2999.2015年7月30日(木) 厚木基地騒音訴訟で夜間・早朝飛行差し止め

 今日東京高裁で、厚木基地を巡る第4次騒音訴訟中の自衛隊機夜間・早朝の飛行差し止めが命じられた。昨年の一審に引き続き再び差し止め判決が出た。昨年横浜地裁で同じ判決が出されていたのを防衛省が控訴したものだ。日本近海への監視飛行が増加している海上自衛隊では、任務の遂行に支障を来すとして懸念しているが、裁判所は基地の公共性や公益性よりも、住民の被害を重視する判決を下したものである。それでも中谷防衛大臣は上訴を検討していると無念の表情を示した。中国の海洋進出を懸念するあまり大臣の気持ちは立場上分からないでもないが、40年に亘って地域住民が耐え忍んだ労苦に思いを馳せた判決を、信じられないと主張するのは些か常軌を逸していやしないだろうか。

 2017年までに米空母艦載機が厚木基地から岩国基地へ移転されることを踏まえて、16年末までは賠償金12億円が支払われることも決まり、これはこれで騒音訴訟において将来分の損害賠償が認められたのも初めてのケースである。

 高校時代の授業中時折ジェット機が大きな音を出して校舎上空を飛行して、あまりの煩さに教室内で教師の声が聞こえなくなり、しばし授業がストップしたことが度々あった。今では教室はエアコンが設置され、教室の窓は締め切っているのでそれほど騒音が侵入してくることもないと思うが、昭和30年代の初めはそんな風にジェット機の騒音に悩まされたことが度々あったことを思い出す。

 さて、日本人の平均寿命がまた延びたようである。女性は86.83歳で3年連続世界一で、男性は世界で3位の80.50歳だという。あと10年もすると男子の平均年齢が90歳を超えるようだから、益々高齢化社会へ突き進んでいくようである。この調子だと私自身はいつまで経っても日本人男子の平均年齢に届かないことになりそうだ。

2015年7月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2998.2015年7月29日(水) 高校、プロ野球をめぐる興味深い話題

 今年は夏の高校(中等学校)野球大会が始まって丁度100年の記念すべき年となり、何かと話題が多い。とにかく特別に暑い今夏も各地の予選で熱戦が繰り広げられ、続々甲子園代表校が決まっている。

 その中で格別話題性を以って採り上げられているのは、個人では東京の早稲田実業高の1年生ながら3番バッターの清宮幸太郎選手である。準々決勝辺りから連日その力強い打撃ぶりが採り上げられて放映され、そのせいで早実人気はうなぎ登りで早実の試合は異常なくらい大勢の観客が押し寄せている。清宮選手の優れているのはバッティングだが、リトル・リーグ時代に世界選手権で優勝した時の打棒が抜群で、当時からアメリカ・メジャーリーグのスカウトが注目したという逸材である。加えて、父親が早稲田大学のラグビー部主将、監督を務め、その後サントリーでも監督を務めて現在はヤマハ監督の清宮克幸氏であったことから話題が集まった。清宮選手が甲子園でどれほどの活躍をやってくれるのか、今から注目されている。

 一方高校チームとして話題になったのは、第1回大会優勝校京都二中、現在の京都府立鳥羽高校が公立高として強豪ひしめく京都大会を勝ち上がったことである。

 わが母校湘南高校もそこそこいい試合をおこなったのだが、残念ながら準々決勝の前に敗れてしまった。昭和24年に初出場・初優勝の快挙を成し遂げた栄誉は今も燦然として輝き、折に触れて話題となって紹介されることがあるが、拙著「南太平洋の剛腕投手」でも甲子園初優勝については大分触れた。その時の1年生選手だった佐々木信也さんが先週の「週刊朝日」に大きく頁を割かれて採り上げられていたのも話題性の所以である。近々九州地区限定の「スポーツニッポン」紙の一面に広告が掲載されるが、その広告でも佐々木さんと甲子園初優勝の関連説明が紹介される予定である。

 さて、高校野球ばかりが話題を浚っているようだが、プロ野球でも昨日2つの新記録達成があった。そのひとつは、中日ドラゴンズの谷繁元信・監督兼捕手がプロ野球通算出場試合数3018試合に達し、捕手として野村克也氏を抜いて出場数歴代トップに躍り出たことである。負担の多い捕手というポジションで成し遂げたことがとりわけ意義深い。

