1612.2011年10月12日(水) スロバキアが欧州金融安定基金を否決

 ギリシャの金融不安からヨーロッパの大手銀行「デクシア」破綻を引き起こした。それに伴いEUはヨーロッパの債務危機の拡大を防ぐため欧州金融安定基金の強化策を講じたが、昨日スロバキア議会がこれを否決した。強化策とは基金の規模を増やしてユーロ経済圏内の金融機関に資本注入したり、加盟国が発行した国債を買い入れたりできるようにすることだ。EU27加盟国ではなく、ユーロ圏(通貨ユーロ流通)内17加盟国のうち、スロバキアを除く16カ国はすでに承認した。ところが、唯一の未承認国・スロバキアが昨日議会で「ノー」の結論を出したのである。原案は全加盟国一致が原則である。こうなるとギリシャ支援策のみならず、ヨーロッパ金融支援策が宙に浮いてしまう。
 スロバキアの反対理由は分らないこともない。他の16カ国だって苦しい中で止むを得ず「小の虫を殺して大の虫を生かす」選択をしたのだ。だが、スロバキア国民は、自分たちより経済規模が大きく金持ちの国を貧しい自分たちがなぜ援助しなければならないのかと素朴な疑問をぶつけたのである。実際EU27加盟国平均の国内総生産(GDP)を100として、債務危機で支援を受けたギリシャが「88」、ボルトガルが「81」に対してスロバキアは遥かに下回る「74」なのである。この数字を見る限り、貧しい自分たちがなぜ金持ちを助けなければならないのかという主張にも一理ある。
 ただ、スロバキアにはあくまで突っぱねるとEU内における自分たちの存在が今後危うくなるとの思惑もあり、近々否決から可決賛成に転じると見られている。事実昨日の否決は、出席議員122人のうち賛成が55人で、残りは反対9人、それに併せて棄権60人というのが曲者だ。虚々実々の駆け引きの末に棄権した野党が次の舞台では賛成票を投じるらしい。
 まあ次の出方により債務不履行や経済停滞が救われ、経済が回復するなら一歩後退二歩前進ということになる。
 スロバキアの首都ブラチスラバを訪れたのは、社会主義体制が崩壊する以前だったが、ドナウ川を渡りバスでハンガリーのブダペストへ向った当時が懐かしい。
 さて、今バンコックが洪水で大変なことになっている。特に、バンコックの北方アユタヤには日系企業団地があり、それらが大きな被害を蒙り、トヨタ、日産、パナソニック、ソニーなどの工場が生産停止に追い込まれて、輸出にも影響が出ている。この世界遺産都市・アユタヤへも何度か行った。あのチャオプラヤ(メナム)川の辺りも人力車で随分彷徨ったこともある。特に、初めて訪れた外国の都市が、バンコックとアユタヤだった。また、新婚旅行も行き当たりばったりにアユタヤを訪れ、スリン空軍大佐の家庭を突然再訪して驚かせたが、歓待され、良い想い出を作ることができた。
 タイのお隣の「私の最も好きな国」ビルマでも動きが見られた。あれほど偏屈に民主化を押さえ込んでいたティン・セイン大統領が、本質は変わらないと思うがどういう風の吹きまわしか、大分軟化したようだ。外国からの経済制裁解除を求めて政治犯をはじめとして受刑者に恩赦を今日実施した。このところアウン・サン・スーチーさんの希望を受け入れたり、北西部のカチン州に中国が建設中のダムを自然環境破壊反対運動派に配慮して工事を中止したり、一時の頑なな姿勢が急激に変わってきたように思う。元々国民性の素晴らしい国だけに、時間はかかるかもしれないが、ビルマの再生を期待したい。

2011年10月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1611.2011年10月11日(火) 日本という国は融和と協調性がなく、本当はバラバラではないのか。

