1615.2011年10月15日(土) ビルマの微妙な変化は何を意味するのか。

 ビルマ政府が一部の受刑者を釈放した最近の動向を考えると、あの非民主的なビルマ軍事政権も少しは心を開いてきたのかと期待していた。ところが、そうは問屋が卸さないようだ。確かに軍事政権が民主化と名づけた選挙の結果、一応「軍事」の鎧こそ脱いだが、旧来の態勢固めのために、国会議員の1/4は軍人にして残りの8割も軍政が母体の連邦団結発展党(USDP)が占めて実質的には軍事政権と何ら変わらない。当然前軍事政権路線を引き継ぐと見られていたが、ニュアンスがちょっと変わってきた。6月にメディアの検閲緩和の方針を示し、8月には閣僚が民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさんと度々会見したり、スー・チーさんがティン・セイン大統領と会ったり、彼女が堂々と地方遊説に出かけたり、これまでの締め付けムードが一転した。今月に入って、集会やデモを容認する法案が可決され、11日には6千人以上の受刑者の恩赦を発表し実施された。まさにオヨヨ!である。
 あれほど民主化勢力を毛嫌いして、弾圧排除し、政府批判を許さず、デモ隊を片っ端から検挙していた一連の動きからすると呆気にとられるほどである。
 ビルマ政府のその狙いは、日欧米など先進諸国からの経済制裁解除を求めていることと、初めて外交の場で主役を演じるべく、東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議で2014年の議長国を希望しているからだとされる。
 過去にどうしてここまで意固地になって民主化の動きを弾圧するのかと思うほど、ビルマ政府は民主化勢力の排除に血眼になっていた。その意味では少しは期待できる新政府の対応である。
 だが、ビルマ政府のこれまでのパフォーマンスがあまりにも強圧的で悪評だったが故に、諸外国から心底信頼されているわけではない。釈放を発表された人の中に政治犯と言われる人たちが極めて少ないことと、実際に釈放された人の中には著名な指導者が含まれていないことに政府の腹の内が読めそうだ。指導者層の釈放は、急進的な改革を求める反政府デモにつながりかねないとの懸念から釈放対象を選別しているのではないかと見られている。以前に釈放された人たちには、「解放後は政治活動をしない」と一筆書かされた例もある。ビルマ政府の方針の変化には、まだ判然としない点も多く、アメリカ議会では依然として懐疑的な見方が多い。
 こういう動きの中でビルマの外交政策も注目しておく必要がある。西側からの経済制裁を受けて困っている隙につけ入って、中国がビルマに積極的にアプローチしてこれまで数多くの支援活動を行ってきた。ビルマ北西部のミッソンダム建設工事も中国資本によって行われていた。それが自然環境破壊であると周辺住民から強い反対運動が起きるや、意外にもビルマ政府は5年間の工事凍結を決めた。当然中国は怒った。恩義ある中国に対して思い切った行動に出た意図はどこにあるのだろうか。これだってビルマの国土を借りた体のいい中国のためのダム建設だったのである。中国はこのダムで発電された電気を自国へ送る予定だった。その自己本位の策略?もあてがはずれたのである。
  これと相前後してビルマ政府はインド政府と資源開発で協力を確認した。中国との関係が悪化し、疎遠になっているインドへ接近する辺りにビルマのしたたかな戦略の変化が読み取れるような気もする。ベトナムもインドと接近している。東アジアの中で中国との関係が芳しくなくなりつつある国々が、中国を離れインドに接近しつつある姿がビルマを通して透けて見えてくる。

2011年10月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com