2848.2015年3月1日(日) 59歳の坂東三津五郎に続き、58歳作家・火坂雅志逝く。

 3月弥生の月を迎えて庭の白梅も見事に咲いている。だが、今日は滅法寒い。朝から雨もしとしとと降り続いている。そう言えば、今ごろになると毎年聞かれるうぐいすの啼き声は今年まだ聞いていない。

 先日59歳で亡くなり歌舞伎ファンを落胆させた坂東三津五郎に続き、26日また若い作家の火坂雅志氏が冥界へ旅立たれた。享年58歳だった。

 この作家の著作は特に多く読んでいるわけではないが、昨年日経新聞夕刊に「天下 家康伝」を連載していたので、その頃毎日楽しく読んでいた。それまで知らなかった家康の一面を知ることにもなった。大名としての武人家康を描く一方で、私人、家庭人として家康を描きだし家康を複合的に紹介した興味をそそられる小説だった。年齢的に見ても、まだこれからも骨のある歴史小説を期待されていたのに、実に惜しいという気がしてならない。

 家康と言えば、家康を題材に扱った印象深い作家として、もうひとり池宮彰一郎がいた。池宮は魅力的な作品「島津奔る」や、「遁げろ家康」などであまり世間に知られていない家康の一面を描きだすことに成功した作家である。「遁げろ家康」は、朝日の連載小説として愛読したが、司馬遼太郎の「覇王の家」と類似点が多く盗作問題に発展し、その時自ら進んで筆を措き自著の販売停止を申し出て、以降作家活動から完全に身を引いた。他方でこんな釈然としない例もある。それは2度までも盗作事件を引き起こし、師松本清張からこっぴどく叱られ一旦は執筆を休止すると宣言しながら、清張死すやその言葉を翻し、あるまいことか批判された清張を逆に非難し文壇に復帰した山崎豊子である。山崎に引き比べて、池宮の方が遥かに潔いことは認めている。残念ながら池宮は2007年83歳で亡くなった。脚本は書いていたが、小説は70歳を過ぎてから書き始めた遅咲きだった。その上前記のように晩年の作品でケチを付け、その意味では晩年は不遇だったと言えよう。池宮が戦時中パラオ・ペリリュー島に軍人として派遣されたことはあまり知られていないようだが、その数少ない激戦地の生き証人でもあった。

 今年4月戦後70年を機に天皇・皇后両陛下が同島へ巡拝されるのに伴い、多くの犠牲者を出したペリリュー島が脚光を浴びることだろう。ペリリュー島を隅から隅まで知っていたであろう元軍人池宮が彼の目で70年の時間差を描いたドキュメンタリーを読んでみたかった。

2015年3月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com