3523.2017年1月4日(水) 早くもトランプ次期米大統領の影響か?

 2017年の経済活動もスタートした。1年で最初の株式取引となる大発会の今日、日経平均株価は昨年末より479.79円も上がり、19,594.16円となった。これで政府、財務省、日銀、財界関係者はホッとしていることだろう。このまま本年末までこの好調を保てるかどうか、国内のみならず海外の政治、景気にも左右されるので何とも言えない。ニューヨーク株式市場も僅かながら上がっているので、今後トランプ氏が大統領に就任して不測の事態により株価が下がるような事態さえなければ、この調子を維持できると言えるのだろう。

 イギリス人歴史学者ポール・ケネディ氏が、「選択」1月号の中でインタビューに応じている。氏は「アメリカにはトランプ氏を含めて『反知性主義』がはびこっているが、無知からくる自信過剰はつまずく。公約が実現出来なければ有権者は失望し、軌道修正を図られる。今は反動期でやがて揺り返しが来る。各国の利害が絡み合った時代に、アメリカが一方的に世界から撤退するのは難しい。トランプ氏の関心が内政にあることは諸外国にとって必ずしも悪いことではないが、トランプ氏の最優先課題が日本経済だったら、予測不可能なトランプ氏に振り回されるだろう」と語っている。

 そのトランプ氏は早くもアメリカ第一主義の間接的な実施により隣国メキシコに影響を与えている。メキシコに工場移転を考えていたGM社にメキシコ製車に対しては35%の高関税を課すと語り、それと同じようにフォード社もメキシコにおける工場新設計画を取り止めると発表した。早くも産業界が剛腕・トランプ氏に屈服した感がある。早速これに反応してメキシコのペソが急落し、対ドル外為相場は市場最安相場にまで落ちた。

 この背景には雇用問題もさることながら、トランプ氏にとっては許しがたい、アメリカ国内に直接利益をもたらさない外国への投資額の増加がある。30年前には世界経済で中国が占めるシェアは5%に過ぎなかったが、今では20%近くに達している。その一方で、アメリカは逆にその当時30%のシェアが今日では20%に落ち込んでいる背景がある。そのトレンドにトランプ氏がアメリカ・ファーストを訴えている根拠がある。

 いずれにせよ2週間後にアメリカ大統領に就任するドナルド・トランプ氏が、本当にアメリカだけの景気回復、世界1の地位の確保に拘るのだろうか、世界中の関心を呼ぶことになる。日本もケネディ氏が心配するように、トランプ氏の思い付き発想にかどわかされるようであっては困る。その意味では日本ももう少ししたたかな外交力を発揮しないと、トランプ氏に自家薬籠中のものにされてしまう心配がある。

2017年1月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3522.2017年1月3日(火) 正月をテレビ佳作品鑑賞で得した気分

 お正月も三が日を終えると里帰りしていた人たちもまた都会へ帰って来る。今日はUターン現象が始まり高速道路はどこも渋滞している。これから明日にかけて更に大変なようだ。サラリーマンは明日から職場復帰で大変なことだと、現役時代を思ってつい同情の気持ちが湧いて来る。

 我が家でも横浜に住む二男が正月に花園ラグビー場から嫁の実家新潟市へ行っていたが、今朝自宅へ戻った後、夕方になって揃って車でやって来た。今年小学校へ入学する男児は、元気が好い。4歳の女児も元気でおしゃまなところが可愛い。このまま素直に育って欲しいと願っている。二男も明日から会社人間になる。

 さて、昨日テレビ番組「江戸城無血開城」について感銘を受けたことを書いたところ、今日も別の意味で中々教育的な番組を観ることが出来た。これもNHK番組であるが、ルーブル美術館を効率的、かつ教養溢れるガイドで、約2時間の間飽きさせずに見せてくれた。「極上ルーブル美術館を完全2時間で堪能ツアー」と称するものだ。これまでルーブルへは何度も足を運んだので、展示物を観て回るコースはある程度分かっているが、実に効率良く歩くルートを図解と矢印で説明してくれた。今では、館内でカメラを自由に使えるとは知らなかった。中でもメソポタミヤ文明期の石造りのハンムラビ法典について、これまでガイドさんからあまり説明を受けたことがなく、素通りに近かったが、「目には目を」の一章がアラビア語で彫り込まれているのを見たり、考えたりしていると当時の時代考証的な場面が想像出来て、何とも実態感が身に染みてくるような気がするから不思議である。出来れば、このコースでもう一度ルーブルを訪れてみたいものである。

