1958.2012年9月22日(土) 日本政府はしっかりわが国の立場を主張せよ!

 昨晩我々が宿泊した部屋は軽井沢プリンス・ホテルの中でも、コテージスタイルの部屋でそれぞれが一戸ずつ独立したものである。家族が久しぶりに寛いで泊まるには、打ってつけである。大木が林立する林の中に静かで、緑が溢れんばかりで抜群の環境にあり、昨晩はやや寒かったがおかげでゆっくり休むことができた。

 今朝二男から「軽井沢絵本の森美術館」と「エルツおもちゃ博物館軽井沢」へ孫を連れて行くので一緒に行こうと誘われたのでお供したが、一昨年妻と訪れた塩沢湖を取り巻く周辺の「軽井沢タリアセン」のすぐ隣にあった。絵本やおもちゃの博物館もじっくり見学すれば、それなりに面白いと思う。タリアセンも湖の周辺の散歩道も整備され、小規模ながらも家族連れが楽しむにはほどほどの娯楽施設もあって、小さい子どもを連れたファミリーには手ごろだと思う。中々印象的で興味を惹く観光施設だったので、序に彼らをそこへ案内したところ気に入ってもらえたようだった。

 軽井沢は2年ぶりだったが、偶にはこういう静かなところでゆっくりリフレッシュするのも良いものだ。その後彼らと別れて2時近くに軽井沢を発ち、6時ごろ無事帰宅することができた。

 さて、尖閣諸島国有化以来反日デモが加熱して日中両国の間に険悪な空気が流れ、その後派手な反日デモはやや終息気味であるが、両国間に少しずつ経済、文化、観光などの面で影響が表れてきたようだ。一方で、来月中国国家主席に就任すると思われている習近平・国家副主席が、数日前アメリカのパネッタ国防長官に会った際、日本の右翼政治家たちが茶番を演じたと些か常軌を逸するような礼を失する外国への中傷的な表現で厳しく非難した。

 前者については、日本から中国への輸出に関して、従来以上に厳しい通関手続き審査を行って物流に支障を来たしたり、日本関係の書籍の出版と販売を差し控えさせたり、スポーツや文化の交流を中止したり、或いは日中相互間の観光客の減少をもたらしたり、多くの分野で芳しくない影響が出てきた。

 一方後者については、中国のトップが一方的に日本の対応を非難し、中国国民が過激な反日デモを容認し、その責任は日本が負うべきだと傲慢な弁舌を行っていたが、一昨日アメリカのキャンベル国務次官補が、ウェブ上院議員の質問に応える形で、日中どちらの肩を持つつもりもないと断りながらも、「尖閣列島は日本の施政権下にあり、1972年沖縄を日本に返還して以来日米安保条約の協議の対象にある」と述べたことを受けて、習副主席の日本攻撃は少しニュアンスを変えてトーンダウンした。しかし、軍部の態度は相変わらず強硬のようだから、これまで通り楽観は許されない。

 中国の日本非難には常軌を逸する面があり、日本としては正論をぶつけて反論し、国際社会にアピールたいところであるが、当面は中国が頭を冷やすのを待つ方が良いだろう。

 それにしても日本にとってやはり頼りになるのはアメリカしかないというようでは、この劣勢を逆手に取られる心配がある。今では、残念ながらわが国にとって日米安保条約が外国からの攻撃を防止する大きな抑止力になった感がある。これは日本にとっても両刃の刃となりかねないことを認識したうえで、アメリカとも真摯に向き会わなければならない。対中戦略上アメリカの傘の下にいることが、中国から言われなき攻撃を受けずに済むと短絡的に考え、自ら問題を解決しようとしないなら、反って中国の思う壺となる。アメリカに対しても渦中のオスプレイ沖縄配備問題について日本の立場を論理的に主張しないなら、また将来的な脱原発に懸念を表明するアメリカ政府に対して断固としてわが国の立場、考え方などをきちんと説明しなければ、どこの国に対してもわが国はひ弱な丸裸ぶりをさらけ出すだけである。結局日本は断固として言い分を主張せず、他国頼りか、沈黙を守ったまま何も言わない静かな国であると足元を見透かされるだろう。

 ところで、今日は「秋分の日」であるが、例年「秋分の日」は23日が相場と決まっている。それが今年は今日22日が「秋分の日」で、意外にもこの椿事は、実に116年ぶりだそうである。嘘のような本当の話である。

