1682.2011年12月21日(水) 金正日総書記死亡で噴出す風評

 一昨日金正日・北朝鮮総書記急逝のニュースが世界中にぱっと広がったが、すでにその2日前の17日には死亡していたことがその直後に伝えられた。その辺りの事情については各方面から憶測が絶えない。父親の金日成主席が亡くなった時は、34時間後に発表されたのに、今度は51時間半以上経過してから公表されたのには、それなりの理由があるのではないかと詮索されている。結局継承者・金正恩に国のリーダーとして統率していくだけの力量と信頼がないと考えられ、金正日死後の不安な感情をどうやって国民に知らせるべきか検討していたらしい。

 金正日の死去に際しては、例によって国中でリーダーの死を悲しむ派手なパフォーマンスをいろいろやって、テレビでも放映されているが、涙の流し方から、泣き方のジェスチャーまで随分作法があるらしい。平城では弔意を示した市民の数が市人口の2倍以上いるというから、いよいよ始まったなぁという感じである。

 それにしても国家元首とも言える独裁者だった金正日総書記の弔問に、外国からめぼしい弔問団がまったく訪れないというのも異様と言わざるを得ない。同一民族の韓国ですら、有力者が誰1人として弔問に訪れない。

 この国には不安材料ばかりが山積しているが、中朝国境と38度線周辺では厳戒体制が敷かれている。難民となって国を逃げ出してくる恐れがあるということが、その原因である。

 いずれにせよ、北朝鮮はいま食料不足を抱えて危機的状態にある。国民が貧窮に苦しんでいる。工業生産も思うに任せず、経済不況が続いている。にも拘わらず核やミサイルの開発にうつつを抜かしている有様である。経済は立ち行かず、それでいて強引な外交政策により世界的経済封鎖を受け国家の維持がニッチモサッチモ行かなくなっている。気の利いた政治家も輩出せず、そこへ未熟な若者・金正恩の登場では将来がまったく見通せないのではないか。この国は一体どうなるのだろうか。せめて北朝鮮が革命や内戦、体制崩壊などで自爆、暴発しないことを望むしかない。

 さて、先日書店で立ち読みしていて購入した湯本豪一著「風刺漫画-日本近代史がわかる本-」(草思社刊)が面白い。明治維新後のエポックメークな事件やでき事を当時の雑誌・新聞・イラストで紹介しつつコメントが書かれている。

 その83項目のひとつに「沖縄県誕生」という一項がある。これを読むと意外にも現在の沖縄、つまり旧琉球はかつて明代には中国に朝貢していて、慶長14(1609)年に薩摩藩に征服されて両属関係を維持し、明治4(1871)年廃藩置県後鹿児島県に属することになって清国との間に外交問題が発生したという歴史の流れを紹介している。その後紆余曲折があり、明治12年に沖縄県が誕生した。この過程を追っていると、地勢的な位置関係もあって、尖閣列島の領有権も怪しくなってくる。この辺りの事情についてどのメディアも伝えていない。そして中国が領有権を言い出し、日本の主張はみるみる説得力を失っていく。どうも日本政府のことの進め方が軌道を外れているのではないかと考えざるを得ない。

2011年12月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1681.2011年12月20日(火) 本気で痔の治療に取り組む。

 今年になってからどうも痔の具合がすっきりしない。10月に小中陽太郎さんの「いい話グセで人生は一変する」(青萌堂刊)出版記念会が開かれた折り、その後の2次会にも出て少々飲み過ぎたせいか、その晩から今までになく痔の具合がおかしくなった。尾篭な話で恐縮だが、翌朝すぐかかりつけの森内科で出っ張ったイボ痔を押し込んでもらった。このスカッとしない状態を何とかすっきりしないとこれから旅行、特に海外へ出かける時に困ると思い、早い時期に方をつけたいと考えていた。

 幸い近くに住む妻の知り合いが治療してもらったクリニックを紹介してくれたので、思い切って昨日診てもらった。診察の結果は「痔核」、いわゆる「イボ痔」と云われるもので、4段階のうち私の痔核は軽い順番からいくと3番目にあり、手術する必要まではないが、早く治療した方が良いとの診断だった。やるならALTAと呼ぶ硬化剤注入療法で患部を注射して固めるということだった。それなら「善は急げ」とばかり、早速今日午後注射と点滴の治療をしてもらった。この結果は来週初に注射後の様子を診てもらってから、どうするか医師から話がある。