 もうひとつは、東北楽天イーグルスの松井稼頭央選手が日本で通算2000本安打を達成したことである。松井選手はこの間7年に亘ってメジャーリーグでも活躍し、メジャーで615本のヒットを打っている。このまま3年もこれまで通り活躍できれば、日米合せて夢の3000本安打はおろか張本勲選手の最高安打数3085本凌駕も夢ではない。自己管理能力の高い選手のようでもあり、さらに努力を積み重ねて是非とも最高安打数3086本を達成してもらいたいものである。

 尤もその道の先輩には、イチロー選手がまだまだ頑張っている。イチローは日本ではオリックスの9年在籍中に1278本のヒットを打ち、メジャーリーグでは今年まで15年間に2899本も打ち、メジャーで3000本達成を間直に控えて、本場アメリカでも注目されている。日米通算ではすでに、4177本を打っている。流石にイチローは特別だ。

2015年7月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2997.2015年7月28日(火) 朝日新聞社に言いたいこと

 昨日ITコンサルタントの小糸さんに‘team viewing’によって指導をいただきながら、初めて今流行りのツィッターなるものを発信した。「エセ博士『朝日新聞』の傲慢ぶり」として、先日来不誠実な対応の朝日を皮肉って、取り敢えず70文字程度のメッセージを発信した。ツィッター自体の使い方はまだ不慣れで充分理解していないので、これをもっとマスターして効果的なメッセージとなるよう努めていきたい。

 そのツィッターであるが、他に何人かのジャーナリストの方々に朝日の対応について聞いてみると、暖簾に腕押しで朝日とやり合うと時間の無駄ですよと忠告してくれる人もいる。朝日の無反省、不親切、傲慢ぶりはジャーナリズム界では周知の事実で、よほど根気よく追い詰め、朝日にとって致命的な弱点でも握らないと土俵にも上がってもらえないと言い、朝日新聞社がいかに特殊で、非常識な会社であるかを話してくれた。中には憎らしい存在であるという話をしてくれる知人もいた。

 まあそれでも暇つぶしのひとつとして、じわじわ朝日を攻めてしつこい野郎だなと思わせ、兜を脱がせてみたい。丁度半年前東京都オリンピック・パラリンピック準備局部長からもらった駒澤公園内広告塔の表示に関する質問の際受け取った挨拶状程度には、心を入れ代えさせてみたい。

 それにしても朝日新聞は日本のジャーナリズムのリーダー格として、率直に言って公明正大な世論を掴み取りそれを正論としてわがものにして公表し、民主化と社会を安定させる役割を果たすことに貢献して来た。

 だが、朝日が度々世間の顰蹙を買うことになるのは、社員の鼻もちならないエリート意識と上から目線の思いあがりがあまりにも強過ぎるからである。これまで朝日が長い間信頼を得ることができたのは、優秀な先輩たちの地道な努力と実績の積み重ねによるものである。にも拘わらず世間知らずの今日の社員は、それらの高い評価と実績のお陰で得られた遺産であるとの認識に欠け、自分たちが築いたものだとの幻想に酔い、周囲に気が回らず気持ちが舞い上がっているのだ。言うなれば、現在の朝日社員は先輩が築いた遺産の上に得られた評価のお陰で社業に励んでいるわけである。だが、これではまるで世間体の悪い世襲議員と何ら代わるものではない。何度口では反省という言葉を言っても、心から反省していないようでは、また第二の従軍慰安婦記事偽装事件が起きるのではないかどうも気がかりである。

 さて、昨日から参議院で安保関連法案の審議が始まったが、衆議院では今日参議院の一票の格差を是正するための10増10減の改正公職選挙法が可決、成立した。

 この改正により最高裁で違憲状態とされた2013年参院選の1票の格差は、4.77倍から来年参院選では2.97倍に縮小される。

しかし、これとて抜本的な改正にはなっていない。どうしても議員の欲がからむからである。鳥取・島根と徳島・高知をそれぞれ4人から合区にして2人にした。この結果参議院議員を選出できない県が生まれる可能性が出てきた。これでは地方創生に逆行することにならないだろうか。

