昨日の東京外為市場は円が買われ、史上最高値の1$=75.78円で終った。日本円の価値がまた上がったというより、ギリシャの債務削減を巡るヨーロッパの景気不安に対する反動である。このところ続いている円高相場のせいで、これまで輸出が好調だった日本のテレビ・メーカーが、パナソニックを始め、業界全体が四苦八苦の状態である。実際テレビは韓国メーカーに圧倒され、市場から撤退を模索する日本のメーカーも現れた。欧米の景気が回復しなければ、日本の輸出関連は益々厳しくなるのだろう。
さて、リビアのカダフィ大佐が死亡したことについて、国民評議会のジブリル議長は戦闘の最中に被弾して負傷し、病院へ搬送される途中で亡くなったとの声明を発表したが、外部からいろいろな声が出て、身柄を拘束した時点では生存していたが、反政府軍によって殺害されたとまことしやかな話で持ちきりである。確かにテレビニュースを観る限り、カダフィと思われる人物が傷ついて多くの人間に取り巻かれながらも生存していた様子が写っていた。カダフィの死により、逮捕した後に公正な裁判にかけるということができなくなってしまった。国連人権擁護委員のひとりも、遺体を調べてリンチがあったかなかったかも調査する必要があると述べている。
神経を疑いたくなるのは、カダフィの遺体を冷蔵庫内に安置して、それを外部の人間が見られるような措置を取っていることだ。これなんか、死者に鞭打つ仕打ちではないだろうか。生命の尊厳とか、死者の霊を弔う気持ちがまったく感じられない。
確かに国民を弾圧し、密告などにより国民を恐怖の底へ陥れたために、国民は長い間恐怖のあまり口に出して言えぬことが多かったと思う。だからと言って、仇を討つように感情的に死人に口なしの状態にしてしまっては、公正な裁判で事ここに至った原因や真意が不明なままになってしまう。これでは、また同じような独裁者が現れ、同じような恐怖政治を繰り返さないとも限らない。このまま時代が経てば、闇に葬られて将来、「カダフィの恐怖政治時代」と呼ばれるだけに終ってしまう。証拠品を消してしまっては、中世ヨーロッパを席捲した魔女裁判以上に始末に負えない。
さて、今朝未明大阪府議会本会議閉会後、議会議長に宛てて橋下徹知事が辞職願を提出し、採決のうえ賛成多数で受理された。この後橋下知事は大阪市長選へ出馬する意向である。橋下知事辞任の狙いは、大阪府を東京都に似た大阪都にして、現在の大阪市を東京都特別区に近い形に改変して、現在府と市で行っている二重行政を止めて無駄を省こうというものである。ただ、橋下知事が市長になって大阪都構想が実現するには、あまりに拙速でハードルが高過ぎる。平松邦夫・現大阪市長は真っ向から反対し、むしろ現状のままで大阪府から大阪市へもっと権限委譲をすべきであると主張している。
前知事と現市長、両者が対立したまま、ともに立候補する市長選挙は来月27日に投開票が行われるが、元々目だつパフォーマンスの得意な橋下氏は、知事選には彼が率いる「大阪維新の会」のメンバーを立候補させるつもりである。よく考えて見ればその間大阪府知事が不在になり、この点でも有識者や大阪府民からの批判も多い。民主党、公明党は言うに及ばず、前回橋下知事を擁立した自民党ですら「一緒に改革をしようとスタートしたのに、途中から政治手法が変わった」と憮然としている。
小さな自治体ではないだけに、日本のひとつの縮図と見て取れよう。自信満々の橋下知事にとって知事選、市長選のダブル選挙は果たして吉と出るか、凶と出るだろうか。
2011年のアーカイブ
1621.2011年10月21日(金) リビア・カダフィ政権崩壊後の国づくりを憂う。
昨晩遅く飛び込んできた反政府軍によるリビア全土征圧について、大分様子が分ってきた。「アラブの狂犬」カダフィ大佐が死亡したと国民評議会が発表した。朝刊には大佐らしい人物が傷を負い横たわった姿が写真に写っている。テレビニュースで写される死の直前の大佐の姿は、反政府側の兵士に引き摺り出され、権力を揮ったあの独裁者がこの情けない姿かと思えるほど惨めな姿を曝け出している。それにしても独裁者の末路はいつも哀れである。