 いつまでも悩みを抱えていても仕方がないので、早い結論を出してしまったが、海外へ取材に出かけられないことが一番の悩みである。妻の知人も同じように治療をした結果、最近スペイン旅行もしたようだし大分具合が良さそうなので、私もこれで直れば頭上に淀んでいた暗雲は霧消する。

 実は再来年は、戒厳令下で身の上に降りかかったアンマン(ヨルダン)の丘の事件以来ちょうど45年になる。あの時私は突然ヨルダン軍軍隊に取り囲まれライフル銃を突きつけられ身柄を拘束されてしまった。捕まった1968年1月当時は、第3次中東戦争直後で市内には軍人が跋扈して軍用車や戦車が走り回り、市街には異常な緊張感が漂い住民も神経を尖らせピリピリしていた。丘の上の景色はほとんど覚えていないが、土地勘は多分大丈夫だと思うので、大分前から何とかもう一度現場を訪れて「なぜ軍隊なぞに身柄を拘束されてしまったのか?」を検証してみたいと考えていたところである。そんなことからヨルダンに行くためには、抱えている病を一刻も早く追い払いたいと思っていた。何とか早くスカッとしたいところである。

2011年12月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1680.2011年12月19日(月) 北朝鮮の‘将軍様’金正日総書記急死!

 昨日チェコのバツラフ・バベル前大統領が 75歳で亡くなった。バベル氏は1989年のビロード革命を率いて旧チェコスロバキアの民主化を無血で達成した。反体制の劇作家として知られ、1968年の「プラハの春」では、プラハ市内へ侵攻したソ連率いるワルシャワ条約機構軍に抵抗して身柄拘束された。その後民主化運動のリーダーとして活動を続け、遂に無血革命を成功させ国民に圧倒的に支持されて初代大統領の座に就いた。

 個人的には「プラハの春」と言えば、まずチェコ留学の夢を壊された忌々しい記憶が思い出される。その後「プラハの春」20周年記念日の1988年8月20日には、偶々プラハに滞在していてバーツラフ広場で大きなデモの中に誘い込まれそうになった。いずれにしても私にとって「プラハの春」の忘れられない人物は、国の民主化への開放に火を灯した党第1書記のドブチェック氏と、民主化リーダーとして無血のビロード革命を成し遂げたハベル氏だった。

 その英雄ハベル氏死亡のニュースに引き比べ、今日唐突に飛び込んできた「世界の妖怪」の死にはびっくりさせられた。何とお隣・北朝鮮の「将軍様」金正日総書記が2日前に心臓発作で急死したのである。第2次世界大戦後スターリンやケネディの死に匹敵するほどのショッキングなニュースである。午後1時過ぎに臨時ニュースが流され、号外も発行され、この「妖怪」の死亡はあっという間に日本中を駆け巡った。テレビの番組は変更に次ぐ変更で、流石に世界がマイナス・イメージで注目するだけの大物である。この悪名高き金正日の死に比べると、国民を力づけ国の民主化へ導いた、偉大なるハベル氏死亡のニュースはあまりにも慎まし過ぎるように思える。

 経済低迷、農業凶作に加え、外国の経済封鎖の中で追い詰められた金総書記には、まだカリスマ性というか、絶対神のような存在感と影響力に加えて、瀬戸際外交という危ない橋を渡って世界を恐怖に陥れる悪霊のような悪いイメージがあった。しかし、父親の金正日・総書記の継承者と公表された三男の金正恩はまだ若く、政治舞台へのデビュー後日も浅く、実績はほとんどない。政治基盤も極めて弱い。果たしてその金正恩に金王国を継承していく力があるだろうか。しばらく革命とか、権力闘争、金王国崩壊という騒ぎが起こることはないだろうが、軍部を中心によほど三男坊のバックアップ体制を固めないとこれまでのように不安定的安泰というわけにはいかないだろうというのが、大方の見方である。これから北朝鮮の政治、外交についていろいろ交わされる議論が見ものである。