 因みにアメリカ議会では、上院は各州から2名ずつの選出で100名が上院議員に6年間の任期で選出される。下院は人口比で435名が2年間の任期を全うする。いかに力の弱い地域であろうと最低限1名の議員は、民主主義の基本理念から考えて配慮されるべきである。この点を直接的利害が絡む4県選出議員、並びに関係者は怒っている。

 抜本的には定数改正は議員数の調整と議員数の削減をセットにしなければ機能しない。日本は議員数が多過ぎる。どうも議員の欲がからんで普通ならできることも実現が難しいということになる。法律を作る政治家がこの我儘加減だから、できるものもできないわけである。

2015年7月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2996.2015年7月27日(月) 参議院で国民反対の安保関連法案審議開始

 今日から参議院で安保関連法案の審議が始まった。国民による反対の声が過半数を超え、学識経験者らが憲法違反と看做し、政府の安保関連法案に関する説明が不十分と考える国民が約8割に達する四面楚歌とも言える状況の中で、安倍大将以下政府軍は強気に進軍ラッパを吹き鳴らし、強引に国民の壁の正面突破を図ろうとしている。案の定今月に入ってから安倍政権に対する支持が先月に比べて大幅に下落し、日経新聞による世論調査では支持率は38%、不支持率は50%となった。2年前の4月には76%と圧倒的な支持率に支えられて安倍首相は有頂天にあったが、油断か、思いあがりか、これなら何でもできると錯覚した未熟なお坊ちゃんの勇み足から、ついに安定内閣に危険信号が表れた。下手をするとこの下降現象はブレーキがかからないかも知れない。

 これからの参議院審議の内容と結果次第では、安倍政権の命脈に黄信号が灯るかも知れない。

 現在安保関連法案の行方が注目を集めているが、安倍政権には他にも人気下降の火種を抱えている。その最も危険なのは、原発の再稼働に関する厄介な問題点である。

 そのひとつは原発立地の議会で議員らが原発の安全性を審査する立場にいながら、形を変えて工事を請け負う会社から報酬を受け取っていたことが明るみになったことである。電力会社や原発賛成派の意を受けて原発による雇用が地域を支えるという地元の意見をきれいごとのように代弁していたのである。

 もうひとつはこれまで原発は安くて大気汚染を考えれば清浄だと言われていたが、福島第一原発事故以降コストは高く、使用済み核燃料の処分問題が片付かず、使用済みのゴミの処分方法が解決していない現状にある。

 特に前者のコスト面では、試算を繰返す度に増えている。現時点で原発の稼働に向け電力11社が見込む安全対策費総額が、少なくとも約2兆4千億円に上がることが分かった。しかも、これで充分と言える金額でないことは今後も予想される。それは2013年1月には約1兆円と試算されていたからである。そして1年後の2014年1月には、そのコストは約1兆6千億円に増えた。それがその1年半後には更に8千億円も増額される事態になったのである。「原発は安いエネルギー」は今や絵空事になった。

 原子炉建屋直下の断層が活断層の可能性が高まった北陸電力志賀原発の地元では、事故の発生を懸念して動揺が隠せない。その一方で、住民投票で同意を得た九州電力鹿児島川内原発では早ければ、来月再稼働を始めるという。本当に大丈夫なのか。近くには桜島活火山がある。原発再稼働に前向きな自民党は、安倍政権の人気の上に胡坐をかいてきたが、下手をすると政権の命取りになりかねないし、共倒れとなる可能性もある。

 さぁ、原発再稼働は本当に大丈夫なのか。ここしばらくは安倍内閣の行動を監視しながら、原発再開の行動を見守っていたい。

2015年7月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2995.2015年7月26日(日) 無駄な建設工事がなぜ続けられるのか。

 とにかく暑い。全国各地で今年最高気温を記録した。猛暑日となった都市は全国で129都市に上った。都内でも練馬区では37.2℃で観測史上最高気温を観測した。そんなわけで今日もほとんど家に閉じこもってテレビを通して大相撲名古屋場所千秋楽で横綱白鵬の35回目の優勝場面を観ていたが、涼しくなる夕刻になって近くの駒澤公園にウォーキングに出かけた。

