いよいよ今年も押し詰まってきた。今日朝日朝刊の連載小説が117回で最終回となった。芥川賞作家・金原ひとみの「クラウドガール」という現代若者風俗を描いた今風の作品である。一言で表現するなら、どうして取り立てて喜怒哀楽もなく、内容的に歴史も文化も感じられず、得るもののないストーリーを朝日が掲載する気になったのか皆目見当がつかない。元々金原は学者の家に生まれながら不登校児だったり、リストカットのせいか、学校も中途退学したように模範生徒ではなかった。彼女はその当時の屈折した実体験を思い起こしながらペンを執ったようだ。
この「クラウドガール」という小説も、母親に自殺された、仲が良いのか悪いのか分からない姉妹のどちらかが、第一人称形式で喋っていたかと思うと、いつの間にか姉妹が入れ替わっていてストーリーを追うのに苦戦する有様である。その挙句に姉妹の内どちらが主人公か分からないままストーリーは進められていく。結末もストーリーの結論が出ぬまま何となく終わりとなるのが納得いかない。妹は高校生ながら奔放な性経験を持ち、浮気性の彼氏の他に、既婚者ともベッドを共にするような場面が度々描写され、一体全体この小説は何を表現しようとしているのか、その意図がまったく読めない。
朝日の連載と言えば、漱石のような名だたる作品の他に、歴代「路傍の石」「痴人の愛」「土」「女の一生」「氷壁」「花押」等々数々の傑作を掲載してきた。それがどうしてこんな誰にとっても訴求力のない作品が、朝日の連載小説に採用されたのか。朝日は過去にも似たように期待外れの駄作を掲載したことがある。その時あまりの低俗な内容にとても読んでいられなくなり、途中で読むのを止めた。
今回はこの芥川賞作家の作品をひとつぐらい読んでおこうと我慢して読み続けた。通読してみて、前向きに読むほど価値のある作品ではないように感じた。
元旦から金原作品に続いて吉田修一による「国宝」が連載されるようだが、10年前に吉田の前作「悪人」が朝日夕刊に連載されたが、やはりあまり面白くなく途中で匙を投げた。ところが、「悪人」は単行本としても、また映画にもなり意外にもそこそこの評価を受けた。どうもこの辺りがよく分からない。従って「国宝」も折角だから読んでみようとは思っているが、あまり期待はしていない。
新聞連載小説というのは、難しいものである。
さて、昨日奈良に住んでいる中2生の孫娘と電話で話した。ハンドボールで奈良ジュニア選抜チームの一員に選ばれ、沖縄遠征に出かけていたが、残念ながら千葉県チームと三重県チームに負けてしまったと言っていた。まだ来年最上級生になれば、もう少し飛躍できるかも知れないと激励したところである。
今日は、二男が明大中野高在学中に花園ラグビー場の全国高校ラグビーにリザーブながら出場したが、その後輩たちが今年はその時以来実に27年ぶりに花園に出場し、27日に1回戦で和歌山工高に勝った。今日息子は会社も休みに入ったので、孫を連れて花園へ応援に出かけたようだが、2回戦の新潟工高戦は20-14で敗れてしまった。
まあ勝負だから仕方がない。でも若い時分に精一杯ひとつの明確な目的に立ち向かい心身を鍛えて、掛け替えのない思い出を作ることができたことは、息子の人生において大きな財産になったのではないかと思っている。