2961.2015年6月22日(月) 日本ペンクラブ総会開催と質問

 日本ペンクラブ総会に出席し、仲間と打ち合わせしていた通り予算案について5点ばかり質問した。会場はいつもの東京会館と違い神保町の如水会館で開かれた。現在東京会館は改築中である。今年は例年になく会員の現状を改革しようとの意気込みが感じられた。2月に行われた理事選挙の結果では、我々4人の同志の当選はあったが、執行部の顔触れは変わらない。私の財務状況が苦しいことにどう対処しようとしているのかとの質問に対して吉岡忍専務理事も何やら言い訳のようなことばかり述べて、まだ現状認識が甘いなぁという感じを持った。

 私が取り敢えずまとめた5つの質問は、①今年度組まれた予算が大きな赤字予想であるが、その意図、②その原因として人件費が収入の50%を超えている。その埋め合わせ策は?③旅費交通費が過去3年間に比較して倍増である。その理由を。④人件費抑制、減額を考えているか。⑤監査制度体制の確立が急務であり、財務室から財務委員会に改組されたが、機能していないのではないか、というものである。

 それに対して必ずしも満足できる回答を得られたわけではない。特に経費節約については、現在のペン本部ビルを丸ごと賃貸物件にして貸し出し、もっと安い事務所を借りて入る提案に対しては想定外と驚いている様子では、何をか言わんやである。自ら火中の栗を拾う気がまったくないように感じた。

 小中陽太郎さんを始め、知人、友人らからは良い質問だったとお世辞を言ってもらったが、若干心残りはある。質問に対して私が求める回答は必ずしも充分得ていないからだ。しかし、これからは理事選挙制度改革などの面で少しは漸進していけるような気はしている。

 その後学士会館へ場所を移し二次会を行った。総会出席者が106名だったのに引き比べてここには同志52名が集まって気勢を上げた。2年後の理事選挙に向けて、会員の間に現状改革の気持ちが強いことを知った。前を向いて歩いて行かなければいけないことを心に誓った。

 学士会館でちょっと驚いたのは、隣の席の加賀乙彦氏の興奮ぶりと怒りっぽいご性格だった。キリスト教徒として、また精神科医師として陰で尊敬しているご高名な作家ではあるが、今日初めて言葉を交わしてその考え方に些か違和感を抱いた。加賀氏の著作を読んでいないことを知るや、それじゃ何を言っても駄目だし、そこでお互いの会話は切れるということだった。そうだろうか。そんなことを言っていては人間関係が成り立たないのではないだろうか。今年米寿を迎えられる加賀氏は奥さまを亡くされ、東大近くのマンションに一人住まいと伺った。高齢と寂しさでやや我儘に陥っているのではないかと、つい詮索してしまう。他の人たちも「怒られちゃった」と言っていたから、単に虫の居所が悪かったというだけではなさそうだ。

 三次会はこれまでにも何度か寄ったことがある、神保町交差点近くの「なにわ」という居酒屋で、揃った酒好きがわいわい騒いで楽しい打ち上げとなった。執行部の浅田次郎会長以下、副会長に昇進した西木正明氏ら執行部は我々の質問や行動に対してどう感じたであろうか。以前から親しい西木氏とは開会前に一昨年亡くなった共通の友人、竹内謙・元鎌倉市長の墓参りについて話し合ったところだ。

2015年6月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2960.2015年6月21日(日) 油断大敵、少々体調を崩す。

 先週から腹の具合が良くなく若干痛みも感じてグーグー鳴るような音もする。その影響だろうか、夜中に目が覚めることが多くなった。普段は就寝後に目が覚めることはあまりなく、多くても明け方に1回ぐらいある程度だった。それが先週は夜中に3回ほど目覚めてトイレに行く有様である。どうもすっきりしないので、昨日森内科で診てもらった。症状を話しただけで森先生からは、整腸剤をいただき毎食後1錠を服用することにした。気のせいか今日は多少具合が良くなったような気がする。普段自分は健康だと思い過ぎると肝心な時にガタガタと来るものだ。もっと神経を巡らしていないといけないということである。

 それにしても、常備薬の量も増えてきた。これで6種類である。

 ところで、午後ちょっと外出しようと門から道路へ出た時遠くからゆっくりゆっくり身体を大きく揺さぶりながら歩いて来るお隣の大将に会った。以前転んで大腿部の筋肉が伸びて、それ以来健康を害して、生きて行くのも大変だとこぼしていたが、私より若いのにしっかりして下さいとネジを巻いてあげた。大分精神的にやられているようでお気の毒である。