 2日続けて興味深いテレビ作品を観ることが出来て、2017年早々何だか得をしたような気分である。

2017年1月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3521.2017年1月2日(月) イギリス人外交官による幕末外交史

 暮れの30日から新聞夕刊の配達がない。今日は朝刊も年賀状も来ない。テレビでは暮れからタレントによるエンタメ番組や、歌謡ショーが幅を利かせてあまり真剣味の溢れたニュースがない。スポーツでは、今日と明日関東大学対抗箱根駅伝と今日ラグビー大学選手権準決勝、暮れから高校ラグビー大会、高校サッカー大会が取り上げられているが、政治、経済、外交などはいまひとつ迫力が伝わって来ない。トルコで大きなテロ事件があっても1回限りの放送では忘れられてしまう。

 そんな中で元旦にひとつ興味深い番組があった。知り合いの‘The Japan Times’の川畑泰・元論説委員長から番組に出演するかも知れないと連絡をいただいた、NHK・BSの2時間番組「江戸城無血開城」である。幕末に英国公使館の日本語通訳として19歳で赴任したアーネスト・サトウが、幕府と薩摩藩の仲介役として江戸城を無血開城に導き、江戸を焼失から救ったことを史実に基づいたストーリーとしてドラマされたものである。日本史上サトウは日本語通訳として知られているが、実はそれ以上に外交官として実績を上げ、ある面で日本を救い日本の歴史を変えた人物であることを描写していた。川畑氏は番組の中でも登場してコメントされていたが、これまで寡聞にして知らなかったサトウの通訳としてだけでなく、本当の姿を知らされた。

 驚いたのは、通訳としても並外れた人物であったということである。「青い眼の志士」と自称していたサトウが編纂した三省堂の英和口語辞典には、日本人でもうっかりしがちな表現が満載されている。例えばfool=たわけ、ぬけさく、トンチキメとか、emergency=いざ鎌倉、cheap=安かろう悪かろう、のようにくだけた表現まである。こんな表現は、日本人社会に相当入り込んでないとマスターできないと思う。サトウは幕末に当時の‘The Japan Times’に度々投稿していた。彼は日本の真実の姿を海外へ紹介し、それは日本語で書かれた「策論」として今日に伝えられている。

 一例を挙げれば、「将軍を唯一の支配者とする陳腐な虚偽を捨て、日本は本当の支配者のもと、ひとつにならねばならない。日本は古より天皇の権威が強かった。その後源平によって天下は長く武家の時代となり徳川になる。つまり将軍は権限を天皇から委任されているにすぎない。真の日本のトップは天皇である」とはっきり述べている。

 江戸時代にひとりの外国人が日本に愛情を抱き、これだけ深く日本を知っていたのは驚愕すべきことである。観賞して中々味わいのあるドラマ仕立てのドキュメントだった。

 今年私は個人的にやってみたいと思っていることがある。いずれここに書き込みたいと考えている。昨年のキューバ旅行のように刺激的、かつ新鮮で心を洗われるような目的地はまだはっきり見当がついていないが、来年傘寿を迎えるので、それなりの国を訪れ、自らの過去の海外武者修行を併せ振り返って50年以上に亘る海外旅行体験をドキュメントとして整理してみたいと考えている。

2017年1月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3520.2017年1月1日(日) 新年は母校のグランドで

 澄み切った快晴の青空に祝福されるように新年を母校のグランドで迎えた。例年通り湘南ラグビー祭に参加するため、お屠蘇を飲まず車で母校湘南高校へ出かけた。自宅から40㎞、50分である。グランドでOBチームと現役チームの練習試合をしばらく観戦した。昨年県大会でベスト8に残り神奈川新聞にも称賛された現役チームの活躍ではあったが、やはり大学でプレイしているOB混成チームの方に一日の長がある。だが、新年度のチームも部員が揃い身体もしっかりしているようなので、新チームには昨年以上の活躍を期待したい。

