明日20日は「世界難民の日」である。日本では難民問題はあまり騒がれないが、世界の難民は実に約6千万人に上ると言われる。中でも内戦下にある中東シリアからの難民が増え続けているが、その数は400万人に達した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、この1年間で難民が830万人増え、過去最多になったとも発表した。UNHCRは各国に難民の受け入れを要請しているが、各国それぞれの国内事情もあり思うようには進んでいない。UNHCRは日本が難民受け入れにあまり積極的でないことに対しても、もっと多くの難民を受け入れて欲しいと要望している。実際昨年ドイツが3万3千人以上の難民を受け入れたのに対して、日本は僅か11人である。韓国ですら87人を受け入れている。G7の中でも6番目のイタリアの3600人に比べてもダントツに少ない。
それがここへ来て同じアジアのビルマ西部に住むイスラム系住民ロヒンギャ族が、ビルマ政府から弾圧を受けているとして海外へ逃げ出すケースが目立ってきた。元々バングラデッシュ国境に近いアラカン山塊に住むイスラム系民族であるが、仏教徒がほとんどのビルマでは宗教と種族間の対立から居場所がなく、しばしば他民族と部族抗争を起こしていた。ビルマ語以外にベンガル語を話し、ビルマ人との融合はあまりない。当のビルマ政府は彼らを自国民として認めておらず、ロヒンギャ族は無国籍者となっている。それ故海外へ脱出しても難民として素直に受け入れてもらえないケースがほとんどで、国連の勧告も一向に効果がない。
問題のビルマ在住ロヒンギャ族はビルマ政府から追われるように国を出たが、受け入れる国がなく漂流しながら現在インドネシア、マレーシア、タイ洋上を彷徨っている。
翻ってみると1971年に初めてビルマを訪れ、その翌年元陸軍飛行第64戦隊(加藤隼戦闘隊)慰霊団のお供で再びビルマを訪れた時、アラカン山系に近いアキャブ(現シットウェイ)の海岸で慰霊祭を挙行した。ベンガル湾遥か沖合で被弾し、反転墜死して名誉の戦死を遂げた軍神加藤建夫戦隊長を偲んで黙祷していた時、地元の人たちが大勢やって来た。その中に今にして思えば何人かのロヒンギャ族らしき変わった服装の人たちの姿が見られた。
ビルマは民主化が遅れたために、今漸く民主化へ向かって歩み始めたところである。政治、社会体制の整備が遅れたために経済も立ち遅れ、最近になってやっと外国との合弁事業などもスタートしたばかりで、国家として独り立ちするにはまだまだ時間がかかる。現在の政治体制も民主化というにはとても不十分で、国家として国際社会の中で伍して行くにはまだ心許ない。そんなビルマは、傍でとやかく言われる以上に自らが問題解決に苦しんでいることが分かっている。現在ビルマ国内で虐げられているロヒンギャ族は約130万人と見られている。彼らがビルマ国内で生活できるようになるには、あまりにも問題山積である。
ビルマ政府はロヒンギャ族をビルマ国民と認め、その代わり彼らの生活を軌道に乗せるための援助を国連から各国にお願いするより方法はないと思う。日本にはあまり実感として理解できない問題であるが、今やロヒンギャ族の難民船が東南アジアの海上を浮遊するようになったのだ。このまま見捨てるわけにはいかないだろう。