 公園の半周コースを回って再建中の新築第二球技場の傍を通ると、新国立競技場の見直し建設計画がふっと頭に浮かぶ。この第二球技場は、1964年大会では主にホッケー場として使用されたものを取り壊し、現在新築工事中なのである。近くに掲示してある完成図を見ると新球技場も中々立派な球技場のようだ。隣接する室内体育館も取り壊し、新築中である。この旧室内体育館も1964年オリンピックで使用された施設である。そして驚くべきは、これら新しい施設が完成後は2020年オリンピックではいずれも使用されないという話である。もったいないというか、無駄な施設とは言わないまでも折角作った立派な施設をどうして使用しないのか、分からないことだらけである。どうして前回オリンピック大会で使用した施設を取り壊し、新たに作るのはどういう目的からなのだろうか。今新国立競技場再建問題が予定を遥かに上回る費用がかかると言うことから見直し論が出て、仕切り直しになった。この駒澤の施設は、前大会で使用した時より近代的で使用し易い施設に違いない。それにも拘わらず、最初から作るけれどもオリンピック用には使わないという無駄な発想はどこから生まれるのか。何か施工者と業者の取引のうえで無駄な施設が作られるように思えてならない。

 さて、昼前にびっくりするようなニュースがあった。調布飛行場から離陸した小型飛行機が間もなく近くの住宅地帯に墜落し、住宅火災を引き起こし、乗客と住民3人が亡くなった。調布飛行場は甲州街道に沿って大きな味の素スタジアムの背後にあり、多磨墓地への行き帰りの折傍を通ると飛行機の姿を見ることもあった。小型飛行機とは言え、住宅地の上空を飛び回るのは危険であることを改めて知らされたが、このことは沖縄の人たちの日常生活では当たり前で、彼らにとってはもっと大きな武器を積んだ軍用機が上空を自由奔放に飛んでいるのだ。今日の小さな飛行機事故とも言えない事故ですら、大きな災害になりかねない。極力危険を避ける方策を講じなければならないが、今日の事故で国交省は早速飛行回数を減らすなどの対策を徹底するようだが、より危険な沖縄の米軍機の飛行回数を減らすことは現状では難しい。

 普段あまり実感として我々に迫って来ることがない飛行機事故だが、今日の事故も無碍に他人事として捉えてはならないと思う。

2015年7月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2994.2015年7月25日(土) 傲慢朝日の高齢者蔑視と読者無視の無責任

 とうとう「世論の代弁者」と「リベラル」を自称する朝日新聞社と一戦を交えることになりそうだ。朝日新聞は結婚以来46年間愛読して来た。ジャーナリズムとしての真っ当な理念と哲学、そして世間の風と国民の声を受け止めて大衆に成り替わって正論を新聞という公器を使いながら世にアピールしてきたことをこれまでは高く評価してきた。そんな朝日とよもや事を構えるとは思っても見なかった。

 折も折昨日になって漸く朝日新聞社渡辺雅隆社長に宛てた手紙の返信が届いた。しかし、実際には社長は自らの手を煩わすことなく、代わりに「お客様オフィス」と称する部署の名無しの権兵衛氏から的外れで顧客を無視した極めて非礼な返書だった。

 そもそも事の発端はこうだ。去る6月5日付朝日朝刊の一面トップ記事「高齢者の地方移住を」の見出しを見て一瞬ギョッとなった。この見出しでは高齢者を姥捨山へ追いやるものだとの誤解を与えかねないと思い、翌6日ネットを通して朝日「お問い合わせ」係へ注意を促すとともに、社としての見解を尋ねたのだ。

 これに対して懸念していた通り朝日からは何らの反応もなかった。確かにすべての問い合わせにお応えできないことはありますと書いてはある。同じ質問を引き続き12日、16日、23日、29日と計5度送信した。それでも相も変わらず回答はなかった。新聞社の信用にも関わる記事の誤解を招く恐れがあると考え、記事の真意と会社の見解を問うたものである。それに対してまったくノー・リプライだった。

 ここでひとつ気がついたことがあった。当方から送ったメールは朝日側の一方的な都合で消去され、我がパソコン上には送信記録の痕跡が残らないよう細工されていることだった。これは、朝日が常日頃より声高に外部に警告している一種の言論抑圧ではないだろうか。それを朝日は顧客からの通信記録を自らの独断で削除するという、非民主的で横暴な行為に及んだのだ。日ごろ言論の自由を叫びながら、実は自ら表現の自由まで封殺していたのである。日ごろの朝日の主張とは相入れない言語道断の所業ではないか。