 この怪物のような金正日の評価なぞはどうでも良いが、これから北朝鮮はどういう道を進んでいくのか。核・ミサイル開発問題はどうなるのか。拉致問題はどうか。

 今日金正日死亡、享年69歳。それでも私より4歳若い。

2011年12月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1679.2011年12月18日(日) 年賀状を書いて思い出すこと

 先日海外の知人、友人にクリスマス・カードを送ったばかりだが、ここ数日は年賀状の宛名書きに追われている。漸く今日までに500枚余りの宛名を書いてほっとしたところだ。まだ50枚ばかり書かなければいけない。年を経るにつれいただく喪中の葉書も年々増えている。今年はすでに30枚を超えた。そんな中でも高校ラグビー部の蓮池くんが2月に亡くなった訃報が一番堪えた。すでに3月に奥様から亡くなられたとのご連絡をいただいたので、悲しみと寂しさは薄らいでいるが、それにしても3年間ともに練習で汗を流し、試合で悔し涙を流したことが忘れられない。

 蓮池くんは第1希望の東京商船大学航海科へ進学し、卒業後日本郵船へ入社して、若い時の願い通りNY定期航路の船長を務めていた。定年後は最近まで名古屋港で水先案内人として勤務していた。卒業後は近くにいることが少なく、あまり会う機会がなかった。今にして思えば、もっと会って酒でも酌み交わしながら、外国の話や人生論でも語り合いたかったというのが本音である。

 高校では私はフォワードだったが、彼は司令塔であるスタンド・オフとしてプレイし、プレース・キッカーとしても活躍した。同期生8人のラグビー部仲間のうち、鬼籍に入ったのは彼が4人目で実に寂しい。蓮池くんのご冥福を心よりお祈りしたい。

 年賀状については、大分前に亡くなられた小学校の恩師から心がまえを教わった。その中でもボールペンは絶対使用してはいけないと言われたことが妙に頭にこびりついている。そのころはどうしてだかよく分らなかった。当時はボールペンの品質が劣っていたこともあり、綺麗な字が書けなかったことがボールペンを敬遠した理由ではないかと思っている。それでもその時いただいた恩師のアドバイスを今でも忠実に守り、手紙や文書ではほとんどボールペンを使わない習慣が身に着いた。今でもメモ書き以外は万年筆か、筆ペンを使用している。小学生の時から大学まで版画を彫って年賀状を作成していたのも恩師の影響である。

 今ではPCでいとも簡単に年賀状を作成し印刷することができる。まさに隔世の感がする。遠くにいる友人に想いを馳せながら、万年筆で宛名を書いていると、彼は今頃どうしているだろうと1年に1度は思い出す。中学生時代の友人は、恩師ともども京都に居住して普段ほとんど会うことはなく、年賀状だけが細い友情の交流パイプである。そんなことをぼんやり考えるようになったのは、年齢のせいだろうか。

 こうして間もなく新しい年を迎えることになる。来年のお正月には友人からどんな年賀状をもらえるだろうか。

2011年12月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1678.2011年12月17日(土) 福島第1原発の「冷温停止状態」宣言は拙速か?

 昨日野田首相が福島第1原発のステップ2をクリアした「低温停止状態」に達したと内外に発表したことが、大きな話題を提供し、一部では物議を醸している状態である。今朝の朝日社説では実態は以前と変わっておらず、今後の推移も予断を許さないと決めつけている。

 当初は来年1月中旬にステップ2を終える予定だったが、国際会議で年内完了を公約し、収束を公表することによっていち早く安全性をアピールしたかったのではないかと言われている。

 これまで政府公式発表と東電情報、メディア、専門家の間には事故発生以来情報の行き違いと混乱が数多くあった。政府の原子力災害対策本部では1~3号機の炉の温度は、9月下旬以降100℃を下回り、一昨日時点で38~68℃と報告され、放射性物質(セシウム)の外部への飛散も毎時6千万ベクレルで、事故発生時の1300万分の1にまで減少したと公表している。被曝線量も目標の年間㍉シーベルトを下回って最大で年間0.1㍉シーベルトと、安全数値?であることを強調している。

