やや膠着状態だったリビアの国内情勢が急に動き出した。2月にチュニジアの反政府デモが体制を崩壊させてから、3月にエジプトのムバラク政権転覆へと導き、両国に挟まれたリビアでも42年間に亘って独裁的に振舞っていたカダフィ大佐がじわじわと反体制デモに追い詰められている。しかし、他の独裁者とは些か違い、したたかなカダフィ大佐の場合、周囲に強力な親衛隊を侍らせて頑強に勢力を誇示して、恐怖感を振りまいて反政府側をたじろがせる。
そのカダフィにもついに年貢の納め時が来たのか、カダフィの留まる首都トリポリが反政府軍に制圧されたと報道された。そこへカダフィの後継者とされる二男 セイフイスラム氏が、長男ムハンムドともども身柄拘束されたと伝えられた。ところが、この信憑性に疑問符がついた。長男がその後に逃亡したと報じられたの に続き、二男がテレビで支持者に檄を飛ばしている姿が映し出されるありさまである。二男も一旦は拘束されたが、その後逃げたということのようだ。大物捕り 物帳としては随分好い加減な話ではないか。そこへ七男の遺体が発見されたとの情報が発表された。何がどうなっているのか情報が錯綜して判然としない。アメ リカ政府は、トリポリの陥落とカダフィ政権は最早末期的と楽観視しているようだ。アメリカに同調する日本もカダフィ大佐の退陣を要求している。いずれにせ よ今の情勢ではカダフィ政権の落日も近いのではないかと思う。近いうちに、イラクのフセイン大統領と同じようにカダフィ大佐も惨めな姿を世界中に曝け出す ことになるのだろう。
昨日森喜朗元総理から紹介されたミクロネシア連邦駐日大使館へ今朝電話して25日にジョン・フリッツ大使に面会するアポイントメントを取り付けた。相澤大酋長とは伯父甥の関係なので、相澤さんのプライバシーについても良い情報が聞ければありがたいと思っている。
2011年のアーカイブ
1559.2011年8月22日(月) 森喜朗元総理とドキュメントについて話し合う。
約束通りの午後2時に森喜朗元総理を議員会館へ訪ねた。今取り組んでいるドキュメントの内容について、先日森さんから電話でその一部に誤解があるので話し 会いたいと申し入れがあった。小1時間ほどお話しをして、7月に亡くなられた長男祐喜氏が子ども時代にトラック島へ旅行したいきさつについて一部加筆修正 の希望、更にご自分がトラック島へ行かれた時の様子に補足説明をして欲しいとの要望があった。特に当方に問題はないので、そのまま受け入れて希望通りに文 章を変更しようと思っている。更に森さんは出来れば、ミクロネシア駐日大使ジョン・フリッツ氏に会うことを薦めてくれた。というのは、フリッツ大使は相澤 酋長の甥だから相澤さんのプライバシーについてもよく知っているはずだと、私の目の前で大使に電話してくれ、近日私がアポを取ったうえで面会に伺うので、 よろしくお願いしたいと親切に頼んでくれた。
改めて、森さんの父茂喜氏がいかに戦中戦後トラック島で多くの島民から慕われ敬われていたかということを思い知らされた。フリッツ大使からプライベートなお話を伺えれば、相澤さんの隠された一面がもっと分るかも知れない。
2年前義理の甥に当たる参議院議員の岡田直樹・国交省政務官ともども2度目のトラックを訪問したと話されたが、ひとつの目的は相澤さんのお墓参りだったと 言っておられた。2つ目の目的は、ミクロネシアに大型航空機を就航させるため首都ポンペイ(旧ポナペ)国際空港の滑走路拡張工事に日本として支援を約束す ることだった。その工事も今年度内には完成するらしい。日本から大型機によるグアム経由ポナペ便の就航により、天皇・皇后両陛下に戦没者慰霊のためサイパ ン島同様に、トラック島にも訪れてもらいたいとの気持ちが森さんにはあるのではないかと思っている。それにしても今日改めて思ったが、森さんのトラック島 への思い込みと相澤さんとの友情には並々ならぬものがあるようだ。
