2028.2012年12月1日(土) 大ウソツキの新党代表者・嘉田由紀子知事

 毎年1度だけ講義を引き受けている東京交通短期大学の「特別教養講座」で、今日「海外ひとり旅のすすめ」と題してパワーポイントを使用しながら、1時間40分間学生相手に私のひとり旅体験をベースにした講義を行った。臨場感、現場に行かないジャーナリスト、大事件の予知、現場体験で培われる勘、読書のすすめ、手紙と日記を書く習慣をつけること、等々について持論を話した。

 担当の桑原賢二助教がかつて私の下で働いていてくれた関係もあり、遠慮なくスムーズに打ち合わせすることができるので助かる。松岡弘樹副学長も交えて就職問題を話し合ったが、同短大では学生が交通関係企業への就職に拘る傾向があるので、採用数も減りつつある鉄道会社などの事情を考えると、全般的に就職が年々厳しくなってきたと実態を話していただいた。

 そういう厳しい就職環境の中にある学生を対象に、思い切って海外へ武者修行してみろと薦めてもどれほどの効果があるかは分からないが、例え少なくとも若いうちにどんどん海外へ出かけ、外国人の考えを直に知ることは将来的にも決して無駄ではない。若者には少しでもそういう事情を分ってくれて海外へ出かけ、多くのことを掴み取って欲しい。

 さて、昨日は外出していたので残念ながら総選挙を前に、開かれた11党による党首討論会をテレビで観ることはできなかった。雨後の筍のように乱立した政党が、既成政党に対してどれだけ自らの公約を主張して独自性を訴えることができるか関心を持っていたが、朝令暮改のように主張がころころ変わるので些か戸惑いを覚えるほどである。

 今日一番がっかりしたのは、発足したばかりの「日本未来の党」の嘉田由紀子代表の発言である。これまで嘉田代表は脱原発という以上に卒原発を主張していた。当初は原発再稼動を認めない立場から協調していたと思っていたところ、その後「日本維新の会」の橋下副代表と袂を分ったのはそもそも脱原発に対する考え方に大きな違いを感じたからである。嘉田代表は断固原発再稼動に断固反対の立場にいると思っていた。事実昨日の党首討論では、「大地を汚し、ふるさとを奪う原発から卒業する。10年後までの卒業を目指す」とまで述べていた。しかも「日本未来の党」副代表は原発再稼動に終始反対してきた、環境エネルギー政策研究所所長である飯田哲也氏である。

 しかるに今日午前テレビの嘉田代表の発言は、「原子力規制委員会が安全性を担保し、必要という判断を政府がした場合には再稼動になる」とこれまでの主張を180度ひっくり返してしまったのである。はっきり言って、今日嘉田代表は国民に対して大きな嘘をついたことになる。よくもまあこんな嘘をテレビで国民に向かって平気で言えるものである。これまで学者らしく誠実に知事職をこなしてきたと考えていたが、いざとなればこんな裏切り行為を堂々と行う人間なのだということを世間に暴露した。

 これほど1日で国民を騙した人はあまりいないのではないだろうか。大人しく、実直そうな雰囲気を漂わせていながら、やることはヤクザも顔負けではないか。「日本未来の党」なんてとても信用できない。

2012年12月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2027.2012年11月30日(金) 山崎洋さんの講演を聞く。

 日本セルビア交流130周年記念行事「日本とセルビアの交流についての講演会」が、日本セルビア協会主催・在日セルビア共和国大使館後援により学習院女子大で開催された。ゲスト・スピーカーは山崎洋さんだ。先週渋谷で会った時、ぜひ出席するよう依頼されたので、ゼミの仲間3人と高田馬場駅で待ち合わせ、初めて学習院女子大へ向かった。暗くなったので、キャンパスの情景はよく分からなかったが、それでも女子大としては中々良い環境で、建物も新しい。

 山崎さんに先立ち日本セルビア協会会長で三井物産戦略研究所特別顧問の都甲岳洋・元ロシア大使が15分間前座講演を行った。都甲氏は元外交官らしく日本とセルビアの公式外交関係について歴史を遡って話された。1882年3月10日ミラン一世オブレノヴィッチ王が明治天皇に書簡を出し、明治天皇から返書が届いたことで国交が始まった。あまり知られていないが、2007年今上天皇誕生日を祝して、セルビアで「初日」と題された記念切手と封筒が発売されたことについても話された。

