2882.2015年4月4日(土) 天皇・皇后両陛下のパラオ慰霊巡拝

 桜は今が満開であるが、今年は幸い雨に打たれることもなく、ただ風に吹かれて花弁が落ちるだけで本当に素晴らしいお花見シーズンになったと思う。日本人のみならず、外国人観光客も大分花見を楽しんだようである。

 今日は京王線仙川に小中陽太郎氏が理事長を務めているプラザ財団でワインをご馳走してくれるというお声がかかったので、その前に調布の野川縁でお花見をしようということで、10名ほどの同志が集まった。川幅は狭い野川ではあるが、両岸辺に植樹された桜は見事なものだった。土曜日の午後ということもあり、テーブル、或いはシーツを敷いてグループで宴会を楽しんでいるサラリーマンらしいグループも多くいて、それはそれなりに見ているだけで楽しかった。久しぶりにアルコールを楽しむことができた。

 初めてお会いした人の中に、幕末の志士・清河八郎の子孫である斎藤わか奈さんがおられた。その他にも珍しい方がおられた。池田さんと仰る86歳の前衛画家が予科練に入り特攻隊として出撃を待機していたが、終戦を迎えたと話された。最近軍隊経験のある方とお会いする機会が少なくなったが、今日はその意味でも懐かしい気持ちになったから不思議である。

 折も折今朝の朝日新聞に今月8日、9日に天皇・皇后両陛下のパラオ巡拝について大きく頁を割いているが、国民も終戦70年目の今年、両陛下の巡拝を心から喜び、パラオ国民も温かい気持ちでお出でを歓迎しているようだ。今回はこれまでの天皇の巡拝では考えられなかった海上保安庁巡視船に宿泊されることなど異例づくめである。これはホテルの施設、及び警備上の問題があるようだ。実際現地の最上級のホテルに宿泊を予定するにしても、卑しくも天皇をお迎えするにはハード上少々問題があるような気がしていた。それは旧トラック島でも同じことで、トラックが巡拝計画から長らく外されたままでいるのは、こういう宿泊上の問題があったからである。それがパラオ巡拝に大きな支障や、問題がないことが理解されれば、今後故アイザワ大酋長が生前熱望していた両陛下のトラック島巡拝にも大いなる可能性が生まれる。日本人の熱意も併せて、何とか故人の念願を叶えさせてあげたいものである。

2015年4月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2881.2015年4月3日(金) 神宮再開発でラグビー場は後回し

 昨日国立競技場周辺のスポーツ施設の建て替え計画が明かされた。国立競技場が新たに建設されることは承知していたし、実際すでに今までのスタジアムは解体中である。だが、その他にこれほどの大プロジェクト工事が計画されていたとは寝耳に水である。

 まず驚いたのは、秩父宮ラグビー場が2017年に解体され、2020年東京オリンピック・パラリンピック後に建て替えられるということである。東京ではオリンピックの前年19年にラグビー・ワールドカップが開催されることになっている。日本各地で分散開催されるにせよ、秩父宮殿下のお名前をいただいた日本ラグビーのメッカを最も重要で、利用される前に解体消滅させてしまうことはとても理解できない。都内で主会場として他に使用されるべきラグビー場がないわけではないが、ラグビーのメッカではないし、地域的、設備的には及ばず、名実ともにネームバリューで遥かに劣る。

 一方で、再建される神宮球場はラグビー場の跡地に建設され、完成後に現球場を取り壊し、そこへ新ラグビー場を建設するという。これまでの野球場とラグビー場の土地交換を行うのである。従って、神宮球場ではプロ、学生野球を問わず試合は休むことなく行われる。ちょっとこの計画はあまりにもラグビー界にとって厳しく残酷なものではないか。

 野球なら東京ドーム、マリーン・スタジアム、西武球場、駒澤球場などを運用すれば、さほどの問題なしに実施できると思う。それにも拘わらず、国際的な大会である19年ワールドカップ、そして20年のオリンピック・パラリンピックでも7人制ラグビーを行うのに最も新国立競技場に近く便利な場所にある秩父宮ラグビー場を取り払ってしまうことである。両大会とも秩父宮ラグビー場を使用してから、計画を進めればよいのではないか。これはラグビーファンならずとも首を傾げるところではないだろうか。その点でプロ及び学生野球界はラグビーに比べて遥かに厚遇されている。

