2857.2015年3月10日(火) 東京大空襲70周年を迎える。

 終戦の年、昭和20年の今日東京大空襲があり、10万人を超える夥しい数の犠牲者を生んだ。数年前両国国技館近くの東京都慰霊堂にお参りしたことがあるが、その時度々お参りに来られたというご老人から、まだ犠牲者の全体像がつかめないと聞き、犠牲者の実態を把握することには並大抵ではない苦労があることを今更ながら知らされることになった。

 この大空襲の後しばらくして、私たち家族は藤沢市鵠沼の住まいから千葉県安房郡勝山町(現鋸南町)へ引っ越して、勝山国民学校初等科へ入学した。兄は通学していた藤沢市立片瀬国民学校から、私が入学した勝山国民学校へ転校することになった。晴れて国民学校1年生となって自宅の2階の窓から、房総西線の長い列車が米軍機から機銃掃射を受け黒煙を上げる様子を恐怖心を抱きながら呆然と見ていた。時々敵機来襲の警報で近くの防空壕に避難し、警戒警報解除の知らせがあるまで洞窟の中で家族や近所の人たちとじっと潜んでいたことを思い出す。そして8月日本は広島と長崎に原爆を落とされ、ついに降伏し終戦となった。

 あの終戦から今年で70年になる。戦争の実体験はないが、その実情は

 60年安保闘争を経験したことや、厚生省の戦没者遺骨収集事業や戦没者慰霊巡拝団に関わって、厚生省職員や、戦友会、遺族の方々から生々しい話を伺ったり、戦跡地を訪れたことで大分知ることになった。そして現地の人々からも戦争の裏話なども聞いて戦争というもの、特に戦争は絶対やってはいけないということと、反戦ということについて曲がりなりにも自分なりの考え方を固めることができた。

 今夏発表される予定の首相談話が世界から注目されている。これまで安倍首相は自分の思っていることをそのまま発表する気持ちが強いようだが、周囲が周辺書庫の反応を斟酌し首相の独走を懸念し、有識者の意見を聴くことになった。その結果西室泰三・日本郵政社長以下16人の有識者を「70年談話に関する有識者会議」のメンバーに選んで、素案を作成させることにした。そのメンバーの顔触れを見る限り、首相寄りの人たちが多いが、昨日その座長代理を務める北岡伸一・国際大学長が思いがけなく「首相に『日本は侵略した』とぜひ言わせたい」と発言した。日ごろから保守的、というより右翼的言動の目立つ北岡氏が、首相が最も触れることを嫌う「日本の侵略行為」について前向きな発言をした。平静を装っている菅官房長官も、意見のひとつでいちいちコメントはしないと核心を避ける発言に終始した。

 これから終戦記念日が近づくに連れて、周囲は騒がしくなるであろう。 

2015年3月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2856.2015年3月9日(月) ビルマのパゴダを想う。

 経済紙である日経新聞に昨日珍しくビルマを大きく扱った記事が全2頁に亘って掲載された。それも経済関係のニュースではなく、いずれも仏教寺院を紹介したものである。1頁目は首都ヤンゴン(旧ラングーン)市内のエポック・メーキングな建造物、シュエタゴン・パゴダについて紹介した内容であり、もう1頁はビルマ中部都市パガンのアーナンダ寺院の記事である。これまでに何度も訪れた懐かしい観光スポットである。

 ビルマでは全国どこでもパゴダを見ることができる。中には崩れかけて雑草が生い茂っているものもあるが、人家の近くにあるパゴダは今でもほとんどが、信仰心の篤い人々によって大切に保存、管理されている。それらは昔からビルマ人の心の支えとなっている。中でもヤンゴンのシュエタゴン・パゴダは一段と聳え立つように建造され、遠方からでも眺望することができる。特に夜間は明るくライトアップされ、熱心に手を合せているビルマ人の姿は神々しいほどである。

 12世紀に栄えたパガン王朝時代に建立されたアーナンダ寺院は、パガン界隈の多くのパゴダの中でも代表的なもので、多くの観光客が訪れる。とりわけ日没前の赤く染まった光景は、えもいわれぬ美しさである。パガンのパゴダ群は実に見事なものだと思うし、静かな環境と相まって訪れる人々の心を打つ。いずれこの辺り一帯が世界遺産として登録されることは間違いないと思う。

