昨年に続いて小田急電鉄OBの社友会が小田急相模大野駅隣の「小田急ホテルセンチュリー相模大野」で開かれた。新規入会者が増える一方で、毎年亡くなる人もいる。だが、会員数が2400名を超えるというから一企業のOB会としては随分大きな組織になったものである。久しぶりに会った元同僚と話が弾み、先日会ったばかりの山岳部の仲間とも懐かしい話をした。また、小田急電鉄大須賀会長と山木社長から次回出版作品について期待と激励の言葉をもらった。
こういう場に来られる人は、健康で前向きな性格で昔の仲間と腹を割って話ができるからだと思っている。性格上こういう場は苦手という人や、会社に良いイメージを持っていなかったり、一切会社を去った以上もう組織から離れたいという人たちを除いて、元気なら出席する気持ちの人が多いと考えるが、中々そうとも言い切れない点が複雑なところだ。
例えば、高卒だったが優秀だったYくんとは昨年駅勤務以来の再会を喜び合い、拙著を送ったり、メール交換をしたが、しばらくして音沙汰もなくそれっきりとなり今日も彼は出席して来なかった。彼の身に何かあったのだろうか。また、10年前に会社を辞めてから今日久しぶりに会ったKくんは、何かおどおどして笑いながら後ずさりするような仕種をする按配である。偶々話をしていた先輩が彼はちょっとおかしいのではないかと囁いた。在職中は同じ職場で働いたし、海外へも何度か一緒に行って随分信頼していた。それなのに進んで挨拶や会話もしようとしない。一見して「おかしい人」のようには見えない。だが、顔を合わせるとそむけるわけでもなく、ニコニコしている。私より6歳若いはずだから、認知症ではないと思いたいが、ひょっとするとそうなのかも知れない。昔の仕事仲間だけに寂しい気持ちになる。
よく考えてみると近年周囲に同じような感じの人たちが多く見られるようになってきた。これも年齢のしからしむところであろうが、わが身を振り返ってそうならないよう今は適度な心身の運動を心がけている。
さて、今朝世界で最も歴史のあるボストン・マラソンのゴール近くで突然爆発があり、3名が亡くなり、140名以上が負傷した。走っていたランナーの中には、爆発と同時にコース上に倒れたランナーもいた。どうしてこういう馬鹿げたテロもどきの卑劣な行為をやるのだろうか。
このゴール地点は街の中心街にあり、近くにはボストン・レッドソックスのホームグランドであるフェンウェイパークがある。1976年に初めてボストンを訪問した時、ゴール手前を数歩走ってこのゴールラインを跨いだことが懐かしい。古い街だけに市街のあちこちに歴史の跡が染み付いている。
昨日は南北戦争のレキシントン・コンコードの戦いが始まった日で、アメリカ東部3州では4月第3月曜日を「愛国者の日」と呼んでいる。マラソンの日取りもそれを記念して開催されるようになったと仄聞している。独立戦争前に起きたボストン茶会事件があったのもこの街である。ボストン港から道路上に示されたルートを辿っていくと、いつの間にか歩いてボストン市内観光ができるような仕掛けになっている。現役時代にそのアイディアをヒントに、後年外人向箱根パック商品「ODAKYU EXPRESS」を企画し、苦難の末商品化したことが思い出されてくる。
昨4月15日、金日成の誕生日「太陽節」には何も起きなかったが、相変わらず北朝鮮の無法な恫喝が朝鮮半島を緊張させている。まかり間違っても戦火が起こるようなことがあって欲しくない。