 山崎さんの講演テーマは「私の日本・セルビア文化交流史」で、大学卒業後渡った旧ユーゴにおける翻訳家人生と父・ブーケリッチ氏のポリティカ紙への送稿文をユーモアたっぷりに解説してくれた。特に、翻訳家として先輩の故田中一生氏について述べたことが印象的だった。山崎さんは田中氏との共訳著書が多い。田中氏の人間性、能力、心構えなどに惹きつけられたと敬愛の念を込めて語っていた。今岩波文庫で発行するべく話を進めているセルビアの抒情詩人ニェゴシュの著書「山の花環」について、生前田中氏に文庫本として上梓すると約束したと話していたが、山崎さんが岩波文庫本に拘っていた気持ちが何となく分ったような気がした。

 9日に西国分寺でコンサートを開くセルビア在住のヴァイオリニスト豊嶋めぐみさんも会場へ来られて、山崎さんから紹介された。

2012年11月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2026.2012年11月29日(木) 徐々に高まってきた選挙ムード

 一昨日新党「日本未来の党」が結成されたが、これは「卒原発」とか「脱原発」とか、要するに原発稼動をやめるということを「錦の御旗」に、この指止まれとばかりに第三極を結集しようとのひとつのプロパガンダ的動きである。そこへ最近存在感が薄くなっていた「国民の生活が第一」が積極的に合流し、他にも「脱原発」の一点で合流を模索している集団がある。

 来月4日の総選挙告示を控えて慌しい動きであるが、あまりにも短兵急にことを進めている様子から察するに、「日本未来の党」嘉田代表も表向きは、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表を役職に就けないと語っているが、果たしてどうだろうか。党内で圧倒的な勢力を占め、百戦錬磨で選挙上手の小沢氏をないがしろにする形で総選挙も党内結束も順調に行くのだろうか。現時点ではともかく、総選挙後に波風を立てずにうまく話し合って行けるのだろうか。今のところ小沢氏は沈黙を守っているが、小沢氏周辺はいずれ出番が来るだろうから、それまで出過ぎた行動を差し控えていようとの自制があるのではないかと勘ぐらざるを得ないところだ。これから他のグループの合流も考えると、あと半月の間に合従連合、付和雷同などが激しくなり、今までとは少し違った選挙戦になるような気がしている。

 それにしてもひとつ気になっていることがある。今度の嘉田滋賀県知事ばかりでなく、橋下大阪市長、松井大阪府知事など、都知事を辞めた石原氏は別にして現職の地方自治体の長が、総選挙の台風の目になっているが、全国に遊説に走って本職の首長の業務は大丈夫なのか気になるところである。

 今朝の日経紙の世論調査によると、支持政党ではトップは自民党23%、次いで「日本維新の会」15%、民主党は三番人気で13%だそうだ。まだできたばかりで不安定な「日本未来の党」は、旧世帯の集団を集めると5%ほどになり、公明党とみんなの党のそれぞれ4%を追い抜くことになり、このまま伸びれば声強き党になるのではないだろうか。それにしても、「脱原発」だけでは投票しようにも判断材料が少なすぎるのではないかと思う。

 今日総選挙と同じ投票日の東京都知事選が告示された。都知事選も多くの候補者が立ち、選挙戦がどうなるのかちょっと判断がつかない。石原前都知事の辞任があまりにも唐突だったため、候補者自身も心の準備ができていなかったようだ。こちらは国政と違って争点は新銀行東京の扱い、五輪招致、行政改革などだが、東京も予算規模としては韓国やノルウェイに匹敵する規模で、それがため両国の大統領と同じ権限を持っていると勘違いする御仁がいるようだ。

 今度の知事選では、これまでの石原前知事が80歳という高齢だったせいもあろうが、9人の候補者がややお歳を召していることが、厳しい問題を抱える都政を担っていくうえでかなり健康上の負担になるのではないかとの心配がある。3人の高齢候補、84歳の中松義郎氏を筆頭に、77歳の笹川尭氏、76歳の元ネパール大使・吉田重信氏、そして伯仲するであろう猪瀬直樹・元副知事66歳、弁護士・宇都宮健児氏66歳、松沢成文・前神奈川県知事54歳の有力3候補と、3人の泡沫候補、81歳、64歳と46歳で、平均何と68.2歳である。在職中に70歳を超える。激職の割りには、少々年老いていないだろうか。