 近年ビルマにとって残念なことは、先進国との経済協力とか、辺境の少数民族を排除しようとする政府軍の動きぐらいしか話題にならないことである。華があった反体制派のスーチー女史の活動もすっかり影を潜めてしまったかのようである。やはりビルマらしいのは、そういう国際社会から注目されるようなニュースよりも、貧しいながらも昔とあまり変わらない日常生活の中で古くからの伝統的で質素な生活を営んでいる地道な姿が綿々と続いていることである。

 さて、今日ドイツのメルケル首相が2日間の予定で7年ぶりに来日した。早速午後朝日新聞社と財団法人ベルリン日独センター共催で講演会が催された。実は私もぜひメルケル首相の話を聴いてみたいと思い聴講を申し込んだが、残念ながら抽選で外れてしまった。ドイツは同じ敗戦国として、またともに戦後復興を遂げた国として日本とよく比較されることがある。ドイツが他国と大きな諍いを起こすことなく平和と安定を享受しているのに引き比べて、日本には依然として近隣の中韓両国とのこじれた関係が続いている。昨日も中国の王毅外相が、反ファシズム戦争勝利・抗日戦争勝利70周年記念行事には、誠意さえあればあらゆる関係国の指導者を招待すると安倍首相に牽制球を送った。

 メルケル首相は今日の講演で、ドイツがヨーロッパで和解を進められたのは、ドイツが過去ときちんと向き合ったことと、隣国フランスの寛容さもあったと述べた。わが国に敷衍すれば、大東亜戦争の反省と関係諸国への謝罪を示すことである。これはすでに20年前の村山談話に盛られたことでこれをもう一度安倍首相談話として公表することである。問題は隣国、中国と韓国の日本に対する寛容さである。果たして対日強硬策を取り続けることが、自国民の愛国心を高め、国家を治める最も効果的手段だと思っている、頑なな姿勢の中国と韓国が寛容さを示してくれるだろうか。

2015年3月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2855.2015年3月8日(日) お彼岸前にお墓参り

 お彼岸を前に早々にお墓参りを済ませた。横浜の二男家族とともに、妻の実家のお墓がある多磨墓地から、近藤家代々のお墓のある中野の宝仙寺へ廻った。奈良に住む中三の孫が志望高校に入れるようお祈りしたほかにも、ご先祖様にいくつかのお願いごとをした。

 早朝から小雨交じりの気象で何となく寒々しい。救いは元気の好い2人の幼い孫である。もうしばらくすると花見で知られる多磨墓地内には桜の花が咲き誇り、訪れる人の目を楽しませてくれるが、流石にこの時期にこの肌寒さでは開花もせず、散歩する人もほとんどいない。多磨墓地でお参りを終えて中野の宝仙寺へ向かう途中でランチタイムになったので、甲州街道に沿った「味の素スタジアム」に隣接するファーストフード・レストランに入ったところ、サッカーJリーグ2部の試合ではあったが開始前ということもあって、多くのファンで混みあっていた。

 サッカー人気はともかくとして、ひと頃に比べて日本サッカーの実力は一頓挫しているように感じている。前々回のワールド・カップ南アフリカ大会では予選リーグを突破して、ベスト16に食い込んだが、昨年7月のブラジル大会では期待に反して早々に敗れた。次回大会に向けて新チームがスタートした途端アギーレ新監督がスペインチーム監督時代の買収疑惑によって解任された不幸もある。つい先日漸く後任にボスニア・ヘルツェゴビナ出身のバヒド・ハリルホジッチ氏が決定したところだ。だが、今アジアカップに日本から出場している4つのJリーグチームの戦いぶりは芳しいものではなく、久しぶりにアジアの王者奪還を目指す日本サッカー界には、憂色が漂っている。Jリーグ加盟チームが増え、サッカー人気は高まっているとは言え、日本のサッカーはヨーロッパに比べて歴史も浅く、力もまだ不安定である。いくら投資しても一朝一夕に強くなるものではないことを思い知らされる。

