昨晩遅く飛び込んできた反政府軍によるリビア全土征圧について、大分様子が分ってきた。「アラブの狂犬」カダフィ大佐が死亡したと国民評議会が発表した。朝刊には大佐らしい人物が傷を負い横たわった姿が写真に写っている。テレビニュースで写される死の直前の大佐の姿は、反政府側の兵士に引き摺り出され、権力を揮ったあの独裁者がこの情けない姿かと思えるほど惨めな姿を曝け出している。それにしても独裁者の末路はいつも哀れである。
1月にチュニジア、続く2月にエジプトで独裁者追放劇が始まった。「アラブの春」と呼ばれ、「ジャスミン革命」とも言われる独裁者退陣劇がリビアへもひたひたと押し寄せていたが、その絶対的な体制を築いていたリビアのカダフィ城が昨日遂に落城した。カダフィ大佐が政権に留まっていた年月は実に42年の長きに亘る。良くも悪くもその存在感は抜群だった。チュニジアやエジプトとは異なり、石油生産を後ろ盾に強引な論理と行動力で絶対的権力を誇っていたカダフィ政権は、簡単には転覆しないだろうとの声も一部にはあった。だが、それまでカダフィに逆らえなかった民衆がジャスミン革命に勇気を得て一気に反カダフィ・デモを起し、NATOによる空爆支援もあって、長い内戦の末にカダフィ政権を打倒した。このカダフィ政権崩壊は今後内外に大きな影響を与えるものと思われる。対外的には、このカダフィ大佐失脚によって反政府運動が燻るシリアとイェメンがどういう出方をするか。いずれもひとつ間違えれば、国内を2分しかねない内戦に発展する可能性がある。
とりわけ亡くなったアサド大統領と息子の現大統領に引き継がれた40年に亘る親子の独裁政治を維持するシリアは、露骨な民主化運動抑圧を行っており、ジャスミン革命後も反体制デモ隊に対して徹底的な弾圧を加えている。しばしばデモ隊に対し軍隊が発砲して多数の死者を出している。
イェメンでは同じく長期政権の座にあったサレハ大統領が6月に狙撃され、3ヶ月以上に及んだサウジ・アラビアでの治療を終えて帰国したばかりである。サレハ大統領は平和裏に政権を移譲することを内外に向けてほのめかしたが、誰も彼の言葉を信用しない。これら残るアラブの2人の独裁者、アサドもサレハも心中は穏やかではあるまい。
他方で、リビア国内ではポスト・カダフィの国家安定と民主化がどう運営されるのか。長期間に亘って国の憲法もなく、国会も開かれず、国家元首もおらず、国の組織体制と機構が確立されていなかった。まず国づくりの初歩からスタートしなければならない。国民評議会の主要メンバーの中にはカダフィの元側近だった実力者も多く、民主政治の何たるかを知らない人物が多いことも大きな懸念材料だ。反政府軍が確保した武器、弾薬の所在が分らなくなっている点も懸念される。加えて厄介なのは、国内に数多くの対立する部族がいて、それぞれに自己主張を押し通すわがままがあり、国家がスタートする大事な時に国内で彼らが対立し意見が合わずに、抗争と分裂を繰り返す恐れがあることである。
実際、本来ならもっと早く暫定政権が樹立されるべきだったが、国民評議会内部で意見を異にするグループ同士が相互に妥協せず、最後になって話がまとまらなかった前例がある。これに類することがしばしばあり、国の存在を国際社会にアピールできる場とチャンスをむざむざ放擲している有様である。
いつの時代でもそうだが、理想と目標を掲げて真一文字にそれへ向っている場合には問題が発生しないが、一旦それが達成されるとそれまで埋没していた不満や矛盾が吹き出て内部分裂するのはよくあることだ。しかし、リビアは元々支配体制がきちんと確立されておらず、昔の封建的な部族構成と非民主的な階級制度に庶民が抑圧された歴史しか経験していない。このような国では、民主主義のルールの下地がないだけに、今後の国づくりはよほどしっかりした国際社会の徹底した指導と厳しい監視がなければ元の木阿弥に陥る危険性がある。