2038.2012年12月11日(火) 敦賀原発に廃炉の結論を下すのか。

 昨日原子力規制委員会では、「日本原子力発電敦賀原発の2号機建屋の直下に活断層がある可能性が高い」と全委員の判断が一致し、田中俊一委員長も「今のままでは再稼動の安全審査はとてもできない」と述べて、敦賀原発は廃炉となる公算が大きくなった。

 国の指針では原子炉の建屋など安全上、重要な施設を活断層の真上に建てることは認めていない。大飯原発に始まった原発の断層調査で、規制委員会がほぼ活断層と判定するのはこの敦賀が初めてである。

 敦賀原発1号機はすでに稼動して42年が経過した。規制委は40年以上の原発は原則として再稼動を認めない方針を示してきた。活断層の上にある2号機もすでに稼動から25年が経った。これも再稼動が難しくなった。増設の計画があった3号機と4号機の可能性も薄れてきた。

 規制委は引き続き東北電力東通原発、北陸電力志賀原発の敷地内を調査する。今回の調査結果は明らかにクロと判定され、再稼動への道は閉ざされたように思えるが、これは科学的な判断である。実際に廃炉となるかどうかは、事業者である日本原子力発電の決断であるが、日本原子力発電そのものの経営にも影が忍び寄っている現実を考えると、同社がすんなり廃炉を受け入れるとも思えない。実際、昨日の規制委の結論に対しても、同社は受け入れがたいと同社独自の追加調査を行うという。しかし、それ以上に最終的な結論は、国のこれからのエネルギー政策によって導き出されるべきであると思う。

 いま衆議院総選挙でエネルギー及び原子力政策は大きな争点のひとつになっているが、あまり突っ込んだ議論が戦わされている様子が見られない。告示直前になって再稼動容認から正反対の脱原発へ転向するなど、確たる信念で活動しているのか怪しい政党もある。それぞれの政党が脱原発へ向けたスケジュール表をきちんと示してくれないことが一番困る。

 果たして総選挙を制した次の政権政党はいかなる道筋をつけて脱原発、或いは悪くすると再稼動の道筋を示すのだろうか。注目してみてみたい。

 さて、急に冷え込んできて各地に大雪をもたらしているが、ご他聞に漏れず昨晩山岳地帯にもドカ雪が降った。昨日から今日にかけて3件の遭難騒ぎがあった。そのひとつが、南アルプス・仙丈岳で遭難した53歳と47歳の兄弟のケースである。私自身、かつて山男として仙丈岳には夏1回と冬2回ばかり登山企画を立て現地へ赴いたが、冬は北澤峠近辺でテントを設営して雪上訓練をするのが目的で、最初から頂上を極める予定はなかった。雪山の仙丈岳はそう簡単に征服できる山ではない。この時の写真が私のホームページのトップに掲出してある。夏山では仙丈岳と甲斐駒ケ岳に登頂したが、中央線車窓から見える美しい山容の駒ケ岳に比べて、仙丈岳は見え難く標高も3033mの高さを誇り、長い歩行の末に漸く辿り着くことができる懐の深い山だ。一旦奥まで入ったら中々捜索するのも難しいような気がする。現時点で一人は心肺停止状態で、もう一人は行方不明のようだ。無事でおられることをお祈りしたい。

2012年12月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2037.2012年12月10日(月) 俳優・小沢昭一さん逝く。

 最近大物芸能人が鬼籍に入るニュースが目について寂しい気がしている。今日も午前1時過ぎ個性的な俳優・小沢昭一さんが亡くなられた。享年83歳だった。つい最近歌舞伎役者の中村勘三郎が亡くなられたばかりで、1ヶ月前にも女優の森光子が亡くなられた。それぞれひとかどの役者だった。メディアでは小沢さんは伝統芸の勘三郎ほど騒がれることはなかったが、映画はもとより、舞台、放送などでも幅広く、丁々発止と活躍された。私はラジオを聴くことがほとんどないので、これまで小沢さんの独特の語り口を耳にすることはほとんどなかった。それが新聞に依れば、TBSラジオの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は、1973年1月に始まり、昨年5月に1万回を突破し、今年9月1万355回が最後だったというから私のブログ連続2千回程度では甘っちょろいと自覚している。この程度に満足せず、まずは連続3千回、理想として1万回は無理としても、せめてその半分の5千回を目指したい。