 ギリシャの財政不安から懸念されていたEUへの影響が、ついに先週末EU内の大手銀行破綻という形で表面化した。フランス・ベルギー系銀行の「デクシア」は、同行を分割して売却する方針を決定し、両国政府もその決定を受け入れ「デクシア」を国有化することに決めた。この処理を防波堤にして今後連鎖破綻を防ぐことができるのか、或いは他の金融筋に影響が出るのか、予断を許さない。
 さて、震災前まで、わが国は原子力発電技術と施設をパッケージで輸出販売することを国策のひとつとしてその実現に意欲を示していた。ところが震災により事態は一変した。それにも拘わらず経産省は厚顔にも既定方針通りベトナムや他の途上国へ原発を売り込むつもりでいる。
  そんな折地球温暖化対策を話し合う国連気候変動枠組み条約のパナマ作業部会で、国際環境NGOでつくる「気候行動ネットワーク」が交渉で最も後ろ向きだった国に贈る「化石賞」に日本を選んだ。何とも恥ずかしく皮肉っぽい話ではないか。彼らは日本が事故を起した原発をその処理すらできないのに途上国に輸出するのは倫理的におかしいと言っている。自分の頭の蝿も追えないのに他所に対して何を言っているんだと言わんばかりである。確かに筋が通らないと思われても仕方があるまい。
  これらを考えると今やわが国の国際的な立場は、震災と原発事故への同情はあれ、率直に言って日に日に追い詰められているのが実情ではないか。前記のヨーロッパの金融不安にしても、おかしな話がある。ヨーロッパ金融機関の資本増強に対してこっそり日本へ支援を求めてきているとの噂がある。当然相当な金額に上がるだろう。そして、こういう「こっそり」のおねだりは、政治家ベースではなく実務者、つまり財務省が「こっそり」と請け合い、支出するケースが多い。巨額の支出をどこから捻出するのか。これも目の利かない国民や政治家にめくらましをかませて、こっそり役人が特別会計から引っ張り出すことになるようだ。
  こんな話を聞いていると、何とかしてこの実態を暴き実情を公開させるよう努めなければいけないと思う。それにしても国政に無関心な国民がズルイ役人と愚かな政治家に舐められ、「こっそり」騙されているというのが今の日本の実態ではないか。哀れなのはあまり物事を深く考えようとしない国民である。あな恐ろしいことである。

2011年10月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1610.2011年10月10日(月) 辛亥革命から1世紀、中台それぞれの思惑

 今日10月10日はちょうど100年前に中国で辛亥革命が起こった日である。世界史では随分習ったエポックメーキングな事件だ。長く続いた清王朝が倒れ、孫文率いる中華民国が成立した。結局これがアジアで最初の共和国家となった。
 昨日辛亥革命を記念した式典を行った中国では、死亡したと一時噂のあった江沢民・前国家主席が姿を見せた。その場で故錦濤・国家主席は数千年の専制君主制を終らせた革命を評価し、中国共産党が革命の継承者であると述べた。理想を実現するためには中国の特色ある社会主義の道しかなく、核心の力は中国共産党であり、党の指導はあくまで堅持すべきであると、共産主義と中国共産党を高く評価するスピーチを行った。悪い意味の中華思想そのものである。世界でも旧ソ連を始め社会主義国家が崩壊して今や社会主義は亡霊となったし、進境著しい中国の経済も資本主義的思想を取り入れたからこそ成長したのではないか。相変わらずいつに変わらぬ大中国の教条主義である。これでは、いずれ中国も経済発展が止まり、グローバル時代の中にあって孤立していくのではないだろうか。
 辛亥革命を評価する一方で、それを実現した孫文の評価は、1949年共産国家・中華人民共和国を実現させた毛沢東に比べれば遥かに低い。毛沢東の肖像画が天安門広場に掲額されているのに反して、孫文のそれは式典の1日だけである。孫文は蒋介石ともども台湾へ逃れ、台湾では孫文の主唱した三民主義は金科玉条のように崇められているが、現代中国では三民主義は影も形もないと言ってもいい。中台関係は一時より歩み寄りが見られるものの、辛亥革命に対する中台の対応と評価を見ていると、当分の間は「1つの中国」は難しいように思える。
 台湾では今日辛亥革命100周年記念式典を行う。日本からも式典出席のため麻生太郎・元総理が訪台している。中国とは異なる意味合いの祝い方である。日時も1日ずらしている。台湾では双十節と称して1911年の今日を建国の日と決めている。台湾暦では今日が100年10月10日ということになる。私の母が生まれたのは辛亥革命の4日後だから、存命ならまもなく満100歳になるところだ。
  今自家用車用に使っているキーホルダーが台湾所縁のものである。台湾の阿里山森林鉄道に乗車した時、乗車記念として当日の日付を彫ってもらった嘉義~阿里山間の往復乗車券を模したキーホールダーだ。日付は67年1月20日と刻印されている。つまり西洋暦に換算すると1978年ということになる。あの当時阿里山に2度ほど訪れたが、今では随分設備も改善され、環境も変わってしまっただろう。朝早く朝靄の中を阿里山展望台から遥かに玉山(旧新高山、標高3952m)のご来光を仰いだことを思い出す。
  また、もうひとりの辛亥革命の主要人物、蒋介石が亡くなる前に彼の一行と台中周辺で遭遇したことがある。蒋介石の姿を見ることはできなかったが、割合至近距離で黒い防弾ガラスの高級車の2台のうちのどちらかに乗っていた。小高い岡の上には兵士が見張っていた緊張した光景を思い出す。
 今では遥か昔になってしまったが、何とも懐かしい。