 試合後OB会総会を終えて懇親会でお母さん方の手によるカレーライスをいただき、現役メンバーを紹介の後、前OB会長である私が、後輩たちに話をした。スピーチのポイントは2つあり、1つは若いうちに極力ひとりで海外へ出かけて世界各地でその場の出来事を臨場感で感得することを求め、そのことは人生を生き抜くうえで大切なことであるということである。もうひとつは、読書はもちろんであるが、できるだけ文章を書くことを習慣づけるように、特に日記とか、手紙を書く習慣を身に付けるようにとアドバイスをした。手紙については、仮に手紙をもらったら必ず返事を書くことと、物をいただいたらお礼状を差し上げることも当然の行為だと付け加えた。

 最年長の武智さんがお茶で乾杯の音頭をとったが、右手で高く杯を上げることを強く言っておられた。武智さんは私より1年年長であるが、やはり近頃の若者に対して日頃思うところがあるようで、彼らは握手を左手で行うことがしばしばあると言って嘆いておられた。時移り時代が変わっても、変わってはならないことがある。日本の文化などは、テレビCMの影響もあり、左手で箸を持ったり、扉が右手前である筈なのに左手前だったり、そういう文化を壊すようなことは注意しなければいけないとお互いに意気投合したところである。

 今年のラグビー祭には、これまで毎年来られていた4年先輩の時山さんが姿をお見せになられなかった。きっと体調があまりよくないのではないだろうか。近年OBの間でも亡くなる人が増えたので、ちょっと寂しく感じている。

 高校を卒業して今年60年になるが、いつまでも同じ部活をともにした仲間たちが、このような楽しく懐かしい場に参加できるのは、素晴らしいことであり嬉しいことである。3年間の高校時代に勉強ばかりでなく、部活に精一杯没入したことはその後の人生にとって大きなプラスになっていることは間違いない。

 同期生の大島くんとも来られるうちは、これからも出来るだけ来るようにしようと約束して別れた。

2017年1月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3519.2016年12月31日(土) 1年の終わりに当たって

 いよいよ大つごもりとなった。風もなく、空は晴れているが、やはり外は寒い。今日で2016年も終わりである。年々歳々国内外の政治は大きな問題を抱えるようになっている。シリア内戦による難民問題、その影響で頻発するテロ、中国の海洋進出問題、キューバ革命の指導者フィデル・カストロの死、そして今年最大の話題は何と言ってもアメリカの次期大統領にトランプ氏が選ばれたことと、イギリスのEUからの離脱である。

 一方国内的には、天皇退位問題、沖縄と政府との対立に発展したオスプレイ飛行や基地移転問題、中韓のみならずアメリカからも非難されている稲田防衛相の靖国神社参拝、2020年オリンピック開催費用負担問題、豊洲市場移転など問題が山積している。

 来年果たしてこれらの問題をどれほど解決させることができるだろうか。海外では、トランプ氏のアメリカ大統領就任後の言動が気になるし、国内では天皇の退位について、天皇のお気持ちに沿った明確な答えが出されていないことが気がかりである。そして、日本政府と沖縄県の対立がどうなるのかが気がかりである。少しでも対立の棘が取れれば良いのだが・・・・。

 さて、久しぶりに半世紀前を振り返ってみた。このころから私の武者修行人生が始まった。1966年の今日、バンコックからジャカルタへ飛んだ。夜遅くジャカルタ空港からタクシーで市内のホテルへ向かう途中、暗闇の一角に車を停めたドライバーから、半ば強制的に外貨交換をさせられたことが思い出される。私にとっては初めての海外旅行だった。ジャカルタは荒れていた。3か月前に軍事クーデターによりスカルノ大統領がスハルト中佐に実権を奪われ、翌年3月にはスカルノ大統領がその座を追われスハルト中佐が大統領に就任した。昼日中現地の強盗に襲われたり、他にも怖い経験をした。その後シンガポールへ立ち寄ってから、戦時下のサイゴンへ飛び、戦争の臨場感を知ったことが、そもそも海外武者修行にのめり込むきっかけとなった。