 ちょうどこのブログを書いていた夜9時少し前、総選挙に関して投票行動のアンケート調査に協力を求める電話があった。地元選挙区の候補者名、比例代表区の党名、投票に行くか行かないか、年齢・性別などについて録音による無機質な協力要請だった。まだ考えがまとまっていない中で多少中途半端に応えてしまったかも知れない。

 これから選挙ムードが高まってくるにつれて世間も騒然としてくるだろう。しかし、これは一国民として受け止め、応えなければならないことだと思う。

2012年11月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2025.2012年11月28日(水) 永山事件に隠された複雑な事情

 今日駒沢大で今年度最終回の講義に出席した。いつも清田義昭講師が精選される社会的問題作品のビデオを鑑賞するが、今日鑑賞したのはNHK教育テレビの「永山則夫100時間の告白」で、副題として「封印された精神鑑定の真実」が付されていた。1時間半もので、80分の授業では時間不足なので、いつもより早めにスタートさせたいとの清田講師の考えもあり、普段より早く出かけた。

 永山則夫とは昭和43年に世間を恐怖に陥れたあの連続殺人犯である。何の縁もない4人の市民を殺害した少年死刑囚として世間を騒がせた、連続殺人事件犯人・永山則夫の精神鑑定書を書いた石川義博・精神科医師が、犯人とのけれんみのない会話を録音した49巻・100時間の記録のダイジェストである。今まで寡聞にして知らなかった内容だった。石川医師が犯人永山に面会して長きに亘って録音すると同時に、永山の母親からも話を聞いて複雑で壊れた家庭環境、肉親の愛情に恵まれなかった少年時代を描くことによって、犯罪に走った永山の暴走ぶりを許容せざるを得ない気持ちにさせる作品である。

 問題となったのは、ひとつに裁判で精神鑑定書が採用されず、また最後には同鑑定書に石川医師が指摘した永山の大人として成熟していない点を永山自身が他人事のように述べたことである。また、医師が正常な家庭環境ならこのような事態にならなかったと指摘したことに対して、検事が家庭がダメでもまともに成長した人間はいくらでもいると論告の中で述べたが、永山の場合、両親が不仲で、幼少時に面倒をみてくれた長姉は精神病院へ入退院を繰り返して若くして亡くなったり、高校生の時女性を孕ませた早熟な長兄、次兄とも警察のお世話になって若くして世を去っている家庭環境からすれば、医師の指摘は至極的を射ている。その裁判の結果を左右する場で重要資料の精神鑑定書が採用されなかったことが、後々まで司法の在り方に問題を残したのではないか。

 4人を殺害したとは言え、当時永山はまだ少年だった。その点で罪が軽減されることはないが、1審で死刑判決を受け、2審で無期、最高裁で再び死刑となった難しい裁判だっただけに、重要な要素を含んだ石川医師の精神鑑定書が採用されなかったことはやや疑問を残したと思う。

 救いは、永山が死刑を望んでいたかのような死生観から、一旦は永山に裏切られたと感じた石川医師が、実は永山が医師の指摘を充分理解していたことを永山の鑑定書に書き込まれたメモから汲み取って石川医師も納得したことであり、永山の最後の写真が意外に安らかで良い笑顔だったことである。

 いずれにせよ昭和43年永山が犯した連続殺人事件は、その当時世間に強い衝撃を与えた。今もって司法の場で反省を含めて多くの問題を提起しているのは、いかにも特異な事件であり、特異な犯人によって引き起こされたからだということをつくづく感じさせられる。

2012年11月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2024.2012年 11月27日(火) 終戦翌日の讀賣新聞「社説」

 今年の駒沢大の公開講座も今週が最後だが、今日は2つの講座を合体してそれぞれ担当の菱山郁朗講師と片山正彦講師が代わる代わる交替して講師を務め、現在日本が抱える大きな問題として挙げられている、憲法改正、原発、中国問題などについて受講者の意見や考えを聞きながら授業を進めるスタイルを採った。僭越ではあったが、私も60年安保闘争に参加した忸怩たる経験から感じ取った考えとして、現行憲法に対する一般的な理解の現状と、憲法と安保条約の関係などを話し、改憲に反対する持論を述べさせてもらった。