1月にチュニジア、続く2月にエジプトで独裁者追放劇が始まった。「アラブの春」と呼ばれ、「ジャスミン革命」とも言われる独裁者退陣劇がリビアへもひたひたと押し寄せていたが、その絶対的な体制を築いていたリビアのカダフィ城が昨日遂に落城した。カダフィ大佐が政権に留まっていた年月は実に42年の長きに亘る。良くも悪くもその存在感は抜群だった。チュニジアやエジプトとは異なり、石油生産を後ろ盾に強引な論理と行動力で絶対的権力を誇っていたカダフィ政権は、簡単には転覆しないだろうとの声も一部にはあった。だが、それまでカダフィに逆らえなかった民衆がジャスミン革命に勇気を得て一気に反カダフィ・デモを起し、NATOによる空爆支援もあって、長い内戦の末にカダフィ政権を打倒した。このカダフィ政権崩壊は今後内外に大きな影響を与えるものと思われる。対外的には、このカダフィ大佐失脚によって反政府運動が燻るシリアとイェメンがどういう出方をするか。いずれもひとつ間違えれば、国内を2分しかねない内戦に発展する可能性がある。
とりわけ亡くなったアサド大統領と息子の現大統領に引き継がれた40年に亘る親子の独裁政治を維持するシリアは、露骨な民主化運動抑圧を行っており、ジャスミン革命後も反体制デモ隊に対して徹底的な弾圧を加えている。しばしばデモ隊に対し軍隊が発砲して多数の死者を出している。
イェメンでは同じく長期政権の座にあったサレハ大統領が6月に狙撃され、3ヶ月以上に及んだサウジ・アラビアでの治療を終えて帰国したばかりである。サレハ大統領は平和裏に政権を移譲することを内外に向けてほのめかしたが、誰も彼の言葉を信用しない。これら残るアラブの2人の独裁者、アサドもサレハも心中は穏やかではあるまい。
他方で、リビア国内ではポスト・カダフィの国家安定と民主化がどう運営されるのか。長期間に亘って国の憲法もなく、国会も開かれず、国家元首もおらず、国の組織体制と機構が確立されていなかった。まず国づくりの初歩からスタートしなければならない。国民評議会の主要メンバーの中にはカダフィの元側近だった実力者も多く、民主政治の何たるかを知らない人物が多いことも大きな懸念材料だ。反政府軍が確保した武器、弾薬の所在が分らなくなっている点も懸念される。加えて厄介なのは、国内に数多くの対立する部族がいて、それぞれに自己主張を押し通すわがままがあり、国家がスタートする大事な時に国内で彼らが対立し意見が合わずに、抗争と分裂を繰り返す恐れがあることである。
実際、本来ならもっと早く暫定政権が樹立されるべきだったが、国民評議会内部で意見を異にするグループ同士が相互に妥協せず、最後になって話がまとまらなかった前例がある。これに類することがしばしばあり、国の存在を国際社会にアピールできる場とチャンスをむざむざ放擲している有様である。
いつの時代でもそうだが、理想と目標を掲げて真一文字にそれへ向っている場合には問題が発生しないが、一旦それが達成されるとそれまで埋没していた不満や矛盾が吹き出て内部分裂するのはよくあることだ。しかし、リビアは元々支配体制がきちんと確立されておらず、昔の封建的な部族構成と非民主的な階級制度に庶民が抑圧された歴史しか経験していない。このような国では、民主主義のルールの下地がないだけに、今後の国づくりはよほどしっかりした国際社会の徹底した指導と厳しい監視がなければ元の木阿弥に陥る危険性がある。
1620.2011年10月20日(木) ギリシャの経済不安をどう解消するのか。
世界的に経済不況に落ち込んでいるが、中でもヨーロッパ経済の先行きが極めて視界不良である。先のアイルランド危機に次いで、火薬庫のひとつであるギリシャ経済の行き詰まりが指摘されて久しい。
昨日からアテネ市内ではギリシャ政府の緊縮策に抗議する48時間ゼネストが始まった。12万人もの労働者がデモに参加して国会議事堂前でデモ隊と警官隊が小競り合いを演じていた。テレビで夜間の現地からの中継放送を観た。2度ばかり宿泊したことがある国会前の「ホテル・グランドブリターニュ」のベランダから中継していたようだが、左下に国会、そして右遥かにアクロポリスが見えるはずであるが、ライトが点燈しないために残念ながらライトアップされる筈の素晴らしいアクロポリス上のパルテノン神殿と窓外の風景が漆黒に包まれていた。
観光業で国家財政が潤っていたギリシャだが、外国人観光客も減少し、今では観光施設を閉鎖しているうえに、清掃事業がストップして市内はゴミの山で生ゴミの悪臭が漂っているという。北部観光都市のテッサロニキやエーゲ海上のクレタ島でもデモが行われた。