夜になって知研の八木哲郎会長へ今日の様子を話して、既に送った半製品の原稿をかなり修正することと、ボリュームも若干増えることを伝えて了解を得る。予定が大分遅れるのではないかと申し訳なく思っている。
明日早速ミクロネシア大使館に電話して、フリッツ大使とのアポをお願いしようと考えている。
1558.2011年8月21日(日) 税金ドロボーの役人天国はおかしくないか。
夏の高校野球は昨日西東京代表校・日大三高が10年 ぶりの優勝を遂げた。近年東京代表校は5年置きぐらいに優勝して、全国的なレベルで1,2を争うようになったと思う。かつては西日本勢が強かった高校野球 も時代の変化だろうか。準優勝校が青森県代表校の光星学院高というのもいい。とにかくベスト4のうち東日本勢が3校というのだから、かつて西高東低だった 分布図は大分様子が変わった。
今年の大会は、東北大震災に負けないよう東北地方を力づけるいくつかの試みがなされた。大会運営でも節電を心がけ出来るだけ明るいうちにゲームを行い、ナイターはほとんど行われなかったようだし、決勝戦も午前9時に試合開始という具合だった。
電力事情については、全国的な節電努力と、ここ数日の肌寒い天候の影響で電力消費は予想をかなり下回っているようだ。しかし、その陰には消費の激しい夏の 電力消費を抑えるために、現在工場稼動を平日から休日にシフトしている自動車メーカーなどが元へ戻して平日に稼動するようになると、平日の午後がまた厳し くなるようだから安心出来ない。 さて、来月国会へ提案されようとしている人事院の新人事案について、私が「役人天国」を助長するものだと批判的なメールを友人らに送ったところ、昨晩ゼミの友人池田くんから賛同し、同時に役人天国的人事案に憤慨していた。
彼が勤めていたD社が、定年退職者に対して定年以降65歳 まで在職時の6割の給与を支給する好待遇に関する資料をもらい、3年前韓国で開催された国際シンポジウムでパネリストとして紹介し説明した。7日のブログ を繰り返すが、退職前の6割という給与は民間会社でも数少ないべらぼうな好条件であり、韓国と中国の出席者から羨ましがられたほどの待遇だが、池田くんが 昨日補足してくれたのは、実際に全員が6割もらえるわけではなく、A級ランクの退職者に限られるとの話だった。そうだとするなら、人事院が新人事案の中で 考えているほぼ全員が7割もの給与を支給されるというのはあまりにも条件が良すぎるのではないか。人事院のいう「民間会社の例を参考にした」という根拠 だって、どの程度調査したのか信用できない。自分たちだけで好待遇の企業1~2例を挙げて平均とこじつけたのではないか。あまりの公務員優遇案には、いく ら役人天国とは申せ、少々やり過ぎではないかとクレームをつけたい。
また腹が立つのは、こんなあくどいことをやろうとしている人事院に対して、マス・メディアが一言も苦言を発しないことである。私はこの情報を日経紙から得 たが、その日経紙ですら情報として伝えているだけで、おかしいと感じていないのか苦言を呈した形跡はない。今や政治家も、役人もやりたい放題で、マス・メ ディアもそれに手を貸し、国民を欺き血税を浪費しているのではあるまいか。
被災地で喘ぐ被災者や税金を搾り取られる国民がいる一方で、さも当たり前のカオをしながら水増し退職金を受け取る鉄面皮の高級官僚、常識では考えられない ほど多額の定年後給料をもらう役人と、内ゲバにうつつを抜かして問題を解決せず、私利私欲で動く政治家が蔓延っている。
世の中少しおかしくないか?
