66回目の終戦記念日を迎えた。日本武道館では例年通り天皇・皇后両陛下を迎えて政府主催の全国戦没者追悼式が行われた。年々遺族が少なくなり追悼式に出席された遺族の中でも、とりわけ20年前には全出席者の40%も出席した、戦争未亡人と云われる妻が、今年は僅か0.9%しか出席できなかった。遺族の中には戦争の惨禍をどうやって後世に語り伝えていくかということを気にしている人も大分いたようだ。
それにしても今年の天皇のお言葉を拝聴していると相変わらず「さきの戦争」と呼んで、大東亜戦争(或いは太平洋戦争)について正式な呼び名で言わない。戦後66年 を経過して、なおわが国が完膚なきまでに痛めつけられた悲惨な戦争の名前も決められないからである。関係者は決めるべきことを自分たちで決めずに、後世へ 申し送りするだけである。これでは歴史が空疎になるばかりではないか。それより何より少々無責任ではないかと言いたい。
さて、戦争を絡ませたNHKテレビ・ドキュメンタリー「渡辺謙アメリカを行く『‘9.11テ ロ’に立ち向かった日系人』」を観た。俳優渡辺謙が日系人政治家で元運輸長官ノーマン・ミネタ氏へインタビューして、ミネタ氏の幼児体験であるワイオミン グ州ハートマウンテン日系人収容所生活とその思い込み感情、そして政治家になってから運輸長官として日系人収容所で生活された日系人に対する謝罪と補償を 請求する法制化、そして9.11テロ時に起きた‘Racial Profiling’ (人種プロファイル)に抵抗し、アメリカ国内の反アラブ感情を封殺した通告について聞き出していた。このドキュメンタリーは日系人の戦時の収容所生活を描 いた中々の秀作だと思う。ミネタ氏の誠実な人柄も分り、渡辺謙の事前研修をしっかりやったうえでの質疑は分り易く、新しい事実も知った。
昨年5月にカメラマン東洋宮武が戦時中にアメリカ・アリゾナ州マンザナ収容所で撮った写真を取材源として製作さ れた自作の映画について、ロス在住の高校後輩であるすずきじゅんいち(鈴木潤一)監督から映画会で話を聞いたが、ミネタ氏と宮武氏とも根は同じ辛い体験に あると思う。
それにしてもミネタ氏の人種プロファイルの抵抗から作られた法案は、9.11テ ロの後に身の危険を感じているアラブ人、イスラム系の人々へ救いの手を差し伸べたもので、アメリカ人の間に相当反対もあった中で信念に基づいて行動を起 し、ついに法案を成立させた勇気と努力には感動すら憶えた。日本人の血が流れているアメリカ人の中には、こういう勇気と信念を持った政治家がいることを誇 らしく思う一方で、残念ながらわが国にはこのような気骨のある政治家は極めて少ない。