 さて、昨日と今日の2日間に亘って民放テレビでシベリア大陸のドキュメンタリー番組が放映された。延4時間の長編なので、ずっと観ているわけにはいかなかったが、これまでに2度シベリアを訪れているので懐かしく楽しむことができた。特に、雪の中を走るシベリア鉄道の車窓外風景と車内光景が殊更懐かしかった。初めて訪れた1991年10月はまだ雪は見られず、バイカル湖水も青く透明だった。学生時代にトルストイの「復活」を読んで感激し、「復活」をトレースしながら一度シベリア大陸を横断してみたいと思っていた。できればシナリオ通り雪の季節に旅してみたいと願い、2003年3月のまだ積雪の多いシーズンにシベリア鉄道で広大な大陸を横断してみた。雪の白樺並木を走り、「復活」のシーンを彷彿とさせる光景にカチューシャこと、カチェリーナ・マースロヴァを追う青年士官ネフリュードフにイメージを重ねてネフリュードフの懺悔と愛情を思い出して感慨に耽ったものである。

 今日の番組では、雪と寒さに閉ざされた広大な大陸を雪以外に何も見ることができないような単純な景色の中に、シベリアの奥深い魅力を描きだしてくれたように思っている。

2015年3月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2854.2015年3月7日(土) 極右街道まっしぐらの安倍首相

 現在安倍政権は、国会における圧倒的に優位な一強多弱を背景に、憲法改正に的を絞り右翼的な政策を着々と実行に移そうとしている。ただ、いくら閣僚だけで閣議決定したにせよ、必ずしも与党の足並みが揃うわけではない。「平和の党」を自称する公明党が、政府自民党の考えに異を唱え、議論を煮詰めている最中である。

 しかし、これはそう簡単にまとまりそうもない。新たな安全保障法制を巡る点で7分野にも亘って論点があるからだ。閣議決定に見られるように、そもそも政府の決定へのアクセスは、取り敢えず閣議で決定しておいてその後になし崩し的に決定、実行してしまおうとの計略的な気持ちが強い。アメリカに顔を向けてアメリカの海外戦略に少しでも力になろうという意向が働いているようだ。そのためには自衛隊を海外へ派遣させ、危険地域であろうとも同盟国であるアメリカを支援できる法制にしようと些か功を焦り過ぎている。

 シビリアン・コントロールについても少しでも形骸化させようという気持ちが強い。制服組、実戦部隊の意向を反映させようとの強い気持ちがある。それでいて中谷元防衛大臣ですら、戦後憲法に文民統制が確立された背景について、戦争の反省からきちんと決められた文民統制についてご存じないお粗末ぶりである。防衛省の文官を格下げして武官と同じ地位に並ばせて、ともに文民である大臣を補佐するという防衛省側なりの意向はあるが、今や中谷大臣自身が自衛隊出身であるが故に、制服組の次官クラスと組んだら、現場を知らない文官の意見なぞ聴くわけがない。そうなると制服組暴走である。自衛隊出身の大臣が誕生した時点で、すでに自動的に文民統制は崩れていると言わざるを得ない。

 これに加えて心配なのは、多くの政治評論家が気にしているように、あまりにも積極的平和主義の名の下に暴走している安倍首相の言動である。担がれたお神輿に乗って右翼志向の自分と少しでも波長が合えば、示し合せて突っ走る。

 「選択」3月号によれば、自民党としては珍しいリベラル派の村上誠一郎議員がこう言っている。「昔首相になる人は、旧制高校や陸士、海兵の出身で、基礎学力があり偏差値が高かった。刻苦奮励しながら知性と教養を磨き、役所の局長、次官のキャリアを積んでいた。漢籍に通じ文学への造詣も深かった」。そのうえで、安倍首相には残念ながらそれがない。政治家二世で永田町の人として、永田町の楽屋裏には詳しかったが、哲学論争や旧制高校的教養を身につける場がなかったと厳しい決めつけ方である。言うまでもないことであるが、安倍晋三氏を知る周囲では、誰もがまさか首相にまでなれるとは全く考えてもいなかったという。我々もそう思うし、結果的に安倍長期政権の可能性が強くなったことは国民にとっても不幸の極みである。

 ともかくできるだけ早く現在の安倍政権の暴走に何とか歯止めをかけなければ、将来的に日本を戦争に巻き込み、再び国土を焦土と化し原発放射能漏れによって豊かな土地を荒廃させることになることは想像に難くない。嫌な予感がする。

2015年3月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2853.2015年3月6日(金) 「後期高齢者」って何?