 そこで3回目以降は手元にコピーを残すことにした。いずれにせよ、朝日からは何の連絡もなかった。私は朝日に対して表現が穏当でなく、高齢者を軽視しているように受け取られる恐れがあるので、読者に対して何らかの解説なり、見解を説明する必要があるのではないかと問いただしたに過ぎない。その間朝日出身者を始めとする新聞社のOBにこの経緯を話してみたところ、揃って新聞をよく読めば分かるが、その見出しは不穏当であるし、表現は誤解されるばかりで誰だって、特に高齢者が怒るのも無理はないと言っていた。21日フジTVの「Mr.サンデー」に出演した元NHKの木村太郎氏も同じような記事を掲載した東京新聞を手に憤慨していたほどである。

 そのような誤解を呼び、高齢者を愚弄し、軽視しているかのような見出しに対して朝日新聞社としての考え方をきちんと伺いたいとの要望は一顧だにされず、まったく無視されたのである。そのうえ長年の読者に対して問答無用とばかり、朝日は上から下まで読者からの質問には応えず、理不尽にもメールでの問い合わせの記録を抹消し、自らに不都合な質問は無視し、真っ当な質問を闇に葬り、一見質問歓迎のポーズを取りながら自社の不行き届きな対応を些かも反省する姿勢も見せず、傲岸不遜にも朝日流儀を押し通している。

 古いところでは平成元年のサンゴ礁落書き事件、ごく最近では昨年の従軍慰安婦問題で朝日は記事の捏造を認め、世間に謝罪し、二度と繰り返さないと誓って約束し自社の対応を反省したのではなかったのか。だが、自らが表面上反省の態度を示した事案では、実際のところ朝日は反省なんぞ一切していないということを曝け出したようなものである。朝日新聞社は自らが播いた種となるいかなる不祥事にも、謙虚さも誠実さも、反省も示さないということがよく分かった。

 たび重なる問い合わせに対してまったく回答がないということは、そのまま高齢者軽視、侮辱と読者軽視を朝日自身が容認していることになる。だが、あまりの無神経と無感覚に我慢ならず、編集担当の西村陽一常務宛に、社の見解と前記読者への言論の封殺に関する考えについて書留便を送って質問した。それでも読者に対して記事の説明をして墓穴を掘ることを恐れる当の常務からは、やはり1週間経過しても返事は来なかった。歌を忘れたカナリアの如く朝日は文字を書くことを忘れたカナリアになってしまったのである。朝日新聞社は何を恐れているのか、上から下まで外部の問い合わせには、貝の如く堅く口を閉ざしている。

 そしてさらにその1週間後の今月17日、ついに最後通牒として最高責任者である渡辺社長に宛てて書留便を送った。その問い合わせの書状に対して、冒頭に紹介した名無しの権兵衛氏からの不誠実な一介の手紙が届いたのである。誰も回答しなかったことに対する一言の詫びもなく、ただ自分たちは高齢者を愚弄する気持ちはないと主張するだけの世間知らずの人間が書いた拙い内容である。そのうえその返書は手紙の書式について知識、常識もないコピー用紙に大きな文字で書かれた、たった7行だけの礼を失し、質問に応えていない返書だったのである。一読して世間も現場も苦労も知らない代理人が認めたものだと推察できる。的外れで誠意のないこの稚拙な手紙が天下の朝日新聞社代表取締役社長からのものだとは、あまりにもお粗末でこんなジャーナリスト・レベルで果たしてこの難しい国際化時代の諸問題について、まともなレポートを書くことができるのだろうか疑問を感じざるを得ない。合計7回も問い合わせをした揚句に得た回答にしてはあまりにも低次元な回答に呆れ果て、もう少し真面目に社会の常識と記者としての臨場感を学んで、もっと理性的に取り組みなさいと言ってやりたい。

 朝日の「朝日版姨捨山」記事については、私は瞬間的に不審を抱き、すでに6月24日付本ブログに感想を書き込んだ。大朝日新聞社の多過ぎる誤認と不誠実には憤りを感じている。これまで朝日新聞を信頼して愛読してきたが、ことここに至り、そのお粗末な対応と無責任さにいたく失望している。これからも多分「煩い読者には言わせておけ」とばかり反省もせずに、高齢者蔑視、読者無視の対応を取り続けそうな大朝日に対して、私としてはじっくりこの問題に取り組み、僭越ではあるが、反省を促して行きたいと考えている。