 さて、明日日本ペンクラブ総会が開かれる。2月に隔年に1度の理事選挙が行われ、選挙で当選の20名と会長推薦の10名の新理事が明日紹介される。浅田次郎会長は3期目に入る。ひょっとすると私自身も理事の席に座らされる可能性があった。それだけに今年は総会にかなり強い思い込みもあって、明日は一般会員として執行部に対して質問しようと思っている。ペンクラブの理事選挙には立候補制度がなく、全会員による投票であり、人気投票のようなもので、著名な作家が圧倒的に有利である。無名な私のようなケースは、小中陽太郎氏に推されてその気になったから行けたと思っている。他の4人の同志とともに改革派5人組として秘かに意思表示をして静かに運動していた。直木賞受賞者であるお二人の重鎮、三好徹氏、井出孫六氏らの力強いバックアップもいただいた。結果的に他の4人の同志は当選し、私だけが知名度及ばず次点で落選となった。しかし、かなり食い下がったと健闘を称えてもらった。選挙活動を思い切ってやったわけではなく、親しい人たちにメールや手紙でお願いしただけで、かなりの票数を獲得できたので、2年後の次回こそは密かに雪辱を期して溜飲を下げたいと願っている。

 午後は明日の執行部い対する質問に備えて頭を捻った。現在のペンは組織の運営に若干問題があると思っている。また、表現の自由に少々物足りなさを感じている。例えば集団的自衛権行使についてこれだけ世間が熱くなっているのに、ペンとしての意見や態度を表明しないのはペンの存在の意義を否定しているようなものだと思う。

 明日はやってみようと思っている。

2015年6月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2959.2015年6月20日(土) 善きにつけ、悪しきにつけ、話題の外国人実業家

 今日になって遅ればせながら日本政府は、昨日このブログに取り上げたロヒンギャ族支援のため緊急に無償基金350万$(約4億円)を提供することを公表した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の要請に基づくものであるが、漸く日本政府も動き出したことで取り敢えずほっとした。

 さて、この二、三日唐突に2人の外国人がフラッシュライトを浴びるようになった。2人ともに大企業の実業人である。ひとりはジュリー・ハンプ・トヨタ自動車常務で、もうひとりはソフトバンク副社長のニケシュ・アローラ氏である。

 ハンプ氏は何と大企業の役員らしからぬ麻薬取締法違反という破廉恥罪により逮捕された。一方のアローラ氏はこの半年間にソフトバンクから受け取った報酬が165億円余に上がると報じられ、その高額報酬が話題をさらったのだ。

 前者ハンプ氏逮捕は想像もできないほどの衝撃的な事件である。逮捕容疑はアメリカから麻薬成分「オキシドコン」を国際宅急便で輸入した疑いが持たれている。本人は麻薬を輸入した認識はないと言っているが、いくら外国人であるとは言え、大会社トヨタが三顧の礼を尽くして入社してもらったれっきとした大物実業人である。日本で働く以上、日本入国に際して何が許され、何が禁じられるかぐらいは自分自身でよく調べるべきである。人間としてまだ未熟である本人も脇が甘いが、トヨタも迂闊だったでは許されないと思う。

 トヨタは4月にハンプ氏を女性として初の役員に起用したばかりである。海外から有能な人材をハンティングするのに幾許かの手抜かりがあったのか。昨日豊田章男社長が記者会見して、世間を騒がせたお詫びと捜査への全面協力を語った。それにしても世界一のカー・メーカーが躓いたこの事件には、世界を視野に事業を拡大させたい企業にとっては国際的に優秀な人材をリクルートしたいという気持ちの一方で、その人格までを見抜くのは至難の技であることを暗示している。捜査が本格化する現時点では、当分事件が鎮火することはない。トヨタもつまらないところで味噌を付けたものである。この失点は大きい。

 一方もうひとりの外人、アローラ氏の高給については経済界ばかりでなく日本中が目を白黒させている。報酬額の中には契約金と見られる金額が含まれていると聞くが、日本では固有の文化と企業風土からしてこれほどの報酬を受けたら、若干反発も受けやすい。実際高額報酬として一時騒がれた日産のカルロス・ゴーン氏が14年3月期に受け取った報酬が9億9千5百万円と言われ大きな話題をさらったほどである。アローラ氏を口説いてソフトバンク入りさせたオーナーの孫正義社長の役員報酬が株式配当金を別にして、年間1億3千百万円だというから、ちょっと理解に苦しむ。