ギリシャの危機が他国へ及ぶのを懸念してヨーロッパ各国は他国へ連鎖的に波及するのを警戒し、必死に食い止めようとしている。その中で今年7月にEUとIMFがギリシャ支援策を決めた。ヨーロッパの民間金融機関は所有しているギリシャ国債のうち、5兆3千億円を損失としてかぶろうというものだった。国債の価値を21%も減額しようというのである。だが、それでもその後ギリシャ政府が断行してきた国内緊縮では、なお不充分だということが分った。いま検討されているのは、21%の価値減額をさらに35~50%にまで増やそうというのである。それぞれの国の思惑もあり、各国の足並みが必ずしも揃わず、まだこれで決定したわけではない。だが、これ以上ギリシャ国債を抱える銀行の負担が増えると経営難に陥る銀行が現れる。まさに思案のしどころである。23日までの決着を目指してEUの財政責任者が相次いで会合を重ねている。
ではなぜギリシャが通貨危機からこれほどまでの過酷な経済危機に追い込まれたのだろうか。極論すれば、国家予算の支出のうち人件費が多過ぎることだ。公務員数が多過ぎてその人件費が国家予算支出の25%を占めて財政を締め付けているからである。同時に国の政治体制や経済機構、つまり国の仕組みにも問題があるのではないだろうか。
前者については、人件費、年金等削減の緊縮政策により、支出の削減を図った。これでは給与は減り年金が減って生活ができないと国民の反発と不満を買い、思うように実行できなくなった。
しかし、先日スロバキア議会がギリシャ支援に対して賛成票を投じなかったように、ギリシャが自らドロを被る気がなくては他の国々の人たちが納得するわけがないと思う。元々自分たちの不始末から周辺諸国へ迷惑をかけているのだ。その意味では、昨日のデモで財務省役人や一部の警察官まで自分たちの不利益ばかりぶちまけて不満を吐露しても、決して世界中の人々からギリシャへの同情や共鳴を得られるわけではないことをギリシャ国民はしかと心得るべきである。ここはギリシャ国家と国民が一体となって、現実の厳しさに耐え、ともに自力で立ち直ろうとする姿勢をはっきり示さなければ、他国だって支援する気になれない。国家体制もかつての王制から議会制民主主義に替わったが、制度が民主義国家として満遍なく機能しているわけではないようだ。効率性、経済性、民主制、先見性、等々を採り入れて国を機能させる磐石の態勢を作らなければ、ソクラテスを生み民主主義の種を蒔いたギリシャも一介の途上国へ堕してしまうだけではないか。
しばらくギリシャの動向から目が離せない。
夜になって緊急ニュースが入ってきた。リビアの国民評議会が全土を掌握したと発表した。カダフィ大佐については、死亡説と身柄拘束説が流れている。まだ詳細ははっきりしない。
1619.2011年10月19日(水) 野田内閣に居並ぶ無能閣僚
九州電力は「やらせメール事件」解明のための第3者委員会の調査結果に対して、経産省に提出した最終報告書が委員会の報告内容を否定するが如き内容だったことから、枝野幸男大臣から烈火の如き怒りを買い、報告書を再提出する破目になった。九電は指摘された「やらせメール」事件については、古川康・佐賀県知事の関与があったことを改めて認める意向を示した。九電はこのような不始末に至った責任をとって、続投する予定だった真部利応社長がこのまま続投することが難しくなった。
枝野大臣は毅然として正すべきは正すとの姿勢を示し、関係機関に対して強い態度に出たことは常識的に考えればごく当たり前のことであるが、このような場合これまではとかく腰砕けになってこれほど担当大臣が強い意欲を示すことは近年あまりなかったのではないかと思う。
省みて現在の野田内閣の閣僚の中には、大臣職への自信もなく、大臣として所轄官庁を引っ張っていくリーダーシップに欠け、学ぼうとの謙虚な姿勢や向上心もなく、ただ名誉欲とプライドに取りつかれている輩が多い。理論武装というほど大げさなものでなくても持論を展開できる理論構築と判断力、決断力、社会常識等を身に着けずして大臣を務める資格はない。だからちょっとした誘導尋問やおふざけで失言したり、無様な対応をする体たらくで情けないことおびただしい。
菅内閣時代末期に辞任した松本龍・復興担当相や、先般辞めた鉢呂吉雄・経産相は申すに及ばず、現閣僚の中にも首を傾げたくなる「帯に短し襷に長し」の未熟児大臣が多い。
安住淳・財務相、平岡秀夫・法務相、一川保夫・防衛相、小宮山洋子・厚労相、玄葉光一郎・外相らには、彼らが演じる勘違いしたパフォーマンスと自己主張はもう好い加減にやめにしてもらいたいと思っている。パフォーマンスがいかにも若い。駒沢大講座で聴講している講師の菱山郁朗・元日本テレビ政治部長が「週刊ポスト」10月28日号に書いているように「テレポリティクスと呼ばれるテレビ主導の政治が本格的に始まった。経験の浅い政治家でもテレビで意見して簡単に新しい政治の流れを作れてしまう傾向が定着した」のである。