 だが、われわれはこういう数値をただ鵜呑みに信用するより仕方がないのだろうか。実際はどうなんだろう? 手元にある東京電力が最近株主へ送付した決算報告書、「TEPCO2011中間報告書」を捲ってみると、「原子炉圧力容器底部の温度は、1号機が37℃、2号機及び3号機が69℃となっており、いずれも100℃以下で安定」と東電サイドの数値が記されている。これは11月17日、ちょうど1ヶ月前に書かれたものである。セシウムの放出量もすでに1,300万分の1に落ち、「年間被曝線量は最大で約0.1㍉シーベルトとなっています」と報告されている。昨日発表した数値とほとんど同じなのである。対策本部が昨日国民に発表した数字と、東電がそれより前に株主に知らせた数字とまったく同じとはどういうことだろう。勘ぐれば、2ヶ月前の数値だって同じようなものではないだろうか。何かそこに作為があり恣意的なものが感じられてならない。

 ステップ2終了が、時宜を得た判断だったかどうかは今後徹底的に精査され、議論が交わされることだろう。現在も放射性物質は相変わらず毎時6千万ベクレルも放出されているうえに、水素爆発の不安が払拭されたわけではない。国内では佐藤雄平・福島県知事が冷温停止状態はまだ早いと言っているし、海外からも疑念を抱かれているようで、ドイツ・シュピーゲル紙はこの冷温停止はごまかしと断じている。アメリカのヤッコ原子力規制委員長も事実を究明すべく近日日本へやってくるようだ。

 それにしても、これまで情報が入り乱れたせいか、こと原発に関しては何をやってもあまりうまくいかないようだ。

2011年12月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1677.2011年12月16日(金) 福島第1原発事故収束宣言

 今年5月に大学ゼミの恩師、飯田鼎先生が亡くなられてゼミ会員はみんな心にぽっかり穴が開いたような気持ちになっている。人生の生き方とか、学問への姿勢などについて半世紀に亘りお世話になった。改めて感謝の気持ちが湧いてくる。

 先月例年通りゼミの例会を開いたが、出席者の気持ちとしてはどうしても寂しい気持ちは拭い切れない。そんなもやもやした気持ちの中で、飯田先生を追悼する気持ちを込めた追悼文集といおうか、ゼミの記念文集を発行しようという話がゼミ内部からばかりでなく、ゼミの外からも持ち上がり、今日協力してくれるスタッフが集まり、初めての打ち合わせを霞ヶ関の日本プレスセンターで行った。ここはペンクラブのセミナーでもよく利用するが、今日初めて9階の談話室とレストランを利用した。雰囲気も良く、食事と飲み物の価格もリーズナブルだ。ここを世話してくれた元毎日新聞記者で、白梅学園大教授の山路憲夫さんが発起人となり中心となってゼミ会員7人が集まった。一応来年のゼミ例会までに記念文集の発行を目指すことになった。

 ところが、今後編集作業を進めるに当たり、うっかりして私が全般的なまとめ役を引き受ける破目になってしまった。執筆者から原稿を私の元へメール送信してもらうことにしたが、考えてみるとそうすると受け取った原稿を私のPCで整理し、一切合財管理することになるのではないか。結局印刷屋に引き渡す最終原稿を組版までして完璧なものにする必要がある。果たして私にそこまでできる余裕があるだろうか。もっと細かい点まで考えるべきだったかも知れない。少々迂闊だったのではないか。7人の中で最長年者の私より、こういう編集のような仕事は若い人が引き受けるべきなのに、私がぺらぺらしゃべり過ぎたのが敗因だった。まぁ今更愚痴を言っても始まらない。最善を尽くすより術はないと思う。

 ゼミとしてはこれまでにも文集は発行しているが、これが最後の文集になると思うので、立派な金ぴか文集を作る必要はないが、内容的に充分飯田先生を追悼する気持ちの籠ったもので、読んだ人が感銘を受けるような文集にすることが大切ではないかと思っている。

 さて、今日政府は福島第1原発の冷温停止状態の達成終了を確認して、事故の収束を宣言した。確かに100℃以下の状態が継続しているということから、年内にはそう宣言されると予想されていた。

 ただし、この収束宣言には専門家の間には異論もあり、その根拠として冷温停止状態になっているが、溶融した炉心の場所が特定できていないことから収束することには疑問の声もある。さらに放射性物質が依然として大気中へ放出されている。

