1605.2011年10月5日(水) 水俣病を考える。

 駒沢大の清田講師の講座で、昨年放映されたNHKドキュメンタリー番組「水俣病と生きる-医師・原田正純の50年」のビデオを見せてもらった。中々歯応えのある作品だった。水俣病の底知れない悲惨さを訴えるとともに、水俣病に患者とともに立ち向かって闘っている、熊本の原田医師の生き方と医師としての信念を映し出し、水俣病患者に添い寝しながら、献身的に患者のために活動する姿に感銘を受けた。
 戦後日本の3大公害病といわれたカネミ油症、水俣病、イタイイタイ病のうち、先週はカネミ油症事件に関するビデオを観たが、今日は水俣病である。3つの公害病の中で最も被害が大きく今もなお引き摺っている。カネミ油症の因果関係と同じように、水俣病もチッソ工場から有毒物を廃棄された不知火海の魚を食べた人たちと、その子どもにも症状が表れることが証明されている。子どもは胎児性水俣病と呼ばれ、ある時から突然体調が悪くなり、それが年々悪化して、ついには歩行すら困難になるケースが多い。いろいろな症例を原田医師が追跡し、患者の立場に立ってともに考える。
 しかし、ひとりの医師の個人的な努力だけでは限界があると思わざるを得ない。原田医師のように大学病院などで出世しようとの気持ちを捨て、自分で研究したいテーマに自ら取り組む姿勢がないと、前例がない症状を臨床医学的に解明するところまで到達するのは至難だと言わざるを得ない。実際原田医師は熊本大学では定年まで助教授のままだった。しかし、原田医師は自由に研究できたということが生きがいとなり人生観となったようだ。患者のために手伝ってともに病と闘おうとする気持ちが強くなっていった。夫人も原田医師の生き方に共鳴し、励ましていることが、医師の闘う気持ちがひるまなかった原因であると思う。
 それにしても、まだまだ隠れた水俣病患者が大勢いる。彼らは世間の目を気にしながら水俣病患者と認定されることを避けようとしてきた。漸く認定を受けようとの気持ちになったが、肝心の国が中々認めようとしない。昨年やっと水俣病救済特別措置法が国会を通ったが、申請期間は3年間に限定されている。現在認定を受ける気がなく、将来その気になった時には期間失効ということもある。原田医師はその点を心配している。
 一方で水俣病の元凶、チッソ㈱が会社を分社化することによって、穿った見方をすると加害者としての責任を逃れようとの陰湿な動きもある。この会社は社長が水俣病の桎梏から解放されると浮かれた文を社内報に書いて顰蹙を買っている。水俣病が公害病と認定されたのは昭和43年で、第1次損害賠償訴訟が起されたのが、その翌年である。すでに半世紀近い時間が経過している。しかし、まだ根本的な解決には至っていない。この病も深く長く潜行している。なんともやりきれない思いである。

2011年10月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com