一昨日金正日・北朝鮮総書記急逝のニュースが世界中にぱっと広がったが、すでにその2日前の17日には死亡していたことがその直後に伝えられた。その辺りの事情については各方面から憶測が絶えない。父親の金日成主席が亡くなった時は、34時間後に発表されたのに、今度は51時間半以上経過してから公表されたのには、それなりの理由があるのではないかと詮索されている。結局継承者・金正恩に国のリーダーとして統率していくだけの力量と信頼がないと考えられ、金正日死後の不安な感情をどうやって国民に知らせるべきか検討していたらしい。
金正日の死去に際しては、例によって国中でリーダーの死を悲しむ派手なパフォーマンスをいろいろやって、テレビでも放映されているが、涙の流し方から、泣き方のジェスチャーまで随分作法があるらしい。平城では弔意を示した市民の数が市人口の2倍以上いるというから、いよいよ始まったなぁという感じである。
それにしても国家元首とも言える独裁者だった金正日総書記の弔問に、外国からめぼしい弔問団がまったく訪れないというのも異様と言わざるを得ない。同一民族の韓国ですら、有力者が誰1人として弔問に訪れない。
この国には不安材料ばかりが山積しているが、中朝国境と38度線周辺では厳戒体制が敷かれている。難民となって国を逃げ出してくる恐れがあるということが、その原因である。
いずれにせよ、北朝鮮はいま食料不足を抱えて危機的状態にある。国民が貧窮に苦しんでいる。工業生産も思うに任せず、経済不況が続いている。にも拘わらず核やミサイルの開発にうつつを抜かしている有様である。経済は立ち行かず、それでいて強引な外交政策により世界的経済封鎖を受け国家の維持がニッチモサッチモ行かなくなっている。気の利いた政治家も輩出せず、そこへ未熟な若者・金正恩の登場では将来がまったく見通せないのではないか。この国は一体どうなるのだろうか。せめて北朝鮮が革命や内戦、体制崩壊などで自爆、暴発しないことを望むしかない。
さて、先日書店で立ち読みしていて購入した湯本豪一著「風刺漫画-日本近代史がわかる本-」(草思社刊)が面白い。明治維新後のエポックメークな事件やでき事を当時の雑誌・新聞・イラストで紹介しつつコメントが書かれている。
その83項目のひとつに「沖縄県誕生」という一項がある。これを読むと意外にも現在の沖縄、つまり旧琉球はかつて明代には中国に朝貢していて、慶長14(1609)年に薩摩藩に征服されて両属関係を維持し、明治4(1871)年廃藩置県後鹿児島県に属することになって清国との間に外交問題が発生したという歴史の流れを紹介している。その後紆余曲折があり、明治12年に沖縄県が誕生した。この過程を追っていると、地勢的な位置関係もあって、尖閣列島の領有権も怪しくなってくる。この辺りの事情についてどのメディアも伝えていない。そして中国が領有権を言い出し、日本の主張はみるみる説得力を失っていく。どうも日本政府のことの進め方が軌道を外れているのではないかと考えざるを得ない。