 爾来第3次中東戦争の戦場を歩いて戦争の臨場感を身体に感じながらスエズ運河で警察に、アンマンで軍隊に身柄を拘束されるなどやや無鉄砲と思われるような行動をやってしまった。しかし、そのお陰で内戦中のアデン(現イェメン共和国)独立後入国した最初の日本人となった。シベリア大陸を横断したり、旧樺太のサハリンを旅したり、ケニアを列車とバスで横断したり、ガダルカナルやラバウルの海底に潜ったり、度々ビルマ(現ミャンマー)を訪れたり、最近では社会主義国キューバを歩いて本物の社会主義国家というものも知った。幸い身に付けた臨場感覚を活かしてアフガンとパキスタンの国境カイバル峠で、N.Y.同時多発テロを予感したり、身体感覚、臨場感で世界的な大きな動きを予知する能力を些かなりとも身に付けたように思っている。

 あの50年前には海外をぶらぶら旅している日本人にはほとんどお目にかからず、どこでも珍しがられたものだ。それが、今では特に年末年始になると多くの日本人が海外旅行を楽しむようになった。時代は大きく変わったのだが、政治の後進性だけは相変わらずである。

 近年まったく面白みのなくなったNHK紅白歌合戦はほどほどにして、他の番組を観た。

 私自身まだまだ健康で、チャレンジャー・スピリットが衰えないうちは、前向きに進みたい気持ちを披歴して、除夜の鐘が鳴る2016年にさよならと言いたい。

 来年2017年も健康で楽しい思い出が持てるような1年でありたい。

2016年12月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3518.2016年12月30日(金) なぜかつまらない朝日の連載小説

 いよいよ今年も押し詰まってきた。今日朝日朝刊の連載小説が117回で最終回となった。芥川賞作家・金原ひとみの「クラウドガール」という現代若者風俗を描いた今風の作品である。一言で表現するなら、どうして取り立てて喜怒哀楽もなく、内容的に歴史も文化も感じられず、得るもののないストーリーを朝日が掲載する気になったのか皆目見当がつかない。元々金原は学者の家に生まれながら不登校児だったり、リストカットのせいか、学校も中途退学したように模範生徒ではなかった。彼女はその当時の屈折した実体験を思い起こしながらペンを執ったようだ。

 この「クラウドガール」という小説も、母親に自殺された、仲が良いのか悪いのか分からない姉妹のどちらかが、第一人称形式で喋っていたかと思うと、いつの間にか姉妹が入れ替わっていてストーリーを追うのに苦戦する有様である。その挙句に姉妹の内どちらが主人公か分からないままストーリーは進められていく。結末もストーリーの結論が出ぬまま何となく終わりとなるのが納得いかない。妹は高校生ながら奔放な性経験を持ち、浮気性の彼氏の他に、既婚者ともベッドを共にするような場面が度々描写され、一体全体この小説は何を表現しようとしているのか、その意図がまったく読めない。

 朝日の連載と言えば、漱石のような名だたる作品の他に、歴代「路傍の石」「痴人の愛」「土」「女の一生」「氷壁」「花押」等々数々の傑作を掲載してきた。それがどうしてこんな誰にとっても訴求力のない作品が、朝日の連載小説に採用されたのか。朝日は過去にも似たように期待外れの駄作を掲載したことがある。その時あまりの低俗な内容にとても読んでいられなくなり、途中で読むのを止めた。

 今回はこの芥川賞作家の作品をひとつぐらい読んでおこうと我慢して読み続けた。通読してみて、前向きに読むほど価値のある作品ではないように感じた。

 元旦から金原作品に続いて吉田修一による「国宝」が連載されるようだが、10年前に吉田の前作「悪人」が朝日夕刊に連載されたが、やはりあまり面白くなく途中で匙を投げた。ところが、「悪人」は単行本としても、また映画にもなり意外にもそこそこの評価を受けた。どうもこの辺りがよく分からない。従って「国宝」も折角だから読んでみようとは思っているが、あまり期待はしていない。