 ほかにもまだ問題点が大分あるようだが、それを押し切って敢えて事故収束を宣言せざるを得なかったのは、風評被害など国内外に根強い原発事故への不安を払拭したいとの狙いがあったようだ。残った大きな問題は、まだ避難している住民がこの収束宣言をどう思うかである。自分たちの住んでいた家に帰ることができない以上、彼らは決して原発事故が収束したとは思わないだろう。

 今後事故収束の議論はどう進められるだろうか。

2011年12月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1676.2011年12月15日(木) 高校時代の友と会う。

 高校時代の親友5人と藤沢市内で会食した。みんな気の置けない友人で学校でもよくつるんでいたし、伊豆大島、昇仙峡へも一緒に行ったり三浦半島へも自転車で行った。中でも自宅も近かった轟貞雄くんとは家族同士で親しくしていたので、久しぶりに会えて嬉しかった。94歳になる母上の具合が悪くそのお世話で、最近の同窓会にも欠席続きだった。よく存じ上げていたお母さんも最近は私のことを思い出せないようだと言っていた。ちょっと寂しい気がする。年齢的な衰えがどんどん忍び寄っている。われわれ同級生もそれぞれ大なり小なり病気を抱えている。ある程度年齢的な衰えは止むを得ない。トラック島のエッセイについても単行本として上梓するよう力強く勧めてくれた。これからも時々会って話し合おうということでお開きとなった。

 昨日本ブログで取り上げた中韓間の対立は、お互いに反発して北京では韓国大使館に金属球を撃ち込み窓ガラスを割る騒ぎがあった。一方ソウルでは中国大使館近くで中国漁船に似せた模型を叩き壊す人たちのデモがあった。

 相変わらず中国の韓国に対する反応は常軌を逸していて話にならない。自ら蒔いた種なのに、中国人の国民感情が韓国への反発を強めていて、一方的謝罪だけするような態度はとりにくいというのが実情のようだ。この中国人の精神構造は異常と言わざるを得ない。ある中国紙の社説では、こうまで言っている。韓国沖に漁に出る中国人漁民は生活のためにギリギリの危険を冒す「同情」すべき人々だと主張している。更に、中国近海の漁業資源は枯渇しているが、韓国社会は中国の漁民の悲しさが分らないなどと、まったく筋の通らない、利己的な弁解を載せている。自分たちの不始末の原因を他人のせいにしている図々しさにには呆れるばかりである。こんな身勝手な自己主張を述べているのが、何と国際情報紙としても知られる「環球時報」なのである。このような主張が、中国国内では堂々通るとしても、国際的にはどの社会からも常識的な理解が得られる筈もない。総スカンを食うのが関の山である。そんなことすら意に介しないのが中国流である。これに対して、韓国紙は「加害者側が開き直っているのが深刻で、韓国世論の憤りを伝えざるを得ない」と言っている。ごもっともだと思う。

 その中国が新たに監視船を東シナ海へ出港させた。「違法行為を取り締まりたい」と言い違法漁業を取り締まる目的かと思いきや、日中が共同開発で合意している東シナ海付近の海域で監視活動をするのが目的のようだ。まったく昨日に続いて中国人の奇想天外な考え方とそのやり方は、世界の秩序を乱すことしか考えていないとしか思えない。どうも中国という国家は世界的に異質の国のようだ。

 さて、今日アメリカのオバマ大統領がノースカロライナ州の米軍基地でイラク戦争終結を宣言し、順次イラク駐留米部隊を撤退させると述べた。2003年3月20日に電撃的なイラク空爆により始まった戦争は、すでに8年9ヶ月になる。シベリア鉄道横断旅行を終えて、その帰りにウラジオストック空港で臨時ニュースにより知った開戦だったが、問題は現在本当に戦争が終結したと言える状態なのかどうかということである。今もイラク各地ではテロ攻撃や爆発が絶えない。果たして米軍撤退後にイラクの治安をイラク軍と警察だけで安定させることができるのか。

 そこには戦争終結を発表せざるを得ないアメリカの国内事情があるように思えてならない。経済低迷で100兆ドルに達するという戦費は、これまでに4,500人の戦死者と3万人の負傷者を生んだことと併せて、大国アメリカにとって巨額の戦費負担が耐え切れなくなった証左ではないのだろうか。

 追々アメリカ撤退の原因が明らかになるだろう。

2011年12月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1675.2011年12月14日(水) 中国の暴虐行為と不遜な態度