 冒頭菱山郁朗講師が資料を配布してくれた。終戦翌日・8月16日付「讀賣報知新聞」だった。当時の新聞は裏表の1枚紙だったと思うが、その一面に「鈴木内閣総辞職」「阿南陸相自刃」「休戦協定連合軍代表マッカーサー指名」等々の鮮烈な歴史的トピックスが掲載されている。更に社説には「気力を新たにせよ」と題した一文が載っている。当時の讀賣新聞論説委員で、何と菱山講師のご尊父が書かれたものである。以前話には伺っていたが、このような玉稿を手にして興奮すら覚えた。菱山講師もこのような名文を書かれた父上を尊敬されていると話されていたが、最も心を打たれたのは、敗戦が決まってからほとんど時間的余裕がない中で、翌日の朝刊に敗戦の現実と今後の日本の歩むべき道筋、そして日本人が再起するために、政治の安定と若返りについて書き、提言していることである。

 予想もしなかった現実に、慟哭し悲憤痛憤した中で狂騒にかられることなく、何を置いても堪忍が大切だと切々と訴えている。筆者の心中を思うと切ないものがある。

 終戦でしゅんとなった当時の日本国民の惨めな気持ちを思い、日本の再生を誓った国民心情を考え、改めてこの新聞に目を通すと今の日本人は当時の人々の気持ちを忘れてしまったような印象を受ける。その意味では、このような当時の新聞記事を精読することによって歴史を学び、未来観を育み、しっかりした日本観と自己思想を構築することができるのではないかと考えた。学生たちに対しても昔の新聞を何度も読み返して、当時の人々の心情を斟酌するような研修の仕方を考えてみてはどうだろうか。

 さて、今日の授業の中でさわりとして述べておられた政界第三極の一分が、また大きく動き出した。嘉田由紀子・滋賀県知事が「日本未来の党」を立ち上げると発表した。第三極の中でも「日本維新の会」と脱原発構想で相容れなかったために、「脱原発」を旗印に新たな仕掛けを行ったのである。夜になって早速小沢一郎氏が代表を務める「国民の生活が第一」が合流を決断した。更に毀誉褒貶の激しい「脱減税党」も合流を視野に入れているようだ。まだまだ一波乱も二波乱もありそうで、当分目が離せそうにない。

2012年11月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2023.2012年11月26日(月) 「ぺンの日」にドナルド・キーンさんの楽しいお話

 今日は「ペンの日」である。昭和10年の今日日本ペンクラブが発足した。朝からの雨模様が午後に入って段々激しくなり、夕方「ペンの日」懇親会場の東京会館へ出かける頃には、本降りとなってきた。キャンセルする人も出るのではないかと心配していたが、幸いにも500人近い会員、同伴者が出席していたのではないかと思う。いつもの会場より広い9階の大宴会場に多くの人が集まった。顔見知りの人も多い。開会前に小中陽太郎さんから先日送っていただいたご著書「翔べよ源内」が、面白かったと感想をお話したところ、得たりと「面白いでしょう」と自信たっぷりの様子だった。手応えを感じておられるのではないだろうか。源内に肖って数日前にも長崎に行かれたという。

 序に現在取りかかったばかりのドキュメント「トラック島の日系大酋長の大和魂」について、私自身の第一人称で書くべきか、大酋長を主人公に仕立てて私を別名で第三人称スタイルで書くべきか、悩みをお話しして結局後者で書いてみようということに落ち着いた。

 さて、「ペンの日」懇親会は、会場の照明を消した中で、松尾けいさんと仰る女性篠笛奏者が平安衣装を装いながら篠笛を奏でて古式ゆかしく登場された。その後浅田次郎会長の挨拶に続いて、ゲスト・スピーカーには日本国籍を獲得した日本文学者ドナルド・キーンさんが15分間壇上で椅子に座りながら話された。

 今年90歳になられるキーンさんは、日本文学との関わりを自身の体験を含めて話された。日本文学に造詣の深いキーンさんでも初めて日本文学に接したのは、1940年18歳の時「源氏物語」に出会った時で、その後戦争となり、外国で日本文学の存在を知ったのは戦後になってからだった。その当時英訳書は火野葦平の「月と兵隊」ただ一冊だけだったそうである。