 こうして国際社会で競争しなければならない企業は、国際色豊かな人材をリクルートして獲得し、華やかな話題を提供する。それが、トヨタのようにバッド・ケースにならないことを願うばかりである。

2015年6月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2958.2015年6月19日(金) 難民にどうやって手を差し伸べるのか。

 明日20日は「世界難民の日」である。日本では難民問題はあまり騒がれないが、世界の難民は実に約6千万人に上ると言われる。中でも内戦下にある中東シリアからの難民が増え続けているが、その数は400万人に達した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、この1年間で難民が830万人増え、過去最多になったとも発表した。UNHCRは各国に難民の受け入れを要請しているが、各国それぞれの国内事情もあり思うようには進んでいない。UNHCRは日本が難民受け入れにあまり積極的でないことに対しても、もっと多くの難民を受け入れて欲しいと要望している。実際昨年ドイツが3万3千人以上の難民を受け入れたのに対して、日本は僅か11人である。韓国ですら87人を受け入れている。G7の中でも6番目のイタリアの3600人に比べてもダントツに少ない。

 それがここへ来て同じアジアのビルマ西部に住むイスラム系住民ロヒンギャ族が、ビルマ政府から弾圧を受けているとして海外へ逃げ出すケースが目立ってきた。元々バングラデッシュ国境に近いアラカン山塊に住むイスラム系民族であるが、仏教徒がほとんどのビルマでは宗教と種族間の対立から居場所がなく、しばしば他民族と部族抗争を起こしていた。ビルマ語以外にベンガル語を話し、ビルマ人との融合はあまりない。当のビルマ政府は彼らを自国民として認めておらず、ロヒンギャ族は無国籍者となっている。それ故海外へ脱出しても難民として素直に受け入れてもらえないケースがほとんどで、国連の勧告も一向に効果がない。

 問題のビルマ在住ロヒンギャ族はビルマ政府から追われるように国を出たが、受け入れる国がなく漂流しながら現在インドネシア、マレーシア、タイ洋上を彷徨っている。

 翻ってみると1971年に初めてビルマを訪れ、その翌年元陸軍飛行第64戦隊(加藤隼戦闘隊)慰霊団のお供で再びビルマを訪れた時、アラカン山系に近いアキャブ(現シットウェイ)の海岸で慰霊祭を挙行した。ベンガル湾遥か沖合で被弾し、反転墜死して名誉の戦死を遂げた軍神加藤建夫戦隊長を偲んで黙祷していた時、地元の人たちが大勢やって来た。その中に今にして思えば何人かのロヒンギャ族らしき変わった服装の人たちの姿が見られた。

 ビルマは民主化が遅れたために、今漸く民主化へ向かって歩み始めたところである。政治、社会体制の整備が遅れたために経済も立ち遅れ、最近になってやっと外国との合弁事業などもスタートしたばかりで、国家として独り立ちするにはまだまだ時間がかかる。現在の政治体制も民主化というにはとても不十分で、国家として国際社会の中で伍して行くにはまだ心許ない。そんなビルマは、傍でとやかく言われる以上に自らが問題解決に苦しんでいることが分かっている。現在ビルマ国内で虐げられているロヒンギャ族は約130万人と見られている。彼らがビルマ国内で生活できるようになるには、あまりにも問題山積である。

 ビルマ政府はロヒンギャ族をビルマ国民と認め、その代わり彼らの生活を軌道に乗せるための援助を国連から各国にお願いするより方法はないと思う。日本にはあまり実感として理解できない問題であるが、今やロヒンギャ族の難民船が東南アジアの海上を浮遊するようになったのだ。このまま見捨てるわけにはいかないだろう。

2015年6月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2957.2015年6月18日(木) 正面を避け、サイド攻撃を企てる安倍戦略