2012年9月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1957.2012年9月21日(金) 民主党代表に野田佳彦首相を再選

 すっかり国民の信頼を失ってしまった民主党は今日代表選を行い、野田代表が大差で他の3候補を破り、引き続き代表に選出された。国会議員票と地方代議員・サポーター票1321の内、野田氏が818票、つまり全体の2/3を獲得した。だが、この後野田代表の下に引き続き民主党が政権を維持してことになったが、どう国政を機能させていくのか、どうもはっきりしない。いずれにせよ政権を託された以上国民の期待に応えるよう精一杯の努力を尽くすことは政権与党としての責務であり、ぜひそのようにお願いしたい。26日には自民党総裁選が行われ、その結果次第では早晩国会が解散するかもしれない。その自民党の総裁選も何やらきな臭い。国内外に多くの課題を抱える日本の政治は、どう国民の期待に応えることができるのだろうか。あまり期待できるとは思えないが、ダメはダメでもそうばかりも言っていられない。

 さて、新潟にいる二男家族に誘われ今日軽井沢プリンスホテルへ宿泊することになった。車でホテルまで関越道から上信越道を通り、約3時間半の道のりをやって来た。2年ぶりのプリンスホテル滞在であるが、学生時代に夏休みを2回父の会社が夏だけオープンした旧軽井沢のアイスクリーム店でアルバイトをやったので、懐かしいところである。その軽井沢にも長野新幹線が停車するようになって、駅周辺が開け雰囲気は様変わりした。特に駅の南側は西武グループが開発した新興地で、いわゆる軽井沢のイメージがあまり感じ取れない。軽井沢と言えば、避暑地としてのイメージが強くその点では旧軽井沢に止めを刺す。昼食を旧軽でいただこうと、久しぶりに旧軽井沢散歩を楽しもうと出かけてみた。

 JR軽井沢駅前のお蕎麦屋で腹ごしらえした後、駅前に生えた樫の大木の見事さに、かつてこのような大木があったのか記憶にないので、店主に聞いてみると駅前の整備計画の際郊外から移植したものが、上手い具合に根付いたものだという。中々立派な木ですでに軽井沢を象徴するような風格がある。いずれ軽井沢町のシンボルというか、名物になるのではないか。

 旧軽井沢に残るいくつかの往時の名残が土地の伝統を伝えてくれる一方で、新しいよそ者の大木がその土地に根付くというのは、新しい伝統を作り上げることになると思う。

 昔の面影が残る旧軽井沢に比べて、やはり新開地の駅南側アウトレット周辺は雰囲気が異なる新しい今風の賑やかさと派手さがある。旧軽井沢は夏の最盛期の熱気は消えたが、やはりいわゆる軽井沢銀座となって、古い佇まいが残っているかと思えば、ニュータイプの建物があったり、チグハグな趣もあるが、一見して中々味がある通りである。妻と周辺を一回りして、通りに面したコーヒーショップでコーヒーをいただく。

 昨日まで暑さに閉口したが、今日は曇天で暑さはそれほどでもない。だが、今夏の異常な暑さが昨日まで続いていたことを考えると、今日は涼しいくらいである。特に、軽井沢の陽気は半袖では涼し過ぎる。用意していたジャケットを羽織って丁度良いくらいである。

 夕食はホテルの外で息子たちとともにした。一ヶ月前に彼らと箱根で1日をともにしたが、孫の成長も見ることができてまぁ楽しい一日となった。

 今日プロ野球セ・リーグで読売巨人軍がぶっちぎりの優勝を遂げた。3年ぶり34回目の優勝である。昨年まで球団オーナーだった滝鼻卓雄くんもさぞや喜んでビールかけを見ているのではないか。3年ぶりの優勝だからその気持ちは分かる。来月ゼミの最後の例会があるので、その時会えたら巨人ファンのひとりとしてお祝いの言葉を伝えたい。

2012年9月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1956.2012年9月20日(木) 電話によるビジネスは難しい。