 新聞連載小説というのは、難しいものである。

 さて、昨日奈良に住んでいる中2生の孫娘と電話で話した。ハンドボールで奈良ジュニア選抜チームの一員に選ばれ、沖縄遠征に出かけていたが、残念ながら千葉県チームと三重県チームに負けてしまったと言っていた。まだ来年最上級生になれば、もう少し飛躍できるかも知れないと激励したところである。

 今日は、二男が明大中野高在学中に花園ラグビー場の全国高校ラグビーにリザーブながら出場したが、その後輩たちが今年はその時以来実に27年ぶりに花園に出場し、27日に1回戦で和歌山工高に勝った。今日息子は会社も休みに入ったので、孫を連れて花園へ応援に出かけたようだが、2回戦の新潟工高戦は20-14で敗れてしまった。

 まあ勝負だから仕方がない。でも若い時分に精一杯ひとつの明確な目的に立ち向かい心身を鍛えて、掛け替えのない思い出を作ることができたことは、息子の人生において大きな財産になったのではないかと思っている。

2016年12月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3517.2016年12月29日(木) 昨晩の震度6弱は東日本大震災の余震

 今年も残り少なくなった。昨日夜9時半過ぎに比較的大きな地震があった。震源地は茨城県高萩市で震度6弱ということから、一時東北新幹線と東海道新幹線も停まった。これが5年前の東日本大震災の余震というのだから、まだ大地震の影響が長引いているのかと驚くばかりである。東日本大震災後、引き続き毎年数多くの余震があったが、最近は落ち着いて国内では1年に10数回の余震に終わっていた。ところが、今年に入って東日本大震災の余震が急激に増えてその数も36回になるという。その最大のものが、4月に起きた熊本大地震である。いずれにせよ地震大国の日本ではこれからも常に地震襲来に備えなければいけないことは、宿命とは言え何とも言えず腹立たしい限りである。

 さて、クリスマスはすでに過ぎ去ったが、クリスマスがやって来るとテレビで聴こえてくる名曲に、シューベルト、グノー、カッチーニ作曲のそれぞれの♪アヴェ・マリア♪がある。その内、カッチーニ作曲の♪アヴェ・マリア♪が実はカッチーニの曲ではないということをNHK放映の「ららら・クラシック」で知って、内心驚天動地の心境である。あまりにも有名な曲なので、今更他人が作曲したものだと知ってもどうにも釈然としない。しかもこの曲はそんなに古くない、同時代人と言ってもおかしくないロシア人作曲家ウラディーミル・ヴァヴィロフ(1925~73)が作曲したものだったとは、知っている人にとってはともかく、初耳の私にとってはその事実は驚くべきニュースだった。こういう稀なる裏話が表沙汰になるまでには、この中世の情緒漂う名曲にもいろいろ隠された事情があったようだが、それにしてもカッチーニはよくぞ今日まで網の目を掻い潜ってきたものだと、ある面で感嘆するばかりである。

 ところでまったく人騒がせな大臣である。その人とは、昨日の本ブログで名前を挙げた、政治音痴の稲田朋美・防衛相である。昨日安倍首相に同行し、ハワイの真珠湾で慰霊式典に出席していたが、帰国するや時を置かずに靖国神社へ参拝に向かった。現役の防衛相が靖国を参拝したのは、2002年以来のことである。どうしてこの人は日中韓に淀んでいる空気を読めないのだろうか。いくら個人的な考えを言ったところで、これを受けた中国や韓国が黙っているはずがない。果たして、それぞれのスポークスマンが厳しく批判した。予め防衛相の靖国参拝を知らされていた首相は、なぜこの防衛相の行為を止められなかったのだろうか。自民党内部にも、余計なトラブルを引き起こすことを懸念する声が上がっている。防衛相も防衛相なら、首相も首相で、2人とも同罪である。この外交音痴ではまだこれから先も他にも事件の種を抱えているようなものである。

2016年12月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3516.2016年12月28日(水) 安倍首相とオバマ大統領、真珠湾犠牲者を慰霊