2011年10月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1609.2011年10月9日(日) 民主党「結論先送り」内閣は大丈夫か。

 腰が低く周囲とトラブルを起さないよう気配りする野田首相の姿勢が、結論を先送りする時間のかかる政局運営になっている。トラブルは引き起こさないが、事態が中々前進せず問題解決は成らず結論は先延ばしされる。首相は小沢一郎・民主党元代表の裁判についても発言はされなかった。
 昨日前田武志・国交相が工事を再開するのか、或いは事業を中止するのか結論が出ないままの群馬県八ッ場ダムの工事現場を視察し、群馬県庁で大沢知事ら地元の関係者と会見したが、工事の再開を求める知事らの早く決断をとの求めに対してはっきりした回答をしなかった。民主党と野田政権の得意技である先延ばしである。
 そもそも混乱の原因は、2年前の総選挙に際して鳩山民主党が打ち出したマニフェストに、「コンクリートから人へ」と大見得を切って公共工事の中止を訴え、その後民主党政権になって最初の国交相・前原誠司現党政調会長がマニフェストに沿い中止の線を打ち出してから揉め出した。すでに住民の9割がダム完成を見越して転出し、相当の費用を捻出した後の方針変更、つまり事業中止の決断である。ダムが造られることを念頭に土地の整備やら事業計画を練っていた地元にとっては、恨めしく耐え難い中止の宣告である。それが今日まで燻っている。
 前原大臣に続いて国交相に就任した馬淵氏、大畠氏、そして現在の前田氏らが結論を出すことに躊躇している。結局今年の秋までに最終結論を出すと馬淵、大畠両大臣は約束した。だが、彼らは辞めてしまった。困ったのは現在の前田大臣である。言葉を選びながら漸く今年12月中には、工事再開か中止かの答を出すとのニュアンスを口に出した。
 確かにマニフェストを作成した頃は、水力発電がなくても原発で賄うとのエネルギー政策だったから、八ッ場ダムがなくても他のエネルギーで補うことができると計算していたはずだ。その目論見は東日本大震災で大きく狂った。原発に替わって他のエネルギー資源を求められるようになっただけに、水力発電への要望は一層高まった。しかも、すでに相当な資金を投入し、工事も半ばにかかっている。これを中止することは難しい。
 どうも民主党は積極的に決断を下すのを避けている。揉め事は避けたい、敵は作りたくないとのイージーな気持ちだろうが、決断できないようでは政治家とは言えないのではないか。野田政権の前途に益々暗雲が立ち込めている感じである。

2011年10月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1608.2011年10月8日(土) 日野原先生のお元気ぶりにあやかりたい。