 一昨日の本ブログに書き込んだインターネットの無線通信の件について、結局元通り光フレッツを続けることにした。だが、最終的に話の決着がつかないまま、昨日代理店から電話を待っていたが、中々連絡がないので当方から電話をしたところ、1時間半ほどしてから担当者から電話させるという回りくどい話になった。ともかく待っていた担当者の電話が何とも一方的で、無線Wifiが光フレッツのテレビと連動しているので切り替えるとテレビが観られないので、これでは反ってサービス低下につながるのでこの件はキャンセルしたいと話した。ところが相手は、テレビの件は冒頭に話した筈だと言う。そんなことは聞いていないし、それが分かれば無線Wifiには最初から申し込まないと抗議したところ、言った、言わないの話になり、半ばけんか腰でとにかく契約をキャンセルし、38,400円もする高額な違約料金についても、業者側に説明不足があったので支払う必要はないと強く言って電話を切った。その後再三電話がかかってきたが出なかった。

 今日になって同じ人物がソフトな声で話を作り上げて私の契約はなかったものとして取り扱うことにして、ほぼ私の要望通り受け入れてくれるということになった。従って違約金は支払わなくてもよいことになった。

 これで一件落着というところだが、どうも後味が良くない。電話ビジネスというのは、じっくり話し合うということがないので、どうしても説明不足になり大事なアイテムを見落としてしまうことがある。まあ無駄な時間と手間をかけたが、元通り光フレッツを利用することで落ち着いた。

 やれやれである。

 6月に旅したヨルダンとイスラエルについて旅行記を書いていたが、漸く脱稿した。次号「知研フォーラム」に寄稿するつもりだ。要旨は、1967年にヨルダンの首都アンマンを45年ぶりに訪れ、前回丘の上でヨルダン軍に身柄を拘束された現場を再訪した印象と懐旧談を旅行記として綴った。A4判で7枚にまとめたが、これに写真を8枚程度添えて組版したうえでPDF化して送稿しようと思っている。珍しい体験記だと思うので、ある程度関心を抱いてもらえるのではないかと思っている。

2012年9月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1955.2012年9月19日(水) 「2030年代に原発ゼロ」は絵に描いた餅か。

 昨日中国の「国恥の日」に中国国内の反日デモが燎原の火の如く燃え上がり、中国全土で激しく広がった。ただ、襲撃を受けそうな日本の在外公館には警官隊が配置されデモ隊は繰り出されたが、大きな被害はなかったようだ。一方民間企業ではデモ隊の攻撃を避けるためには、自己防衛するしかなく、とてもデモ集団からの攻撃をかわせる体制は取れなかった。結果的に昨日多くの企業やサービス業がデモ隊によって襲撃され、大きな損害を蒙った。

 しかし、デモが過激化するのを容認していた中国政府は、今日になってデモを禁止した。中国国内の事情により反日デモが政府へ向けられるのも恐れた中国当局が、自発的な反日デモだからと言ってこのまま野放しにすることはできず、断を下したのである。デモ隊が暴徒化する様子が世界に発信され、中国のイメージが大きく落ちたこともある。そのうえ、中国への投資に安全が担保されているかどうか疑念を抱かれたのである。

 今日の様子から察すると少しは反日デモが鎮静化の方向へ向かいそうだが、国家同士の信頼関係が損なわれた現状では、以前のような関係を取り戻すことは相当時間がかかりそうだ。

 さて、14日に野田内閣は国民の多数が脱原発を望んでいるとして「2030年代に原発稼動ゼロ」を可能とするようあらゆる政策資源を投入するとして、原則として原発の新増設を認めないとする革新的エネルギー・環境戦略を決めていた。昨日それを閣議で決定することを見送ることにした。

 国民の声が圧倒的に脱原発であることに鑑みて、脱原発へ舵を切ろうとしたばかりである。しかも、6月には、正反対な考えとして国民生活と経済の安定的な維持を考えると、今原発を停止することはできないと野田首相は述べていた。それらを含めて、我々国民は脱原発へ舵を切ったと考えていた。だが、腰の定まらない野田政権は、経済界の声、原発立地自治体、アメリカや英仏の原発を止めることの懸念などが強くなると、再び腰がふらつき出した。その挙句がこの朝令暮改となった。ちょっと酷すぎるのではないか。

 政府の逃げ口上ではこう言っている。「今後のエネルギー・環境政策については、『革新的エネルギー・環境戦略』を踏まえて、関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、不断の検証と見直しを行いながら遂行する」だそうである。本当はどうなのか。これではまるで骨抜きではないか。これは場合によっては、原発稼動はありうるということを示唆している。誰が悪知恵をつけたのだろうか。これでは、国民としては最早政府の言い分を信用することはできない。