 3日前の本ブログに中島敦の佳作「山月記」と「名人伝」の演劇を観て、その感想とそれらの作品についてコメントを書き込んだところ、早速友人から著作権が失効した作品をネットで読むことができるとわざわざ知らせてくれた。有り難いことである。中島の作品は難しいところもあるが、短編ならネットで読むには好都合と思い、手元にない「名人伝」をダウンロードして読んだ。すでに演劇を観たし、シナリオにも目を通しているので、ストーリーと雰囲気は承知しているが、ネットとは言えやはり機微に触れる個所なんかは原文ならではの持ち味がある。読んでみて中島敦の作品らしいと改めて納得した。他にもいくつか目を通していない中島作品があるので、追い追い読んでみたいと思っている。

 さて、このところ国内では安保関連法案の国会審議で、集団的自衛権行使が憲法違反かどうかで喧しい。こればかりは野党議員や憲法学者がはっきり違憲と明言し政府を追及しているのに対して安倍首相以下与党議員は、あの手この手の無理な論理を組み立てて合憲と主張している。まるで窮鼠猫を噛むである。しかし、どの角度から考えても集団的自衛権が憲法に抵触しない筈がない。長年政治家の家庭環境の中で育てられた安倍首相らは、悪い意味の政治家的雰囲気に染まった結果、縦のものを横にすることや、横車を押すことを何とも思わなくなったようだ。国家の大事に鈍感となり、それが憲法改正をやりたいが、現状では賛成議員が全国会議員の2/3を超える可能性がないために、正論を避けて姑息にも裏道から手法を変えて本丸を突くことを考え出した。それが、憲法の解釈を変えて思っている政策を強引にやってしまおうという算段である。いくら解釈を変えても憲法に楯突くわけであり、とても理が通っているとは思えない。まだまだ安倍政権による違憲騒ぎは収まる見通しが立たない。

 他方、海外では16日にエジプトの刑事裁判所で、ムルシ元大統領に対して死刑の判決が下された。イスラム国家宗教指導者も死刑は妥当としていた。まだ上訴の権利はあるので、ムルシ氏は当然上訴を選択するだろう。ここで問題として指摘しておきたのは、2011年の「アラブの春」の翌12年の大統領選挙でムルシ氏は民主的に国民から大統領に選ばれたことである。だが、それも束の間で13年反ムルシ政権の大規模デモが起きて軍が介入し、ムルシ氏は身柄を拘束された。長年に亘り独裁的に権限を行使して圧政を敷いたと言われたムバラク長期政権を倒し、民主的な総選挙で選ばれたムルシ氏が軍部のクーデターによって失脚し、死刑の宣告を受けるとはあまりにも非道な現政権のやり方ではないだろうか。これは民主主義とはまったく対極にある非合法な手法である。欧米を中心に、非民主的なやり方に対して抗議の声が強まっており、シーシ現政権が考えているようにはことは進まないとは思うが、油断も隙もない理不尽な権力の交代は、それが軍の支援に頼って成されているたけにことさら非民主的で冷酷な印象がしてならない。

2015年6月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2956.2015年6月17日(水) 選挙権年齢、18歳以上に引き下げ

 今日の参議院本会議で改正公職選挙法が改正、成立した。主題は選挙権年齢を現在の20歳以上から18歳以上に引き下げることである。来年夏の参院選から適用される。これで18歳、19歳の若者約240万人が新たに有権者となる。前回選挙権年齢が25歳以上から20歳以上に引き下げられたのは、昭和20年の終戦の年である。実に70年ぶりの改正となる。現状は世界でも約9割以上の国々が18歳以上を選挙権年齢と決めているので、一般的にはそれほどの抵抗感はない。むしろ若い人に政治改革参加のチャンスを与える意味でも肯定的な声が多い。これにより今後国民投票や国政選挙で若い声が社会生活に反映されることになる。

 ただ、このこと自体喜ばしいと歓迎の声がある一方で、一部に不安や疑問の声があるのもまた事実である。果たして240万人の新しい声が生の国民の声として実際に反映されるかとなると疑問がないとは言えない。特に直近の若者投票傾向から懸念されるのは、若い人たちの投票率の絶対的な低さである。20歳代の投票率は、全有権者の平均投票率より大きく落ち、高齢者の投票率に比べて約20%も低い。今後高校でも主権者教育を徹底的に行い、悪くとも彼らの投票率が全投票率の平均ぐらいに届かないと、折角導入された今日の選挙権年齢引き下げが意味を成さないことになる。