 さて、お隣のお騒がせ国・北朝鮮が先日今日10日から22日の間に人工衛星(実際は長距離弾道ミサイルと見られている)を打ち上げると公表し、日本を始め周辺各国はその打ち上げに強く反対を唱えつつ、その対応策に追われている。それが打ち上げ予定日に入った今日になって、ミサイルに技術的欠陥が発生したとして、打ち上げは1週間延期され29日まで延びたと朝鮮中央通信が一方的に発表した。毎度のことながら周辺諸国をいらいらさせ迷惑をかけている。いつも北朝鮮に同情的な態度を取る中国も、今度ばかりは日米韓と連携して打ち上げを中止するよう北朝鮮を懸命に説得しているが、子どものような北朝鮮は依怙地になって自らの独断的な主張と立場を繰り返し述べては、聞く耳を持とうとしない。

 日本政府も打ち上げに備えて石垣島へイージス艦を出動させたり、迎撃ミサイルPAC3を配備させたり大童の対応に明け暮れている。北朝鮮の気分次第で緊張状態を強いられる各国こそいい迷惑で堪ったものではない。北朝鮮はいつもながら偉そうなことを言う資格なんてとてもない。

 それにしてもこの機会に、J-ALERT(全国瞬時警報システム)を管理する消防庁の上層組織トップの樽床伸二・総務大臣が、居並ぶ消防庁幹部を前にJ-ALERTの運用を睨み激励の挨拶の最後に「~よろしくお願い致します。ありがとうございます」とスピーチを締めていた。だが、組織のトップが瞬時も目が話せないような緊張を強いられる業務の中で直属の部下にこういう言葉遣いをするのは少々おかしくはないだろうか。優しい(易しい)言葉遣いを誤解しているのではないか。大臣というより、政治家の質も落ちたものである。

2012年12月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2036.2012年12月9日(日) セルビアで活躍する豊嶋めぐみさんのコンサート

 セルビアで活躍しているヴァイオリニスト・豊嶋めぐみさんのコンサートが西国分寺駅前の「いずみホール」で開かれた。山崎洋さんから大分前に鑑賞するよう勧められていたので、楽しみにしてゼミの仲間にも声をかけたところ、ゼミ関係で4人が来てくれた。

 今日のコンサートは、「セルビア・日本友好130年」「信時潔生誕125年」「東日本復興支援コンサート」と欲張った看板を掲げ、冒頭山崎さんが今回のコンサート開催主旨と経緯について説明をし、豊嶋さんのセルビアにおける活動ぶりを紹介した。その後列席されたボヤナ・アダモヴィッチ・ドラーゴヴィッチ駐日セルビア大使が挨拶された。今回は国分寺に所縁の深い信時潔の曲とセルビアの作曲家の曲、それにモーツアルトとブラームスのピアノとヴァイオリンのためのソナタを演奏された。

 前回は信時作曲の名曲「海ゆかば」を聴いたが、今日はそれはなしというので、山崎さんに尋ねたら口を濁していたので、未だに「海ゆかば」を戦争協力曲とみている人たちのことを配慮したのだろうか、とつい余計なことを考えてしまう。歌詞は大伴家持だし、格調高いリズムもメロディだって決して戦争賛美の曲とは思えず、荘厳で素晴らしい曲だと思うのだが、なぜかそう受け取られるのは至極残念である。その代わりと言ってはこじつけのようだが、アンコール曲として2曲演奏することになった。そのひとつはこれも信時潔作曲による母校・慶応義塾塾歌である。豊嶋さんが舞台上から国分寺三田会の会員は舞台に上がって合唱して欲しいとお願いしたところ、何とかつての慶應ボーイがぞろぞろと老いも若きも舞台へ上がった。その数30人もいたのには驚いた。われわれ飯田ゼミ生は座席で声高らかに唱和して久しぶりに塾歌を歌う興奮を味わった。国分寺三田会の統率力の執れたまとまりの良さには脱帽である。コンサート終了が、9時半になってしまったので、誘われた打ち上げ小パーティを遠慮しようとしたところ、山崎さんからぜひ参加して欲しいという希望もあり、途中まで赤松さんと長谷川さんとともに心温まるパーティに参加させてもらった。

 途中で今日演奏されたヴァイオリニスト豊嶋めぐみさん、ピアニスト岩井美子さん、それに友情出演されたヴァイオリニスト山室牧子さんが合流され、華やかな雰囲気となった。最初豊嶋さんは山崎さんに好きな作曲家・信時潔が作った慶應塾歌の楽譜を探してくれるよう頼み、山崎さんから私に依頼があった。直ちに私から赤松さんにお願いして彼のコネで楽譜とCDをゲットして逆送りに届けた経緯があったので、豊嶋さんからこの場でお礼を言われた。ともかく今日の催しは、最初の楽譜探しに始まり、3月のベオグラードの演奏会、そして今日のコンサートと小パーティにいたるまで一連の充実した楽しいイベントとなった。