 そもそもこの発想とアンバランスな思考はどこから生まれたのだろうか。現秩父宮ラグビー場を訪れた往年の名ラガーマンがテレビで寂しいと語っていたことが印象的である。ラグビー協会ももう少し異議を申し立てても良かったのではないか。

 2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長である森喜朗元首相は、日本ラグビー・フットボール協会会長でもある。森元首相には拙著「南太平洋の剛腕投手」上梓に関して随分お世話になったが、これについて強く意見を述べなかったのであろうか。そう言えば、森氏はつい最近肺がんの手術をされたそうである。ご健康であれば良いのだが・・・。

2015年4月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2880.2015年4月2日(木) 高野山で開山1200年目の大法衣

 今年は弘法大師が、嵯峨天皇から真言宗高野山に真言密教の道場を開くことを許されてから1200年目に当たる。今日から50日間の大法衣に入った。横綱日馬富士も午前中に伽藍中門前で土俵入りを奉納した。寺や地元では行事に集まる参拝客を受け入れるための準備に忙しいようだ。ここには高校の修学旅行で1度訪ねたきりであるが、近くにいるだけで深山に入り込んだような気がする。わが家の宗派も真言宗豊山派であるので、開山へもう少し訪れなければ、弘法大師様には申し訳ないと思っている。

 大法衣中は普段より大勢の参拝、観光客が訪れると予想されているが、地元・高野町の人口は僅か3300人である。その小さな町へこの50日間に30万人がやって来ると予想されている。だが、50年前の1150年目の大法衣では、もっと多くの47万人が訪れた。今年の大法衣では日本人、特に若い人たちの観光客が落ち込む一方で、外国人が増えるのではないかと期待されている。これは2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてこのエリアが世界文化遺産として登録されたからである。

 だが、すべてが万々歳というわけではない。時折「世界遺産」について講師を務める機会があるが、その際この世界遺産について触れることがある。ところが、最近問題になっている点がある。東洋研究家のアレックス・カー氏が取り上げ、ユネスコの世界遺産委員会でも問題視し出している。それは遺産の対象となっている長い「参詣道」に沿った両サイドの木柱が、疑似木柱、つまり石柱に巧妙に代えられていると指摘されていることである。オリジナルを軽々に人工的なものに造り変えてはいけないという理念に抵触しているのだ。軽視していると遺産登録が取り消しされる恐れもある。高野山側も承知している筈であるので、上手に対応していくと思うが、大きな問題になってお祝い行事にミソをつけないで欲しいものである。

2015年4月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2879.2015年4月1日(水) 「京都新聞」に中学時代の同窓会掲載

 今日から2015年度に入った。新社会人のスタートの時である。入社式で堂々と誓いの言葉を述べる新入社員が清々しく見える。国はいつも前年度中に新年度の国家予算が決まらず、新しい年度に入ってから法案が国会を通過するのが当たり前のようになっていたが、今年度は何とか間に合った。執行予算以外にも問題は山積しているが、取り敢えず善しとすべきだろう。

 今日京都から大型封筒が郵送されてきた。差出人にも覚えがないので、半信半疑で開封してみると「京都新聞夕刊」が1部入っていた。開いてみると「旧交歓談」という全頁の一部に、昨秋出席した京都市立上桂中学校卒業60周年記念同窓会の集合写真が解説付きで掲載されていた。幹事がわざわざ送ってくれたものだ。他にも京都府内の学校を卒業した同窓会の写真が3校あったが、それらは他の中学校、高校、国民学校だった。都内の大手新聞はほとんど全国紙なのでこういう地元密着の企画はあまり見られないが、その点京都はまだ身近なコミュニケーションの中に温かい気風を感じる。

 そう言えば、今日選抜高校野球決勝戦が行われ、福井県の敦賀気比高が北海道の東海大四高に3x-1で勝ち、福井県勢として春夏を通じて初めての優勝を飾ったが、昨年の決勝戦では、京都市内のもうひとつの母校平安中の付属高・龍谷大平安高(当時平安高)が選抜初めての優勝を飾ったものだ。

 京都には1年半しかおらず、それでもその間2つの中学校へ通った。いずれも楽しい学校生活で、勉強なんかほとんどせず、放課後になると日が暮れるまで友だちと山野を駆けまわり野鳥を追っかけていたことが懐かしい。