 もうひとつ気になるのは、240万人の声が好戦的ではないかということである。危惧するのは、他国が攻めてきたらこれに対抗して若者の律義な正義感から攻め返すという若者の発想と論理である。若さ故につい戦闘的になり、話し合いより武器をとることに気持ちが突き進んでしまうことを恐れる。戦争の怖さ、恐ろしさ、悲しさなどの身ぶるいするような臨場感に身を置いた経験がなく、戦争の怖さを実感として知らないだけに彼らの猪突猛進の論理が危険に感じられる。その点では主権者教育と同時に、若者に戦争の悲惨さを充分教え込むことも忘れてはなるまいと思う。

 さて、選挙と言えば、昨日来年11月のアメリカ大統領選挙へ向けて、共和党候補者として元フロリダ州知事のジェフ・ブッシュ氏が名乗りを上げた。言わずと知れたジョージ・ブッシュ父子・元大統領家のエースである。これで共和党の候補者は12名となった。しかし、流石に実力社会のアメリカでは父と兄が元大統領という世襲候補には抵抗が強いようで、それを慮ってジェフ・ブッシュ氏が名乗りを上げた会場には、父と兄は意識的に姿を見せなかった。

 一方、民主党候補者としては本命のヒラリー・クリントン前国務長官が立候補を宣言した。彼女とてかつてのファースト・レディであり、ビル・クリントン元大統領の妻で、いかに優秀だとしても所詮は世襲候補者である。結局大勢の候補者は立ったが、本命は民主党のクリントン氏と共和党のブッシュ氏の対決であり、図らずも世襲候補者同士の争いとなった。

 日本では世襲政治家は珍しくもないというより、むしろ小泉、福田、麻生、鳩山元首相、安倍晋三現首相の登場を見るまでもなく、世襲政治家でないと栄達は望めないと思われているくらいである。それが民主主義の本家であるアメリカで、選りによって世襲政治家同士の対決というのが、何とも理解し難い。これから長丁場の選挙戦の末に結果はどうあれ、名門同士の対決としても興味津々であるが、妙に素直に納得できないのは国を左右するイベントが小さな籠の中で争われるからであろうか。

2015年6月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2955.2015年6月16日(火) 政府は違憲の安保関連法案を強行突破させるのか。

 駒澤大学公開講座で「現代ジャーナリズム論」を担当されている片山正彦講師が、安倍政権の安保関連法案の取り扱い方と、安倍政権のメディアに対する圧力について話された。その中で興味深かったのは、英エコノミスト誌の安倍首相批判記事である。‘The media in Japan speak no evil.’とある。同誌が安倍政権の報道規制のように日本の事象を批判したのは珍しく、メディアが椅子に座った安倍首相に押しつぶされている諷刺画とともに今後話題を呼びそうだ。記事の要旨は「政治家による介入が長く続き、リベラル系のニュース番組に圧力を加え、報道ステーションでコメンテーターだった古賀茂明氏が安倍政権を批判して辞めた」と取り上げ、日本政府は放送法を悪用していると安倍政権を批判している。

 いけいけどんどんの安倍政権は周囲の反発や、安保関連法案の中核である集団的自衛権行使容認が憲法違反の声が高まる中で、その風向きを変えようと思ったのか、今国会の会期を9月まで延長することを考え出した。現状では審議時間が足りないことを懸念して、益々強くなってきた風当たりを避けようとしたのである。もしそれが現実となるなら、批判の大きな対象となった、わが国の国会よりアメリカ議会を優先したと受け取られている7月に法案を通過させるという、アメリカ政府との約束は当面先延ばしするということだろうか。

 このところ衆議院憲法審査会で3人の参考人が安保関連法案を憲法違反と指摘して、俄かに自民党周辺が騒がしくなった。自民党は砂川判決を持ち出して合憲とこじつけたり、推薦参考人に違憲と明言され人選ミスとふてくされたり、外聞を憚らなくなった。

 一方で憲法学者のみならず、経済学や天文学の研究者らが安保関連法案にともに反対するなど連帯行動を起こしたことで、政府与党は憲法審査会を当分休止する考えのようだ。言い分が笑っちゃう。憲法の本質から脱線したようでレールを元に戻すだと。

 ここまでもめた法案、しかも憲法違反がミエミエのまま強行突破することが、日本の将来にとってプラスになるのかどうか、ここは踏み留まって考え直し良心と良識の一端を示してもらいたいものである。

2015年6月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2954.2015年6月15日(月) 中島敦作、野村萬斎演出「敦―山月記・名人伝」