中でも安住大臣と一川大臣のお粗末ぶりは、就任当初から危なっかしくてとても見ていられない。実際永田町で疑問視されているのがこの2人の大臣就任である。‘ベビーギャング’安住大臣は目立ちたがり屋過ぎて、思いつきだけでどうしてほいほいと何でもかんでもしゃべるのか。小宮山厚労相がタバコ増税について言及すれば、それは自分の管掌だと縄張り意識剥き出しで反論し、毎度官僚の手の平に乗った作文を読むだけで、財務官僚が実現したい消費税値上げをいとも簡単に外国で発言する。この無神経さと場所を弁えない言動は軽率の謗りを免れず、大臣としての見識を疑いたくなる。
もうひとり、お粗末な大臣がいる。元農水官僚だった「防衛はまったくの素人」の一川保夫・防衛大臣である。農家の戸別所得補償制度の仕掛け人と言われ、農業問題の専門家を自他ともに認めながら、不似合いの防衛大臣に就任した。これが完全なミスキャストだった。就任早々「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアンコントロールだ」などとトンチンカンな発言をするあたり、何を考えているのかさっぱり分らない。こんな有様だから、昨日沖縄で仲井真知事と会ってもまともに取り合ってもらえず、一向に想いが通じない。今日は今日で、玄葉外相が沖縄・名護市長に普天間基地移設について理解を求めたが、てんで話を聞いてもらえない。担当の防衛、外務の両大臣が話のきっかけすらつかめないのでは、喫緊の課題である沖縄基地移設問題や、懸案の日米間の問題が前へ進む筈もない。担当大臣が無能なら、内閣も機能せず、全ての面で前進の兆候すら見えない。野田内閣というのは人事のバランスを考えたあまりに、閣僚として素材的に少々お粗末な内閣ができ上がってしまったのではないだろうか。この先が心配である。
1618.2011年10月18日(火) タイの洪水とアフリカにおける中国の立場を考える。
タイの洪水が首都バンコックを中心に大きな騒ぎになっている。チャオプラヤ川沿岸のアユタヤが水害により街全体が浸水して工業団地が操業を停止した状態である。水害により日本企業約430社が被害を受けている。元々バンコックにしろ、アユタヤにしろ地盤が低いので、一旦水が入り込むとインフラ整備が充分でないこともあり、手作業で土嚢を積み上げて被害を最小限に食い止めるより他に手がないのが実情である。大潮の時期が重なったなったうえに、今年は例年になく降雨量が多く、上流の3ヶ所のダムで放流したことも効いているようだ。
ニュースを見ているとバンコックのチャオプラヤ川に500隻の船を並ばせて海へ向って一斉にエンジン全開して海から押し寄せる潮流を防ごうとしたり、道路という道路に土嚢を積み上げたり、どうも原始的としか思えない防護策を講じているのが儚い気がする。旅行会社でもバンコック方面のツアーを取り止めたところも出ている。
日本では地震に津波、同じアジアのタイでは洪水と、今年は随分自然にしっぺ返しをされた1
年と言えよう。
さて、アフリカで存在感を強めていた中国に対する不満がアフリカで高まり、その対応も変わってきた。天然資源獲得へ向けて経済進出を強めていた中国に対するアフリカ各国の不満が募り、中国の開発に対して距離を置き始めた。確かに中国は巨額の資金を投資して、資源を開発しているが、その事業はほとんど「ひも付き」で、現地の雇用や貧困問題の改善につながらないことがはっきりして、それがアフリカ諸国の反感を買っている。
結果的に中国と友好的な国では国のトップが中国と親密な関係にあり、それが住民の政権批判に及んできた。銅とコバルトを豊富に埋蔵するザンビアでは中国企業300社が進出しているが、中国に対して中国人を無数に呼び寄せ労働力とすることを制限するよう警告した。アンゴラでは中国の全輸入量の16%を占めるほど原油輸出が突出しているが、中国企業を優遇していた在職32年のドスサントス大統領を批判するデモが頻発するようになった。ナイジェリアやタンザニアでは中国企業や中国人を狙う事件が相次ぎ、今や中国人と関わる企業の安全が危惧されているほどである。
中国流の支援とは、金は出すが現地人の雇用とはならず、開発した原油を大量に中国へ送り、それほど多くの資金を現地へ落とさず、現地の生活は潤わず、アフリカをダシにして結局中国を富ますだけとの反発も出てきた。中国は政府開発援助(ODA)の取り扱いについても相手国と齟齬を来たしている有様である。