1557.2011年8月20日(土) 党利党略しか考えない政治家の阿呆さ加減
内外に多事多難とは今の日本の状態だろう。内に大震災からの復興、福島原発事故の処理と対応、そして次の総理になる民主党代表者選出選挙、外には昨日NY外為市場でついに史上最高値の1㌦=75.95円 を記録した円高相場である。これで株式市場休日明けの明後日にはまたもや大幅な株安となろう。更に深刻なのはここまで円高が昂進すると輸出関連産業の経営 面への打撃であり、日本企業の多くが海外へ出て行かざるを得なくなることである。これで国内産業の空洞化に拍車がかかり、雇用の喪失が起こり、国内の景気 は益々低迷することが心配である。円高要因は、決して日本円の価値が上がったわけではなく、欧米経済に対する不安感から投資資金が一時的に円に流れ込んだ ことが大きい。
大震災、原発事故、円高という日本にとって大試練にぶつかっているこの最中に、情けないことに政治家が一向にこれらに真剣に向き合おうとしない。
こんな非常時に民主党代表選挙をやって政治を停滞させようとしている。次の首相を選出するためにまたまた訳の分らない党利党略、私利私欲の論理で馬鹿な政 治家どもが動き出した。民主党内ではすでに派閥的なグループの暗躍が始まった。大震災による被災者の気持ちなんか二の次なのだ。自分たちの私利私欲で数に よって政治を支配しようと行動している。散々外部から叩かれている「非常識」「無責任」「政治家としての志」「国民の声」なんてまるで彼らの耳には入らな い。
29日 に選挙を行うつもりのようだが、自薦他薦入り乱れた候補者乱立の様相を見せ、名前の挙がっている予定者だけでも7名もいる。昨日目黒区議の須藤甚一郎さん が呆れて送ってきたメールには「民主党の代表選はどいつもこいつも屁のつっかい棒にもならない連中が候補なのですから困ったものです」と手厳しい。でも国 民のほとんどがそう思っているのでないだろうか。
中には実力者・小沢一郎元代表の元へ出馬のためのご挨拶に参上して支持を取り付けようとのパフォーマンスをする輩も、ひとりふたりと現れた。小沢氏はいま 民主党員資格停止処分を受けて謹慎中であるにも拘わらず、彼らは停止処分解除も検討して支持をもらいたがっている。自分たちで作ったルールに基づいて決め た処分も自分らの都合でいかようにも出来ると考えている。これは世間の常識とは大きくかけ離れている。自分たちで決めたルールも簡単に破ろうとする連中に 日本の代表者になる資格があるとは思えない。もうこうなると魑魅魍魎で、何でもありの様相である。ヤクザ社会と変わらないのではないか。
ともかくこんな国民無視の内輪騒ぎを見せ付けて、自分のためだけに徘徊している政治家のバカさ加減にはもううんざりである。
最早代表選が不可避なら、なぜ政策やマニフェストの検証を含めて持論を展開し、正々堂々討論を戦わせ国民を納得させようとしないのか。
1556.2011年8月19日(金) NHK「名曲アルバム」35周年に想う。
昨日は都内の平均気温が36.1℃で今夏最高気温に高温注意報が発せられたほど暑い一日だったが、今日は昨日とは打って変わって肌寒い気候にほっとする。最高気温が30.9℃で最低は23℃だったが、都内にも雷雨が襲い、局地的に大雨が降ったので体感的にはもっと寒い感じがした。それにしても最近の気象の急変には驚かされる。
さて、35年間に亘って放映されているNHKの隠れた人気番組「名曲アルバム」について、先週特別番組が放映され、番組制作の裏舞台や苦労話を紹介してくれた。
今日の朝日新聞テレビ欄に早速読者からのコメントが掲載された。改めて録画をゆっくり観てみた。全曲とも1曲5分内に収めることを求められたN響オーケストラの演奏だと聞き、またクラシック曲演奏のアレンジに関する苦労話を興味深く聞いた。