 一昨日中国の密漁船船長が韓国の海洋警察官を刺し殺すという、国際上あり得べくもない事件が起きた。黄海における韓国領海内排他的経済水域内での、中国漁船密漁取締りの際起きた不幸な事件である。ビデオ動画を観ていると中国漁船、それに中国人乗組員の荒っぼい抵抗ぶりには驚ろかされる。昨年日本の海上保安庁監視船が尖閣諸島周辺で中国の国境侵犯魚船に体当たりされた時と同じように、死に物狂いで暴れまわるような凶暴な行為である。

 これまでも中国の密漁漁船は韓国によって度々拿捕されていたが、流石に今度ばかりは韓国警備艇の正当な行動に対して警察官を殺害するという凶行に対して、申し開きができないと考えていたところ、これが中国流というのだろうか、一向に謝罪する様子が見られない。当初は遺憾の意を表明することもなく、昨日になって漸く遺憾の意を表明した。韓国内の中国への反発が高まってきたからである。しかし、中国側には謝罪の気持ちがないようだ。あまつさえ韓国が逮捕した殺人船長の身柄に配慮を要請する有様である。中国国民もこれに右に倣えのコメントばかりである。

 法を犯し、取り締まろうとする相手を殺害して、謝ろうともしない中国の傲慢さ、そして同じように船長を擁護する中国国民を見ていると、どうも中国政府としては外国に頭を下げるような軟弱外交は国民に弱みを見せることであり、政府の信頼度を低下させる行為につながると考えていると思われ、一方で国民の情報源は狭められ真実のニュースが得られないための誤解から、国民の常識はずれの殺人者擁護の偏見が生まれているのではないかと思わざるを得ない。

 中韓両国の間には、貿易の拡大、北朝鮮の韓国人拉致被害者の救出など、壊されたくない事情がある。しかし、このまま中国政府が謝罪もせず、韓国側を非難するようなことなら事態は深刻になるばかりだろう。

 それにしても最近中国で起きている高速鉄道脱線事故、定員オーバーのスクールバス事故、幼児人身売買、南シナ海領有権問題など数々の不祥事、人権無視、人命軽視、傲慢な外交姿勢を見ているとあまりにも行き過ぎていて、こんなおかしな民族がいるわけがないと思え、これは本当の中国、及び中国人とは違うのではないかとも思えてくる。国内のみならず、国際的にも顰蹙を買うような事件の噴出は、いかに経済大国とは言え、とても容認できるものではない。

 これから中韓問題はどう落としどころを探るのか分らないが、早急に解決することは難しいだろう。中国のように酷い国であっても、今後も付き合っていかなければならないのが国際社会というものである。中国には一刻も早く目覚めてもらいたいと思う。さもなければ、世界の孤児となってしまうのではないか。

 今日は小中陽太郎さんを囲む「ヨタロウ会」の忘年会で、親しい人ばかり4組のご夫婦を合せて15人が、東横線・都立大学駅近くのイタリアン・レストラン‘TRATTORIA LA BARACCA’で美味しいイタリアンを食べ、それぞれ来年の活躍を申し合わせた。小中さんの奥様の具合が悪いと聞いていたが、大分良くなられたようでほっとした。

2011年12月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1674.2011年12月13日(火) 田原総一朗氏の講演を聴く。

 昨日の本欄でCOP17がよく分らないと書いたが、それを見透かしていたかのように今日憲政記念館で開かれた「ふるさとテレビ」主催の「田原総一朗・時代を読む」講演会で、田原氏が冒頭から新聞がよく分らないと話され、その槍玉に上げたのがそのCOP17である。新聞自体がよく分かっていないのに、記事にするから読者には分る筈がないとまで言われた。COP17については田原氏が分り易く解説してくれた。