 「私たちは人生の『後期』を迎え『興起』して、『光輝』溢れる『高貴』高齢者となりました」。

 今月23日の高校クラス会で幹事役を務めるので、参加者に手渡すチラシにユーモアを交えて書き出した文言である。われわれ昭和13年、14年生まれの同級生がいわゆる「後期高齢者」となり、われわれのほとんどが、今年めでたく喜寿を迎える。それらをもろもろもじったジョークであり、揶揄でもある。同級生たちが何と言うかは分からない。

 「後期高齢者」という言葉自体は、これが発表された時からかなり批判的に受け取られていた。だが、お役所はそんな批判は歯牙にもかけず、その言葉を強引に制度に取り入れた。実際現在厚生年金支給額から所得税とともに天引きされる費用の一部は、「後期高齢者医療保険」などと称されている。実態は新しい社会保険制度の中で高齢者を総称する言葉として「発明」され普及された言葉であるが、一般的にいかにも老い先短い高齢者をイメージさせるようなニュアンスが込められている印象である。

 それにしてももう少し優しい表現を「発明」することができなかったのだろうか。まぁ発想の貧しいお役人では難しいかも知れない。

 さて、今年の読売文学賞の評論・伝記賞を受賞した富士川義之氏は、高校1年生時に同クラスにおられたが、他校へ転校したのか卒業時には見かけず、同期生卒業名簿にも名前が載っていない。ところが、母校同窓会名簿の我々の2年下級生の名簿に富士川氏の名前が載っていることが分かったのである。確認のためラグビー部の2年後輩に尋ねてみたところ在籍していたとの確証を得られた。体育はほとんど見学していたというから、やはり長期療養をしていて2年間留年することになったのではないだろうか。これでやっとすっきりした。

 ところで、昨日の本ブログで朝日夕刊の連載小説の唐突な終了には何か特別な理由があるのではないかと、連載「口笛鳥」の慌ただしい終わり方に疑問を抱いて取り上げた。その真相と舞台裏は不明だが、今夕の件の小説はピッチが急に早くなった。主人公の小学生が、中学へ進学し、高校へ進み、大学で学び、就職して事務機器メーカーの営業職に就いた。たった一日のうちにすさまじい急展開の進み方である。作者の道尾秀介氏は憶測するところの朝日の要求に屈したのだろうか。慌てて店仕舞いしようとしている。これでは結局面白味のない小説だったということを証明することにならないだろうか。

 繰り上げて次に連載される吉本ばなな氏の作品が、もっと魅力的な作品であることを期待している。

2015年3月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2852.2015年3月5日(木) 確定申告を済ませる。

 1月の終わりごろから準備をしていた平成26年分確定申告書の申請を終えてほっとしたところだ。毎年恒例となったとは言え、申請手続き書類の作成にはめんどうな手間がかかる。パソコンで書類を作成するのは2、3年前に諦めて、時間をかけて手作業で領収証と突き合わせしながら1件1件慎重に、丁寧に書き込むことにして今年も何とか申告のための材料を揃えた。

 実は、すべての書類と資料を持って一昨日玉川青色申告会事務所へ最後の申告書を作成してもらおうと出かけたのだが、午後一番だったにも拘わらずすでに締め切っていた。

 今日はその意味でも出直しで朝9時前に事務所へ出かけた。すでに先着15名がおられたが受け付けてもらい、カフェで時間をつぶした後に事務所を訪れ係員に相談することができた。書類は漏れなく揃えていたので、係員には申告書を作成し易いと言ってもらった。1時間半ばかり時間をかけて、最終申告書を作成してもらい、そのまま事務所の裏手にある玉川税務署へ廻り、正式に確定申告書を提出して手続きを終了した。これで1年間の大きな仕事のひとつをクリアしたことになる。やれやれである。

 さて、最近いただく書物が増えて中々読破する時間がないが、それでも新聞の連載小説はまめに読んで楽しんでいる。朝刊と夕刊を併せて4つの連載小説を読んでいるが、大手新聞でも中にはつまらない小説もある。現在朝日夕刊に連載中の道尾秀介の「口笛鳥」がまったく面白くないし、筋が分からなくなることがある。どうしてこんな小説が大朝日新聞に連載されるのか、当初から首を傾げていた。数日前にとうとう読む気がしなくなり、読むのを止めたところ、何と昨日の夕刊に次の連載小説の広告が掲載された。現在連載中の「口笛鳥」がまもなく終了するという。昨日時点でまだ100回にも達していない連載小説が終了とは、少し早過ぎやしないかと思った。と同時に、これは小説自体がつまらないとの声が多くの読者から寄せられ、編集部としても見切りをつけて打ち切りに踏み切ったのではないかと勘ぐらざるを得ない。それにしても、朝日は夏目漱石の連載を始めとして、有名作家の数々の小説を連載してきたおかげで文壇にも影響力を行使できたのではなかったか。それが、近年はむしろ意味の分からない三次元の世界を扱った小説等に視点を移して、ストーリーが分からない小説を取り上げたことが一再ならずあった。