 山崎さんは明後日ベオグラードへ帰ると言っていたが、残る課題は岩波文庫本の出版だ。彼はまだ時間はあると言っていたが、最後の手段は出版費用として寄付を募ることではないかという点で考えが一致した。

 山崎さんには開演前に昨晩小中陽太郎さんから署名入り著書「翔べよ 源内」を預かったので、それを手渡しした。

2012年12月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2035.2012年12月8日(土) 日本の破滅へ突っ走った開戦記念日

 また巡ってきた71回目の開戦記念日である。今朝の日経「文化」欄に日米開戦を巡る新事実が明らかになったことが紹介されている。

 「最後通告の手直しが遅れ、米国に『だまし討ち』と非難された問題で、修正を指示する日本から大使館への電報が半日以上を経て発信されていたことを示す傍受記録が米国で見つかった。これまで不明だった発信時刻が判明。『在ワシントン大使館の職務怠慢による遅れ』とする通説に一石を投じそうだ」と冒頭書き出されている。この電報が予定通り発信されていたら開戦が回避されたというわけではないが、史実に間違いが明かされたということになろうか。対米開戦が話題であるが、真珠湾攻撃よりいち早く帝国陸軍は電撃的にタイのシンゴラとマレー半島コタバルに上陸作戦を開始し、それが昭和17年2月15日のシンガポール陥落への破竹の進撃となった。その臨場感を実戦に参加した人たちから聞かされたことがある。また、30年以上も前になるが、ひとりコタバル海岸を歩きながら往時の日本軍の勝どきを感傷的に想像したものだ。

 新資料は昨年9月にメリーランド州にあるアメリカ国立公文書記録管理局で三輪宗弘・九州大学教授が発見した。当然のことながら、史実は正確に伝えられなければならない。塩崎弘明・長崎純心大学教授も「真珠湾の奇襲を成功させるため意図的に電報を遅らせたことがこれで明らかになった。打電時間についての新資料自体は細かなことだが、正確な歴史認識を得るためには、こうした史実を丁寧に掘り起こしていく必要がある」と述べている。だが、戦後70年近く経過して重要資料が発見されたという事実は、あまりにも遅きに失しているとの印象が拭えない。

 われわれはいくら時間が経過しても大東亜戦争の翳から逃れることはできない。私自身仕事で随分関わってきたが、今またドキュメントの書き直しでトラック島と戦時中の史実に触れないわけにはいかなくなった。海軍ばかりでなく、陸軍航空隊の元戦士の皆さんから伺ったビルマ戦線の様子も付け加えてみるつもりだ。

 さて、今日はヨタロウ会の忘年会が茅場町の「鳥徳」で開かれた。いつもなら休日のところを、小中さんの特別な要望とお店の計らいで、平賀源内の命日には10日早かったが、無理に貸し切りでオープンしてもらった。夏に白金で開いた時は、生憎ヨルダンを旅行中だったので参加できず、今日は久しぶりに酒好きの人たちと話を楽しむことができた。残念ながら糖尿病のイェローカードが出たので、あまり飲むわけにも行かず、二次会も付き合うことはできなかった。

 皆さん、小中陽太郎さんを慕って集まる仲間なので、気持ちの良い人たちばかりで、毎度心地よい雰囲気を楽しんで帰ってくる。

 須藤甚一郎・目黒区議の巧みな司会でそれぞれ近況報告をしたが、終わりになって小中さんが言い足りない人もいるから、現状で何でも発言して欲しいと促された、元朝日記者が今度の選挙の空気、特に原発に対する弱い反対意見をどう思うかと問い、週刊朝日の特集「ハシシタ」記事に対する元在職の朝日の対応に関する不満も述べていた。それに対して、テレビにも度々出演される毎日新聞の鈴木琢磨氏がアンチ朝日的な持論を混ぜ合わせながら、橋下問題と部落問題について話された。お互いに時間的にも不十分なので、不満だと思うが考え方の一端を話された。もっとお二人の論争をじっくり聞けば面白かったのではないかと思った。他にも小中さんの近著「翔べよ 源内」の書評を「筆洗」で紹介した瀬口晴義・東京新聞論説委員など多士済々だった。もう少し話し合いたかったというのが率直な気持ちである。それにしても恨めしい糖尿病である。