去る14日に凌星光先生から中国的思考について話を伺ったばかりだが、やはり凌先生が考えているように中国人の偏った発想によってトラブルを生じさせていると思う。これでは、中国はいずれ世界中の嫌われ者となるのではないか心配である。
すでに親中国だったビルマが距離を置き始めた。中国首脳陣は分りきったようなことにまだ気がつかないのだろうか。
今夜プロ野球セ・リーグで中日ドラゴンズが横浜ベイスターズと引き分けて、昨年に続き連覇を飾った。引き分けで優勝が決まるというのも妙な感じである。このチームもパ・リーグの覇者福岡ソフトバンク・ホークスともどもこれからクライマックス・シリーズを勝ち抜いて日本シリーズへ進出できるだろうか。
1617.2011年10月17日(月) 映画研究会セミナーで女性監督の話を聴く。
日本旅行作家協会の「映画と旅研究会」幹事の山本澄子さんから研究会の催しにお誘いをいただいた。有楽町駅前の電気ビル地下街にあるワインを売り物にしたイタリア・レストラン「東京バンバン」で、「百合子、ダスビダーニャ」製作監督・浜野佐知氏の講演会である。「百合子」とは作家で日本共産党元委員長・宮本顕治の妻だった宮本百合子(中條百合子)で、「ダスビダーニャ」とは、ロシア語の「さようなら」を意味する。つまり、若かりしころの百合子が一時ロシア文学者・湯浅芳子と同棲し、その後顕治と結婚した百合子が湯浅と別れる話で、今日いうところのレズビアンのお話である。
何よりびっくりしたのは浜野監督が熱弁をふるった①子どもの頃の映画館通いの経験から映画監督になった経緯、②女だからという理由だけで監督への道は閉ざされ、仕事をさせてもらえなかった、③ピンク映画の主演俳優に強姦されそうになったが、自分が悪いと監督に非難された、④過去30年間に300本の映画監督を務めたが、女性監督作品として映画史上に記録が残されていない、等についてユーモアを交えながら、自説を時には過激に話されたことである。最後は大分エスカレートして日本では女に責任ある仕事を与えてくれないので、有能な女性は海外へ出て行く。海外にいる日本人の女性は優秀だが、海外にいる男はバカばかりとまで言われたのには、ジョークとは言え少々言い過ぎだと感じたほどである。それだけ、自分の意思を貫かれ男社会の映画製作で苦労されたのだと思う。最後を締めた山本さんが「日本の男性の中には優秀な人もたくさんおられます」と言われたのは流石だった。なかなか面白い試みだった。どんな演出なのか、近日観賞に行ってみたいと思い、早速前売り券を求めた。
さて、東日本大震災の際津波で亡くなられた消防関係者が300人を超えたそうだが、そのうち水門の開閉に携わりながら閉門に間に合わず亡くなられた気の毒な方が72名もおられたという。今日偶々「ミヤネ屋」というエンタメ番組を見ていたら、津波の際の緊急必要品として「ノアの箱舟」をもじった新商品「ノア」を紹介していた。こんな商品も開発されたのかと不思議な気持ちに捉われた。
直径1.2mの球形のステンレス製で、重さ70kgの黄色い物体が、津波が襲ってきた時逃げられないお年寄りや子どもを4人まで収容してじっとしていれば増水しても浮かぶので安心だという。すでに発表以来700件の問い合わせがあるという。上部には空気抜きが2箇所あり、下部には水を溜め込んであって内部の柱とともに安定性では問題ないという。
しかし、何十年に1度の可能性に賭け28.8万円の費用まではたいて、普段は邪魔な置物を買って自宅に置いておけるだろうか。マンションなどではとても置き場所もあるまい。発想はユニークであるが、そこまでしてこんな大きなステンレス製の球を自宅に準備することまで考えなくてはならないだろうかとちょっとばかり疑問に感じた。だが、いざとなれば自分は逃げることはできるが、逃げられない人のためにこんな物まで造る知恵者がいるということに、つい人間愛的なものを感じた。自然災害国日本で生活することは、生き抜くこと自体が難しいのだろうかと考えさせられるとともに、奇抜なアイディアが必要になったのかと思うと、一面でそぞろ薄ら寒い感じもしてくる。
1616.2011年10月16日(日) 隠蔽体質の電力業界の深い闇
今朝のTBS報道番組「サンデーモーニング」で、毎日新聞編集主筆の岸井成格氏が番組終了直前に何気なく漏らした言葉が気になった。実際には実現しなかったが、放射性廃棄物の廃棄場所の候補地として日米両国がモンゴル政府と交渉していたようだ。結局モンゴル政府から受け入れを断られたという。秘かに進められていた交渉だったが、やはりそうだったかと言うべきだろう。途上国へ経済支援を口実に何でも押し付けようとする日米原発大国のわがままは通らなかった。