 夕べからどうもすっきりしなかった痔だが、今朝になっても一向に落ち着く気配がない。明日、明後日と連休なので、早めにチェックしたい。かかりつけの森内科で診てもらうために妻に車を運転してもらって森医院へ出かけた。以前からやや痔が気になっていたので、森先生にも以前にお話はしてあった。森先生の専門は内科であるが、肛門科も扱うので困ったら相談してくださいと仰っていたので、あたふたと出かけたわけである。
 尾篭な話で恐縮であるが、イボ痔が肛門から出ていて押し込んでも戻らない状態である。症状は「カントン痔核」というのだそうで、早速ベッドに横になり先生に出っ張った痔を中へ押し込んでもらった。肛門周辺が弛んで力を入れると出てしまうようで、あまり座るのは良くないと言われたが、パソコン操作上座らないわけにはいかない。座り方に気をつけパソコンをセーブしながら使うようにする。
 今日、明日はできるだけ排便しないようアドバイスをいただいたが、まあそれは無理だろう。今日はともかく明日まで我慢できるだろうか。こうなったら排泄物を溜めないよう、今日は食事をできるだけ取らないようにしようと思っている。
 さて、夜になってNHKでスペシャル・ドキュメンタリー「日野原重明100歳 いのちのメッセージ」と題する75分ものを観た。日野原先生と言えば、元気の良いお医者さんとして知られ、今もバリバリの現役である。4日前に満100歳の誕生日を迎えられた聖路加国際病院の名誉医院長の1年間の動きを追ったドキュメントである。そのお元気ぶりが羨ましい。果たして日野原先生の場合、痔はどうだっただろうかなどと下らないことを想像してしまう。
 とにかく日野原先生の活動的なのには頭が下がる。1年間のうち約100日は東京を離れて講演活動をされておられる。東日本大震災の被災地で被災者を慰めたり励ましたり、広島では小学生にいま生きている命の大切さを説明したり八面六臂の大活躍である。さすがに職制上の医院長としての責務からは解放され、残り少ない人生を送っている患者と安らかな死を迎えるよう優しく話をされる。患者は笑みを湛えながら死を迎える。このドラマチックな舞台を淡々として演じている。その心の奥底には、クリスチャンとしての信仰心があるのだろう。92歳の静子夫人の健康状態が今ひとつの中で、介護をしながら仕事をこなす神業的な日常には驚愕である。私も痔なんかで悩んでいられないか。

2011年10月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1607.2011年10月7日(金) 小中陽太郎氏新著出版会

 小中陽太郎さんが新著を出版された。日頃から親しい人たちが都内江戸川橋でささやかな出版記念会を開いた。「いい話グセで人生は一変する」(青萌社刊行)と題する書である。1冊いただき、署名していただいた。
 このブログも書き続けて1,700回を超えたことを先日お知らせしたところ、早速「すごい迫力」とメールをいただいたばかりである。そのブログにかこつけて小中さんから新著に「ブログの王」と書き添えて署名していただいたのには恐縮した。小中さんを敬愛する人々が集まり、楽しい雰囲気の中で2次会にまで発展した。「知的生産の技術研究会」からも久恒理事長、八木会長、遅れて秋田事務局長が参加された。
 「エノケン」に対抗して「エノケソ」と仰る芸人の方や、タレント世志ぼん太さん、寅さんの雰囲気を備えた「渥美清」そっくりさんが寅さんの衣装道具で挨拶されて中々楽しいものだった。皆さん芸人が多くて中々話が面白い。エノケソさんは余命が来年6月までと言っておられた。世志ぼん太さんも女剣劇浅香光代の6人目の亭主と言って憚らない。それでも結婚前は3ヶ月も続けば上できと冷やかされたが、夫婦関係は17年間も続いていると些か得意気に話しておられた。

 小中さんを慕う多彩な顔ぶれが揃い、小中さんのお顔の広さとお人柄を改めて知った。出版業界の人たちとも名刺を交換しながらお話したが、中々有意義で楽しい集まりだった。ご近所の須藤甚一郎さん、小中さん父娘と深夜近くにタクシーでご帰還となった。

 ところで、どうも痔の調子が良くない。今日は今月に入って初めての飲酒だったが、酒の飲み過ぎが良くなかったのかも・・・・・。

2011年10月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1606.2011年10月6日(木) なぜフィリピンでインチキ遺骨収集が行われたのか?

