。「政治家としては『役立たず』か―色褪せるアウンサンスーチー」(2012年11月号)、「季節外れの『スーチーフィーバー』―来日を食い物にする愚」(2013年4月号)と容赦もなく手厳しい。いずれも2頁いっぱいにかなり詳細に書かれている。

 あれほど人格者として、また民主化運動のリーダーとして信頼を集めていたスーチーさんがまだ数は少ないとは言え、支持者が減っているのは政治家としての資質や、実績、公約などのアピールが不十分だからでもあり、ブレーンに人材を得ていないとの印象を受ける。もちろん彼女の政治家としての経歴に傷をつけないよう、彼女自身も自覚する必要があると思う。それには少数民族問題から逃げることなく真正面から向き合い、ビルマ全体の民主化の問題として解決する覚悟を固める必要がある。

 いずれにしろ、結論を急いでは元も子も失くしてしまう。堅実に政権政党への準備を進め、その暁には成果が挙げられるようあらゆる体制を整えるべきである。NLDもスーチーさん人気だけに頼らず、政党としてきちんと基盤を整備する必要があるのではないか。

2013年4月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2161.2013年4月13日(土) 「鎌倉学会」の設立と参画

 小中陽太郎さんが淑徳大学公開講座で講義をされるので、池袋のサテライト・キャンパスへ聴講に出かけた。3月に江戸東京博物館で伺った平賀源内の話を5回に分けて話されることになっている。今日は第1回として著書「翔べよ 源内」のさわりを面白おかしく話された。逸材平賀源内は生い立ちから性癖に至るまで、源内自身が有能にして才気煥発だったが故に、やや道を誤ったのではないかと惜しまれる人生を送った。確かにその傑物的生き方は興味深い。次週は出席できないが、話が佳境に入って来ると益々面白くなりそうな予感がする。楽しみにしたい。

 今日は東横線から東京メトロ副都心線への乗り入れに乗じて、初めて乗り換えなしで池袋へ行った。直通で自由が丘から池袋まで行けるのは確かに便利である。問題は駅構内も変わっているので、地下の池袋駅構内で自分の居場所がよく分らないことである。副都心線池袋駅でも改札口を出てから方向が分り難かった。だが、渋谷駅で乗り換えをしない利用者にとっては利便性が向上したことは間違いない。取り敢えず、利用者サイドとしては、この乗り入れは渋谷駅の分り難さと不便さを別にすれば、効果は上がっているのではないかと思われる。 

 さて、昨日元鎌倉市長の竹内謙氏からメールで、市民自治の実践を鎌倉学として創成することを目的に「鎌倉学会」を設立するので計画に賛同し参画して欲しいと連絡があった。あまり期待されても困るし、毎月1回の会合出席やら、いろいろな企画立案にアイディアを出せるか、自信もないうえに「学会」なんてものは「英才、俊才」の集まりで、それこそアカデミックに専門分野を持っている大学教授のようなインテリが関わるものではないかと、幾分不躾な質問を送り、気持ちとしては入会すべきかどうか思案中であると付け加えた。するとすぐさま、「鎌倉学会」は英才や俊才の学会ではないと彼の信念と考え方を伝えてきた。さらに「東大に象徴される英才、俊才から脱しない限り、日本の明日はありません」とまで持論を述べている。そのうえ「大衆こそが叡智であり、今こそ発想の転換が求められており、誰かがやらなければならない」と悲壮な決意を強く感じた。

 竹内氏は私がキャプテンだった高校ラグビー部キャプテンだった3年生時の1年生部員で、当選した2度の鎌倉市長選でも少しお手伝いしたことがある。その後都内麹町に「インターネット新聞社」を立ち上げ、一時は景気も良く契約者数を讀賣新聞を抜いて日本一にしてみせると自信満々だったが、不況をもろに被り広告収入が激減し、涙を呑んで先年会社を畳んだ。捲土重来を期していた時に、彼自身の新しい突破口としてこのような発想が生まれたのではないかと勝手に想像している。

 私も彼の男気に喝采し、協力したいと考え、最終的に入会することを承諾する旨メール送信した。

 ところで、今朝5時半ごろ淡路島を中心に西日本で大きな地震があった。震源は18年前の関西・淡路大震災の震源地とそれほど離れていない。マグニチュード6.3だというから相当大きな地震である。幸い犠牲者は1人もいなかった。だが、余震も予想されているので、油断がならない。稼動中の大飯原発を含む原発施設でのトラブルは現時点では報告されていないが、突然このような大きな地震が発生することを改めて考えると原発再稼動についてとても賛成する気にはなれない。原発関係者、特に原発稼動賛同者はこの地震を知ってどう思っているだろうか。

2013年4月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com