2015年7月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2993.2015年7月24日(金) 元ベ平連の哲学者・鶴見俊輔先生永眠

 昨日に続いて著名人の訃報である。今日は哲学者の鶴見俊輔先生の死去を知ることになった。鶴見先生のお名前は学生時代に「思想の科学」を読んで知り、ベトナム反戦運動でさらに知ることになった。何度か講演会でお話しも伺った。1965年にベ平連が結成され、小田実と並んでその中心人物となり、開高健、小中陽太郎、吉川勇一氏らとともにベ平連を反戦、平和のために戦う一般人の固い絆のグループとして機能させた。私には、哲学者という学究肌の人というより、行動の人というイメージがある。

 今朝の朝日には一面に始まり、いくつも大きなコラムとして取り上げられ、いかに鶴見先生が日本の思想、文化、言論で大きな役割を果たされたかを能弁に語っている。ところが、日経紙には一行たりとも先生の死を報道していない。いかに経済紙でイギリスの「フィナンシャル・タイムス」社を買収して世界一の経済紙にのし上がったとは言え、これだけの人物の死をまったく報道しないとは不思議だと腑に落ちなかった。すると夕刊にかなりのスペースを取って報道し、小中陽太郎さんが、鶴見先生は大知識人だが硬直した考えが嫌いで成功より失敗を楽しむおおらかさが思想の強靭さを支えたと小中さんらしいコメントを寄せていた。

 一方朝日新聞夕刊を見て一枚の写真にあれっと目を見張った。社会面の真ん中に鶴見先生の記事4段に添えて1枚のカラー写真があった。その写真とは2007年8月5日付朝日新聞朝刊に「大きな人に別れ・・・」としてその前日小田実氏告別式に出席した後にデモ行進した記事に添えた写真をトリミングしたものだった。鶴見先生の背後でワイシャツ姿にネクタイを締めた私が歩いている。8年前には新聞発行日翌日に早速親しい友人から、まだ運動をやっているのかと電話があったくらいだ。今度は気がつく友人がいるだろうか。

 今年ベトナム戦争終結40周年に当たり、ベ平連事務局長を務めてきた吉川勇一氏が5月に亡くなり、今日中心的存在だった鶴見俊輔先生の訃報を知った。時代の流れとは言え、実に寂しい限りである。

 さて、今日は暑い盛りを午後になって出かけた。ところが午後2時過ぎ頃から激しい雨と雷に度肝を抜かれた。それほど長い時間ではなかったが、久しぶりの激しい天気の激変にもしやと思っていた。家の中では停電になったが、これはブレーカーが落ちたことが分かった。東横線自由が丘駅まで妻に車で送ってもらったところ上下線とも不通で動かず、止むを得ず、二子玉川駅経由で遠回りして渋谷に出る有様だった。帰途渋谷駅へ来て見ると、どの電車が動いているのか情報が錯綜している状態だった。初めて東急半蔵門線渋谷駅改札口前で水浸し現場に出会った。聞けば、小田急線成城学園前駅構内でも水が溢れたようだが、やはり地下深い建造物は普通の状態なら問題ないが、一たび大雨が降るとこういう警戒すべき場所となる。

 今日で2020年東京オリンピック開会式まで丁度5年となった。それに合わせて今日新しいエンブレムも発表されたが、新国立競技場のゴタゴタがあり、何やらおかしな雰囲気になってきた。何とかオール・ジャパンで力を合せて目標へ向けしっかりスタートして欲しい。

2015年7月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2992.2015年7月23日(木) 埼玉県知事の騙し打ち、公約裏切り

 来月行われる埼玉県知事選挙が今日告示された。現職と新人併せて5人が立候補したが、今回特に注目されるのは、現職の上田清司氏が4度目の名乗りを挙げたことである。そこにはどうしても納得の行かない理由があるからである。かつて上田氏は長期に亘って権力のある地位に留まることの弊害を訴え、自らが言い出しっぺになって「多選自粛条例」を制定し、4度目の立候補をしないことを県民に約束した。現職知事が条例を制定したことは極めて重いものであると誰もが理解している。それが上田氏の本心にどういう気持ちの変化があったのか、現職知事の立場の欲得で目が眩んだのか、それをいとも容易く反故にして4選目の知事選に打って出ると言い出した。羞恥心はさらさらなく県民に堂々と嘘をつき、県民を騙し打ちにしたのである。恥ずかしくないのかと聞いてみたい。上田氏が民主党代議士から埼玉県知事に鞍替えした時は、自民党の支援も受けていた。だが、流石に自民党は約束反故の民主党系上田氏の立候補に呆れ、かつ自党の息がかかった候補者を当選させたい自民党は、「自ら定めた『多選自粛条例』を破ることは絶対にいけない。正さなくてはならないという使命感から立候補した」という消防庁出身の塚田桂祐氏を推薦した。