 昨日私が書いた内容とほぼ同じだが、田原氏はより具体的に中国、アメリカ、インドのような大量二酸化炭素排出国が、我儘で排出量削減義務を負わないしたたかな外交術と、いつも通り厚かましい外国の言う通り引き受けてしまう日本の外交下手、そしてヨーロッパが削減義務を率先引き受けると言い出した理由について説明された。後者については1996年に京都で日本が議長国となって議定書を成立させた時の排出量削減は、ヨーロッパ8%、アメリカ7%、日本6%で、一見ヨーロッパに厳しいようだが、基準となった1990年が社会主義体制崩壊の時でヨーロッパには大量の排出ガスが溢れて、その基準から言えば8%は容易かった。だから度々1990年という年がことあるごとに出てくるわけだ。それにイニシアチブをとられて、アメリカ7%、次いで日本6%という根拠に乏しい数値目標義務を課せられたわけだ。そして、つむじを曲げたアメリカの離脱である。

 一番バカを見たのはお人好しの日本ではないか。日本の外交下手とお人好しぶりが国際舞台で舐められうまく利用されてしまったのだ。田原氏もその点をくどいくらい述べておられた。

 田原氏はそのほかに、①野田内閣支持率の低下の原因、②普天間基地移設問題、③日本企業は攻めの経営から守りの経営に変わった、④失敗を恐れる風潮、等々についてちょうど1時間話された。

 話を終えて田原氏が質問を受けましょうと言ってくれたが、質問者が自分の意見を長々と述べて時間がかかったために、たった2人しか質問が許されなかった。最近こういう質問者が多くて困る。こんなことなら、私が質問したかった。ズバリ「田原氏は原発推進支持か、脱原発支持か?」と。

 開始前に主催者「ふるさとテレビ」の角広志氏と田原氏の原発感について立ち話をした。先日のペンクラブの「脱原発を考えるペンの集い」で、躁状態の袖井林二郎・法政大名誉教授が「田原総一朗は殺人者だ!」と脱原発の立場から乱暴に一方的な発言をしたが、田原氏当人の口から原発についてどう思うか聞いてみたかった。田原氏は原発事故について「時代を読む」と銘打った以上当然触れてくれると考えていたが、原発に言及してくれなかった。残念ながら、元々1時間では時間的に足りず、今日の田原氏は客観的な話が多く、氏の本音を聞き取ることはできなかった。

 10年以上前に田原氏の講演を聞いたことがあるが、今日は若干フラストレーションが溜った。それでも氏の相変わらず分り易くメリハリの利いた話しぶりにはそれなりに楽しませてもらった。

2011年12月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1673.2011年12月12日(月) COP17の実効性は?

 地球温暖化防止のための具体的な対策として「COP17」が南アフリカのダーバンで開催されていたが、すったもんだの末漸く合意し閉幕した。このCOP17というのがよく分らない。一昨年にはCOP15をコペンハーゲンで開催された。

 そのCOP17とは、正式には「気候変動枠組み条約締約国会議」と呼ぶのだそうで、この日本語の意味も専門家ならともかく一般人にはとんと見当もつかない。

 今回会議開催の理念としては、これ以上温暖化の原因である二酸化炭素の排出を各国が共通して抑えようというのだから、未来社会のために協力のルール作りをすべきなのに、各国のわがままや思惑が噴出し、共通のルール作りができない有様である。今回の会議も協定書について参加国から合意が得られず、1日延長して何とか不完全な合意を取り付けたに過ぎない。

 だが、それも紳士協定みたいなものだから、全参加国がその気にならなければ正に砂上の楼閣である。

 当面の懸案事項は、京都議定書の温室効果ガス削減義務を、期限が切れる2012年末から2013年以降へ延長し、新たにすべての国が参加する体制を作ることである。妥協のうえに妥協を重ねて何とか表面的に取り繕って「ダーバン合意」は採択されたのである。

 しかもこれには、今後相当な努力が積み重ねられないと実質的な効果はほとんど期待できない。そもそもの誤算は京都議定書自体、排出ガス量の1位中国が削減対象国から外れていることであり、排出ガス量2位のアメリカも条約を批准しないことであり、実行できるかどうか、が疑問視されていた。

 いずれにしても2020年には、すべての国が参加することを前提に長い道を歩むことになった。その過程で、中国とアメリカの自己本位な態度に痺れを切らした日本、カナダ、ロシアは2013年からCOPから離脱することになった。

 それにしても、国際条約でありながら、各国に建設的な協力の姿勢が見られず、これだけ大規模な会議であるにも拘わらず、実りの少ない、実にお粗末な会議だった。こんな調子で果たして今後地球温暖化を防止することができるのだろうか。

2011年12月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com