 57年前初めて日本で開かれた国際ペン大会に出席した時のエピソードもいくつか話された。9月で台風シーズンだったために、外国人の参加者の中には建物の崩壊を心配する人もいたが、キーンさんは世界で最も古い木造建築物(法隆寺)が現存するくらいだから大丈夫だと話した裏話をユーモアを交えて話された。 

 今までにも20歳代、30歳代それぞれに幸せと感じるところがあったが、90歳となり日本人になった今が一番幸せだと、元気の良いところを見せておられた。とにかく前向きな方だと感動すら憶えた。少しでも肖りたいと思う。素晴らしい話を直に聞けて短い間だったが充実した時を過ごすことができた。

2012年11月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2022.2012年11月25日(日) 第3極政党を頼りにしても良いのか。

 19日民主党を離党した山田正彦・元農水相と、国民新党を離党した亀井静香・元党代表が結成した長たらしい名前の新党「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」が、発足僅か2日にして実態として自然消滅、そして形式的にはその翌日河村たかし名古屋市長が代表を務める「減税日本」と合併という「離れ業」をやってのけた。たった2日で作った党を簡単につぶしてしまう。あまりにも節操に欠けるのではないか。この長たらしい党名を省略した仮称「反TPP党」も「反減税党」と変えてしまった。「反TPP党」には当然ながら設立趣意書というのがあった。第三極政党のひとつとして、どんな立派なことを掲げているのか、HPから拾ってみた。

 「昨年の東日本大震災以降全ての国民が日本の狭い国土の中で果たして安全に暮らしていけるのだろうか、又この国の繁栄を守り子孫に引き継ぎ存続させていくことができるのかとの危機感を共有しました。しかるに政治は各政党間の我欲を律することができず長らく停滞し、すっかり国民の信頼を失ってしまいました。この上、国民と国土を守る政策が置き忘れられ、政治家の都合で国民不在の政治が行われることは断固として看過できません。

 我々は先ず現在の国民にとって緊急の課題である、「反TPP・脱原発・消費増税凍結」を掲げ、国民と国土を守るために決起します。

 上記の政策課題と共に下記綱領を掲げる。

  1.新自由主義からの脱却と日本の伝統文化を守り日本人の魂を喚起する。

  2.誰もが豊かで命と暮らしを守れる経済と社会構造に変革し、国土の均衡を図る。

  3.諸外国と対等な友好関係を築くことが最大の防衛であることを前提に自主外交交を展開する。

  4.沖縄が占領下の延長線上で苦しんでいることを深刻に受け止め基地の問題と向き合う。

 アメリカや中国をはじめとして世界中が経済や社会構造の転換を図る中で我が国も民族の存続を掛けた大きな転換を図らなければなりません。大きな文明の反逆を受ける現在、国民が共有している危機感をうねりとして同じ目線にたち、共に喚起し合い闘う決意で真の国民政党として新党を立ち上げます」。

 何だ? こりゃ? 思わず呆れた。上記設立趣意書には自分たちが今まで、国政の場で何もやらなかったことを自白しているようなものではないか。こんな気構えでこれからも国政を背負っていこうというのですかと問いたい。

 そしてその翌日「減税日本」と合流するや、党名略称を「反減税党」とした。こんな思いつきだけで政治活動として実際減税をやってくれるのか。上記綱領からは、今喫緊の課題である、脱原発、TPP、消費税増税問題を解決してくれる文言すら見つけられないではないか。こんな好い加減な第三極政党が雨後の筍のように乱立したところで、所詮政治ごっことしか思えない。虚しいだけである。

 それに引き換え、今晩観たBS朝日の旅の2時間番組「常盤貴子・本と旅するポルトガル」が良かった。きつい女性のイメージが強い女優・常盤貴子が可愛らしく映り、三島由紀夫と檀一雄のポルトガルに関するエッセイを読み、現地を旅しながら印象を突合せする趣向で、長時間の旅番組であるにも拘わらず終始飽きさせることがなかった。首都リスボンでローマ少年遣欧使節団やフランシスコ・ザビエルら日本とポルトガルとの関わりに触れ、その後シントラ、ポルトを訪ね、ユーラシア大陸最西端のロカ岬では檀一雄所縁のバー、旧住居、檀の石碑、旧知人を訪れ、彼らと檀の思い出話に耽る。私自身も訪れたところなので、思い起こして懐かしく感じた。

2012年11月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2021.2012年11月24日(土) 言いたい放題の安倍自民党総裁にブレーキを