 ハワイを訪問中の安倍首相は、今朝オバマ大統領と最後の首脳会談の後、真珠湾にある追悼施設「アリゾナ記念館」を訪れ戦没者の霊を慰めた。旧日本海軍機の奇襲攻撃により亡くなったアメリカ人犠牲者の数は、1,177人と言われ、まだ戦艦内に収容されないままの遺体が約900体もあるそうだ。

 首相の演説骨子は、①犠牲者へ哀悼の誠を捧げる、②不戦の決意、③日米同盟は希望の同盟、④日米を結び付けたのは寛容の心と和解の力である、というものである。言わんとすることは一応理解できる。謝罪という言葉を使うことは、犠牲者遺族や元兵士に不本意な誤解を与えかねないとの配慮があって避けられたのではないかと思う。ただ、安倍首相の言動は、いつもその場限りの当たり障りのない言い方のように思えて仕方がない。

 例えば、この場で「寛容」と「和解」を述べるのは好いとしても、それなら沖縄でどうして同じ日本人である沖縄県民にその気持ちを素直に行動として表すことができないのか。いま国と沖縄県との対立が少しずつ深まり、話し合いの空気が消えてしまった。抜き差しならない事態になってしまうことを恐れる。政府にしてみれば、翁長知事を始め沖縄県民は、いつも政府の考えに反対ばかりしていると考えているのかも知れないが、政府にも沖縄県民の気持ちを斟酌しようとの気持ちが感じられず、県民の意見より米軍の意見を丸のみしようとしている印象がしてならない。裁判所が認めたので、知事の意向に反して米軍辺野古基地移転のための工事を再開するというが、県民の意思に逆らって工事を何が何でも強行しようとの意図が感じられる。これでは県民不在ではないかと思う。つい最近もオスプレイが墜落して県民が安全性について神経質になっている折にも拘わらず、県民の反対を押し切ってオスプレイの再飛行を簡単に認めたり、辺野古基地移転工事を始めようとしている。稲田朋美・防衛大臣の舌足らずの拙い対応も沖縄県民の怒りを買う原因となっている。

 真珠湾で被害を与えた旧日本軍の行為で、寛容と和解を言うなら、安倍首相はもっと沖縄県民に温かい「寛容」の気持ちを持つようでないと県民の感情を「和解」させるのは、一筋縄ではいかないのではないだろうか。結局沖縄で米軍が絡む問題では、現状政府と沖縄県民の気持ちは乖離する一方である。

2016年12月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3515.2016年12月27日(火) 安倍首相、太平洋戦争開戦の現地・真珠湾へ

 安倍晋三首相が日本時間の今朝ホノルルへ到着した。明日真珠湾攻撃に肖った追悼施設「アリゾナ記念館」で行われるオバマ大統領との戦没者合同慰霊祭へ出席するためである。今日は国立太平洋記念墓地と日本人墓地、そして5年前愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」沈没事故現場を巡り献花して慰霊した。

 安倍首相が太平洋戦争勃発の原因となった真珠湾攻撃の現場を慰霊訪問するのは、残り任期が少なくなったオバマ大統領と最後の首脳会談を行うことが目的であるが、真珠湾で戦没者を慰霊するということが、日米両国の一部に疑問を投げかけている。日本には、アメリカ人の要求に応えたアメリカ人戦没者に対する謝罪ではないかとの声がある。一方でそれなら10万人もの一般市民を殺戮した広島や長崎の原爆犠牲者に対するオバマ大統領の謝罪も必要ではないかとの声がある。

 安倍首相は、そこでは謝罪するのではなく、慰霊をするのだと強調している。かつて、キューバのフィデル・カストロは、日本の真珠湾における先制攻撃を非難していた。それが、実際に広島を訪れその惨禍を目の当たりにしてあまりの残虐さに言葉を失い、その後は一貫してアメリカは日本に対して謝罪すべきであると主張していた。今年5月オバマ大統領が広島を訪れ原爆犠牲者の慰霊碑に詣でて慰霊の気持ちを表した。だが、オバマ大統領の口から謝罪の言葉は聞かれなかった。このことをカストロは強く批判していた。