2012年12月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2034.2012年12月7日(金) 争点がありそうで、争点のない総選挙

 夕方5時18分ごろ大きな地震があった。昨年の東日本大震災(M9)と同じように自室でパソコンに向かっていた時、突然ぐらぐらっと来た。大分長い時間揺れていたので、ガラス戸を開け外を見たら、電線が大きく揺れていた。室内でも本と木彫りの人形が床へ落ちた。直ぐテレビを観ると強い口調で緊急地震速報を流していた。震源地は三陸沖合いで、マグニチュード7.3ということだが、幸い震源地に近い東北地方でも大きな被害はなかったようでほっとしている。渋谷では震度4だった。昨年の大震災の余震という話もあったが、ニュース番組は選挙どころではなかった。ともあれ大災害にならなくて良かった。

 さて、昨日の大手新聞各紙が総選挙の当選者数を予想し、自民党の過半数獲得を挙げたことに対して、当の自民党はもとより他政党にも戸惑いと複雑な気持ちが見られ、その異常なまでの受け取り方は些か滑稽ですらある。いとも安易に過半数超えを予想された自民党では、安倍総裁以下執行部が気持ちの引き締めに懸命の様子である。

 各社の情勢調査は以下の通りである。朝日「自民、単独過半数の勢い」、毎日「自民、単独過半数の勢い」「民主激減、第3党は伸び悩む」、読売「自民 過半数超す勢い」、日経「自民 過半数の勢い」「民主は半分以下も」「第三極、浸透に遅れ」、産経「自民、政権奪還の公算」「民主激減、第三極も伸び悩み」等々である。確かにこれでは自民の圧勝であり、執行部が気持ちを引き締めようとするのも理解できる。

 自民党では石破茂・幹事長が各候補者へ向けて「本日の朝刊各紙に自民党が優位である旨報道されているが、万が一にもこのような報道に気が緩むことのないように、最大限の緊張感を持って全身全霊で選挙戦に臨まれたい」と引き締めに懸命である。一方で、第三極の「日本維新の会」や「日本未来の党」らの伸び悩みが目立っている。これはこれで当事者から戸惑いや不満が出ている。

 その大きな理由に総選挙の争点と見られ、票を左右すると見られていた原発問題が、大同小異ながら「脱原発一色」になり、争点がぼやけたことが挙げられると思う。それが無難な政策を掲げる自民党がパッシブに伸びた原因ではないか。実際各党の原発に関する選挙公約は、思惑はあろうが文言上ほとんど差が見られないように思える。

 因みに12党の原発公約を要約すると、民主「30年代に原発稼動ゼロ」、自民「10年以内に電源構成のベストミックスを確立」(分り難い表現だ)、日本未来「卒原発。10年以内に完全廃炉」、公明「可能な限り速やかに原発ゼロ」、日本維新「脱原発依存(政策実例に30年代までにフェードアウト)」、共産「即時原発ゼロ」、みんな「電力自由化で20年代に原発ゼロ」、社民「原発稼動はただちにゼロ」、新党大地「原発ゼロ」、国民新党「安全性が確認できない原発は即時廃炉」、新党日本「原発廃炉を新しい公共事業に」、新党改革「原発に依存しない社会を構築」である。これでは凹凸もなく、とても争点にはならない。原発即反対を唱えている政党にとっては、折角の得点稼ぎを徒にしてしまうような公約横並びである。

 これは社会保障についても同じことが言える。社会保障では各政党ともほとんど争点となる公約らしいことは言っていない。特に酷いのは自民党で、たったの4項目しか挙げていない。①消費税収は社会保障以外には使わない。②生活保護の見直し(給付水準の原則1割カット)、③年少扶養控除の復活、④年金の官民格差を是正する年金の一元化、だけである。民主党が公約にしている年金、医療、生活保護については一切見て見ぬふりである。自民党が政権政党に復帰したら恐らく弱者切捨てを推し進めるのではないだろうか。

 結局原発問題を見ている限り、これではどの政党も代わり映えしないということになるのか。

2012年12月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2033.2012年12月6日(木) 安倍晋三・自民党総裁に国を任せて大丈夫か。