2012年9月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1954.2012年9月18日(火) PCインターネットは従来通り光ファイバーで

 先月末以来、PCのインターネットをこれまでの光ファイバーから無線Wifiに切り替えるべく準備して、Wifi代理店の言うように受信用子機をセットして今日すべて準備完了としたかった。子機の購入の件もあり、今朝いつもお世話になっているITコンサルタントの小糸武彦さんに子機持参で来ていただいた。

 ところが、光ファイバーから無線に切り替え、光ファイバーを解約するということは、現状ではそれと連動して稼動しているテレビの画面が消えるのではないかと、昨日になって急に不安になりだした。小糸さんに聞いたところやはりその通りだというので、元の木阿弥ではあるが、一旦契約したWifiを解約する方がむしろベターだと判断して、無線通信契約をご破算とすることに決めた。そのために代理店に連絡を取っているが、相手が一向に電話に出ない。午後になってまた電話すると漸く電話口に出た係員が、営業は12時から夜9時までだと言い、おまけに解約違約金が38,400円もかかるとべらぼうなことを言う。テレビが観られなくなるのでは、多少通信料金が安くなっても、反ってサービス低下であり、その肝心なことを契約前に話してくれなかったのは代理店の落ち度であり、契約してまだ1ヶ月も経過しないものに、違約金としてそんな高額を払えないと言ったら、明日担当者が電話をくれるということになった。

 結論として無線通信を止め、従来通り光ファイバー回線でインターネット通信を続けることにした。

 それにしてもネットによる商取引というのは難しい。代理店のHPを見ながら承諾書を短時間内に読んで了解のキーを打ち、契約書は手元に残るわけではない。これまで書籍の購入を時折ネットでやったが、そんなに複雑なルールに従って行うわけではないので、やや軽く考えていた節がある。もう少し慎重に行うべきだったと猿でもできる反省をしている。ネットビジネスに落とし穴ありである。

 さて、中国における反日デモがエスカレートして、1931年柳条湖事件の勃発により満州事変が起きた、中国にとって「国恥の日」である今日、中国全土100都市以上で反日デモが行われ、被害を恐れた日系企業は操業を休止し、デパートなどの商店や飲食店は臨時休業し、日本人学校は臨時休校し、尖閣諸島周辺には12隻もの中国海洋監視船と漁業監視船が領海を侵犯するほどの過激ぶりである。日中間の交流事業がキャンセルされたり、双方向の観光客が大きく落ち込み、観光面で大きな影響が現れている。政府8省庁が日系企業の安全対策、被害対策について協議を始めた。

 専門家の中には、これほどの反日行為は政府内でも予想していなかったようだとして、国有化についてはもう少し熟慮すべきだったと今になって無責任な発言をする識者がいる。今日の民主党代表選へ立候補している鹿野元農水相、赤松元農水相、原口元総務相らが、民主党から多数の離党者を出したのは代表である野田首相の責任が重いと揃って非難していたが、手を拱いていた彼ら幹部党員にも責任があるのは当然だ。それは前者の発言とまったく同じ論理だ。自分たちは何もしないで都合が悪くなると相手を非難する。これでは何も問題は解決しない。こんな考え方だから、日中問題も当分解決の見通しが立たない。

2012年9月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1953.2012年9月17日(月) 敬老の日に元気な昇地三郎先生

 敬老の日である。高齢化社会が話題に挙がることが多くなった。65歳以上の高齢者が全国で3000万人を超え、全人口(1億2753万人)の24.1%が高齢者となった。高齢者人口は年々その割合が増え、昨年に比べて0.8%上昇した。これから福利厚生関係に占める高齢者関連予算のシェアがどんどん増えることだろう。そうなると景気回復がなければ増税と支出の削減ということに繋がるだろう。当然年金の減額や社会保障サービスの低下という厳しい状況になるかも知れない。昔学校で習った「ゆりかごから墓場まで」の標語が懐かしい。