 もうひとつびっくりしたのは、今日ブラジルの友人アーリンド・フルタードさんから手紙を受け取ったことだ。2月に高校の友人・呉忠士さんがわざわざリオのアーリンドさんを訪ねてくれたが、風邪でインターフォンでしか話すことができず、アーリンドさんは折角訪ねてくれた呉さんに会わなかったことをしきりに謝っているのだ。今年83歳でその時体調はあまり良くないと書いているので、それも致し方ないと思うが、高齢でもあるので独身者としては心細いのだろうか。今では1年をリオと南部都市で半々に生活しているという。今では大分健康を回復したというので、もっと前向きに元気になって欲しいと心から願っている。

 もっと不思議に思ったのは、彼がこの手紙を投函したのが2月24日であり、今日受け取るまでに1カ月以上もかかっていることだ。先にもらった手紙も1カ月半以上もかかっている。いずれも航空便なのにどうしてこれほど時間がかかっているのだろうか。ブラジル経済は今やどん底らしいが、まさかその影響を受けたというわけではあるまい。

 いずれにしろ今日はささやかな喜びと驚きがあった。

2015年4月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2878.2015年3月31日(火) 見事な千鳥ヶ淵の桜

 実に見事なものである。し分ない。千鳥ヶ淵の桜がとにかく素晴らしいのだ。ここ数日千鳥ヶ淵がお花見季節の風物詩として、その艶やかな夜桜がテレビ映像で流されたり、新聞でも報道されている。都内には他に上野公園や代々木公園、駒澤公園、隅田川、目黒川の桜などもその華やかさで知られているが、場所柄、風景、雰囲気などから考えても皇居のお堀端にある、この千鳥ヶ淵が圧巻だろう。

 今日妻とその千鳥ヶ淵の桜見物に出かけた。地下鉄半蔵門駅からお堀へ向かいイギリス大使館前を通ったが、カメラを手にした花見ファンがあちこちで見られる。内堀通りに出て広大な敷地のイギリス大使館前を通りに沿って歩いた。大使館正門前には幕末に対日条約締結で活躍したアーネスト・サトー公使が桜の植樹に貢献されたことを紹介した石碑が建っていた。

 イギリス大使館と言えば、ふと感慨深く想い出すことがあった。あれは1967年11月だった。翌68年1月11日アデン(現イェーメン)が独立する当日に入国しようと、入国ビザ申請のために宗主国イギリスのこの駐日大使館へ出頭した。ところがアデンは突然日時を繰り上げて慌ただしく11月に独立してしまった。従って私がアデンへ入国した1月11日は、アデンはすでに独立国「南イェーメン人民共和国」となっていた。結局このイギリス大使館が発行してくれたビザは無効となってしまった。私は空港で新独立国のビザを発行してもらい、入国係官から独立後最初に入国した日本人と呼ばれた。そのこと自体はちょっと誇らしい気持ちだった。あのイギリス大使館があの当時も立派な建物ではあったがこれほどとは思わなかった。しかし、ビザ取得に夢中になっていてそれほど強い印象はない。いずれにせよ、あのアデン行きは、いまの私にとって大きな成長の素となった。忘れられない旅行であり、忘れられないイギリス大使館でもある。

 お堀端に近づくにつれ満開の桜が眼いっぱいに飛び込んで来る。それらはほとんどが咲き誇ったソメイヨシノだが、中にはまだ緑の葉が濃く見られる桜もあり、それらはソメイヨシノとは別種の桜だろう。半蔵門から皇居内へ入り石垣上の散歩道を桜の景観を楽しみながらほぼ半周して北の丸公園内へ入り、ここも石垣上の小道から堀を隔てた桜並木の景観に満足感を覚える。これまで偶にはお堀端を訪れることはあってもこれほどお花見シーズンに観桜を楽しんだことはない。食事を持ちこみシーツを敷いてピクニック気分でゆっくり観桜すれば、もう少し気持ちが落ち着いたであろうに、その点で少々惜しいことをしたと後悔の気持ちがする。

 それにしても大勢の花見客がやって来るものだ。熟年の花見客も多く、彼らのほとんどは大型のカメラを手に撮りまくっている。ランチタイムにぶつかったこともあり、近隣のオフィスに勤めているビジネスマンらしい小グループが、茣蓙を敷いて背広姿で弁当を食べている姿が何とも微笑ましい。仕事の合間に彼らもお花見を楽しんでいるのだろう。

 この他に、特に目立ったのは、外国人の姿だ。花見がこの時節の日本らしい象徴的シーンと見て、自分たちもご相伴に与かろうというものであろう、その姿が特に多く見られたように感じた。