 衆議院が解散されてから安倍晋三・自民党総裁のカラ元気の良さが妙に気になる。一般的には来月の総選挙は自民党が勝つと予想されているので、本人はもうすっかり総理大臣気分になって浮ついているような雰囲気がある。確定してもいないその重職に就く前から、すでに過激で無責任な発言を度々繰り返しては世間を惑わせ顰蹙を買っているのである。勇み足と言ってもいい。

 特に最近の発言を聞いても何故元気なのかよく理由が分からない。5年前には任期半ばで総理大臣職を突然放り出し、その直後には自殺未遂の噂も流れて鬱病気味で逼塞していたのが、まるで嘘のようにこの期に及んで何ゆえ元気を取り戻したのか、その方の話を聞きたいくらいのものである。

 安倍総裁の右翼志向は以前から伝えられていたことでもあり、その超保守派ぶりは取り立てて騒ぐほどのことではない。しかし、現在の経済市況の中でデフレ脱却を声高に叫び、現在ではまったく権限のない日銀に対して治外法権的に金融緩和のため国債の日銀購入をアピールし、それが安倍氏を利するかの如く証券市場に好影響を与えて株価が上がり、円安が進んで本人は「それ見たことか」とばかり大得意である。更に自らが首相になったら日銀法の改正も考えると発言し、これには流石に白川方明・日銀総裁も不快感を隠せない。

 安倍氏は遂にこんなことまでしゃべくっている。「最近の10年間で私が総理であった時が株価もGDPも最も高かった」と自慢たらたらである。よくもこんなことが平気で言えるものである。これこそ暴走総裁ではないか。今の自民党内にはどういうわけだか総裁の言動にブレーキをかける人間がいない。デフレ脱却のためには市場に資金をつぎ込むことが大切で、輪転機を廻してお札をどんどん印刷したら良いなどと経済の仕組みが分らない小学生がよく質問するようなことを平気で言うのはどういう神経だろうか。流石に専門家も呆れている。評論家・池田信夫氏は大学生なら誰でも知っているこの程度の経済常識も知らないのかと些か呆れているが、テレビ朝日の「報道ステーション」でも、コメンテーターの朝日新聞解説委員・三浦俊章氏が総理大臣になろうとしている人の発言としてはいかにも軽いとコメントしていた。

 憲法改正まで持ち出して、現在の自衛隊を国防軍と改称するという具合に、時間をかけてじっくり国民の声を聞かねばならない重要課題をいとも簡単に結論づけて、次の国会で憲法を改正するとまで悪乗りして喋るので駄馬も止めようがない。

 実際危険な人物である。こういう世間知らずの総理大臣失格人間が、再び次期総理大臣かと想像すると空恐ろしくなってくる。

 それにしても自民党はこんな危険人物を総理候補に選んでおいて、その言動についてノーチェックとはあまりにも野放しが過ぎるのではないだろうか。

 ところで、今日は東北・関東地方を中心に深夜から午後8時過ぎにかけて何度か地震があった。偶々東急二子玉川駅前の東急ライゼ7階のイタリア・レストランで妻と夕食中の午後5時59分、突然千葉県北西部を震源地とするM4.9の揺れがあり大きな衝撃に襲われた。一瞬店内はざわついたが、直ぐ店員がこのビルは免震性があると知らせてくれたので落ち着きを取り戻した。さほど心配はしなかったが、やはりまだ昨年の大震災の余震が続いているのだろうか。どうにも気になるところである。

2012年11月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2020.2012年11月23日(金) 自民党は世襲政治に引導を

 今日は朝からしとしと雨が降っている。今日行われたラグビー早慶定期戦は今年で89回目になるが、その昔試合日時を決める際雨天を避けようとそれ以前の天候をすべて遡って調べた結果、一番雨の確率が少ない日時ということで、早慶ラグビーは今日11月23日に行われることが決定された経緯がある。爾来11月23日に雨が降ったという記憶は、これまでのところ私にはまったくなかった。

 それが晴れるべき今日、秩父宮ラグビー場が雨だったせいでもあるまいが、慶應は前半終了時点で10対10の同点だったが、後半立て続けに3トライを奪われ、結局31対10で早稲田に屈してしまった。