 まあ驚いた。呆れ返った。フィリピン各地で収集された旧日本兵の遺骨の中に、フィリピン人の人骨が混じっていたというとんでもない事件が発覚した。昨日もテレビニュースで伝えていたが、今朝の朝日も日経もこの事件にかなりのスペースを割いて詳しく伝えている。フィリピンで散華された太平洋戦争戦没者遺骨収集に関する想像もできない疑惑である。
 年々収骨数が減少して憂慮した厚労省が、民間団体に事業を委託して、その団体が現地で人骨を提供した現地の人たちに金を支払ったことが要因と見られている。昨年春にも問題になったが、同じ内容と理由で再び疑念が浮上した。ことがことだけにこのまま座視するわけにはいかないだろう。特に遺族にとっては許し難い屈辱的な事件である。
 遺骨収集事業は、卑しくも戦没された方々の遺骨を戦没地で探し収集して日本へ奉還しようという厚生労働省が取り扱う尊い国家事業である。それがいつの間にか厚労省の手から民間NPO団体へ移っていた。先ずこの点がどうも気になる。
 インターネットでWEBサイトを開いてみたら、本件に関する不満や非難が渦巻いていた。その中でも「脱藩浪士」とか、「江草乗」と名乗る人たちのブログにこの事業を請け負ったNPO「空援隊」に対する非難がぶつけられていた。どうもこのNPO団体の存在と理念が怪しい。このNPOのスタッフには本当に戦没者の英霊を敬う敬虔な気持ちがあったのだろうか。多分政治家かそれらしい人の口利きで厚労省へ入り込んできたのだろうと推測する。団体の事務局長はお寺の3代目だという。良い仕事ではないが仕様が無いからこの仕事に取り組んできたと傲慢な台詞をはき、およそ尊い国家事業、まして英霊に対する真摯な姿勢が見られない。登山家の野口健氏がここの理事であったことにはびっくりである。野口氏も巧みに広告塔として利用されたのではないか。この組織を厚労省に紹介した人物を調べてみることも大事ではないかと思う。
 それにしてもどうしてこんなお粗末なことになってしまったのだろうか。私自身中部太平洋地域で20年近くに亘り、旧厚生省の指導下に緊張感を持って遺骨収集事業に関わってきただけにとても他人事とは思えない。脱稿したばかりの「トラック島の日系大酋長が見せた大和魂と謎」なるエッセイもそもそも遺骨収集に関わった時に、知りあったアイザワ大酋長について書いたものだ。当時何度も遺骨収集団で一緒になった日本遺族会の水落敏栄さんも今や参議院議員として、遺族のために活動し、先般も国会で質問されていた。あの生一本の水落議員はどう思っているのだろう。
 この雑駁な事実をどう受け取ったらよいのだろう。こんな不祥事が起きて残念でたまらない。かつて、旧厚生省の監督指導の下で行われた遺骨収集に関して私なりの経験から言えば、今回のフィリピンの事業にNPO「空援隊」という組織が関与したこと自体理解できない。昨年度厚労省はこの「空援隊」に4,700万円を支払ったという。確かにそれなりに費用がかかることは分る。しかし、かつて国はもちろん費用は出すが、遺骨収集を手伝う団体はほとんどボランティア感覚だった。例えば、遺骨収集と言えば、中部太平洋地域では、厚生省を中心に日本遺族会、関係の戦友会、地域に所縁のある団体(南洋興発会社のOB親睦会「南興会」)、日本青年遺骨収集団(学生を主とするボランティア団体)、長野県山岳連盟(険しい岩山での収骨のため登山家の協力)等々、真剣に英霊を内地へ奉還するという崇高な気持ちが強かった。厚生省職員の中にも従軍経験や、士官学校出の戦争に関する専門家のような人たちが、献身的に取り組んでいた事業だった。時代の流れもあるかも知れないが、戦後66年が経過して事業そのものが風化しつつあることも大きく影響していると思う。
 30年前ごろの一時期、いつまで戦没者の遺骨収集事業を続けるのかということが話題になったことがあり、国会でも議論された。その時の結論は、この事業に時効はなく、すべての遺骨を収集した時、或いは戦没者の妻と子が全員亡くなった時点で終了と途方もない話があった。そのように期限もなく事業を予算化することに反対する意見がある中で、「賢明」な知恵者が考えた「概了」という言葉が生まれた。当時まだ元気だった遺族らの中止することは容できないとの声に配慮して、「終了」とは言わずに継続するとの意味合いを込めて「発明」した造語である。それほど神経質に取り扱っていた遺骨収集事業が、どうしてこうも杜撰な扱いをするようになったのだろうか。私自身も出席したことがある千鳥ヶ淵の戦没者墓苑の納骨式において、外国人の人骨が納骨されていたとは驚きであり、遺族の神経を逆撫でするものであると思う。遺族や関係者を愚弄するこんなやり方を黙認していること自体おかしい。
 遺骨収集団のお供で毎年サイパン島へご一緒した厚生省職員やご遺族、戦友会ら関係者の皆さんも今ではほとんど他界されてしまった。この椿事を冥界でどう嘆いておられることだろうか。
 さて、今日2つの大きなでき事があった。ひとつは、陸山会事件と言われる政治資金規正法違反で小沢一郎・民主党元代表の初公判である。小沢氏は全面的に否認したばかりか、厳しく検察を批判した。政治家であるにも関わらず世論に耳を傾けず、自己主張の繰り返しである。来年4月に予定される判決までいろいろ厳しい声が上がることだろう。
 もうひとつは、アメリカのコンピューター・ソフト会社「アップル」のスティーブ・ジョブス前CEOが56歳の若さで亡くなったことだ。現代のカリスマと言われ、アップルを創業し、マッキントッシュを発売し、スマートフォン、iPod、 iPhone、 iPad等々多くのアイディアを商品化し成功させた。多くの人々にありあまる希望を与え、ソフトバンクの孫正義氏の如きは「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と例えた。言いえて妙である。現代のダ・ヴィンチの冥福を祈るばかりである。