その読者の投書で一番印象的だったのが、番組ディレクターが演奏曲「スラブ舞曲」と画面のコンビネーションのアイディアは、当時どことなく暗いイメージを醸し出していた東欧圏チェコスロバキア・プラハ市内のガス燈にヒントを得たという話だった。
1980年1月に埼玉県教員海外派遣団にお供して初めてチェコスロバキアを訪れた折、プラハ市内で見た二つの光景が今で も強く心に残っている。ひとつは、この番組ディレクターが得た番組作りのヒントとまったく同じで、雪の降るプラハ城近くで長い棒を持った老婦人がガス燈に 近寄ってはライトを点燈して歩いていた慕情を募らせるような光景であり、もうひとつは雪が降りしきる旧市街を転びながら歩いていた少女の姿を、一瞬「マッ チ売りの少女」にダブラせたことだった。ふたつのシーンは今も鮮明に脳裏に焼きついている。
時代 から取り残されたようなガス燈の情景は懐かしい抒情的な詩を想い出させてくれる。胸に迫るような感情を掻きたててくれるような気もする。あの仄かな情景 は、誰にとってもヒントを与えてくれる印象的なシーンだったのだなと今にして思う。ほかの外国の都市でもこのようなメルヘン的な情景を見ることはそうはな いと思う。
司会者は引き続き放映されているこの「名曲アルバム」をしきりにPRしていたが、家族が揃って観て楽しい番組なのに、放映時間が的外れで総合テレビの朝4:20、Eテレ(NHKらしからぬ低級な略語)でウィークデイ午後1時55分である。本当に観てもらいたいのかどうか本気度を疑う。この辺りが「仏造って魂入れず」で作りっぱなしのNHKらしいところか。
個人的に残念に思ったのは、ベートーベンの交響曲「第五‘運命’」と「第九‘合唱’」は人気ベストテン入りしたが、最も好きな交響曲・第六番「田園」が名曲ベスト20の中にもリストアップされなかったことだろうか。
1555.2011年8月18日(木) 野田佳彦財務相は日本のトップとして適材か。
今朝の朝日社説で野田佳彦・財務相の「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」発言がぼろくそである。野田氏は首相を目指す志があるならよく考えるべきだと指摘さ れた。当然であり、良識ある人は野田氏の発言を聞いたら、みながっかりするであろう。こういう軽はずみな人物がわが国の総理大臣になることは不適切である し、わが国にとっても恥ずべきことであると思う。
今ひとつ野田氏の理屈が分かりにくいのは、刑が終了した時点で、罪は消滅するのが近代法の理念であり、刑を終えたのだから最早犯罪者ではないと主張してい ることである。問われているのは刑を終えたか否かではなく、彼らの行為が戦争犯罪かどうかであり、歴史認識である。野田氏の論理は焦点を外していると朝日 も手厳しく指摘している。
残念ながら昨年6月に菅内閣で初めて閣僚となって以来、野田氏は財務大臣としてこれという実績を残していないではないか。不景気の最中に適切な財政政策、 及び金融政策を施していない。円高に際しては、いつもながら「市場の動きを注意深く見守りたい」だけの能のない発言で、毎度主役であるべきにも拘わらず傍 観者の立場を貫き金融市場介入はまず行わない。今月に入って一度だけ行った「清水の舞台」的市場介入もまったく効果がなかった。最も急を要する東日本大震 災の財政出動は、政府自体の判断と対応が遅れているが、肝心要の財務省の対応はどうなのか見通しがはっきりしない。この緊急時に国家として資金面の手当て に、増税はある程度止むを得ないというのが国民一般の声であろう。にも拘わらず臨時増税、消費税値上げの気持ちはさらさらなく、復興に必要な費用をどう捻 出するのか一向にデザインが見えない。何を考えているのかまったく分らない。これは財務大臣である野田氏の行動力とリーダーシップに大きな問題があると思 う。