それはそうだろう。放射性廃棄物の受け入れが、いかにモンゴルが大荒野を有し土地が空いていて経済的な助けになるとは言え、10万年もの長い間他所から持ち込まれた放射線漏れのリスクを背負うことについて国民的な見地から考えて納得できるはずもない。
しかも、モンゴル人は自分たちの住む大地を掘って土地を傷つけることを潔しとしない。だからこそ農民が田畑を耕すようなことをせず、自然をあるがままに受け入れて自然に恵まれた土地を求め放浪する遊牧業を生活基盤にしている。日米の首脳が無理をお願いする相手国について、その長い歴史ある伝統と風習をまったく学んでいなかったことは少々お粗末で、むしろその浅学ぶりには唖然とする。これでは外交なんて口先だけのものになってしまう。つまり目先の危機回避に追われて相手の立場を深く考えることを忘れているのだ。
それより何より、こういう話がなぜメディアを通して伝えられないのかわれわれとしては些か不満である。この交渉過程には放射性廃棄物の処理に困惑している実態が浮き彫りとなっている。それだけ廃棄物の処理が大きな問題となり、今や世界的に深刻になり、われわれ現代人が解決のために喉元に匕首を突きつけられているのだ。
その一方で、原発の事故原因隠しや、安心安全論の啓蒙活動が行われようとしている。先般問題となった九州電力の「やらせメール」事件に関わる第3者委員会の調査結果に対して、九電はそれを容認しない最終報告書を提出した。そもそも調査結果では、「やらせメール」はシンポジウム前に古川康・佐賀県知事から賛成意見を出すよう求められたことがその実行に決定的な影響を与えたと指摘していた。これに対して九電は最終報告書でやらせ実行は認めたが、県からの関与はなかったとして第3者委員会の指摘を事実上否定したのである。知事をかばい、自分たちも落ち度を認めようとしなかった。このお互いにかばい合う佐賀県と九電の蜜月関係の中に、隠蔽体質と安全軽視の本質が隠されている。弁護士で元第3者委員会委員長の郷原信郎氏は、九電の最終報告書は形だけ再発防止策の提言受け入れを強調することによって、一連の問題に対する社会的批判をかわそうとしているとその不遜な姿勢を厳しく批判している。
電力業界には福島原発でこれだけ大きな事故を起して、なお原発に関する都合の悪い情報を隠そうとする姿勢がありありである。これでは、仮に原発を再稼動しても、再び大きな事故を起す可能性は限りなく大きい。これだけ世界中に不安を与え、世間に迷惑をかけていながら反省もなく、どうして懲りないのだろうか。
さて、今日は横浜駅西口の「キャメロット・ジャパン」で湘南高校同期生会が開かれた。卒業して54年が経ち400名いた同期生のうち、すでに66名が亡くなった。今日の出席者は68名だった。まだ、現役で働いている者もそこそこいるようだが、大半は「健康」をテーマに余生をできるだけ楽しもうとの気持ちが強い。ラグビー部の仲間でも今年2月にスタンド・オフだった蓮池雄策くんが亡くなり、同学年部員8人のうち半数の4人がすでに黄泉の国へ旅立ち大分寂しくなった。世の倣いとは申せ年齢を重ねてくるに連れて、ひとり去りふたり去ると段々寂しくなるものだ。私だっていつまで元気に参加できるか分らないが、元気でいる限りは同じ学び舎で学んだ仲間といつまでも楽しくお付き合いしていきたいと願っている。
1615.2011年10月15日(土) ビルマの微妙な変化は何を意味するのか。
ビルマ政府が一部の受刑者を釈放した最近の動向を考えると、あの非民主的なビルマ軍事政権も少しは心を開いてきたのかと期待していた。ところが、そうは問屋が卸さないようだ。確かに軍事政権が民主化と名づけた選挙の結果、一応「軍事」の鎧こそ脱いだが、旧来の態勢固めのために、国会議員の1/4は軍人にして残りの8割も軍政が母体の連邦団結発展党(USDP)が占めて実質的には軍事政権と何ら変わらない。当然前軍事政権路線を引き継ぐと見られていたが、ニュアンスがちょっと変わってきた。6月にメディアの検閲緩和の方針を示し、8月には閣僚が民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさんと度々会見したり、スー・チーさんがティン・セイン大統領と会ったり、彼女が堂々と地方遊説に出かけたり、これまでの締め付けムードが一転した。今月に入って、集会やデモを容認する法案が可決され、11日には6千人以上の受刑者の恩赦を発表し実施された。まさにオヨヨ!である。