 北の丸公園から武道館前を通り田安門から靖国通りへ出て、再び地下鉄で渋谷へ出て「ヒカリエ」で遅い昼食を済ませて帰って来た。万歩計はこの時すでに1万2千歩ほどを記録していた。これには少々驚いた。夢中で歩いていたことになる。

 千鳥ヶ淵のお花見は初めてだったが、心身ともに久しぶりに満足感を味わうことができた。

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2877.2015年3月30日(月) 追い風参考、桐生選手陸上100mで10秒突破

 驚いた。日本選手が追い風参考記録とは言え、陸上短距離100mで10秒を切るとは考えてもいなかった。昨日アメリカ・テキサス州の記録会で東洋大の桐生祥秀選手が、偉大な記録、それもほんのちょっとだけ10秒をクリアしたのではなく、堂々たる9.87秒でアメリカ人オリンピック入賞者たちに走り勝ったのである。

 現在の日本記録は10.0秒だが、われわれが子どもの頃は長い間‘暁の超特急’吉岡隆徳選手の10.3秒の記録が燦然と輝いていたものだ。その記録は1964年東京オリンピック開催年に飯島秀雄選手が10.1秒を記録するまで29年間に亘って日本陸上史の金字塔だった。

 今日もテレビで多くの評論家が桐生選手が出したこの記録を高く評価し、追い風参考などではなく、近い将来に必ず日本記録を破る9秒台の記録を出してくれるだろうと大いなる期待感を込めてコメントしていた。

 嬉しい話である。桐生選手には一日も早く日本新記録を打ち樹てて欲しいものである。

 さて、昨日のブログで安倍首相の暴走ぶりについて書いたところだが、昨日慌ただしくシンガポールへ日帰りで元首相の国葬へ出席した安倍首相は、とんぼ返りしたばかりである。今日は早速2015年度国家予算承認の決議のため参議院議会に出席した。その首相が、過日ワシントン・ポスト紙に従軍慰安婦について「人身売買」と発言したことが新たな問題となっている。韓国政府が早くも反応しているが、大きな問題にならないことを願う。

 それにしても、最近の首相の言動はどうも危なっかしくて見ていられない。立ち止まって考えるということをせずに、思い切って自分の感じるまま、思うままに行動するからである。世間知らずのお坊ちゃんらしく、手間がかかり世話の焼ける総理大臣である。これでは、今後も首相をハラハラして見ていなければならない。

2015年3月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2876.2015年3月29日(日) 安倍首相の止まらない暴走ぶり

 お花見の時期になると大概一度は雨が降る。今日は毎年恒例となった関東地区の高校7人制ラグビー大会が横浜・山手のYC & ACで行われた。著名な文武両道の公立、私立高校が関東地区ばかりでなく、静岡からもやって来る。母校湘南高は2勝1敗でブロック2位だった。しばらく昔取った杵柄のオジさんたちの交流試合を観ていたが、所用があったので懇親会には出席せずに降りだした雨の中を帰って来た。

 さて、いま安倍首相の傲慢な態度と強引なリーダーシップぶりが話題になっている。絶対多数の支持を背に、怖い者知らずで「ここは殿のお通りだ。下に~下に~」とばかり、周囲の声に見向きもせず、まっしぐらに激走する安倍首相の行動を不安視し、心配する声が段々強くなってきた。いまや自民党内で誰もブレーキをかけられなくなって、首相のやりたい放題になっているからである。あれだけ威勢の良かった石破茂・前自民党幹事長にしても、とんと声が聞かれなくなった。他の親分衆らは推して知るべしである。

 今朝の朝日新聞は社説のみならず、3面ではほぼ全頁を使って2人の有識者、杉田敦・法政大教授と長谷部恭男・早大教授が批判的な対談を交わす中で、その首相の思いこみの強い持論を危険と考えて先行きを危惧している。前のめりの首相の言動には、車でいう「走る」「曲がる」「止まる」の基本性能のバランスが欠けて、「走る」一辺倒になっているという。つまりアクセルを踏んで前へ進むだけだというのである。昨年の総選挙の折に自らメディアに注文をつけた、言論の自由への介入と受け取られかねない行動や、そうかと思うと国会で報道への介入として批判されるや、言論の自由と言って憚らない的外れの言動は些か異常である。その一方で、「私に議論を挑むと論破されるのを恐れている」「それくらいで委縮してしまう情けない人たち」と自信が嵩じて思い上がるのも人一倍となった。自分自身シャープでないことをコンプレックスに感じていた首相が、いまでは思い上がって周囲に敵なしの発言である。世間知らずが嵩じて絶頂期を迎えると陥るコンプレックス症候群である。