 さて、昨日鳩山由紀夫・元総理大臣が政界引退を表明した。本人は立候補に当って所属の民主党から党公約承認の誓約書に署名を求められたことを不満に感じ、唐突に政治活動から身を退くことを決意した。身内の要求にいちいち腹を立て、個人的なわが侭を貫いて決断しているようでは政治家として余りにも子どもっぽくはないだろうか。これが気に入らないなら、せめて堂々野田首相と丁々発止と議論を交わしてみたらどうなのか。それもしないで、ただ気に食わないと辞めるのでは、まるで腕白坊主と変わらない。世間から同情の声はもちろん、惜しいとの声も聞かれない。元首相の勇退にしてはあまりにも寂しい。元々期待されるような人物ではなかったということだろう。確かに本人にとっては極めて不本意であったかも知れないが、そもそも民主党政治の混乱を引き起こした張本人であると世間から批判を受けたことは間違いない。これは偏に鳩山氏自身の不徳の致すところであり、鳩山氏も素直に自らの不徳を認めざるを得まい。

 3年前の総選挙ではそれまでの自民党政権の旧態依然とした旧弊体質の政治が嫌われ、リベラル政党として人気が出て明るい友愛政治を打ち出した民主党が、第1党を勝ち取り政権政党となった。民主党代表だった鳩山氏が総理大臣となったが、いかんせんその資質に欠けた鳩山氏は前後の見境もなく、実行不可能な夢のような政策を口走り、国民に政治への不信感を与え、結果的に自らを苦しめ、総理の座を1年足らずで降りる羽目になってしまった。

 加えて母親の資金違法提供問題が明るみに出た。この時の母親離れしていない、おろおろしたひ弱なお坊ちゃん体質は、とても一国の総理の行動とも思えなかったほど未熟でお粗末だった。現状ではとても無理と思われていた、沖縄からの米軍基地撤去、同時に最低でも沖縄の基地の県外移転の方針も空回りするだけで、とどのつまりは自らの首を絞めてしまった。お坊ちゃん育ちで空気を読めない世襲政治家の限界である。あまり同情的なコメントは同僚議員の中からも寄せられていないが、とりわけ武村正義・元新党さけがけ代表には「世間を騒がすのが目的で政治人生を続けている男なので、総理までやって満足じゃないか」と辛らつにこき下ろされている。

 総理を辞めた後に一国会議員でいることは疑問だとして一旦は引退を表明したが、舌の根も乾かない内に、前言を翻して総選挙に出ると賜ったのである。そのうえ、今度は先日北海道の選挙事務所で出陣式を行ったばかりで、いざこれからという時の引退だけに地元の支援者の中には面食らい呆れている者もいる始末である。普段から心配してくれる周囲の人たちにもまったく配慮することを忘れた人である。誠実であることを求められている政治家でありながら、最も誠実さに欠けた人物だった。

 鳩山氏のこれまでの行動には、市民感覚からずれる点がしばしば見られた。市民目線から大きく逸れ、苦労を知らない無邪気で無責任な発想と言動しかなかった。これこそお坊ちゃん世襲政治家の典型的な成れの果てだろう。

 さて、民主党は今回の総選挙に当り、党として新たな世襲政治候補者を例外なしに公認しないと決定した。羽田雄一郎・国土交通相は父羽田孜衆議院議員・元首相勇退に伴う長野三区小選挙区に参議院議員からの鞍替えを認められず、党の世襲議員反対の内規を受けて総選挙に立候補しないことになった。

 これに対して自民党はどうか。前回の総選挙でははっきり世襲禁止を打ち出していたにも拘わらず、前回の「3親等以内の同一選挙区からの立候補を認めない」とのマニフェスト公約をいとも簡単に覆して、世襲候補者を容認し、立候補を認めることへ主張を変えたのである。しかし、これは自分たちが世襲制にしがみついていないと生きていけないとの自信のない自覚から決めたものである。明らかに都合の良い自分勝手な考えであり、断じて選挙で国民に求めるべき贅沢や甘えであってはならない。世襲制に凝り固まっている自民党指導部内では、世襲制が選挙で完全な不平等と差別を実行していることに気付いていないのだろうか。「地盤、看板、カバン」を黙ったまま引き継ぐことができるというのは、それがない新人にとってはその時点ですでに優位に立っているではないか。優秀な人材なら世襲議員でも良いではないかと開き直る石破茂・自民党幹事長自身世襲議員であるだけに説得力がない。それなら同じスタートラインに立つ他の選挙区で立候補したらどうだと言ってやりたい。

