今年になってからどうも痔の具合がすっきりしない。10月に小中陽太郎さんの「いい話グセで人生は一変する」(青萌堂刊)出版記念会が開かれた折り、その後の2次会にも出て少々飲み過ぎたせいか、その晩から今までになく痔の具合がおかしくなった。尾篭な話で恐縮だが、翌朝すぐかかりつけの森内科で出っ張ったイボ痔を押し込んでもらった。このスカッとしない状態を何とかすっきりしないとこれから旅行、特に海外へ出かける時に困ると思い、早い時期に方をつけたいと考えていた。
幸い近くに住む妻の知り合いが治療してもらったクリニックを紹介してくれたので、思い切って昨日診てもらった。診察の結果は「痔核」、いわゆる「イボ痔」と云われるもので、4段階のうち私の痔核は軽い順番からいくと3番目にあり、手術する必要まではないが、早く治療した方が良いとの診断だった。やるならALTAと呼ぶ硬化剤注入療法で患部を注射して固めるということだった。それなら「善は急げ」とばかり、早速今日午後注射と点滴の治療をしてもらった。この結果は来週初に注射後の様子を診てもらってから、どうするか医師から話がある。
いつまでも悩みを抱えていても仕方がないので、早い結論を出してしまったが、海外へ取材に出かけられないことが一番の悩みである。妻の知人も同じように治療をした結果、最近スペイン旅行もしたようだし大分具合が良さそうなので、私もこれで直れば頭上に淀んでいた暗雲は霧消する。
実は再来年は、戒厳令下で身の上に降りかかったアンマン(ヨルダン)の丘の事件以来ちょうど45年になる。あの時私は突然ヨルダン軍軍隊に取り囲まれライフル銃を突きつけられ身柄を拘束されてしまった。捕まった1968年1月当時は、第3次中東戦争直後で市内には軍人が跋扈して軍用車や戦車が走り回り、市街には異常な緊張感が漂い住民も神経を尖らせピリピリしていた。丘の上の景色はほとんど覚えていないが、土地勘は多分大丈夫だと思うので、大分前から何とかもう一度現場を訪れて「なぜ軍隊なぞに身柄を拘束されてしまったのか?」を検証してみたいと考えていたところである。そんなことからヨルダンに行くためには、抱えている病を一刻も早く追い払いたいと思っていた。何とか早くスカッとしたいところである。