 昨日共同通信社文化部の宮崎晃氏と仰る記者から不意に電話があり、「シニアの安全な海外旅行」というテーマで取材に応じて欲しいと依頼された。もちろん喜んで承諾の返事をしたところ、夕べになって質問の内容と凡その掲載記事を記したFAXを送って来られた。私のホームページの中から昨年財団法人・国民生活センター発行の「月刊国民生活」に寄稿した一文と、あるNPOで行った講演内容を抄訳した「中高年のための海外旅行の楽しみ方と落とし穴」を読んだうえで、簡単にまとめられた原稿を送って来られた。それに、若干物足りない点を補足してメール送信したところ、今朝電話で11日以降に共同通信社加盟の地方紙に配信すると連絡があった。

 一昨年夏朝日新聞や日本テレビで海外旅行に関する持論を取り上げてもらったのは、が大分効果があったからである。今回も記者氏はHPの拙稿を良く読んだうえで記事を書いておられる。毎日書き続けるのは中々気骨が折れるが、このように前向きに取り扱ってもらえるとこれも大きな効用のひとつとなる。好い加減な気持ちでHPに取り組むわけにはいかないとつくづく思った。

 どこの地方新聞が取り上げ、どういう掲載方式になるのか判らないが、メディアで持論を取り上げてもらえるのは励みにもなるし、嬉しいことでもある。どんな記事になるのやら期して待とうと思う。

 さて、衆議院選挙も日一日と盛り上がってきているが、どうも今回は前回の総選挙で政権政党が入れ替わったような激しい選挙戦とは違うようだ。政党が乱立し、その政党の内部でも人事面、政策面で整合性が取れていない。できたばかりの政党なぞは、寄り合い所帯の様相で選挙後にこのまま果たしてまとまって国民の期待に応える活動をやってもらえるのか疑わしい。

 安定志向の国民感情に訴えたのが良かったのだろうか、内部から混乱しているような情報があまり伝わってこない自民党の勢いが良いようで、公示前には118だった議席が今日の朝日新聞では257~285へ大幅に増えると予想し、一面トップの見出しには「自民、過半数の勢い」とある。対する民主党は公示前の230から68~95とかなり厳しい見方で捉えられている。これは、他紙・日経でも同じ傾向のように見ていて一面トップの見出しは「自民過半数の勢い」とまったく朝日と同じである。これまで農村部で票を固めていた自民党が都市部でも復調していると読んでいる。

 私にはなぜ自民党がこんなに復調したのか分らないが、前回期待し過ぎた民主党にあまりにも失望した有権者が多かったということだろうか。安倍・自民党総裁も街頭演説では自信満々に些か暴走気味に突っ走っている。6年前に安倍政権として教育政策に力を入れ、今度も教育には重点的に取り組むとしゃべっていたが、その時何もできずに政権を放り出した、同じ人間の言葉とも思えない。自らの失政を取り繕いながら自慢話に摩り替えるとは呆れ果てた神経である。先日も日銀がお札をもっと印刷すれば、デフレが解決するような話とか、金融緩和を自らが発言したら株式相場が上がっただの、この程度の幼稚な発想や思考しかできない人が国のトップになったらと思うとぞっとする。

 しかし、自民党が選挙で勝てば、この破廉恥な人物が間違いなく総理大臣になるのだ。民主党がダメなら自民党という短絡思考ではなく、もっと他の政党を研究して幅広く選択肢を考えてみるべきではないかと思う。まだまだ時間はたっぷりある。

2012年12月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2032.2012年12月5日(水) 18代目中村勘三郎逝く。

 昨日衆議院総選挙が公示されたが、立候補者名簿が締め切られる午後5時ぎりぎりまで各党ともてんやわんやの騒ぎだったらしい。その中でもあまりにも急な結党で事前準備が不十分だった、「日本未来の党」や、候補者が競合しそうな「日本維新の会」と「みんなの党」の候補者調整が大分難航したようだ。

 とにかく12の政党が名乗りを上げ、小選挙区、比例区合わせて1504名が立候補して、その数は現憲法下で最多となった。大きな問題は3年前の総選挙が違憲状態とされた一票の格差2.30倍から、今度の総選挙では最大で2.43倍となり、さらに格差が広がったことである。選挙後の新政権は早くも難問を抱えることになった。「0増5減」で逃げようとしているが、とてもそんな程度では収まりきれまい。

