2993.2015年7月24日(金) 元ベ平連の哲学者・鶴見俊輔先生永眠

 昨日に続いて著名人の訃報である。今日は哲学者の鶴見俊輔先生の死去を知ることになった。鶴見先生のお名前は学生時代に「思想の科学」を読んで知り、ベトナム反戦運動でさらに知ることになった。何度か講演会でお話しも伺った。1965年にベ平連が結成され、小田実と並んでその中心人物となり、開高健、小中陽太郎、吉川勇一氏らとともにベ平連を反戦、平和のために戦う一般人の固い絆のグループとして機能させた。私には、哲学者という学究肌の人というより、行動の人というイメージがある。

 今朝の朝日には一面に始まり、いくつも大きなコラムとして取り上げられ、いかに鶴見先生が日本の思想、文化、言論で大きな役割を果たされたかを能弁に語っている。ところが、日経紙には一行たりとも先生の死を報道していない。いかに経済紙でイギリスの「フィナンシャル・タイムス」社を買収して世界一の経済紙にのし上がったとは言え、これだけの人物の死をまったく報道しないとは不思議だと腑に落ちなかった。すると夕刊にかなりのスペースを取って報道し、小中陽太郎さんが、鶴見先生は大知識人だが硬直した考えが嫌いで成功より失敗を楽しむおおらかさが思想の強靭さを支えたと小中さんらしいコメントを寄せていた。

 一方朝日新聞夕刊を見て一枚の写真にあれっと目を見張った。社会面の真ん中に鶴見先生の記事4段に添えて1枚のカラー写真があった。その写真とは2007年8月5日付朝日新聞朝刊に「大きな人に別れ・・・」としてその前日小田実氏告別式に出席した後にデモ行進した記事に添えた写真をトリミングしたものだった。鶴見先生の背後でワイシャツ姿にネクタイを締めた私が歩いている。8年前には新聞発行日翌日に早速親しい友人から、まだ運動をやっているのかと電話があったくらいだ。今度は気がつく友人がいるだろうか。

 今年ベトナム戦争終結40周年に当たり、ベ平連事務局長を務めてきた吉川勇一氏が5月に亡くなり、今日中心的存在だった鶴見俊輔先生の訃報を知った。時代の流れとは言え、実に寂しい限りである。

 さて、今日は暑い盛りを午後になって出かけた。ところが午後2時過ぎ頃から激しい雨と雷に度肝を抜かれた。それほど長い時間ではなかったが、久しぶりの激しい天気の激変にもしやと思っていた。家の中では停電になったが、これはブレーカーが落ちたことが分かった。東横線自由が丘駅まで妻に車で送ってもらったところ上下線とも不通で動かず、止むを得ず、二子玉川駅経由で遠回りして渋谷に出る有様だった。帰途渋谷駅へ来て見ると、どの電車が動いているのか情報が錯綜している状態だった。初めて東急半蔵門線渋谷駅改札口前で水浸し現場に出会った。聞けば、小田急線成城学園前駅構内でも水が溢れたようだが、やはり地下深い建造物は普通の状態なら問題ないが、一たび大雨が降るとこういう警戒すべき場所となる。

 今日で2020年東京オリンピック開会式まで丁度5年となった。それに合わせて今日新しいエンブレムも発表されたが、新国立競技場のゴタゴタがあり、何やらおかしな雰囲気になってきた。何とかオール・ジャパンで力を合せて目標へ向けしっかりスタートして欲しい。

2015年7月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com