理念もダメ実務もダメ、加えて軽率な言動で外交に問題を抱えそうな総理大臣では困ると思う。この人もかつては松下政経塾で学んだようだが、最近政経塾OBの地盤沈下が目立つとのレポートがあったばかりだ。この野田佳彦氏の言動は明らかに政治家として地盤沈下を象徴している。
こういう人物が、日本を代表する総理大臣になることだけは何とかして止めさせたいものである。
1554.2011年8月17日(水) 口が軽く無責任なリーダー
菅直人首相退任後の後継首相として最右翼にいる野田佳彦財務相が、早くもうっかり発言をして韓国政府から厳しい反発を受けている。「過去の日本帝国主義に よる侵略の歴史を否定しようとする不適切な言動」と酷評する一方で、メディアも「妄言」「極右、軍国主義的な視点」などと激しい論調で批判を浴びせてい る。物議を醸した発言とは、「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」というものである。野田氏は本心からそう思っているのか。100%ではないにしろ、A級戦犯のほとんどは戦争犯罪人である。彼は日本の歴史を知らなさ過ぎる。しかも、なぜこの終戦記念日直後で誰もが戦争に関して神経質になる時期に、このようにわが国が迷惑をかけた国の神経を逆撫でするような発言をするのか理解に苦しむ。
野田氏のような考え方では、日本軍により戦争の災禍を受けた外国人の気持ちは簡単には収まるわけがない。仮にA級戦犯が戦争犯罪人でないとするなら、一体誰が戦争犯罪人だと言うのか。常識を覆えす発言をした野田氏には答える責任がある。
これまで東條英機らA級戦犯は日本が戦争を始め、敗戦によって戦争の惨禍を国民に押し付けた張本人と考えられ、 われわれもそう信じている。だからこそ、A級戦犯を祀った靖国神社参拝がとかく問題にされ、戦争の災禍を受けた近隣諸国から、公人の靖国参拝が非難されて いるのではないか。そんなことは百も承知の大臣ともあろうものが、ここへ来ていきなり前記のような言葉が軽々しく口をついて出るとは、あまりにも軽率であ り、失言癖を持った人物と言わざるを得ない。こういう人が首相なぞになったら今後の外交において大きな支障を生じる。心配である。
一方で野田氏は15日の終戦記念日には靖国神社への参拝 を行わなかった。本人は参拝したかったが、民主党政権の建前として昨年同様閣僚は参拝しないことになっていたので、靖国へ行かなかったというのか。首相に 就任した場合の自らの対応について聞かれ、「それは仮定の話だ」と明言を避けた。この辺の応答を察すると、何となく軽く発言しているという印象である。情 勢分析をせず、空気が読めず尋ねられるままに軽く応えている。こんな軽い人間では一国の総理大臣を務めるのは無理だと思う。
今日発売された「週刊文春」のトップ記事の見出しにこう書いてある。「あ~あ、民主党 こんな奴らが総理かよ」 内容の一項に「野田上半身ハダカにマジックで落書き『酒豪飲み会』」とある。何とも下品な表現だが、国民の本音は案外見出しのようなところかも知れな い。それにしてもまったく程度が低いのだから嫌になっちゃう。
1553.2011年8月16日(火) 次期総理は野党との大連立を本当にやるつもりか。
どんぐりの背くらべと言っては失礼かも知れないが、菅直人首相の退任後誰が新総理になるのか、これと言った大物が見当たらない。これまではいくら不似合 い、不適任と思われようとも誰が後継総理になりそうだということはある程度見当がついたものだ。今月一杯で辞めると取り沙汰されている菅首相の後釜が、予 想もつかないファジーな事態になっている。ひょっとするとわれわれにも次期総理のお鉢が回ってくるのではないかと思えるぐらい、後継総理選出は霧の中にあ る。