 さて、昨日山崎洋さんの翻訳本、ニェゴシュ著「山の花環」の岩波文庫版出版企画について、仲立ちをしてくれた出版ニュース社清田義昭社長が山崎さんとともに岩波書店へ出向いてくれ、諸々の事情を話して何とか出版できないかと相談されたが、今朝山崎さんから、また夕方清田社長から電話で聞いた限りでは、中々前途多難のようだ。山崎さんの岩波文庫へかける思いは伝わったのではないかとの話だが、岩波は出版社としての立場上結局商業ベースに乗せられるかどうかということが決め手らしい。岩波文庫なら全国3千余りの図書館が購入するので、採算ベースで残り2千部を何とか買い取るメドがつけば、出版への道が開ける。今後日本セルビア友好協会の手を煩わせるなりして、目標額約160万円見当をかき集めて出版の道筋をつけられれば良いがと願う。

 一昨日風邪気味のため森内科で診てもらった際、序に糖尿病について検査をしてもらった。瞬間風速的にはどうも芳しい数値ではないようだったが、今日血液検査の結果を教えてもらった。A1cが6.3%なので、認めたくないが完全に規定値5.8を超えている。森医師の診断では、糖尿病の入り口にいるので、今後甘い物を摂取しないようにとのご託宣をいただいた。加齢とともに他にも病も背負うようになった。明日は入れ歯の矯正である。あ~嫌だ、嫌だ。

 ところで今朝未明歌舞伎役者の中村勘三郎さんが亡くなられた。一昨年辺りから健康を害していたようだが、その後食道癌であることが明らかにされ、摘出手術を受け、療養に努めていた。詳しい死因は「急性呼吸窮迫症候群」ということだが、まだ57歳で天才肌の人気役者だっただけに早世が惜しまれる。新聞でも大きく取り扱っているが、テレビでも朝から晩まで一日中勘三郎を偲ぶ番組を流している。父が現役のころ、父の会社が歌舞伎座と度々タイアップ行事を行っていたので、しばしば入場券をもらっては歌舞伎座で歌舞伎を鑑賞したことがあり、幸いにして先代勘三郎の舞台も観たが、残念ながら父が亡くなってから18代目勘三郎の舞台姿を観る機会はついになかった。名人芸は惜しんでも余りある。

2012年12月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2031.2012年12月4日(火) 社会資本基盤のインフラ整備は大丈夫だろうか。

 一昨日中央自動車道の笹子トンネル内で、天井が落下して通行中の車の中で9人が亡くなるという悲惨な事故が発生した。過去にこのトンネルを何度か車とバスで通ったことはあるが、どうしてこれだけ大きな事故になったのか分らない。専門家はトンネル完成後すでに30年以上を経過しているので、材質の劣化による一般的な老朽化が原因と見ている。トンネル内には厚いコンクリートの天井が上から吊るされ、その上には通気用と排気用に分けられたスペースがあるたようだが、素人考えからすれば、その天井にどうして軽量のアルミのような素材ではなく、重いコンクリートを使用したのかどうしても理解できない。理由はあろうが、仮にアルミなら死者が出るような大惨事になることもなかったのではないだろうか。

 今朝の朝日「天声人語」にこういう話が紹介されている。「アルプス最高峰、モンブランのトンネルを車で走ったことがある。約4千円の通行料より時速50~70㌔、車間150㍍という厳格な規制にたまげたものだ。1999年の火災事故(死者39人)の教訓と聞いた」。

 実際2003年6月に私自身添乗員としてバスでヴェネチアからイタリアのアオスタを経てこのモンブラン・トンネル(11.6㎞)を通りフランス領シャモニーへ抜けたことがある。この時われわれのバスは長距離を走ってきたせいだろうか、やや車体が熱くなっていた。そのため入り口前の車体検査所?で引っかかり、外で冷却時間を取らされた。しばらく後にもう一度検査を受けたところ規定内の車体温度に冷却化したということで通行することを許された経験がある。これも事故の教訓に基づく安全対策のひとつであった。

 これも「天声人語」が指摘しているように、大惨事が起きたからこそ安全基準が見直し厳格化されたのである。笹子トンネル事故もこれから検証が行われ、反省点が出されて新しい安全基準が示されるだろうが、首都高速道路の橋脚などの老朽化も懸念されて久しい。だが、未だに手がつけられない有様である。今改めてトンネル内の安全基準について、問題が提起されたが、同じような構造で、しかも竣工後30年以上を経過したトンネルは国内にかなりの数に上がるようだ。国の予算が逼迫している最中に、一斉にトンネル安全工事を行うにしても予算が足りないのではないか。

 こんな時今日公示された衆議院総選挙の選挙公約の中で、自民党は国土強靭化基本法として事前防災・減殺対策を推進するとした。金額こそ明確に提示されなかったが、本音は以前から度々俎上に上がっている10年間で200兆円である。これに呼応して自民党が勝利したら与党となる公明党がやはり日本復興を旗印に、10年間で100兆円の予算を提示している。

