今年5月に大学ゼミの恩師、飯田鼎先生が亡くなられてゼミ会員はみんな心にぽっかり穴が開いたような気持ちになっている。人生の生き方とか、学問への姿勢などについて半世紀に亘りお世話になった。改めて感謝の気持ちが湧いてくる。
先月例年通りゼミの例会を開いたが、出席者の気持ちとしてはどうしても寂しい気持ちは拭い切れない。そんなもやもやした気持ちの中で、飯田先生を追悼する気持ちを込めた追悼文集といおうか、ゼミの記念文集を発行しようという話がゼミ内部からばかりでなく、ゼミの外からも持ち上がり、今日協力してくれるスタッフが集まり、初めての打ち合わせを霞ヶ関の日本プレスセンターで行った。ここはペンクラブのセミナーでもよく利用するが、今日初めて9階の談話室とレストランを利用した。雰囲気も良く、食事と飲み物の価格もリーズナブルだ。ここを世話してくれた元毎日新聞記者で、白梅学園大教授の山路憲夫さんが発起人となり中心となってゼミ会員7人が集まった。一応来年のゼミ例会までに記念文集の発行を目指すことになった。
ところが、今後編集作業を進めるに当たり、うっかりして私が全般的なまとめ役を引き受ける破目になってしまった。執筆者から原稿を私の元へメール送信してもらうことにしたが、考えてみるとそうすると受け取った原稿を私のPCで整理し、一切合財管理することになるのではないか。結局印刷屋に引き渡す最終原稿を組版までして完璧なものにする必要がある。果たして私にそこまでできる余裕があるだろうか。もっと細かい点まで考えるべきだったかも知れない。少々迂闊だったのではないか。7人の中で最長年者の私より、こういう編集のような仕事は若い人が引き受けるべきなのに、私がぺらぺらしゃべり過ぎたのが敗因だった。まぁ今更愚痴を言っても始まらない。最善を尽くすより術はないと思う。
ゼミとしてはこれまでにも文集は発行しているが、これが最後の文集になると思うので、立派な金ぴか文集を作る必要はないが、内容的に充分飯田先生を追悼する気持ちの籠ったもので、読んだ人が感銘を受けるような文集にすることが大切ではないかと思っている。
さて、今日政府は福島第1原発の冷温停止状態の達成終了を確認して、事故の収束を宣言した。確かに100℃以下の状態が継続しているということから、年内にはそう宣言されると予想されていた。
ただし、この収束宣言には専門家の間には異論もあり、その根拠として冷温停止状態になっているが、溶融した炉心の場所が特定できていないことから収束することには疑問の声もある。さらに放射性物質が依然として大気中へ放出されている。
ほかにもまだ問題点が大分あるようだが、それを押し切って敢えて事故収束を宣言せざるを得なかったのは、風評被害など国内外に根強い原発事故への不安を払拭したいとの狙いがあったようだ。残った大きな問題は、まだ避難している住民がこの収束宣言をどう思うかである。自分たちの住んでいた家に帰ることができない以上、彼らは決して原発事故が収束したとは思わないだろう。
今後事故収束の議論はどう進められるだろうか。