 防衛大学校卒業式と国会では、自衛隊をわが軍と呼んで舞い上がり、ひとり荒野を往くの心境に満足しているのだろうか。答弁席からヤジを飛ばしたり、歴代の首相がやらなかった不作法には、首相の品格も国会の品格もない自由過ぎる首相像である。首相が首相なら、お傍役人の菅官房長官も最近は首相の言葉をそのまま認める発言をするし、チルドレンの三原じゅん子議員に至っては、国会で「八紘一宇」を「日本が建国以来大切にしてきた価値観」と述べて知ってか知らずか、戦前軍国主義時代に崇拝された国粋主義の真髄を喋り出したり、親分が親分なら下々の子分まで、ひたすら戦前思想へ回帰し出した。わが国は随分乱暴な総理大臣を抱えることになったものである。危険な時代になり良識ある国民はハラハラするばかりである。

 リー・クアンユー元首相の国葬出席のため、今日早朝慌ただしくシンガポールへ旅立った。

2015年3月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2875.2015年3月28日(土) 親子の対立による会社経営の疑問と懸念

 うららかな陽気の中で桜も各地で開花宣言が出され、いよいよお花見シーズンの到来である。

 春の選抜高校野球がたけなわだが、昨日はプロ野球ペナントレースも開幕し、スポーツ界では春爛漫の季節になった。今日も近くの駒澤公園へウォーキングに出かけたが、休みのせいもあり七分咲きの桜の下で子どもたちが駆けまわっていた。

 そんなのんびりムードとは別に、昨日家具インテリア業界大手の大塚家具㈱の株主総会が経済界のみならず、世間から広く注目を集めた。創業者の会長である父・大塚勝久氏と娘の久美子社長が経営権を巡って争い、互いに相手を現職から追放しようとする株主総会の場で、委任状の争奪戦を繰り広げた。結局娘の社長派が61%の支持を受け社長を続投することになり、父親は取締役の座からも去ることになった。会社の経営方針を巡る創業者と現経営者の対立というより、親子喧嘩と受け取られ、感情的な争いで株主、社員、取引先、顧客に迷惑をかけるだけだと外部からは厳しく批判されている。

 世間の常識から言っても身内の争いほど醜いものはない。大塚家具もその例に漏れず、いくら双方で自分たちが正しいと主張したところで、夫婦喧嘩と同じで親子喧嘩だって犬も食わない。

 会社のイメージと企業価値は大きく下がり、こんな事態で得をするのは、一部の投資家だけである。実際61%の支持を得た社長派にしても、元々基礎票は父親にはとても及ばず、全議決権の20%程度と言われていた。そこへ銀行や海外投資ファンドなどの金融筋の支持を得ることによって基礎票が上積みされ何とか勝利を得た。だが、不安定な感があるのは否めない。乱高下する株価をうまく利用される。娘が社長に復帰した1月28日には1005円だった株価が、3月2日には倍以上の2043円にまで急騰した。売り抜けと言われても仕方ないように、11%の議決権を行使したとみられていたアメリカのある投資ファンドは、持ち株のうち6%分を早速売却してしまったという。

 家具を販売だけしていれば済むというものではない。生き馬の目を抜く株式業界の習いに太刀打ちしていかなければいけないのだ。

 それにしても創業者の父親に退陣を要求するとは、外からは窺い知れない、それなりの事情があるのだろうが、娘社長の行動は常人ではちょっと真似できない芸当だと思う。親子の仲でもあり家庭の中で後顧の憂いはないものだろうか。大きなお世話かも知れないが、あんまり目にしたくない事案ではある。

2015年3月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2874.2015年3月27日(金) ドイツ機墜落事故、新たな展開

 つい3日前にフランス南東部の山中に墜落したドイツのジャーマンウィングス機の事故原因がマルセイユ検察庁によって明らかにされた。何と副操縦士が自爆的行為で自ら搭乗機を墜落させたという衝撃的な事実が発表されたのである。ボイスレコーダーの解読により、墜落当時コックピットにはひとりしかいないということは分かっていた。コックピットの外から激しくドアをノックする音がボイスレコーダーに残されていたので、当初は2人の操縦士の内ひとりが外へ、中のひとりが急性心不全か何かの原因で意識を失ったと考えられた。だが、実際はそうではなく副操縦士が覚悟のクラッシュで自殺を遂げたようだ。巻き添えを食った乗客は堪らない。急降下し始めてから管制塔からの問いかけや、その他外からの連絡には一切応えず、ただドアの外から叩く音と乗客の悲鳴しか聞こえなかったというから瞬時地獄絵図だったのではないか。