 自然災害国日本では、やはり常に社会基盤のインフラ整備に気を配って先手を打たないと、実際に天災が降りかかってきた時には何ら成す術がないということになる。だが、1年間で10兆円とも20兆円とも言われる巨額の金額を、土木投資に注ぎ込んで、厳しい財政事情の中でその他の重要な予算に支障を来たさないだろうか、選挙後の対応になるが些か気がかりである。

2012年12月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2030.2012年12月3日(月) 「日本未来の党」嘉田代表の軽薄な朝令朝改発言

 一昨日当ブログで槍玉に挙げた「日本未来の党」の嘉田由紀子代表は、1日午前テレビでの自らの発言をその日の午後あっという間に撤回した。というより誤解を与えたならお詫びすると恥ずかし気もなく述べ、改めて原発再稼動については容認しないとした。また、「日本未来の党」は、10年以内に全原発の廃炉を決める工程表を盛り込んだ「卒原発カリキュラム」の骨子を発表した。

 国政選挙に当って公約とも言うべき重要な課題をいとも簡単に短時間の間に2度までも変更する浅慮が許されるのだろうか。嘉田代表は国民に対して恥ずかしいと思わないのだろうか。また、この心境変化について本人からは変更の理由について一言も釈明なり、説明がなされない。ただ誤解を与えたので、お侘びするだけである。この人は一体何を考えているのだろうか。国民の気持ちをまったく配慮しない醜い政治家である。こんなに国民を馬鹿にした行為はあまり聞いたことがない。

 それにしても党の大看板を一転二転させて国民を惑わせるが如き嘉田代表の軽率な発言は、政党のトップとしてはあまりにも無軌道、無節操ではないだろうか。他にもスローガンが決めきれないようだ。いかに急いで立ち上げた党であるにせよ、あまりにも拙速でとても信頼することはできない。

 元の鞘に納まったとは言え、「日本未来の党」が露呈したほやほや新党の慌てぶりと好い加減さは、国民の審判を仰ぐには些かお粗末としか言いようがない。それより嘉田代表が間違い発言をした後のメディアの対応はもっと感度と反応が鈍かった。ほとんど厳しく追求しないうちに、嘉田代表本人の方からさっさとお詫び発言でチョンボを認め、一件落着とされてしまうほどののんびりぶりである。メディアの情報管理の杜撰さも問われるところである。

 国内が総選挙でばたばたしている間に、海外でも大きなでき事があった。パレスチナ自治区の内戦状態は幸い停戦となったが、同時に11月30日、そのパレスチナ自治区が従来の「オブザーバー機構」という立場から「オブザーバー国家」へ格上げが国連総会で承認され、今後国連総会において投票権こそないが、意見を述べることができるようになった。アメリカやイスラエルら9カ国が反対する一方で、約7割の加盟国が賛成した。日本も珍しくアメリカに同調せず、賛成へ回った。国際的な空気は、パレスチナを国際社会で認知しようという空気が年々高まっていた。現在「パレスチナ国家」はヨルダン川以西とガザ地区に分離されているが、その人口は440万人を数える大きな国家である。もっと小さな国家は世界中にまだいくらもある。これを敵対関係にあるからと言ってひとつの国家であることを認めないということは、不自然でさえある。どういう事情があるにせよ、不自然な状態のまま放置することは、平等、公平とか、平和に対する理解などを考えると止めるべきであろう。現在非加盟国としてはバチカン市民国があるが、パレスチナとは大いに事情は異なると思う。

 そして、つい最近の爆弾発表は北朝鮮が人工衛星打ち上げを予告したことである。北朝鮮は今年4月にミサイル打ち上げを失敗したばかりである。直ちにアメリカ政府は発射計画の撤回を求める声明を発表し、日本政府は日朝局長級会談の無期延期を発表した。韓国大統領選が行われる10日~22日の間に、人工衛星か弾道ミサイルを発射しようという裏には、北朝鮮らしい政治的アピールが隠されているのだろう。

 当るも八卦当らぬも八卦だが、これまでに現代のグレゴリオ暦と1日に17秒程度しか誤差がないくらい、正確無比な暦で知られるマヤ暦では、人類の滅亡を示唆、予言しているが、それが今年12月21日とされている。すっぽり北朝鮮の予告の日時と重なっているのが、まさかとは思うがどうもひっかかる。