2011年10月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1605.2011年10月5日(水) 水俣病を考える。

 駒沢大の清田講師の講座で、昨年放映されたNHKドキュメンタリー番組「水俣病と生きる-医師・原田正純の50年」のビデオを見せてもらった。中々歯応えのある作品だった。水俣病の底知れない悲惨さを訴えるとともに、水俣病に患者とともに立ち向かって闘っている、熊本の原田医師の生き方と医師としての信念を映し出し、水俣病患者に添い寝しながら、献身的に患者のために活動する姿に感銘を受けた。
 戦後日本の3大公害病といわれたカネミ油症、水俣病、イタイイタイ病のうち、先週はカネミ油症事件に関するビデオを観たが、今日は水俣病である。3つの公害病の中で最も被害が大きく今もなお引き摺っている。カネミ油症の因果関係と同じように、水俣病もチッソ工場から有毒物を廃棄された不知火海の魚を食べた人たちと、その子どもにも症状が表れることが証明されている。子どもは胎児性水俣病と呼ばれ、ある時から突然体調が悪くなり、それが年々悪化して、ついには歩行すら困難になるケースが多い。いろいろな症例を原田医師が追跡し、患者の立場に立ってともに考える。
 しかし、ひとりの医師の個人的な努力だけでは限界があると思わざるを得ない。原田医師のように大学病院などで出世しようとの気持ちを捨て、自分で研究したいテーマに自ら取り組む姿勢がないと、前例がない症状を臨床医学的に解明するところまで到達するのは至難だと言わざるを得ない。実際原田医師は熊本大学では定年まで助教授のままだった。しかし、原田医師は自由に研究できたということが生きがいとなり人生観となったようだ。患者のために手伝ってともに病と闘おうとする気持ちが強くなっていった。夫人も原田医師の生き方に共鳴し、励ましていることが、医師の闘う気持ちがひるまなかった原因であると思う。
 それにしても、まだまだ隠れた水俣病患者が大勢いる。彼らは世間の目を気にしながら水俣病患者と認定されることを避けようとしてきた。漸く認定を受けようとの気持ちになったが、肝心の国が中々認めようとしない。昨年やっと水俣病救済特別措置法が国会を通ったが、申請期間は3年間に限定されている。現在認定を受ける気がなく、将来その気になった時には期間失効ということもある。原田医師はその点を心配している。
 一方で水俣病の元凶、チッソ㈱が会社を分社化することによって、穿った見方をすると加害者としての責任を逃れようとの陰湿な動きもある。この会社は社長が水俣病の桎梏から解放されると浮かれた文を社内報に書いて顰蹙を買っている。水俣病が公害病と認定されたのは昭和43年で、第1次損害賠償訴訟が起されたのが、その翌年である。すでに半世紀近い時間が経過している。しかし、まだ根本的な解決には至っていない。この病も深く長く潜行している。なんともやりきれない思いである。

2011年10月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1604.2011年10月4日(火) ノーベル賞受賞者が直前に死亡