 では、当の上田氏は朝令暮改、約束違反、裏切りについてどう思い、どのように語っているのか。「3期12年で辞めるという信念を曲げることになったのは不徳のいたすところですが、政治は『公』のものであり、私情を捨ててがんばっていきたい」と約束違反をあっさり不徳の至りと片付け、自らの理念と信念を翻したことに些かの反省もなく、公の政治家を装っているが、最も政治家に相応しくない欺瞞のコメントを述べているのだ。こういう厚顔な抗弁を繰り返して県民が許してくれると思っているのだろうか。自ら作った条例を自らの都合で破るとは、まともな政治家にはとても真似のできない恐れ入った芸当である。こういう嘘つきには金輪際知事をやって欲しくないと県民誰しもが考えるということに考えが及ばないようでは救いようがない。衆議院議員時代には民主党内でもある程度存在感があったが、もう埼玉県民は誰も相手にしないだろう。

 さて、同じ上田氏でも、ラグビー界でかつて一世を風靡しながら、国が指定する難病「アミロイドーシス」により今朝62歳で冥界へ旅立たれた上田昭夫氏にはつい同情の念を憶える。こちらの上田氏は嘘つき知事とは異なり、慶大ラグビー部監督として母校慶應を1985年度日本ラグビー界の頂点に引き上げた名監督として知られた。その後ニュース・キャスターとしてテレビでも活躍した。率直に言ってあの優勝は嬉しく久しぶりに興奮した。3年前私が編集委員長となって大学ゼミ恩師の追悼文集をまとめたが、その文集にもこっそり優勝の写真を1枚載せたほどである。

 あの時代は度々秩父宮ラグビー場に足を運んだり、ラグビーの実況中継に夢中になっていたが、上田監督に因んで微笑ましく印象に残っているエピソードがある。それは、社会人の王者・トヨタ自動車を破りラグビー日本一になった直後のコメントで、上田監督が「選手たちを誉めてあげたい」と語ったことに対して、当時ゴルフをやわなスポーツと蔑視して、激しく男らしいスポーツとしてラグビーに熱中していた作家・野坂昭如氏が「選手たちを誉めてあげたいなんて言い方は間違いだ。誉めてやりたいが正しい」と皮肉っぽく述べていたことが忘れられない。

 上田昭夫氏のご冥福を心よりお祈りしたい。

2015年7月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2991.2015年7月22日(水) 公明党の存在と役割はどうなったのだろう?

 昨日と今日で駒澤大学春季公開講座が終了した。次の秋季講座は9月に始まる。昨日片山正彦講師が、安保法案強行採決に公明党が同調したことに関連して、公明党の立場と主張の違いと、公明党の支援母体である創価学会と公明党との関係について話された。自由と平和を党是とする公明党の最近の言動は少々おかしい。まったく勢いがない。結局は大臣の椅子(国土交通大臣)欲しさに党として言うべきことを言わず、自民党の言い分を聞いて自民党の言いなりになっている。それが昨今公明党にエネルギーと存在感が感じられない最大の原因である。片山講師によれば、創価学会信者が戦争法案に同意した公明党に対して、平和を目指す党として間違っていると以前には考えられなかった反党的行動を取るようになったという。これで公明党と創価学会の間にもひびが入っているという。

 かつては比較的良識的な判断が各界から評価されていたが、最近の公明党の行動は確かにおかしい。自民党のお小姓的存在と役割に納まることに徹して、自己主張することがなくなり、与党として常に親分・自民党の傘の下でおとなしく行動するようになった。政党としてのモットーを取り下げ、堕落したこういう烏合の衆は政党とは呼ばない。公明党所属の国会議員はもとより、政治家には現状を改革しようという気持ちがなくなってしまったのだろうか。所詮は政治政党ではなく、宗教団体だったということだろう。