 午後になってショッキングなニュースが韓国ソウルから飛び込んできた。リッパート駐韓アメリカ大使が、突然刃物を持った韓国人の男に襲われ負傷した。この男は5年前にも当時の重家俊範・日本大使に石を投げつけた前科がある。アメリカに対しては、現在行われている米韓合同軍事演習は、朝鮮半島統一のためにならないと反対を唱えていた。また極く最近シャーマン国務次官の発言が、韓国国内で日本寄りとの批判が出ており、それとの関係も取り沙汰されている。それにしても警備体制がちょっとお粗末というか、隙だらけでこれではいくら自己防衛しても防げまい。いずれ警備当局から今後のより厳重な警備体制について説明があることだろう。

 1月の終わりごろから準備をしていた平成26年分確定申告書の申請を終えてほっとしたところだ。毎年恒例となったとは言え、申請手続き書類の作成にはめんどうな手間がかかる。パソコンで書類を作成するのは2、3年前に諦めて、時間をかけて手作業で領収証と突き合わせしながら1件1件慎重に、丁寧に書き込むことにして今年も何とか申告のための材料を揃えた。

 実は、すべての書類と資料を持って一昨日玉川青色申告会事務所へ最後の申告書を作成してもらおうと出かけたのだが、午後一番だったにも拘わらずすでに締め切っていた。

 今日はその意味でも出直しで朝9時前に事務所へ出かけた。すでに先着15名がおられたが受け付けてもらい、カフェで時間をつぶした後に事務所を訪れ係員に相談することができた。書類は漏れなく揃えていたので、係員には申告書を作成し易いと言ってもらった。1時間半ばかり時間をかけて、最終申告書を作成してもらい、そのまま事務所の裏手にある玉川税務署へ廻り、正式に確定申告書を提出して手続きを終了した。これで1年間の大きな仕事のひとつをクリアしたことになる。やれやれである。

 さて、最近いただく書物が増えて中々読破する時間がないが、それでも新聞の連載小説はまめに読んで楽しんでいる。朝刊と夕刊を併せて4つの連載小説を読んでいるが、大手新聞でも中にはつまらない小説もある。現在朝日夕刊に連載中の道尾秀介の「口笛鳥」がまったく面白くないし、筋が分からなくなることがある。どうしてこんな小説が大朝日新聞に連載されるのか、当初から首を傾げていた。数日前にとうとう読む気がしなくなり、読むのを止めたところ、何と昨日の夕刊に次の連載小説の広告が掲載された。現在連載中の「口笛鳥」がまもなく終了するという。昨日時点でまだ100回にも達していない連載小説が終了とは、少し早過ぎやしないかと思った。と同時に、これは小説自体がつまらないとの声が多くの読者から寄せられ、編集部としても見切りをつけて打ち切りに踏み切ったのではないかと勘ぐらざるを得ない。それにしても、朝日は夏目漱石の連載を始めとして、有名作家の数々の小説を連載してきたおかげで文壇にも影響力を行使できたのではなかったか。それが、近年はむしろ意味の分からない三次元の世界を扱った小説等に視点を移して、ストーリーが分からない小説を取り上げたことが一再ならずあった。

 午後になってショッキングなニュースが韓国ソウルから飛び込んできた。リッパート駐韓アメリカ大使が、突然刃物を持った韓国人の男に襲われ負傷した。この男は5年前にも当時の重家俊範・日本大使に石を投げつけた前科がある。アメリカに対しては、現在行われている米韓合同軍事演習は、朝鮮半島統一のためにならないと反対を唱えていた。また極く最近シャーマン国務次官の発言が、韓国国内で日本寄りとの批判が出ており、それとの関係も取り沙汰されている。それにしても警備体制がちょっとお粗末というか、隙だらけでこれではいくら自己防衛しても防げまい。いずれ警備当局から今後のより厳重な警備体制について説明があることだろう。

