とうとう「世論の代弁者」と「リベラル」を自称する朝日新聞社と一戦を交えることになりそうだ。朝日新聞は結婚以来46年間愛読して来た。ジャーナリズムとしての真っ当な理念と哲学、そして世間の風と国民の声を受け止めて大衆に成り替わって正論を新聞という公器を使いながら世にアピールしてきたことをこれまでは高く評価してきた。そんな朝日とよもや事を構えるとは思っても見なかった。
折も折昨日になって漸く朝日新聞社渡辺雅隆社長に宛てた手紙の返信が届いた。しかし、実際には社長は自らの手を煩わすことなく、代わりに「お客様オフィス」と称する部署の名無しの権兵衛氏から的外れで顧客を無視した極めて非礼な返書だった。
そもそも事の発端はこうだ。去る6月5日付朝日朝刊の一面トップ記事「高齢者の地方移住を」の見出しを見て一瞬ギョッとなった。この見出しでは高齢者を姥捨山へ追いやるものだとの誤解を与えかねないと思い、翌6日ネットを通して朝日「お問い合わせ」係へ注意を促すとともに、社としての見解を尋ねたのだ。
これに対して懸念していた通り朝日からは何らの反応もなかった。確かにすべての問い合わせにお応えできないことはありますと書いてはある。同じ質問を引き続き12日、16日、23日、29日と計5度送信した。それでも相も変わらず回答はなかった。新聞社の信用にも関わる記事の誤解を招く恐れがあると考え、記事の真意と会社の見解を問うたものである。それに対してまったくノー・リプライだった。
ここでひとつ気がついたことがあった。当方から送ったメールは朝日側の一方的な都合で消去され、我がパソコン上には送信記録の痕跡が残らないよう細工されていることだった。これは、朝日が常日頃より声高に外部に警告している一種の言論抑圧ではないだろうか。それを朝日は顧客からの通信記録を自らの独断で削除するという、非民主的で横暴な行為に及んだのだ。日ごろ言論の自由を叫びながら、実は自ら表現の自由まで封殺していたのである。日ごろの朝日の主張とは相入れない言語道断の所業ではないか。
そこで3回目以降は手元にコピーを残すことにした。いずれにせよ、朝日からは何の連絡もなかった。私は朝日に対して表現が穏当でなく、高齢者を軽視しているように受け取られる恐れがあるので、読者に対して何らかの解説なり、見解を説明する必要があるのではないかと問いただしたに過ぎない。その間朝日出身者を始めとする新聞社のOBにこの経緯を話してみたところ、揃って新聞をよく読めば分かるが、その見出しは不穏当であるし、表現は誤解されるばかりで誰だって、特に高齢者が怒るのも無理はないと言っていた。21日フジTVの「Mr.サンデー」に出演した元NHKの木村太郎氏も同じような記事を掲載した東京新聞を手に憤慨していたほどである。
そのような誤解を呼び、高齢者を愚弄し、軽視しているかのような見出しに対して朝日新聞社としての考え方をきちんと伺いたいとの要望は一顧だにされず、まったく無視されたのである。そのうえ長年の読者に対して問答無用とばかり、朝日は上から下まで読者からの質問には応えず、理不尽にもメールでの問い合わせの記録を抹消し、自らに不都合な質問は無視し、真っ当な質問を闇に葬り、一見質問歓迎のポーズを取りながら自社の不行き届きな対応を些かも反省する姿勢も見せず、傲岸不遜にも朝日流儀を押し通している。
古いところでは平成元年のサンゴ礁落書き事件、ごく最近では昨年の従軍慰安婦問題で朝日は記事の捏造を認め、世間に謝罪し、二度と繰り返さないと誓って約束し自社の対応を反省したのではなかったのか。だが、自らが表面上反省の態度を示した事案では、実際のところ朝日は反省なんぞ一切していないということを曝け出したようなものである。朝日新聞社は自らが播いた種となるいかなる不祥事にも、謙虚さも誠実さも、反省も示さないということがよく分かった。
たび重なる問い合わせに対してまったく回答がないということは、そのまま高齢者軽視、侮辱と読者軽視を朝日自身が容認していることになる。だが、あまりの無神経と無感覚に我慢ならず、編集担当の西村陽一常務宛に、社の見解と前記読者への言論の封殺に関する考えについて書留便を送って質問した。それでも読者に対して記事の説明をして墓穴を掘ることを恐れる当の常務からは、やはり1週間経過しても返事は来なかった。歌を忘れたカナリアの如く朝日は文字を書くことを忘れたカナリアになってしまったのである。朝日新聞社は何を恐れているのか、上から下まで外部の問い合わせには、貝の如く堅く口を閉ざしている。
そしてさらにその1週間後の今月17日、ついに最後通牒として最高責任者である渡辺社長に宛てて書留便を送った。その問い合わせの書状に対して、冒頭に紹介した名無しの権兵衛氏からの不誠実な一介の手紙が届いたのである。誰も回答しなかったことに対する一言の詫びもなく、ただ自分たちは高齢者を愚弄する気持ちはないと主張するだけの世間知らずの人間が書いた拙い内容である。そのうえその返書は手紙の書式について知識、常識もないコピー用紙に大きな文字で書かれた、たった7行だけの礼を失し、質問に応えていない返書だったのである。一読して世間も現場も苦労も知らない代理人が認めたものだと推察できる。的外れで誠意のないこの稚拙な手紙が天下の朝日新聞社代表取締役社長からのものだとは、あまりにもお粗末でこんなジャーナリスト・レベルで果たしてこの難しい国際化時代の諸問題について、まともなレポートを書くことができるのだろうか疑問を感じざるを得ない。合計7回も問い合わせをした揚句に得た回答にしてはあまりにも低次元な回答に呆れ果て、もう少し真面目に社会の常識と記者としての臨場感を学んで、もっと理性的に取り組みなさいと言ってやりたい。
朝日の「朝日版姨捨山」記事については、私は瞬間的に不審を抱き、すでに6月24日付本ブログに感想を書き込んだ。大朝日新聞社の多過ぎる誤認と不誠実には憤りを感じている。これまで朝日新聞を信頼して愛読してきたが、ことここに至り、そのお粗末な対応と無責任さにいたく失望している。これからも多分「煩い読者には言わせておけ」とばかり反省もせずに、高齢者蔑視、読者無視の対応を取り続けそうな大朝日に対して、私としてはじっくりこの問題に取り組み、僭越ではあるが、反省を促して行きたいと考えている。