 さて、昨日発売された「週刊朝日」7月31日号に今年高校野球発足100周年記念として「昭和からの遺言」が4頁に亘って掲載されているが、そこに取り上げられている人物が、何と佐々木信也さんである。佐々木さんはフットライトを浴びるに充分な実績と話題性がある。何せ戦後間もない昭和24年夏の甲子園大会に1年生ながら母校湘南高校に初出場初優勝の栄誉をもたらしたヒーローだったからである。私が先輩佐々木さんから伺った話もいくつか紹介されているが、慶大主将時代、プロ選手時代、そしてテレビキャスター時代の話がいくつも話されている。中でも26歳でプロから引退した際のエピソードは、昨年上梓したノン・フィクション「南太平洋の剛腕投手」に紹介した内容と違うが、これはいずれも正しい。いずれにしても当時の西本監督の腹の内にあったことだからである。佐々木先輩のお陰で、その作品は順調に書き進むことができた。大変恩を感じている先輩であり、早速知人・友人らに「週刊朝日」を読むようメールを送信して薦めたところである。

2015年7月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2990.2015年7月21日(火) 東芝、利益水増しを公表

 一昨日関東地方は梅雨が明けたが、今日も暑い一日であった。東京も34.9℃という猛暑日へあと一歩だった。

 10日前に本ブログに取り上げた通り東芝不正会計問題で、昨夕過去7年間の決算資料を調べていた第三者委員会から報告書が提出された。これを受けて今日午後東芝は記者会見を開いて、田中久雄社長が、このような不正を発生させたことを謝罪し、自らと前社長で現副会長の佐々木則夫氏、及び前々社長の西田厚聡・現相談役の辞任を発表した。7年間で水増しされ現職を辞めることになった。

 第三者委員会報告書に依れば、一連の問題は会社の経営判断として行われたと決めつけた。そのうえでトップの言動を厳しく指弾し、上司に逆らえない東芝の企業風土に問題ありとし、役職員に適切な会計処理に向けての意識が欠如していると認定した。かつては、東芝は社外取締役中心の委員会設置会社に移行し、企業統治の優等生とも受け取られていた時代もあった。トップに立つ者がよほど自制心を心がけなければ、いつの間にか元の木阿弥となってしまう。

 かつては、ウェスチングハウス社を買収し、同社原発製品を東電等電力会社に売り込み、甘い汁を吸っていた時代もあったが、生憎東日本大震災により夢は破れた。その後は原子力部門の挫折が他部門に影響を及ぼした不運もある。だが、粉飾会計は会社のトップの判断によって行われた意図的な偽装会計処理である。当時の社長らが責任を取ってその座を去るのは当然としても、株主や顧客、そして何よりも20万人の従業員に与えた心の傷はそうやすやすと拭えるものではない。立ち直るまでに長い時間がかかることだろう。それは東芝140年の歴史に匹敵する時を要するかも知れない。でも乗り越えなければならない。

 これから企業として発展していくためには今回の不祥事は大きな試練である。しかし、ギリシャのように外部から支援されるわけではない。自力で新しい東芝を創る気力を持ち続け、地道に努力を傾けるしかこの地獄を抜け出る道はない。それにしても責任ある立場の人間は、自らの立場を充分認識して行動し、多くの部下をリードしていく責任があることを自覚すべきである。

 昨日アメリカとキューバが54年ぶりに国交を回復した。お互いの大使館も業務を開始した。60年安保闘争が終わってベトナム戦争激化と並行し、アメリカとキューバの外交関係が険悪になった。まず61年両国の外交関係が打ち切られた。62年にはアメリカ政府がソ連の核装置を移入したキューバ海上を封鎖し、アメリカとキューバと同時に米ソの対立は危機一髪の危うさを見せた。そこへ63年ケネディ大統領暗殺事件が勃発した。以降アメリカとキューバの関係は悪化の一途を辿り、キューバにとっては西欧諸国から経済封鎖されたことが今日の停滞経済の原因になっている。

 まだまだ両国間には、解決しなければならない問題が山積しており、万々歳というわけにはいかないようだ。しかし、ほとんどのキューバ人は国交回復を希っている。一日も早くかつての両国の友好関係が復活することを願っている。

2015年7月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com