 中島敦の珠玉の作品を演劇に脚色した「敦-山月記・名人伝」を三軒茶屋の「世田谷パブリックシアター」で観賞した。中島の著作は現在高校の国語教科書で最も採用されている。実際今読んでいる「『山月記』はなぜ国民教材となったのか」(佐野幹著)によると昭和24年度辺りから採用されるようになった。高校国語で人気の高い作家として採用されているのは、志賀直哉、森鴎外、夏目漱石、島木健作、芥川龍之介らの作品が圧倒的に多い。その中で若くして亡くなり、比較的その存在も地味だった中島敦が近年トップの座を占めるようになったのは、文章もそこそこの長さで漢文内容に昔風の勧善懲悪を織り込んだ内容の面白さモラルの教訓が盛り込まれていることが高校生にうってつけだと評価されたのだと思う。

 実は、中島敦については数年前までその名さえ寡聞にして知らなかった。昨年上梓したノンフィクション「南太平洋の剛腕投手」のきっかけとなった旧トラック島(現ミクロネシア連邦チューク島)の日系人大酋長・ススムアイザワについて4年前にエッセイを書いた時、中島敦に行き当たったのである。

 中島の旧南洋庁勤務時代の作品を何篇か読んでみて、戦時中僅か33歳で夭折した中島の薄倖の人生とその質の高い作品に感銘を受けた。爾来中島敦の著作と関連書を買い込み、読めば読むほど中島の魅力に引き込まれて行った。祖父と父が漢学に素養のある国文学者だった血筋を引いたとは言え、20~30歳代で中国文学を理解して現実社会からかけ離れた、浮世とも思える世界を自由な発想でカリスマ的にデッサンした中島の教養と才能には感服するばかりである。まさに戦中派天才作家と呼べる人物である。

 今日演じられたのは狂言和泉流能楽師の人間国宝・野村万作、萬斎父子による「山月記」と「名人伝」で、構成と演出を芸術監督の野村萬斎が、これに藤原道山が尺八吹奏している。これまでも父万作は紀伊国屋劇場で同じ出し物を演じた実績とルーツがあり、父子2代に亘って披露したわけである。

 萬斎は2005年に世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任以来、これまで度々演出し、この作品によっていくつか芸術関係の賞を受賞している。

 こんな願ってもない演劇を観ることができたのは、まったくラッキーだった。偶々近くの「世田谷パブリックシアター」で上演されることが区の広報紙に紹介されていたので、直ぐに劇場で前売り券を購入した。意外にもかなりの人気で中々予約が難しく、これほどこの地味な作家の作品にこれほどのファンが付いているとは思いも寄らなかった。

 「山月記」は短編作品であるが、全編に人間の煩悩、本性が一杯詰まっている。そこにひとつ良い言葉があった。「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りにも短い」。けだし至言である。

 今日は、劇場内部の建物構造にも興味があったが、舞台仕掛けも一風変わっていた。原作者である中島敦を強く意識して舞台奥に大きな中島の写真を掲げ、2つの出し物でも3人の「中島敦」が終始舞台で台詞を述べてストーリーを紹介し、背後のスクリーンには文字を描き、情景をイメージさせる手法を取り入れて進行させる技法は異色ではなかっただろうか。

 今日の芝居を観て中島敦に対する興味と関心が一層募って来たので、手元にある作品を改めて読んでみたいと思っている。

2015年6月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2953.2015年6月14日(日) 日本とトルコ両国民にとって不幸な傲慢首脳

 先週総選挙が行われたトルコでは、独裁者の道を歩み始めたエルドアン大統領率いる公正発展党(AKP)が予想外に過半数を割り、その一方で少数民族クルド系の人民民主主義党(HDP)が大きく議席を伸ばしたことについて、8日の本ブログ上に拙いコメントを書いた。この総選挙についてはどういうわけだか日本のメディアはあまり報道することはなかった。今日になってやっと朝日が大きなスペースを割いて随想とHDP党首へのインタビュー記事を掲載した。

 それら2つの記事では、大統領が紆余曲折の政治家経歴を辿った末に現在強権的な政治主導で自党、並びに政界を牛耳っていることに話が及んでいる。日本とトルコの外交関係は国家、国民のレベルで以前からかなり友好的で、トルコは親日国として普く知られていた。最近俄かに明治23年和歌山県串本沖で遭難したエルトゥールル号で500名以上が亡くなった際、和歌山県の地元民が救助活動をして70名が救助されたことが大きく取り沙汰されるようになったが、この海難事故が全トルコ国民の心情に強くアピールし、トルコ人の親日的感情に拍車をかけていると伝えられている。