 ところで、夜のNHK「ニュースウォッチ9」で敬老の日に因み「106歳からのメッセージ」と称して福岡市に住む1人のインテリの老人を紹介した。それが何と昇地三郎先生だった。昇地先生は「しいのみ学園」理事長で幼児教育の第一人者でもある。私は直接お会いしたことはないが、3年前に所属するNPO「知的生産の技術」研究会が企画・編集した出版物、「知の現場」(東洋経済新報社刊行)の発行に際して、私も編集スタッフのひとりとして浅からず関わり、我々スタッフが21人の識者を手分けしてインタビューした。私も21人の識者の内4人を取材した。文章編集の仕上げ段階で他のインタビュー記事の全般的な推敲に関わったが、そのひとりが昇地先生のインタビュー記事だった。すごい人がいると思いながら興味深く読み、原文に手を加えたことを思い出す。相変わらずお元気なのには改めて驚いたが、今日のテーマにはおまけがついていた。それは「106歳の最長寿世界一周旅行者」としてギネス記録に登録されたそうである。そう言えば、3年前103歳でも海外旅行を楽しんでいると言っておられた。傑物であるに違いない。

 さて、一昨日三連休を良いチャンスに奈良からやってきた長男の3人の子どもたちが、昨日は朝早く長男に連れられディズニー・シーに喜び勇んで出かけ、何と帰って来たのは夜11時半だった。すっかり遊び疲れて今朝は遅くなって起きてきた。午後1時過ぎに長男が車で新横浜駅まで送り、3人だけで帰って行った。彼らの行動でやや気になったのは、どうもゲームに夢中になっていることだ。上の男の子が中1で、下の二人の女の子は小学生であるが、今日も新幹線の中でも夢中になったのではないか。わが家にいる時でも3人が揃ってゲームに熱中している様子を見ると、これを止めさせるのは中々難しいのではないかと思う。一旦買い与えたら、もう止め処がない。今の子どもたちをどうやってこういうゲームに興味を持たせないようにしたら良いだろうか。我々世代はこんなゲームとは無縁だったし、我々の子どもたちでもほとんどゲームとは無縁に近かったと思う。現代の親は純粋に教育問題のほかにも、遊びの点でも監視し、指導しなければならないのでつくづく大変だと思う。

2012年9月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1952.2012年9月16日(日) 中国国内で反日デモがエスカレート

 尖閣諸島国有化に反発している中国の反日デモは日増しに激しさを加えて、今年が日中国交回復40周年の記念すべき年に当たるが、両国間の交流や親善イベントが民間レベルも含めて間際になって中国側によって一方的にキャンセルされるケースが増えてきた。尖閣諸島問題が原因というならまだしも、キャンセルの詳しい事情も語らず、ただ詳しい説明もなくそのような時期ではないというような事情では俄かに納得できない。また、それまでその実施に向けて企画に携わってきた人たちに対して失礼極まりない。これが老荘思想を輸出する国の人間の行うことだろうか。

 昨日反日デモは中国各地55都市で行われたが、今日は80都市で行われ、中国国内の日本企業や、デパート、日本レストランが襲われ狼藉される有様で、青島のパナソニックでは工場に火をつけられたり、イオンの如きは24億円分の在庫商品が奪われたり壊れたりしたそうだが、これでは政治的なアピールというより、器物破損、強奪であり完全な犯罪ではないか。こんな蛮行が愛国的行動として取り締まられないどころか、お目こぼしなのである。この状態だと凶暴化したデモの発生件数は過去最悪になりそうである。彼らがいくら正しいと思うことを主張しても行うことがドロボーと寸分変わらないのでは、世界の常識的な国家ではそんなお祭り騒ぎは線香花火に終わってしまうのではないだろうか。そうなることを願い期待したいと思う。実際呆れ果てる所業で、物言うも盗人猛々しいと言わざるを得ない。

 市内では日本人が暴行を受けたり、はたまたタクシーに乗車拒否されたり、中国流の「愛国無罪」の下に何でもありの様相を示してきた。いくら気に入らないからといって、罪のない人を襲ったり、それを国が黙認し、止めようともしない状態は異常としか言いようがない。こんな無法国家は他国と付き合う資格はないと思う。日本人排撃のインターネットの書き込みも度を過ごしていて、それを煽っているのがいつもながら中国官製メディアである。日本に有利な情報は隠匿し、自分たちにとって都合の良い情報しか流さず、正しい情報は国民に目隠ししている。これに気がつかない中国人がメディアにマインド・コンドロールされて喚きちらして、暴れている構図である。愛国→反日デモは、中国人の品性のなさと非常識を国際社会へ発信しているようなものではないか。特に、こういうアブノーマルなケースでは普通は行き過ぎるとどこかでブレーキをかける良識的な声が出てくるものだが、中国ではどこからもまともな声は一向に聞かれそうもないことである。これこそ国家がメディアをコントロールしている証拠ではないだろうか。