 日米にとって謝罪云々ということは極めて微妙な問題で、あまり立ち入りたくない話のようだ。それは、戦後日本人現職首相が真珠湾を訪問し、慰霊したことが、日本の外務省でもはっきり確認できないことからも想像がつく。過去に吉田茂首相、鳩山一郎首相らが慰霊のために訪れたことがあると一部に伝えられているが、その信憑性に疑わしいところもあり、外務省としてはあまり突っ込んで聞いて欲しくない話題のようだ。

 それにしても一国の首相が訪問したかどうかもはっきりしないようでは、外務省の記録管理システムに疑問を持たれてもおかしくない。

2016年12月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3514.2016年12月26日(月) 年賀状を書く習慣

 一昨日までに年賀状をほぼ投函した。まだ追加で書くこともあると思うが、これまで530枚ほど書いた。ご不幸があって年賀状欠礼のご挨拶状をいただいた方が、例年よりやや多く36人もおられたうえに、来年以降年賀状の交換を取り止めたいという人もおられたので、全体として投函した年賀状の枚数は昨年より減った。

 欧米のクリスマス・カードはどうなのか知らないが、日本古来の風物詩である正月の年賀状交換が年々減っているのは少々寂しい気がする。日本郵政もあの手この手で挽回作戦を試みているようだ。

 来年以降辞退の意向をいただいた人の中に、京都の中学校恩師がおられる。私よりちょうど10歳年長の筈だから今年米寿を迎えられたと思っている。先生も枚数が多いと1枚1枚書くのは大変だったと思う。今ではパソコンで作成し、相手の住所までPCでプリントしてしまえば、楽であるのは間違いない。ただ、私はどうしても手紙やハガキにこだわりがあり、枚数が多いので文面はPCで2~3種ほど作成するが、住所や名前はどうしても手書きで、それも万年筆で書かないと気持ちがすっきりしない。そして相手の顔を思い浮かべて、時折年賀状に添え書きをする。これは普段から手紙を書くことに比較的前向きだからだと勝手に思っているし、昔から海外に出かけた場合でも割合筆まめな習慣から頻繁に友人や顧客に絵葉書を書いて送っていた。実際現役時代には、絵葉書を書くことによって顧客を取り込むことができたケースも度々あった。

 実は、元旦に母校の湘南ラグビー祭で後輩たち、特に来春卒業する部員に進学してから学生時代にやっておくべきことを2点ほど話す予定でいる。ひとつは、若いときにひとりで積極的に海外へ出かける機会を作ることであり、もうひとつは、普段から文章を書く習慣を身に付けること、特に手紙を書くことに後ろ向きにならないことをいろいろな例を挙げて話そうと考えている。嫌な顔をする後輩もいるかも知れないが、そうでもしないとプレゼントをもらってもお礼状ひとつ書けない子がかなりいて、社会人になってから苦労することは間違いないと思うからである。

 年寄りの冷や水と言われかねないが、若い内だからこそできる特権である海外武者修行とか、学生時代に基礎として文章を書くという習慣だけは、その人にとって財産になることでもあり、何とか意のあるところを分かってもらえるよう伝えたいと思っている。

 それにしても年賀状はいつになっても懐かしく、心温まる日本的文化だと思っている。

 さて、今夕は例年通り下北沢で牡蠣を食する忘年会があった。大学のゼミは解散したとは言え、まだ同窓会の絆は強い。自由に語り合う集まりは、夏、冬のコンサートとこの忘年会だけで3回もある。年々この会は楽しくなってくる。

 今日は僭越ながら拙稿「いまキューバが熱い」を掲載した「知研フォーラム」を参加した10名に差し上げて、またひとくさりキューバについて喋った。

 今日の朝日朝刊に、キューバ革命に参加し、若くして処刑された日系ボリビア人医師フレディ・マエムラの映画「エルネスト」製作に関する記事が掲載されていた。マエムラの遺骨はキューバのサンタクララにゲバラの遺骨とともに葬られているという。映画は来秋マエムラ没後50年を記念して公開されるようだ。日本ではあまり知られていない革命戦士フレディ・マエムラだが、キューバと母国ボリビアのために志半ばで逝った日系人が映画化されることは大いなる楽しみである。

2016年12月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com