2015年3月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2851.2015年3月4日(水) 金塗れの政治家たち

 今年は戦後70年の節目の年に当たり、戦後50年の村山談話、60年の小泉談話に続き、安倍首相によって70年談話が終戦の日に公表される予定である。すでに、昨年辺りからどういう内容にまとめるかということで政府・自民党では知恵を絞っているようだ。現在の空気から推すと村山談話や小泉談話とは幾分中身が異なるのではないかと思える。安倍首相は村山談話から大きく外れないようなことを言いながらも、独自色を出したい願いから、「持ち味」である右翼志向を表したいとの気持ちがあるように感じている。中韓両国もどんな談話を発表するのか、注視している。内容次第では両国が一層反発し、両国との関係は険悪になる恐れがある。アメリカは中韓とは異なる考えであるが、中韓両国と日本との外交関係が悪化するのを以前から憂慮しており、できる限り中韓を刺激しないようなステートメントを日本政府が発表するよう注文をつけている。

 そんな折に政治家に関する献金疑惑がクローズアップされた。悪質とまでは決めつけられないが、軽薄というか、もらえる金なら何でも手を出すさもしい根性には、品性も何もあったものではない。

 今朝の朝日新聞一面に、国の補助金交付決定通知を受けた企業から政治献金を受け取っている政治家の名前が列記されている。安倍首相以下、麻生財務相、菅官房長官、甘利経産相、林農水相、宮沢経産相の閣僚らの他にも、岡田民主党代表、片山維新の党参議院会長ら大物が揃って企業からの献金を懐に入れているのである。その他にも政治資金規正法違反を疑われるような献金を受けていた大臣に、下村文科相、上川法相、望月環境相らがいる。これでは安倍内閣総倒れである。政治家は金には目がないものだということをPRしているようなものではないか。政治家には二世で、金亡者がなるものだと言われるようでは当人たちもあまり好い気持ちがしないのではないか。

 さて、今日も午後駒澤公園にウォーキングに出かけたが、いつもと違って目黒区寄りの入り口から入った。世田谷区ではなく、目黒区の一角に小庭園がある。そこに1本だけ桜の木が色鮮やかなピンクの花を咲かせていた。桜の木の前にひとりの老婆が佇んでいた。しきりに首を傾げているので、お節介と思ったが声をかけると「これは彼岸桜でしょうかねぇ」と尋ねられたので、「これは河津桜だと思います。一昨日江の島の島内庭園で普通の桜はまだ蕾でしたが、これと同じように河津桜が数本きれいに花を咲かせていたのを見ました」とお話したところ、なるほどと納得されお礼を言われた。偶々江の島で河津桜を観て、伊豆の河津で百花繚乱の麗しい姿を見せている河津桜に初めて接して感動したが、それが近くの公園で見ず知らずのご婦人のお役に立てるとは嬉しい限りだ。こんなこともあるものだ。

2015年3月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2850.2015年3月3日(火) 好漢田渕守くんの死を惜しむ。

 先日ブラジルへ旅行した近所の高校時代の友人にコンタクトをお願いしたブラジルのアミーゴから待ちに待った手紙が届いた。アミーゴは友人に対して私に宛てた手紙を送ったと言ってくれていたが、その手紙は1月11日付きで13日消印のものであり、航空便にしては投函後1カ月半以上も経過して随分時間が経っている。この遅れでは友人がアミーゴのアパートを訪れた今月中旬には、アミーゴは私の手元にすでに件の手紙が届いていたと信じていただろうことは推察できる。それをわが友人が消息を確かめるかの如く唐突に自宅を訪れることになったので、或いは戸惑い不審に思ったかも知れない。でもインターフォンで会話を交わすことができて、元気であり手紙を投函したことを伝えてくれたのである。ともかく手紙の文面を見ると83歳ではあるが、普段は元気であり、今月10日からは南部都市にショート・ステイに出かけると書いてある。お互いに地球の裏側に住んでいるので、そう頻繁に連絡があるわけではないが、細い糸が今もつながっていることが分かってやれやれ一安心である。

