中島敦の珠玉の作品を演劇に脚色した「敦-山月記・名人伝」を三軒茶屋の「世田谷パブリックシアター」で観賞した。中島の著作は現在高校の国語教科書で最も採用されている。実際今読んでいる「『山月記』はなぜ国民教材となったのか」(佐野幹著)によると昭和24年度辺りから採用されるようになった。高校国語で人気の高い作家として採用されているのは、志賀直哉、森鴎外、夏目漱石、島木健作、芥川龍之介らの作品が圧倒的に多い。その中で若くして亡くなり、比較的その存在も地味だった中島敦が近年トップの座を占めるようになったのは、文章もそこそこの長さで漢文内容に昔風の勧善懲悪を織り込んだ内容の面白さモラルの教訓が盛り込まれていることが高校生にうってつけだと評価されたのだと思う。
実は、中島敦については数年前までその名さえ寡聞にして知らなかった。昨年上梓したノンフィクション「南太平洋の剛腕投手」のきっかけとなった旧トラック島(現ミクロネシア連邦チューク島)の日系人大酋長・ススムアイザワについて4年前にエッセイを書いた時、中島敦に行き当たったのである。
中島の旧南洋庁勤務時代の作品を何篇か読んでみて、戦時中僅か33歳で夭折した中島の薄倖の人生とその質の高い作品に感銘を受けた。爾来中島敦の著作と関連書を買い込み、読めば読むほど中島の魅力に引き込まれて行った。祖父と父が漢学に素養のある国文学者だった血筋を引いたとは言え、20~30歳代で中国文学を理解して現実社会からかけ離れた、浮世とも思える世界を自由な発想でカリスマ的にデッサンした中島の教養と才能には感服するばかりである。まさに戦中派天才作家と呼べる人物である。
今日演じられたのは狂言和泉流能楽師の人間国宝・野村万作、萬斎父子による「山月記」と「名人伝」で、構成と演出を芸術監督の野村萬斎が、これに藤原道山が尺八吹奏している。これまでも父万作は紀伊国屋劇場で同じ出し物を演じた実績とルーツがあり、父子2代に亘って披露したわけである。
萬斎は2005年に世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任以来、これまで度々演出し、この作品によっていくつか芸術関係の賞を受賞している。
こんな願ってもない演劇を観ることができたのは、まったくラッキーだった。偶々近くの「世田谷パブリックシアター」で上演されることが区の広報紙に紹介されていたので、直ぐに劇場で前売り券を購入した。意外にもかなりの人気で中々予約が難しく、これほどこの地味な作家の作品にこれほどのファンが付いているとは思いも寄らなかった。
「山月記」は短編作品であるが、全編に人間の煩悩、本性が一杯詰まっている。そこにひとつ良い言葉があった。「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りにも短い」。けだし至言である。
今日は、劇場内部の建物構造にも興味があったが、舞台仕掛けも一風変わっていた。原作者である中島敦を強く意識して舞台奥に大きな中島の写真を掲げ、2つの出し物でも3人の「中島敦」が終始舞台で台詞を述べてストーリーを紹介し、背後のスクリーンには文字を描き、情景をイメージさせる手法を取り入れて進行させる技法は異色ではなかっただろうか。
今日の芝居を観て中島敦に対する興味と関心が一層募って来たので、手元にある作品を改めて読んでみたいと思っている。