ハワイを訪問中の安倍首相は、今朝オバマ大統領と最後の首脳会談の後、真珠湾にある追悼施設「アリゾナ記念館」を訪れ戦没者の霊を慰めた。旧日本海軍機の奇襲攻撃により亡くなったアメリカ人犠牲者の数は、1,177人と言われ、まだ戦艦内に収容されないままの遺体が約900体もあるそうだ。
首相の演説骨子は、①犠牲者へ哀悼の誠を捧げる、②不戦の決意、③日米同盟は希望の同盟、④日米を結び付けたのは寛容の心と和解の力である、というものである。言わんとすることは一応理解できる。謝罪という言葉を使うことは、犠牲者遺族や元兵士に不本意な誤解を与えかねないとの配慮があって避けられたのではないかと思う。ただ、安倍首相の言動は、いつもその場限りの当たり障りのない言い方のように思えて仕方がない。
例えば、この場で「寛容」と「和解」を述べるのは好いとしても、それなら沖縄でどうして同じ日本人である沖縄県民にその気持ちを素直に行動として表すことができないのか。いま国と沖縄県との対立が少しずつ深まり、話し合いの空気が消えてしまった。抜き差しならない事態になってしまうことを恐れる。政府にしてみれば、翁長知事を始め沖縄県民は、いつも政府の考えに反対ばかりしていると考えているのかも知れないが、政府にも沖縄県民の気持ちを斟酌しようとの気持ちが感じられず、県民の意見より米軍の意見を丸のみしようとしている印象がしてならない。裁判所が認めたので、知事の意向に反して米軍辺野古基地移転のための工事を再開するというが、県民の意思に逆らって工事を何が何でも強行しようとの意図が感じられる。これでは県民不在ではないかと思う。つい最近もオスプレイが墜落して県民が安全性について神経質になっている折にも拘わらず、県民の反対を押し切ってオスプレイの再飛行を簡単に認めたり、辺野古基地移転工事を始めようとしている。稲田朋美・防衛大臣の舌足らずの拙い対応も沖縄県民の怒りを買う原因となっている。
真珠湾で被害を与えた旧日本軍の行為で、寛容と和解を言うなら、安倍首相はもっと沖縄県民に温かい「寛容」の気持ちを持つようでないと県民の感情を「和解」させるのは、一筋縄ではいかないのではないだろうか。結局沖縄で米軍が絡む問題では、現状政府と沖縄県民の気持ちは乖離する一方である。