 一方で、あっという間に亡くなったナイスガイがいる。高校の10年後輩で会社の同僚であり、友人でもあった田渕守くんが、先月11日に突然彼岸へ旅立ってしまった。この友人の人生には厳しいドラマがあった。癌が判明して手術を繰り返し、その後定期的に検査を行って大分安定していると聞いていた。

 11月の拙著出版記念会にも出席してくれ、その時やや太り気味でとても癌患者とは思えないほど一見健康体に見え、束の間ではあったが話し合うことができた。10日程前会社の元同僚からその田渕くんが亡くなったと聞いて愕然とした。彼は入社の経緯が異色で、学卒なのに高卒資格で中途入社し、加えて彼の組合における言動が会社と組合にも受け入れられず、一匹オオカミ的な立場に追いやられ我々の目から見ると不遇をかこっていたように思えた。公開の株主総会でも満場の中を挙手起立して質問し、会社側を慌てさせていた。在職中は生涯一現場社員に拘って出世欲は捨て去り働きやすい現場の職場作りに力を注ぎ、退職後も行政書士の資格を得て、働く者のために事務所を開いて相談に乗ったり、講演活動を行っていた。

 彼の他界を知ってご遺族に最後の様子をお聞きしようと思い、何度か電話をしたが、いつも留守電だった。止むを得ずFAXに私の気持ちを書いて送ってみたが、これにも何の反応もなかった。あれだけエチケットを弁えていた彼にしてはおかしいなと思っていたところ、今日になって不意に見知らぬ弁護士から手紙を受け取った。そこには田渕くんから遺言執行を依頼されていて自宅点検に訪れた時、私が送ったFAXを読んで私に手紙を送ったと書かれていた。田渕くんは若い時に離婚してそのまま独り住まいだったので、身辺整理をする人がおらず、葬儀で喪主を務めた妹さんも仙台に住んでいて最近の兄の生活やプライバシーがまったく分からないということだった。私のFAXには、ご遺族がお望みなら、彼と私が話しているシーンが映っている出版記念会のDVDをお送りするがどうですかとも書いた。これは遺族が何も言って来なければ、そのままそっとしておいた方が良いのではないかと思っている。

 田渕くんとは最近そう度々会うことはなかったが、在職中から親しい後輩で、頭も切れて信頼できる人柄だった。思うことを率直に何でも話すことができた、数少ない友人のひとりだった。彼の永眠は早過ぎる。実に残念でならない。心から好漢田渕くんのご冥福をお祈りしている。  合掌

2015年3月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2849.2015年3月2日(月) 久しぶりに江の島と鎌倉へ

 今年の読売文学賞を受賞された山崎佳代子さんの夫で、友人の洋さんが明日ベオグラードへ帰る前の束の間の一日の今日江の島と鎌倉巡りを楽しむことを約束していた。

 心配していた天候は、昨日は雨だったが今日は幸運にも朝から晴れだった。しかも明日は雨の予報に、我々はきっと晴れ男なのだろうとニタリ。ゼミの長谷川くん、山崎さんと小田急新宿駅で待ち合わせ、冬の間は午前中唯一の江の島行ロマンスカーで江の島へ向かった。ロマンスカーに乗るのも久しぶりだが、友人2人にとっては初めてのようだ。

 江の島では一応観光箇所は見て、鎌倉は寺社を中心に時間、疲労具合と相談しながら適宜スケジュールをアジャストしようと考えていた。江の島内をぶらつくのも子どもが小さい頃連れて来て以来である。江島神社で弁財天を拝み、展望塔へ昇り真白き霊峰富士山を正面に眺め、ありきたりだがつくづく富士は日本一の山だと痛感する。その後洞窟内の岩屋に入り、ここが江の島の発祥の場所であることを知った。正に真白き富士の嶺 緑の江の島~の通り、かつては地元だったこの湘南海岸の醍醐味を満喫させてもらった。

 昼食は希望通りさざえの壺焼きとシラスを食することができた。流石に地元の特産は旨い。江の島では、気になったことが2つあった。ひとつは、昔展望塔下で羽根を広げてくれたクジャクが残念ながらもういなかったことである。係員に聞いてみるともう飼育していないということだった。もうひとつは、珍しいことに桜が早咲きであちこちに咲いていたので、不思議に思ったところ伊豆・河津地区で今咲き誇っている「河津さくら」ということだった。