あれほど民主化勢力を毛嫌いして、弾圧排除し、政府批判を許さず、デモ隊を片っ端から検挙していた一連の動きからすると呆気にとられるほどである。
ビルマ政府のその狙いは、日欧米など先進諸国からの経済制裁解除を求めていることと、初めて外交の場で主役を演じるべく、東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議で2014年の議長国を希望しているからだとされる。
過去にどうしてここまで意固地になって民主化の動きを弾圧するのかと思うほど、ビルマ政府は民主化勢力の排除に血眼になっていた。その意味では少しは期待できる新政府の対応である。
だが、ビルマ政府のこれまでのパフォーマンスがあまりにも強圧的で悪評だったが故に、諸外国から心底信頼されているわけではない。釈放を発表された人の中に政治犯と言われる人たちが極めて少ないことと、実際に釈放された人の中には著名な指導者が含まれていないことに政府の腹の内が読めそうだ。指導者層の釈放は、急進的な改革を求める反政府デモにつながりかねないとの懸念から釈放対象を選別しているのではないかと見られている。以前に釈放された人たちには、「解放後は政治活動をしない」と一筆書かされた例もある。ビルマ政府の方針の変化には、まだ判然としない点も多く、アメリカ議会では依然として懐疑的な見方が多い。
こういう動きの中でビルマの外交政策も注目しておく必要がある。西側からの経済制裁を受けて困っている隙につけ入って、中国がビルマに積極的にアプローチしてこれまで数多くの支援活動を行ってきた。ビルマ北西部のミッソンダム建設工事も中国資本によって行われていた。それが自然環境破壊であると周辺住民から強い反対運動が起きるや、意外にもビルマ政府は5年間の工事凍結を決めた。当然中国は怒った。恩義ある中国に対して思い切った行動に出た意図はどこにあるのだろうか。これだってビルマの国土を借りた体のいい中国のためのダム建設だったのである。中国はこのダムで発電された電気を自国へ送る予定だった。その自己本位の策略?もあてがはずれたのである。
これと相前後してビルマ政府はインド政府と資源開発で協力を確認した。中国との関係が悪化し、疎遠になっているインドへ接近する辺りにビルマのしたたかな戦略の変化が読み取れるような気もする。ベトナムもインドと接近している。東アジアの中で中国との関係が芳しくなくなりつつある国々が、中国を離れインドに接近しつつある姿がビルマを通して透けて見えてくる。
1614.2011年10月14日(金) 中国問題について専門家の話を伺う。
毎月開催される「JAPAN NOW観光情報協会」の観光立国セミナーで、今日は「野田内閣に望む外交政策」と題して中国人の専門家、社団法人日中科学技術文化センター理事長で、日本でも福井県立大学名誉教授をされている凌星光先生が講演された。
凌先生の論旨は、①日本人の一般的な考え方は現在の中国の力と中国の成長性を過小評価している、②過去2000年の歴史を見ると国際政治は歴史的地殻変動期にあり、そろそろ東洋の時代である、③覇権国家の終焉、つまり覇権主義の超大国はなくなる④日中両国民に心理的調整が必要、特に尖閣諸島問題、⑤日本外交軍事戦略は日米重視ではなく、アメリカは後退してオフ・ショア・バランシングを行うことと6ヶ国協議を制度化すること、等々大変率直に日本人の近視眼的な戦略と中国現状と潜在力について話されたように思う。
ただ、これまで中国の中華思想的発想や、覇権主義に振り回されてきたわれわれ日本人としては、先生の仰ることを額面通りに受け取って良いものか気になるところである。
しかし、質問者に対する回答も含めて、いま世界から非難されている中国の非人道的、非民主的、言論抑圧等々について充分納得できる説明はされなかったし、最近の高速鉄道事故についての弁明的な説明は少々不満だった。例えば、後者の説明で、日本の新幹線は開業以来50年に対して、中国は高速鉄道を運行してまだ日は浅いので止むを得ない。いずれ50年も経てば中国も事故がなくなるというような論理は理解し難い。こういうような例え話で話すこと自体論理にずれがあり、疑問に感じた。