 昨日今年のノーベル医学生理学賞が米仏の3人の学者に授与されることが決まったが、その直後にその内のひとりが3日前に亡くなったことが分った。ノーベル賞は死者には贈られないことになっていたが、発表時点ではまだ亡くなったことが分かっていなかったために、今日規定通り受賞を認めると発表した。従って副賞の賞金も支払われる。それにしても死者にノーベル賞とは異例である。故人は黄泉の国でどう見ているだろうか。その該当者であるアメリカ人のスタインマン・ロックフェラー大学教授は9月30日膵臓癌により68歳で亡くなった。4年前から癌を患い自分で考えた免疫療法を受けていたという。ノーベル賞の念力をもってしても自らの病は克服できなかった。
 それにつけても、いつも高齢にして現役医者としてその元気な姿がよく紹介され、話題になる聖路加国際病院・日野原重明名誉医院長が、今日満100歳の誕生日を迎えられたとはおめでたい限りである。日野原先生の驚嘆すべきは、高齢にしてなお現役で活躍されていることである。一層のご健勝を祈念するばかりである。
 ノーベル賞については日本人として昨年の化学部門の根岸博士と鈴木博士に続き、京都大学山中伸弥教授が最有力候補者としてその受賞が期待されていたが、今年も逃してしまった。期待は残念ながら来年以降に持ち越しとなった。
 さて、駒沢大の今日の講座では、2つの講座ともウォール街のデモについてだった。昨日は700人が逮捕されたが、アメリカ国内でこれだけ派手なデモがあったのは、恐らくベトナム反戦デモ以来ではないかと思う。デモは徐々に広がり、今日は西海岸のロサンゼルスでもデモが行われ、アメリカ各地に伝播しつつある。デモの理由は高失業率、格差の不満と経済政策の見直しである。ジャスミン革命と称される北アフリカのデモとは違う。北アフリカのデモは独裁政権打倒と、自由及び民主化を求めたものであり、アメリカの経済問題に関するデモとは本質的に異なる。不況に伴う不安定感はヨーロッパでもいよいよ深刻になってきた。特に、ギリシャの信用不安から全ヨーロッパ中がおののいている。日米欧の景気回復が成らないとなると、今や発展途上国の経済状態より日米欧の先進国のどん詰まりの方が心配である。ユーロ圏の財務相会議で底なし沼に陥ったギリシャ追加支援が真剣に検討されている。株価も世界的に大幅な下落続きである。まったくいつになったらこの地球規模の不況から脱することができるのだろうか。

2011年10月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1603.2011年10月3日(月) 首相は多忙なのか、暇なのか。

 野田首相は今日多忙の中でスケジュールを差し繰り朝霞へ視察に行った。何を視察に行ったかと言えば、国家公務員官舎の建設地を視察に行ったのである。再三国会でも追及され批判された案件である。
 しかし、この視察はどうだろう。この忙しい最中に国のトップが無理をしてまで「たかが」官舎の建設現場を視察するまでもないと思う。写真や資料と充分な説明だけで、ある程度トップの判断は下せるのではないだろうか。例えば、企業の社宅を建設するのにわざわざ社長が現場を見に行くだろうか。大体この案件は一昨年の事業仕分けで凍結と決まったものである。それを首相が財務大臣だった時に、当時の財務省3役が「談合」で予定通り建設しようとこっそり決めて工事に入ったところである。この辺りに情報を公に知らせることなくこっそり事を運んでしまおうとする、役人の狡さと身勝手が表れている。
 野田首相は視察の結果、どういう結論を下すのだろうか。じっくり考えて国民が納得のいくよう慎重に判断すると言って判断を示さなかった。野田首相は首相就任早々、いま国家にとって最も喫緊の課題は、震災からの復興と経済の回復だと述べたばかりである。その中で敢えて朝霞へ「たかが」官舎の建設現場へのこのこ出かけて行く必要があるのだろうか。何かトンチンカンな印象が拭えない。どうも5年間凍結の結論という腹を固めたようだ。
 これはわざわざ首相が現場に行って決めるまでもなく、局長クラスの視察で充分ではないだろうか。ましてやたった15分間の視察である。こんな程度で建設、否中止の判断ができるのだろうか。往復の時間を合せれば、随分無駄な時間を浪費している。
 こんな時にハーバード大学ライシャワー日本研究所長のアンドリュー・ゴードン氏がインタビュー(「選択」10月号)に応えている。日本の首相在位は回転扉のように速い回転だとアメリカで皮肉られているが、それを避けるために任期制にしてはどうかと提言しているのだ。イギリスやドイツのように同じ議院内閣制でも各党が行動原則の明確な政策に従えば、日本のような異様な事態は起こらないはずだと指摘している。外国では日本の首相の腰が定まらないことを皮肉たっぷりに揶揄しているのだ。
 異論はあろうが、この際思い切って首相の任期を2年間、或いは3年間の期間に限ってみることも検討してはどうだろうか。

2011年10月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com