 事故なら悔しいと思っても諦めるしかないが、搭乗した航空会社の人間に殺されたとなると遺族の気持ちは納まるまい。事故現場へ向かう遺族の間でも、航空会社に対して激しい怒りをぶつけたり、批判や、恨みつらみを浴びせているようだ。

 どんな場合でも、特に生死がかかわる重大な局面で決断をする場合、ひとりで判断し実行することが果たして適当なのかどうか。改めて考えさせられる。今後現在の在り方について考え直さなければならないだろう。2人で1セットの操縦席からひとりを締め出してしまったわけで、それが意図的に行われたとなるとひとりのパイロットがコックピットを離れたら、残ったパイロットに悪意があれば極めて危険な状態となる。2011年の同時多発テロ事件に鑑みた教訓として、危険を避けるためにコックピットへの外からの入室を抑制したが、これが逆効果となった。

 夜になって現地から伝えられた報道によると副操縦士の健康診断をした医師が、搭乗前に搭乗不可の診断書を書いていたことが分かった。副操縦士はこの診断書を会社へ提出していなかったようだが、それにしてももしそれが事実なら航空会社のパイロット管理も甘いということになる。

 まだまだ隠された問題が出てくるに違いない。

2015年3月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2873.2015年3月26日(木) 後輩ラグビー部員へ卒業記念に拙著を贈る。

 母校ラグビー部が昨日から校内で3日間春の合宿を行っているので、その合宿の様子を窺いがてら早田直彦・顧問教諭に会いに学校へ行った。市川誠人教頭にも挨拶して校長の分も合わせて7年前に上梓した古い拙著「停年オヤジの海外武者修行」を贈呈する。

 グランドで早田顧問は部員らと練習試合に汗を流していた。毎日若い高校生と一緒にいるとこうも違うものかと思うくらい、ボールを持って俊敏に走りまわっている。いくら大学でもプレイしていたからと言っても今年54歳の筈である。のびのびと楽しそうにやっているところが、羨ましく思える。

 そもそも早田顧問とお会いしようとしたのは、今年の卒業生部員12名に拙著「南太平洋の剛腕投手」を贈り、同時に華向けの言葉を贈りたかったからである。先日の全員登校日にそういう舞台を作れば良かったのだが、残念ながら時間的にその余裕がなかった。結局今日合宿練習を手伝いに来てくれた卒業生は2人だけだったので、その2人には手渡すことができた。残りの10名分は早田顧問に預けて、卒業生が学校へ来た時に顧問から手渡してもらうようお願いした。

 卒業生に直接話をしたかったが、その機会を失したのが悔やまれる。今日は話し聴かせたいことのエッセンスをコピーして拙著に添えた。後輩たちは拙著と添えたメッセージをどう思ってくれるだろうか。僭越だが、良い記念と受け取ってもらえれば嬉しい限りである。

 さて、アラブ圏内各地でイスラム過激派の激しいテロ攻撃が繰り返され、市街は破壊され多くの市民が犠牲になる悲劇が相も変わらず絶えない。今日驚いたのは、アラビア半島イェーメンの最南端、港町アデンをサウジアラビアがアメリカの支援を得て10カ国による共同作戦で空爆を行い、現実的に軍事介入に踏み切ったことである。イェーメンのハディ大統領がイスラム教シーア派の武装組織「フーシ」の一方的な政権掌握宣言により、アデンへ逃げ伸びた。ハディ大統領はアデンを暫定首都と定め、そのハディ大統領の要請により軍事作戦が行われた。

 アデンと言えば、紅海の入り口という要衝の地にありながら、最近のイメージとしてはやや霞んだ印象があった。1968年独立直後に訪れた時は、岩に囲まれた地形と内戦で生々しい戦火の後が随分異様な感じがしたものだ。アデン空港の入国係官は、私をじろじろ見詰めた末、独立後入国した最初の日本人だと言い、‘Enjoy your stay’とお愛想まで言ってくれた。久しぶりのアデンの画像を観ていて懐かしくはあるが、こういう形でアデンが再び脚光を浴びるようになるとは思いも寄らなかった。これから暫くテレビでもしばしば現地の風景が出てくると思うが、大したことがなければ良いがと思う。

2015年3月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com