凌先生は日本生まれで一橋大学を中退して母国中国の大学を出られただけに、日中両国の諸問題に造詣が深い。これまで日本に関する知識を中国で生かし、論陣を張って中国上層部に持論を伝えることができたようだが、個人的な見解もあるが、すんなりとは納得できない。中国の知識人の中にはこういう考え方の方が多いのだろうかと思うと日中間の誤解を解くのは容易ではないと思う。
さて、母校湘南高校の前同窓会長・天野武和さんからメールをいただいた。それによると今年創立90周年を迎えた母校に建設中の「湘南・校史資料館」の展示企画のひとつとして「湘南大樹」というプロジェクトを計画しているが、そこに過去90年間に輩出した卒業生250名前後を紹介するコーナーを設ける計画であるという。そしてそこに湘南大樹を描き、その木の葉の1葉に私を推薦し紹介してくれるという、大変光栄なお申し出をいただいた。大したことはやっていないが、海外における破天荒なひとり旅の体験が後輩たちを勇気づけるものと好意的に受け取っていただいたのではないかと勝手に解釈している。後輩たちを激励する意味でこういう先輩がいるということを知らせる試みのようである。石原慎太郎・都知事やノーベル賞受賞者・根岸英一博士、指揮者・大野和士氏ら並み居る大物に混じって私ごとき小者を取り上げてくれるということに感激した。回答を求められたので、即座に‘YES’と回答した。まだ先のことではあるが、有難いし大変名誉なことであると考えている。
1613.2011年10月13日(木) 問題だらけの原発を性懲りもなく推進する気か。
昨日突然のようにわが地元の世田谷区内で放射線量が測定された。毎時2.7マイクロシーベルトの数値は、計画的避難区域の福島県飯館村の毎時2.1マイクロシーベルトを上回る。不思議なことにその地域だけが高い。専門家はややくぼ地になっている点を考えると、雨水が集まった結果線量が高くなったと考えられると言っていた。この地域だけが突出して数値が高いというのはどうも理解できない。現場が区立松ヶ丘小学校近くということから地図で調べたところ、わが家から直線にして約3kmの至近距離だ。風向きによってはわが家にも放射能が飛んでこないとも限らない。
そこへ昨日首都大学東京の福士政広・放射線学科教授が計測したところ、ラジウム226が検出されたという。福士教授がこれは福島原発が原因ではないと明言した。そして今日午後になってその場の民家の床下にある瓶の周辺から、高シーベルトが検出されたと保坂世田谷区長が公式に発表した。まだ専門家の説明を待たなければならないが、福島からの放射能が飛んできたのではないことがはっきりした。ともかく一安心である。
放射性物質漏れについては、いろいろな意味で新たな問題を提起し、国民は頭を悩ませている。最大の問題は福島第1原発の放射能漏れがまだ収束できないことである。次いで放射性廃棄物の処理が世界的にまったく未解決であるということである。今まであまり関心を持たれなかった廃棄物の問題が、これから大きな課題として突きつけられることになろう。
そして今日、「エネルギー白書」(2010年度版)が発表された。前年度版まで盛り込んでいた「原発推進」の言葉が削除され、原発関連の記述が大幅に減らされているという。本来なら6月に公表されるべきものだが、震災の影響で大幅に遅れ、しかも内容的に大きな方針変更があった。
因みに前年度版と比べてみると、原発推進の表現が完全に消え後退している。例えば、『原発の位置付け』は「基幹電源と位置付け前進」→「削除」、『核燃料サイクル』は「推進することを国の基本方針とする」→「削除」、『拘束増殖炉』については「環境負荷の低減という観点からも開発意義が高い」→「削除」となっている。大事なことはみな削除されている。更に最も関心を持たれている『原発の安全性』は、「地震、津波等に対しても十分な対策がなされている」→「原子力の安全確保に関する課題が浮き彫りになった」と捉えているが、十分な対策がなされていたとの記載について反省は一言もない。
ある教科書では、エネルギー資源でダントツに安全と表記され、最もコストがかからないと紹介された原発が、問題になっている。事故が発生した場合のコストが巨額に上る原発について記述がまったくないからである。
問題だらけの原発であるが、今朝の朝日に「電力支配」と題する記事が掲載されている。これも北海道電力と元経産省役人だった高橋はるみ知事との密接な関係を暴いている。これでは高橋知事も北電の原発を止められまい。北海道では原発推進の方向にあるが、震災前とは打って変わり原発の恐さが分った今では、原発推進派の人々は原発の危険性を承知のうえで国を破滅に向わせるようなものではないか。