母校ラグビー部が昨日から校内で3日間春の合宿を行っているので、その合宿の様子を窺いがてら早田直彦・顧問教諭に会いに学校へ行った。市川誠人教頭にも挨拶して校長の分も合わせて7年前に上梓した古い拙著「停年オヤジの海外武者修行」を贈呈する。
グランドで早田顧問は部員らと練習試合に汗を流していた。毎日若い高校生と一緒にいるとこうも違うものかと思うくらい、ボールを持って俊敏に走りまわっている。いくら大学でもプレイしていたからと言っても今年54歳の筈である。のびのびと楽しそうにやっているところが、羨ましく思える。
そもそも早田顧問とお会いしようとしたのは、今年の卒業生部員12名に拙著「南太平洋の剛腕投手」を贈り、同時に華向けの言葉を贈りたかったからである。先日の全員登校日にそういう舞台を作れば良かったのだが、残念ながら時間的にその余裕がなかった。結局今日合宿練習を手伝いに来てくれた卒業生は2人だけだったので、その2人には手渡すことができた。残りの10名分は早田顧問に預けて、卒業生が学校へ来た時に顧問から手渡してもらうようお願いした。
卒業生に直接話をしたかったが、その機会を失したのが悔やまれる。今日は話し聴かせたいことのエッセンスをコピーして拙著に添えた。後輩たちは拙著と添えたメッセージをどう思ってくれるだろうか。僭越だが、良い記念と受け取ってもらえれば嬉しい限りである。
さて、アラブ圏内各地でイスラム過激派の激しいテロ攻撃が繰り返され、市街は破壊され多くの市民が犠牲になる悲劇が相も変わらず絶えない。今日驚いたのは、アラビア半島イェーメンの最南端、港町アデンをサウジアラビアがアメリカの支援を得て10カ国による共同作戦で空爆を行い、現実的に軍事介入に踏み切ったことである。イェーメンのハディ大統領がイスラム教シーア派の武装組織「フーシ」の一方的な政権掌握宣言により、アデンへ逃げ伸びた。ハディ大統領はアデンを暫定首都と定め、そのハディ大統領の要請により軍事作戦が行われた。
アデンと言えば、紅海の入り口という要衝の地にありながら、最近のイメージとしてはやや霞んだ印象があった。1968年独立直後に訪れた時は、岩に囲まれた地形と内戦で生々しい戦火の後が随分異様な感じがしたものだ。アデン空港の入国係官は、私をじろじろ見詰めた末、独立後入国した最初の日本人だと言い、‘Enjoy your stay’とお愛想まで言ってくれた。久しぶりのアデンの画像を観ていて懐かしくはあるが、こういう形でアデンが再び脚光を浴びるようになるとは思いも寄らなかった。これから暫くテレビでもしばしば現地の風景が出てくると思うが、大したことがなければ良いがと思う。