 その後江ノ電に乗りこれまで訪れたことがなかった長谷寺へ行きお参りした。梅の花がちょうど見ごろだった。初めて見た観音像はその立ち居姿が威厳のあるもので、神々しい印象を受けた。欧米人が三々五々訪れていたが、彼らにとっても随分興味深そうな様子に見えた。

 その後鎌倉駅から小町通りを歩いて鶴岡八幡宮へ向かいお参りした。帰路は若宮大路を歩いて来たが、何と大路を貫いている中央部分の桜の遊歩道が板張りされ、道路の反対側の商店や歩道の様子も皆目分からない。どんな工事をしているのか外からはさっぱり分からない有様である。今まで桜並木が鎌倉のチャーム・ポイントのひとつだっただけに、この工事の行方が気がかりであ る。今度この近くに住んでいる高校の友人に尋ねてみようと思っている。

 2人の友人とは横浜駅で別れて6時には帰宅したが、すでに万歩計は2万4千歩を記録していた。朝からかなり歩いたし、江の島内ではアップダウンも激しかったので、ふくらはぎが少々痛くなりかなり疲労を感じた。

 しかし、好天下に気の合う友人と天下の名勝・江の島と鎌倉を思うがままに歩き、食べたいものを食し、貴重な文化遺産に触れることができて幸せな一日を過ごせたと思っている。

 遥々セルビアからやって来た山崎洋さんも小学校時代に江の島を訪れて以来だと言って喜んでくれたので、それだけでも充分である。いずれゼミの仲間たちと異なったスケジュールでこんなのんびり旅行をまた楽しみたいと思っている。今日は少々疲れたが、これからゆっくり休いたい。

2015年3月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2848.2015年3月1日(日) 59歳の坂東三津五郎に続き、58歳作家・火坂雅志逝く。

 3月弥生の月を迎えて庭の白梅も見事に咲いている。だが、今日は滅法寒い。朝から雨もしとしとと降り続いている。そう言えば、今ごろになると毎年聞かれるうぐいすの啼き声は今年まだ聞いていない。

 先日59歳で亡くなり歌舞伎ファンを落胆させた坂東三津五郎に続き、26日また若い作家の火坂雅志氏が冥界へ旅立たれた。享年58歳だった。

 この作家の著作は特に多く読んでいるわけではないが、昨年日経新聞夕刊に「天下 家康伝」を連載していたので、その頃毎日楽しく読んでいた。それまで知らなかった家康の一面を知ることにもなった。大名としての武人家康を描く一方で、私人、家庭人として家康を描きだし家康を複合的に紹介した興味をそそられる小説だった。年齢的に見ても、まだこれからも骨のある歴史小説を期待されていたのに、実に惜しいという気がしてならない。

 家康と言えば、家康を題材に扱った印象深い作家として、もうひとり池宮彰一郎がいた。池宮は魅力的な作品「島津奔る」や、「遁げろ家康」などであまり世間に知られていない家康の一面を描きだすことに成功した作家である。「遁げろ家康」は、朝日の連載小説として愛読したが、司馬遼太郎の「覇王の家」と類似点が多く盗作問題に発展し、その時自ら進んで筆を措き自著の販売停止を申し出て、以降作家活動から完全に身を引いた。他方でこんな釈然としない例もある。それは2度までも盗作事件を引き起こし、師松本清張からこっぴどく叱られ一旦は執筆を休止すると宣言しながら、清張死すやその言葉を翻し、あるまいことか批判された清張を逆に非難し文壇に復帰した山崎豊子である。山崎に引き比べて、池宮の方が遥かに潔いことは認めている。残念ながら池宮は2007年83歳で亡くなった。脚本は書いていたが、小説は70歳を過ぎてから書き始めた遅咲きだった。その上前記のように晩年の作品でケチを付け、その意味では晩年は不遇だったと言えよう。池宮が戦時中パラオ・ペリリュー島に軍人として派遣されたことはあまり知られていないようだが、その数少ない激戦地の生き証人でもあった。

 今年4月戦後70年を機に天皇・皇后両陛下が同島へ巡拝されるのに伴い、多くの犠牲者を出したペリリュー島が脚光を浴びることだろう。ペリリュー島を隅から隅まで知っていたであろう元軍人池宮が彼の目で70年の時間差を描いたドキュメンタリーを読んでみたかった。

2015年3月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com