 それにしても酷いものだ。反日なら何をやっても許されるということが、理解できない。こういう偏った思考が生まれたのは、道徳教育の失敗と過度な反日教育によるものであり、長い間の中国共産党による一党独裁の支配体制に由来するものだ。血が上った中国人には、今何を言っても無駄だと思うが、もう少し冷静に事態を解決しようとの気持ちになるのを待つよりしょうがないのだろうか。中国人というのは、もう少しまともだと思っていたが、他人のことは構わず自己本位に騒いで行動する民族だということが分かった。残念なことである。

 尤も日本の政治家が事態解決に向かって解決のためのアイディアも知恵も出さないのも悪い。

 まったくこの数日は胸糞が悪くなるばかりである。

2012年9月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1951.2012年9月15日(土) 妻とのお見合いから44年

 44年前の今日妻と高輪プリンスホテルでお見合いした。その当時「9月15日」は「敬老の日」と決まっていた。敬老の日にお見合いする奴もあまりいなかったかもしれない。私にしては最初にして最後のお見合いだ。私はその頃ややスランプ気味で若気の至りもあり、会社を辞めるとか辞めないとか、或いはひとりで戦時下の国々へ海外武者修行へ出かけて、親にしてみれば少し腰を落ち着けさせた方が良いと考えたのだろうか、この当時しきりにお見合い話が持ち込まれた。

 まったく取り合わないでいたが、この時ばかりはお仲人さんの奥様が母と女学校の同級生で、お仲人さん夫妻と両親が親しく、昔から家族同士のお付き合いがあったせいもあり、加えて妻の父とお仲人さんが同じ会社の役員同志で家庭環境を良く知っていたこともあって、ともかく一度会ってみることになった。私も子どもの頃からよく知っているお仲人さんの奥様、妻の母、私の母が立会人?となって妻と会ったが、お見合いを終えて鵠沼の自宅に帰ってきたら、いきなり父がこの話に決めろと一方的に言い、結局それほどお互いに会うこともないうちに、翌年5月10日ホテル・ニューオータニ「芙蓉の間」で挙式し、翌日羽田から細かいスケジュールも決めないまま東南アジアへ新婚旅行に旅立った。

 この新婚旅行もマレーシアで戒厳令が発令され、突然ペナン空港が封鎖されるトラブルに見舞われペナンへも行けなくなってしまった。やって来たバンコック空港で急遽行先をチェンマイに変更したようなドタバタだった。

 お仲人さんが妻の父に私のことを「中々元気の良い青年」と触れ込んでいたうえに、私自身海外武者修行を繰り返して、当時としては傍目に少々型破りの人間に見えたようで、妻の両親も新婚旅行当初からトラブルに遭って少々あっけに取られたり、心配になったのではなかっただろうか。この男に娘を連れ去られるのではないかと思ったのか、11日間の旅行を終えて帰国は予定通り香港から羽田に帰り着いたが、妻の父が空港へ車で出迎えに来て、その日はそのまま我々新婚夫婦揃って妻の実家へ連れて行かれたほどだった。

 早いもので、思えばあれから44年が経過して、お世話になったお仲人さん夫妻、妻の両親に私の両親もすでに他界した。今は2人の息子と4人の孫に恵まれ、大したトラブルもなくまずまず平穏な生活を送っている。河上肇の言葉ではないが「幾山河越えては越えて来つるものかな」の心境である。

 今日長男の子どもたち3人が連休がらみで奈良から新幹線でやってきた。明日は長男が孫たちをディズニー・シーへ連れて行って、暫くわが家に居候している長男が子どもたちにサービスして久方ぶりのスキンシップを取り戻すようだ。

2012年9月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1950.2012年9月14日(金) 2030年代原発ゼロを目指す新エネルギー政策

 N.Y. 9.11テロ発生11年目の日時に合わせるかのように、9月11日イスラム諸国で反米的な行動が行われ、リビアのベンガジ米領事館をイスラム教徒が集団となって襲い、スティーブンス大使ほか3人のアメリカ人外交官を殺害した。ことはリビアだけに留まらず、エジプトとチュニジア、イェーメンの米大使館でも危害を加えられた。