さて、その予測できない総理争いの中で、今のところリードしていると見られる野田佳彦・財務大臣が無難さを買われて最も可能性の高い位置を占めている。自 民党からもアクのないところが評価されているらしい。この評価は消去法に基づくものである。考えてみればおかしな話である。この「アクのない優位性」と は、仕事面を考慮されておらず、ただ与しやすいと見られているだけで総理としての実務能力を買われているわけではない。このアクのない野田財務相は、早速 自民党ほか他党との「大連立」をぶち上げた。その理由はこれまでの経緯から推して、野党との合意形成なくしては政権運営がままならないことを秘かに察知し たからだ。その証拠には早くも民主党マニフェスト見直しの用意があることを匂わせている。これに今回民主党代表選には出馬しない岡田幹事長や前原前外相ら が同調する気配である。
今回出馬を予想される候補者の中でも、馬淵前国交相は正面からは反対だが、よく言質を探ってみると大連立も已む無しと受け取れる微妙な発言をしている。鹿 野農水相の如きは、今自分が発言するタイミングではないと逃げている。それぞれ自説を開陳して堂々議論を戦わせようとの気持ちがまるで見られない。みんな 日和見で相手の出方ばかり窺っているようで、「タマ」が小粒なのだ。これでは誰が後継総理になろうとも他党とのネゴ、自党のマニフェスト修正で、昨年国民 に政権交代を訴えた意味が薄まるばかりである。敢えて言えば、国民に対する裏切りに当たるのではないだろうか。
案の定政権交代時に連立を組んだ社民党・福島瑞穂党首から、厳しい意見がぶつけられている。約束は守らず、妥協を重ね、国民を騙し、政治は一向に先へ進まない。こんなつもりで国民は民主党に政権を委ねたのではない筈であるが、このていたらくである。
今日は以前から楽しみにしていたアニメ映画「コクリコ坂から」を、妻と日比谷のスカラ座へ観賞に出かけた。丁度1週間前NHKで この映画を制作したスタジオジブリの宮崎駿、吾朗父子の映画作りに関わる父子の葛藤や、丁々発止のやり取りをドキュメンタリーで紹介して興味があった。製 作途中で見た広告の中にコクリコ坂がどこの土地をイメージしているのか分らなかったが、子どものころの房州の風景を彷彿させるような場面があったので、楽 しみにしていた。実際には横浜・山手地区のようだった。
日本のアニメ技術が優れている点は世界中が認めているが、確かに繊細な筆遣いや絵柄はあまり外国では例を見ないものだと思う。近年益々アニメ技術は高度化 して、よくぞここまで描けると思うことがある。それでも今日の映画もはっきり言えばストーリーはやや陳腐な感じがしたが、アニメは実によく描けていたと思 う。最後のテロップに後から後から数百人もの個人名が掲載されたが、これもアニメを描いた人たちを紹介したのではないかと思う。こんな大勢の固有名詞を挙 げた映画は初めてだった。久しぶりにゆっくり映画を鑑賞することができた。
1552.2011年8月15日(月) 66回目の終戦記念日を迎える。
66回目の終戦記念日を迎えた。日本武道館では例年通り天皇・皇后両陛下を迎えて政府主催の全国戦没者追悼式が行われた。年々遺族が少なくなり追悼式に出席された遺族の中でも、とりわけ20年前には全出席者の40%も出席した、戦争未亡人と云われる妻が、今年は僅か0.9%しか出席できなかった。遺族の中には戦争の惨禍をどうやって後世に語り伝えていくかということを気にしている人も大分いたようだ。
それにしても今年の天皇のお言葉を拝聴していると相変わらず「さきの戦争」と呼んで、大東亜戦争(或いは太平洋戦争)について正式な呼び名で言わない。戦後66年 を経過して、なおわが国が完膚なきまでに痛めつけられた悲惨な戦争の名前も決められないからである。関係者は決めるべきことを自分たちで決めずに、後世へ 申し送りするだけである。これでは歴史が空疎になるばかりではないか。それより何より少々無責任ではないかと言いたい。
