2035.2012年12月8日(土) 日本の破滅へ突っ走った開戦記念日

 また巡ってきた71回目の開戦記念日である。今朝の日経「文化」欄に日米開戦を巡る新事実が明らかになったことが紹介されている。

 「最後通告の手直しが遅れ、米国に『だまし討ち』と非難された問題で、修正を指示する日本から大使館への電報が半日以上を経て発信されていたことを示す傍受記録が米国で見つかった。これまで不明だった発信時刻が判明。『在ワシントン大使館の職務怠慢による遅れ』とする通説に一石を投じそうだ」と冒頭書き出されている。この電報が予定通り発信されていたら開戦が回避されたというわけではないが、史実に間違いが明かされたということになろうか。対米開戦が話題であるが、真珠湾攻撃よりいち早く帝国陸軍は電撃的にタイのシンゴラとマレー半島コタバルに上陸作戦を開始し、それが昭和17年2月15日のシンガポール陥落への破竹の進撃となった。その臨場感を実戦に参加した人たちから聞かされたことがある。また、30年以上も前になるが、ひとりコタバル海岸を歩きながら往時の日本軍の勝どきを感傷的に想像したものだ。

 新資料は昨年9月にメリーランド州にあるアメリカ国立公文書記録管理局で三輪宗弘・九州大学教授が発見した。当然のことながら、史実は正確に伝えられなければならない。塩崎弘明・長崎純心大学教授も「真珠湾の奇襲を成功させるため意図的に電報を遅らせたことがこれで明らかになった。打電時間についての新資料自体は細かなことだが、正確な歴史認識を得るためには、こうした史実を丁寧に掘り起こしていく必要がある」と述べている。だが、戦後70年近く経過して重要資料が発見されたという事実は、あまりにも遅きに失しているとの印象が拭えない。

 われわれはいくら時間が経過しても大東亜戦争の翳から逃れることはできない。私自身仕事で随分関わってきたが、今またドキュメントの書き直しでトラック島と戦時中の史実に触れないわけにはいかなくなった。海軍ばかりでなく、陸軍航空隊の元戦士の皆さんから伺ったビルマ戦線の様子も付け加えてみるつもりだ。

 さて、今日はヨタロウ会の忘年会が茅場町の「鳥徳」で開かれた。いつもなら休日のところを、小中さんの特別な要望とお店の計らいで、平賀源内の命日には10日早かったが、無理に貸し切りでオープンしてもらった。夏に白金で開いた時は、生憎ヨルダンを旅行中だったので参加できず、今日は久しぶりに酒好きの人たちと話を楽しむことができた。残念ながら糖尿病のイェローカードが出たので、あまり飲むわけにも行かず、二次会も付き合うことはできなかった。

 皆さん、小中陽太郎さんを慕って集まる仲間なので、気持ちの良い人たちばかりで、毎度心地よい雰囲気を楽しんで帰ってくる。

 須藤甚一郎・目黒区議の巧みな司会でそれぞれ近況報告をしたが、終わりになって小中さんが言い足りない人もいるから、現状で何でも発言して欲しいと促された、元朝日記者が今度の選挙の空気、特に原発に対する弱い反対意見をどう思うかと問い、週刊朝日の特集「ハシシタ」記事に対する元在職の朝日の対応に関する不満も述べていた。それに対して、テレビにも度々出演される毎日新聞の鈴木琢磨氏がアンチ朝日的な持論を混ぜ合わせながら、橋下問題と部落問題について話された。お互いに時間的にも不十分なので、不満だと思うが考え方の一端を話された。もっとお二人の論争をじっくり聞けば面白かったのではないかと思った。他にも小中さんの近著「翔べよ 源内」の書評を「筆洗」で紹介した瀬口晴義・東京新聞論説委員など多士済々だった。もう少し話し合いたかったというのが率直な気持ちである。それにしても恨めしい糖尿病である。

2012年12月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com