 原因はユダヤ系アメリカ人が製作した、イスラム教の預言者ムハンマドを冒涜したとされるフィルムが、‘You Tube’を通して世界中に流布されイスラム教徒の怒りを買ったことによるものだ。アメリカ政府もフィルム製作それ自体には遺憾の気持ちを抱きながらも、自国の領事館を襲撃されたことを厳しく非難している。

 明日それらの国々ではイスラム教祝祭日に当たり、反米デモが一層拡大することが心配されている。この動きと背景はイスラム圏内だけに留まらず、先日丹羽宇一郎駐中国大使が北京市内を公用車で移動中に中国人が運転する2台の高級外車に襲われ、国旗を分捕られた事件も同根のものである。

 さて、今日はどこのテレビ局でも自民党総裁選の候補者に対する記者会見を放映している。立候補者5人が勢揃いしたが、今ひとつ喰い足りない。それぞれの主張を部分的にしか聞いていないが、私には石原幹事長、石破前政調会長、林政調会長代理の考えが、安倍元首相と町村元官房長官に比べるとマシかなぁと感じた程度である。自民党の幹部連は、これまで野党だったせいか原発問題に関して真剣さが足りず、少々原発に疎い気がした。仮に自民党が天下を取ったら、原発政策には信頼が置けない気がした。

 その原発政策について、今日の政府閣僚会議で2030年代に原発ゼロを目指す新しいエネルギー政策が了承された。原発推進とともに、原発ゼロの道のりも極めて険しいことは、最近の経済界要人の声からも想像できるが、昨日になって俄かに原発推進国の米英仏が、日本が原発ゼロを目標に盛り込むことに懸念を示し始め、日本政府に牽制球を送り出した。

 特に、アメリカは日本が再処理に伴い排出されるプルトニウムの処理に疑問を抱いている。これまで国内だけで済む問題と考えられていたが、どっこい今後は原発稼動国との話し合いと調整が必要になった。原発反対運動も新たな局面を迎えることになったと言える。

2012年9月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1949.2012年9月13日(木) ビルマの教科書にも紹介される親日性

 「週刊新潮」最新号によると戦後徹底した反日教育を行った結果、現在の2国間の友好関係を損なうような事態を惹起させている中国や韓国に比べて、親日教育を思わせる内容が高校1年生の国定教科書に紹介されているのが、元々親日的なビルマだという。私自身何度もビルマへ行って、ビルマ人の親日感情はよく承知しているが、教科書にまで掲載されてPRされているとは寡聞にして知らなかった。

 そのビルマ人高校生用の教科書に紹介された事例は、戦時中イギリスからビルマを独立させるため、「南機関」という特殊機関を作り、そのボスとしてビルマ独立義勇軍隊員と日本人を率いて活動した鈴木敬司・陸軍大佐のビルマ独立のための功績を好意的に描いたものだそうである。

 1970年代に駐日ビルマ大使館へ度々出入りして、当時のウ・チ・コー・コー特命全権大使と親しくさせてもらったが、そのきっかけを作ってくれたのが、元南機関員で当時ビルマ大使館勤めの川島威伸氏と高橋八郎氏だった。お二人はビルマ派遣の日本兵の間では薄々知られた軍人だったが、帝国軍人らしく毅然とした川島氏と、軍人らしからぬ腰の低い高橋氏は対照的で、戦時中の苦闘ぶりを随分聞かせてもらった。

 いつだったか、静岡県舘山寺で鈴木敬司大佐を偲ぶ慰霊祭が行われ、ビルマに縁のある人たちと一緒に参加したことがある。そこには、鈴木大佐のお孫さんも大使も出席された。私がよくビルマを訪れていた30~40年前には、ビルマの人々は鈴木大佐をボー・モ・ジョ(将軍の意)と呼んで慕っていると話してくれた。これも日本とビルマを結ぶ固い絆の証拠であり縁だと思う。今尖閣列島や竹島問題で中国や韓国とはギクシャクした関係にあるが、その底流には反日教育の影響を無視することはできない。その点では、親日教育を反映させて日本に対する憧れを募らせているビルマとビルマ人には感謝の気持ちがしている。

 私は世界遺産のテーマで講演を依頼されると、ユネスコ加盟国の中で唯一世界遺産が登録されていないビルマについて触れ、世界遺産を凌駕する素晴らしいビルマ国内の史跡とビルマ人の優しい国民性について話している。

 やはり、私にとって最も好きな国のひとつである。

2012年9月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com