さて、戦争を絡ませたNHKテレビ・ドキュメンタリー「渡辺謙アメリカを行く『‘9.11テ ロ’に立ち向かった日系人』」を観た。俳優渡辺謙が日系人政治家で元運輸長官ノーマン・ミネタ氏へインタビューして、ミネタ氏の幼児体験であるワイオミン グ州ハートマウンテン日系人収容所生活とその思い込み感情、そして政治家になってから運輸長官として日系人収容所で生活された日系人に対する謝罪と補償を 請求する法制化、そして9.11テロ時に起きた‘Racial Profiling’ (人種プロファイル)に抵抗し、アメリカ国内の反アラブ感情を封殺した通告について聞き出していた。このドキュメンタリーは日系人の戦時の収容所生活を描 いた中々の秀作だと思う。ミネタ氏の誠実な人柄も分り、渡辺謙の事前研修をしっかりやったうえでの質疑は分り易く、新しい事実も知った。
昨年5月にカメラマン東洋宮武が戦時中にアメリカ・アリゾナ州マンザナ収容所で撮った写真を取材源として製作さ れた自作の映画について、ロス在住の高校後輩であるすずきじゅんいち(鈴木潤一)監督から映画会で話を聞いたが、ミネタ氏と宮武氏とも根は同じ辛い体験に あると思う。
それにしてもミネタ氏の人種プロファイルの抵抗から作られた法案は、9.11テ ロの後に身の危険を感じているアラブ人、イスラム系の人々へ救いの手を差し伸べたもので、アメリカ人の間に相当反対もあった中で信念に基づいて行動を起 し、ついに法案を成立させた勇気と努力には感動すら憶えた。日本人の血が流れているアメリカ人の中には、こういう勇気と信念を持った政治家がいることを誇 らしく思う一方で、残念ながらわが国にはこのような気骨のある政治家は極めて少ない。
1551.2011年8月14日(日) 原子力安全庁は独立性を確保出来るか。
今度の福島原発事故で原発の安全性とそのチェック方法が問題となり、従来のありようについて多くの疑問が噴出した。これまで経済産業省の下に置かれていた 原子力安全・保安院は経産省から切り離され、環境省に所属させられることになった。元々原発を推進する官庁に安全をチェックする組織が所属すること自体矛 盾していた。マッチ・ポンプならぬマッチ・ライターだった。何事も自分たちのやりたいことを自分流に実行することに天才的な知恵を出す役人が、組織が他省 庁へ移管したからとて権限を移譲することに素直に納得してくれれば良いのだが。
まず、環境省に移った組織が名前を原子力安全庁と変えたとしても、今まで原子力推進派だった役人を経産省から環境省へ移動させることになれば、よほど頭を 切り替えないと以前と変わらないのではないか。仏造って魂入れずである。これまで原子力安全・保安院で原子力業務に携わっていた職員は300人もいた。この他に内閣府から環境省へ所属替えする原子力安全委員会のスタッフも100人 いる。彼らの頭の中には「原発推進」が刷り込まれているのではないか。しかも彼らは原子力の専門家であり、当分彼らの力を借りずして今後の原子力行政も成 り立たないのではないだろうか。その点でも環境省は四六時中、今度の組織移管は規制の独立性確保を目的に成されたという点を言い聞かせていないと元の木阿 弥になってしまう。
しかも、環境省は元々原発推進派なのだ。2年前に九州電力川内原発増設計画の環境影響評価で何と「原発の最大限の活用を」と求めたことがあるらしい。加え て過去にも温室ガスの排出削減に原発を活用する方針を示してきた。これらを考えると果たして上級官庁として、環境省が妥当なのか疑問の残るところである。
早急には何がベストか判断するのは難しいが、新しい組織「原子力安全庁」が、なぜ経産省から環境省へ移管されたか、その意味を充分理解することがまず大切である。