 強権的なエルドアン大統領は大の日本好きらしく、同年ということもあって同じように国民の意見を聞かなくなった安倍首相と妙にウマが合うようで、首脳会談もすでに3回行っている。

 しかし、日本人として気になるのは安倍首相の売り込みで大統領が決めた日本からの原発購入が今トルコの良識派から批判されていることである。「日本が自国で止めた原発をなぜわが国で建設するのか聞きたい」「地震学者が危険性を言っても無視される。なぜこんな地震国が原発を輸入するのか」と至極当然の不満の声が上がり、トップだけで決めた原発購入に非難の声が高まっているのだ。安倍首相の積極外交によって原発の建設が決まったことが、将来の両国の友好関係に水を差すことが心配である。私も1999年のトルコ大地震に現地で遭遇したが、日本と同じように地震国トルコで実際大地震が発生し、仮に福島原発のような放射能漏れが起きたらその責任論が持ち上がることは必至である。

 この両首脳のメディアへの介入と圧力も目に余るようだ。テレビで政府批判が出ると、すかさずテレビ局に電話を入れて圧力をかける。安倍政権のメディアへの介入は最近になって露骨になってきた。一方、エルドアン政権のメディアへの介入もこの半年間で一気に暴走しているようだが、どこか安倍政権と符牒を合せているように感じられる。

 安倍政権は一強多弱の基盤の上に増長し、わがもの顔になって、専制政治へ走り出したか、さもなければ忍び寄る国民の強い安倍不信によりじわじわっと没落が始まるのだろうか。後者であれば国民にとって幸せこの上ない。

2015年6月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2952.2015年6月13日(土) もっと自分の眼を大切にしよう。

 このところ眼の具合があまり芳しくなく、両眼にヤニのようなものが出てくるような気がしてその都度、きつく眼をつぶったり、物が入っているように感じた時などは、眼を開けたまま顔を洗ったりしていた。早く眼科で診てもらおうと思いながら、今日10カ月ぶりに自由が丘駅近くの土坂眼科で診てもらった。

 視力検査をしたり、眼圧を測ったり、精密眼底検査をした結果、結論として案ずることはないということだった。むしろ前回診察してもらった時より眼は良くなっていると知らされ、医師もびっくりしていたが、心配していた私が一番びっくりした。とにかく安堵した。一応年令なりに眼がドライアイのようになって乾くので、薬というほどのものではないが、違和感があった時に眼に注す点滴薬(人口涙液型点眼剤・ソフトサンティア)を戴いてきた。普段からこのブログを書くことを始め、一日のPC使用時間が長く、それが両眼を疲労させているのではないかと気にしていたところだ。取り敢えず一難去ったのでこれからも落ち着いて活動できる。やれやれである。

 眼について考えていて今日行われた国際サッカー試合で気づいたことがある。国際サッカー連盟(FIFA)主催のサッカー女子ワールド・カップが現在カナダで開催されているが、前回大会で初優勝を遂げた「なでしこ日本」は、今日第1次予選リーグ第2戦でカメルーンに勝ち、2戦2勝となり決勝トーナメントへ駒を進めた。実はこの相手国、カメルーン選手の中にひとりサングラスをかけていた選手がいたことがちょっと気になった。眼鏡をかけてプレイするサッカー選手を初めて観たからである。サッカーで眼鏡着用が許されるとは勿論知らなかった。身体同士をぶつける接触プレイの多いスポーツでは、普通怪我防止のためユニフォーム以外の異物の着用は認められていない。ラグビーはもちろん眼鏡の使用は認められていない。接触プレイの多いサッカー選手に眼鏡着用が公認されているとは考えてもいなかった。試合中怪我をしなければいいがなぁとやはり観ていて気になった。幸い今日の試合では日本の選手がカメルーン選手の眼鏡で傷つけられることはなかった。

 眼は身体の中でも最も大切な器官であると自覚している。自分の両眼をちょっと酷使し過ぎているように思っていたので、今日を機にこれからはもう少し自分の眼を大切に、PCなども少しペースダウンすることも考えなければいけないと思っている。

2015年6月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com