3514.2016年12月26日(月) 年賀状を書く習慣

 一昨日までに年賀状をほぼ投函した。まだ追加で書くこともあると思うが、これまで530枚ほど書いた。ご不幸があって年賀状欠礼のご挨拶状をいただいた方が、例年よりやや多く36人もおられたうえに、来年以降年賀状の交換を取り止めたいという人もおられたので、全体として投函した年賀状の枚数は昨年より減った。

 欧米のクリスマス・カードはどうなのか知らないが、日本古来の風物詩である正月の年賀状交換が年々減っているのは少々寂しい気がする。日本郵政もあの手この手で挽回作戦を試みているようだ。

 来年以降辞退の意向をいただいた人の中に、京都の中学校恩師がおられる。私よりちょうど10歳年長の筈だから今年米寿を迎えられたと思っている。先生も枚数が多いと1枚1枚書くのは大変だったと思う。今ではパソコンで作成し、相手の住所までPCでプリントしてしまえば、楽であるのは間違いない。ただ、私はどうしても手紙やハガキにこだわりがあり、枚数が多いので文面はPCで2~3種ほど作成するが、住所や名前はどうしても手書きで、それも万年筆で書かないと気持ちがすっきりしない。そして相手の顔を思い浮かべて、時折年賀状に添え書きをする。これは普段から手紙を書くことに比較的前向きだからだと勝手に思っているし、昔から海外に出かけた場合でも割合筆まめな習慣から頻繁に友人や顧客に絵葉書を書いて送っていた。実際現役時代には、絵葉書を書くことによって顧客を取り込むことができたケースも度々あった。

 実は、元旦に母校の湘南ラグビー祭で後輩たち、特に来春卒業する部員に進学してから学生時代にやっておくべきことを2点ほど話す予定でいる。ひとつは、若いときにひとりで積極的に海外へ出かける機会を作ることであり、もうひとつは、普段から文章を書く習慣を身に付けること、特に手紙を書くことに後ろ向きにならないことをいろいろな例を挙げて話そうと考えている。嫌な顔をする後輩もいるかも知れないが、そうでもしないとプレゼントをもらってもお礼状ひとつ書けない子がかなりいて、社会人になってから苦労することは間違いないと思うからである。

 年寄りの冷や水と言われかねないが、若い内だからこそできる特権である海外武者修行とか、学生時代に基礎として文章を書くという習慣だけは、その人にとって財産になることでもあり、何とか意のあるところを分かってもらえるよう伝えたいと思っている。

 それにしても年賀状はいつになっても懐かしく、心温まる日本的文化だと思っている。

 さて、今夕は例年通り下北沢で牡蠣を食する忘年会があった。大学のゼミは解散したとは言え、まだ同窓会の絆は強い。自由に語り合う集まりは、夏、冬のコンサートとこの忘年会だけで3回もある。年々この会は楽しくなってくる。

 今日は僭越ながら拙稿「いまキューバが熱い」を掲載した「知研フォーラム」を参加した10名に差し上げて、またひとくさりキューバについて喋った。

 今日の朝日朝刊に、キューバ革命に参加し、若くして処刑された日系ボリビア人医師フレディ・マエムラの映画「エルネスト」製作に関する記事が掲載されていた。マエムラの遺骨はキューバのサンタクララにゲバラの遺骨とともに葬られているという。映画は来秋マエムラ没後50年を記念して公開されるようだ。日本ではあまり知られていない革命戦士フレディ・マエムラだが、キューバと母国ボリビアのために志半ばで逝った日系人が映画化されることは大いなる楽しみである。

2016年12月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com