 自民党には、安倍総裁以下何と約4割の世襲衆議院議員がいるせいか、正論を言えず世襲制度を何とかして護ろうとする照れくささと弱みがある。政策立案を述べる前に正々堂々と平等な立場で戦ってはどうか。今まで自民党から輩出した首相は最近ではほとんどが世襲政治家である。これこそ世襲制が有利である何よりの証拠ではないだろうか。

 野田首相からはルパン3世ではないと皮肉を言われ世襲を批判された。朝日新聞の今日の社説でも政治は家業ではないとまで厳しく非難されている。

 ここで自民党が世襲制を止めれば、平等・公平を重視する党として改めて評価が上がると思う。上から下の1年生議員まで世襲議員だらけの自民党も、世襲制のためばかりではあるまいが、でき損ない首相となった鳩山由紀夫氏を他山の石として、世襲制などという国民を舐めたアンチ自由レジームにしがみついているのを止めてはどうか。

2012年11月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2019.2012年11月22日(木) 林芙美子記念館を見学する。

 昨晩遅くなって腹痛を覚えトイレに何度か行ったが便通順調ならず、痛みを歯を食いしばって我慢してしまった。臍の下部周辺がしきりに痛む。うだうだしていたが、結局眠ってしまった。ところが、今朝になっても痛みが去らない。今日は初めて生涯学習教室「木曜会」から「世界遺産の旅」の講師を依頼されていたので、難しい局面に立たされた。こんな痛みは初めてだったので気になり、どうにかして早く医者に診てもらいたかった。「木曜会」は初めてだったので、会場にもパワーポイント機器設定と調整のため早めに行きたいと思っていた。

 とにかく9時のオープンと同時にかかりつけの森医師に診てもらったところ、あまり心配することはないとの診断だったので、3種の薬をもらって、その後新宿区中落合にある落合第二地域センターへ出かけた。

 先月品川ロータリークラブで卓話を行った時は時間切れで話が中途半端に終わってしまったので、今回はかなりスライド画面を事前調整して準備していた。幸い時間的に最後をぴたりと締めることができ、まずまず楽しく視聴していただけたのではないかと思っている。事前にお願いして準備してもらっていたパワーポインターのプロジェクターと持参のPCとの相性が悪く、画像を出力しないのには一時当惑した。だが、こんなことも稀にはあるだろうと予備用に自分のプロジェクターも持参していたので、それを代用して使い、スムーズに問題なく講演を終了することができた。参加者からも話も映像も楽しめたとのお声をいただいたので、まずまずほっとしている。講義中懸念していた腹痛も感じることはなく、責任を果たすことができた。

 今日の意外なお年玉は、この会場近くに「林芙美子記念館」があって見学することができたことだった。折角近所まで来て、しかも時間的にも見学することができそうなので、覗いて見ることにした。財団が管理していて見学者は案外少ないようだった。林芙美子が昭和16年から亡くなった昭和26年の10年間生活していた、幸いにも戦火を免れた和風住居である。総坪数は525坪で2棟の総建坪は60坪である。見学料金は僅か150円で、しかもボランティァ・ガイドが説明してくれるという。早速建物と庭園を観て回ることにしたが、ここの記念館は林芙美子の文学館というより、むしろ記念館という名の通り今やほとんど無くなってしまった、文豪林芙美子が居住していた純和風の土地家屋等の施設そのものを紹介することを期待しているように感じた。

 感心したのは、芙美子の趣味や好みを採り入れた家の造りと樹木や花が丁寧に植えられた庭である。静かな環境も素晴らしく、よく手入れがなされている。細かい点にまで気を遣って設計されていることが分った。ガイドさんに尋ねてみると、川端康成のような文豪が訪れた際に、新聞記者とは顔を合わせないような造りが施されていると説明を受けてその細心さに感服した。 

 ただ、文学館ではないので、芙美子が夫・林緑敏と交わした絵葉書がショーケースに飾られている程度で、直筆で書かれた原稿用紙がなかったのが、ちょっと残念な気がした。その点で林芙美子文学ファンとしては若干物足りないと思うかも知れない。しかし、豊かな樹木に飾られた静かな環境の中に建てられた昭和の日本建築と和風庭園を期待以上に楽しませてもらい林芙美子ワールドをしばし味わわせてもらった。

2012年11月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com