 さて、まだどうなるか分らないが、今日出版ニュース社清田社長から、ニェゴシュ訳書「山の花環」の文庫本化について岩波担当者に話をする機会ができたと連絡をいただいた。その情報を早速山崎洋さんに伝えたが、実現されるならこんなにハッピーなことはない。夜になって清田社長から明日山崎さんと二人で岩波書店の担当者を訪れお願いすることになったと連絡をいただいた。私としてはこれ以上手を尽くせないので、幸運を祈るしかないが、セルビアの叙情詩人ニェゴシュ作、山崎洋訳「山の花環」(岩波書店発行)を手にすることを願うばかりである。

2012年12月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2029.2012年12月2日(日) クラシック・コンサートと早明ラグビー

 年2回の上野浅草フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に、飯田ゼミの仲間とご夫人方、ゲストとして一時帰国中の山崎洋さんとともに会場の浅草公会堂へ足を運んだ。ゼミの赤松晋さんがチェリストとして参加してからゼミ仲間が応援団としていつも駆けつけるようになった。定期演奏会も今度で通算53回目というからアマチュアとは言え、伝統として立派なものだと思う。われわれ飯田ゼミ会員としてもこの10月に飯田会が解散して一つの拠り所が無くなってしまったが、この演奏会がゼミの求心力として今ではかけがえのないものになったような気がする。赤松さんにとっては、演奏会が終了しても直ぐ次回の演奏準備があるので、心の負担になるだろうが、何とか老境に入ったゼミ仲間のために頑張って欲しいというのがわれわれの勝手な願望である。

 演奏会で演奏される曲目はいつもあまり有名な曲ではなく、今日もベートーヴェンの交響曲第2番と、ブルックナーの交響曲第7番だった。いずれも私にとっては初めて聴く作品だ。演奏曲の合間に普通の演奏会では滅多にないことであるが、指揮者の河地良智氏が難しいブルックナーの曲について簡潔で分りやすい解説をしてくれたのが良かった。

 楽しいのはその後の食事会で、最近定番になった近くの「アリゾナ」でステーキを楽しんだ。生前永井荷風がお気に入りだったお店である。

 この席上私が山崎さんの略歴と活動歴を参加者に簡単に紹介して、その後山崎さんが自分の生い立ちやご両親の話、お墓の話などを率直に話してくれた。お父上、ブランコ・ド・ブーケリッチ氏がゾルゲ事件に連座して網走刑務所で獄死された苦い思い出であったろうが、淡々として話してくれた。参加者がみんな好意的に山崎さんを遇してくれたので、彼にとっても慶應の学生時代を思い出させる心豊かな交流ではなかったかと勝手に推察している。その点では時折しか日本に帰って来られない山崎さんにとって、母校との思い出をつなぐことができる数少ないチャンスでもあったと思う。

 次回の来年6月の次回定期演奏会ではチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」だそうで、次回の集まりも再生飯田会として考え楽しみにしている。

 さて、毎年12月第1日曜日は早明ラグビー定期戦が行われる。今日はコンサートに出かけたので、試合は録画しておき帰ってからゆっくり観戦した。関東大学対抗戦はすでに帝京大の3連覇が決まっていたが、昨日その優勝校・帝京大が筑波大に破れ、同じ6勝1敗となって筑波大も同率優勝の栄誉に輝くことになった。ところが、明治大が筑波大に勝っていたために明大にも優勝の可能性が転がり込んで来た。仮に明大が早稲田に勝つとやはり6勝1敗となって3校同率優勝という対抗戦史上初めてのケースになる。そこで早明戦を注目して観た。明治が先行し前半リードしたが、後半逆転され、ノーサイド直前ぎりぎりになって明治が執念の逆転トライを挙げ、33-32の僅か1点差で3校優勝の一角を占めた。この逆転トライは私にはスローフォワードのように見えたが、テレビカメラの角度のせいでそう見えたのかも知れないので何とも言えない。それより早稲田にとっては、その前に明治に取られた認定トライが痛かったのではないか。

 この結果敗れた早稲田は優勝校3校に次いで第4位、残念ながら母校・慶應義塾は第5位となってしまった。

 かつては国立競技場を満員にした早明ラグビーだったが、近年は6~7割の入りとなってしまって、少々寂しい気がしていた。しかし、今日のゲームは優勝がかかっていたせいもあり熱い戦いとなった。録画観戦ではあったが、伝統の一戦らしく中々の好ゲームに久々に大学ラグビーを満喫した。

2012年12月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com