終戦の年、昭和20年の今日東京大空襲があり、10万人を超える夥しい数の犠牲者を生んだ。数年前両国国技館近くの東京都慰霊堂にお参りしたことがあるが、その時度々お参りに来られたというご老人から、まだ犠牲者の全体像がつかめないと聞き、犠牲者の実態を把握することには並大抵ではない苦労があることを今更ながら知らされることになった。
この大空襲の後しばらくして、私たち家族は藤沢市鵠沼の住まいから千葉県安房郡勝山町(現鋸南町)へ引っ越して、勝山国民学校初等科へ入学した。兄は通学していた藤沢市立片瀬国民学校から、私が入学した勝山国民学校へ転校することになった。晴れて国民学校1年生となって自宅の2階の窓から、房総西線の長い列車が米軍機から機銃掃射を受け黒煙を上げる様子を恐怖心を抱きながら呆然と見ていた。時々敵機来襲の警報で近くの防空壕に避難し、警戒警報解除の知らせがあるまで洞窟の中で家族や近所の人たちとじっと潜んでいたことを思い出す。そして8月日本は広島と長崎に原爆を落とされ、ついに降伏し終戦となった。
あの終戦から今年で70年になる。戦争の実体験はないが、その実情は
60年安保闘争を経験したことや、厚生省の戦没者遺骨収集事業や戦没者慰霊巡拝団に関わって、厚生省職員や、戦友会、遺族の方々から生々しい話を伺ったり、戦跡地を訪れたことで大分知ることになった。そして現地の人々からも戦争の裏話なども聞いて戦争というもの、特に戦争は絶対やってはいけないということと、反戦ということについて曲がりなりにも自分なりの考え方を固めることができた。
今夏発表される予定の首相談話が世界から注目されている。これまで安倍首相は自分の思っていることをそのまま発表する気持ちが強いようだが、周囲が周辺書庫の反応を斟酌し首相の独走を懸念し、有識者の意見を聴くことになった。その結果西室泰三・日本郵政社長以下16人の有識者を「70年談話に関する有識者会議」のメンバーに選んで、素案を作成させることにした。そのメンバーの顔触れを見る限り、首相寄りの人たちが多いが、昨日その座長代理を務める北岡伸一・国際大学長が思いがけなく「首相に『日本は侵略した』とぜひ言わせたい」と発言した。日ごろから保守的、というより右翼的言動の目立つ北岡氏が、首相が最も触れることを嫌う「日本の侵略行為」について前向きな発言をした。平静を装っている菅官房長官も、意見のひとつでいちいちコメントはしないと核心を避ける発言に終始した。
これから終戦記念日が近づくに連れて、周囲は騒がしくなるであろう。