1247.2010年10月12日(火) 日米安保条約の背後にあるもの

 今年は「60年安保闘争」50周年記念の年に当たる。敗れたりとは言え、あの時われわれ学生は権力に対して闘ったのである。今年国内各地でいろいろな催しが開かれているが、その中でNHKが、先月安保特別番組として4回に亘って「安保とその時代」を放送した。その中で1、3回分を録画しておいたので、今日は9月上旬に録画した第1回分「日米安保を生んだ冷戦」を観てみた。

 終戦から昭和26年のサンフランシスコ平和条約締結までの国内外の政治、社会情勢を巧く映し出していた。当時の細かい点は大方忘れてしまっていたが、日本の米軍基地常駐の経緯や、戦後日本国土の占領をアメリカだけが担った事情を事細かに解説して、改めて納得出来たように思った。

 日本にとって何が幸いし、何が不幸につながったのかは、何とも言えないが、はっきりしているのは、日本の国家統治について当初アメリカ以外に考えられていたイギリス、ソ連と中国が関与せず、結局アメリカ1国だけが占領政策を行ったことは結果的に良かったのではないか。仮にソ連が占領したら、朝鮮半島やドイツの占領政策と同じように国が分裂され、恐らく北海道はソ連に占領され、現在の北方4島と同じ道を辿ってしまったかも知れない。

 大戦直後は、戦勝国にもそれぞれお家の事情があり、日本領土は喉から手が出るほど興味があったようだが、ソ連にしてみればヨーロッパの中でルーマニア、ブルガリア、更に東欧と呼ばれた社会主義国家を指導し、彼らのリーダーとして体制を束ねていくことにエネルギーを使わなければならなかった。とても極東の小国まで支配する余裕がなかったのである。中国は、中華民国と中国共産党の内戦でそれどころではなかった。イギリスにしても、大戦の代償は大きかった。植民地だった途上国が続々独立し、その後始末にてんてこ舞いをさせられている状態だった。

 結局これらの国々の事情により、アメリカだけが日本を統治支配することになった。朝鮮戦争が始まると米軍基地が日本各地に設置され、それが今日まで継続している。漸く昭和26年になってサンフランシスコ平和条約が締結され、同時に日米安保条約が発効した。それが表面的には今日まで日米間の絆となり、日本はアメリカの軍事力によって安全保障が担保されている。

 しかし、これからの日米軍事同盟は維持していくのが中々難しい。日本国内にある米軍基地、とりわけいま問題となっている沖縄・普天間基地があり、そこに中国軍事力の脅威が増大され、日本の安全のためには日米共同をスムーズに進めなければならない。

 今日から衆議院予算委員会が始まった。与野党の論戦が展開されたが、相変わらず鞘当てばかりで建設的な議論が見られない。

 尖閣諸島問題の中国人船長の釈放ばかり言い合っているが、日本がとりあえず中国から緊急避難出来るのは、アメリカが声明した日本との共同歩調(尖閣諸島海域は日米安保の範囲内)が効いていることは間違いない。是々非々は別にして、日本はアメリカからの厳しい要求、偶々昨日本ブログに書き込んだ3つの内容について議論をして早く結論を出すべきではないのか。

2010年10月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1246.2010年10月11日(月) 国際協調の時代になったが、現実はどうか?

 飯田ゼミの遠藤靖子さんから翻訳に携わったNHKの取材番組「カナダ大自然とともに生きる父と娘の苦闘」が今朝放映されるので、観てほしいと昨日メールをもらった。

 今日から29日まで名古屋で国連地球生きもの会議(COP10)が開かれている。NHKはそのほかにも今日朝から7時間ほど生物多様性の保護に関する番組を放映していた。前記番組は日系カナダ人、デビッド・スズキ博士一家の環境保護への取り組みを取り扱ったものだ。父親のデビッドは日系三世で33歳にしてブリティッシュ・コロンビア大学教授になった環境問題の専門家で、長い間テレビ・キャスターとして環境保護を訴えていたカナダでは著名な科学者である。娘のセヴァンは12歳でリオの国連国際環境会議でスピーチを行い注目を集めた。今では父子ともに地元で地球環境保護に取り組んでいる。見終わってから短い感想を遠藤さんへ送信したが、こういう大きな問題の取り組みは個人では難しいと思う。国を挙げて、国際社会を挙げて取り組まなくてはとても実現は難しい。どうしてもただで手に入る自然資源は、私的に利用しようとする人が出てくるからである。そこで奪い合う人同士で争いが起きる。同じ国内においてもそうだから、国際間では各国の利害が絡み合って規制することは一層難しい。COP10開催前夜の昨晩も、各国の虚々実々の駆け引きが行われ、大筋の合意は出来た。一歩前進であるが、具体案になるとそう簡単にはいかない。閉会までに結論が出るだろうか。

 先日は為替協調のためにG7が開かれた。ここでも方向は決まるが、具体的な中身は決まらない。今日はベトナムのハノイでASEAN国防相会議が開かれている。日中防衛相対談が行われたが、最近の刺々しい両国の関係を象徴するように、重要な課題は話し合われなかった。日米会談は北沢防衛相とゲーツ米国防長官との間で行われた。この中で①おもいやり予算の増額、②普天間基地移設、③武器輸出3原則の見直し、について話し合われた。事前にアメリカ側から尖閣諸島を日米安保の枠組みの中で考えるとの回答を得たことに力を得た日本が応じようとしている。だが、3つともいずれも日本国内ではすんなりとはいくまい。

 今やひとつの国の努力だけではもうどうにもならなくなっている。ともに協力して相手に立ち向かうというのが、国際問題の話し合いのベースになっている。ニュアンスは異なるが、地球環境保全についても、1国だけの努力では最早どうにもならない。

 難しい時代になったものである。そうなると自我を主張して、いつも対立する中国の存在は厄介である。11月には横浜でAPECも開催される。自分のことばかり考えているようでは、いつまで経っても問題は解決しない。その点で日本の政治家をあまり当てに出来ないのが、何とも情けない。国内問題だけに熱心で、国の外交については哲学がなく、協調性の欠如が見られ、その貧困な外交能力には、国の将来を考えると心配である。

 さて、今日は体育の日である。いつも通り駒沢オリンピック公園へウォーキングしたら、スポーツ博覧会というのをやっていた。

2010年10月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1245.2010年10月10日(日) 北朝鮮が朝鮮労働党創建65周年軍事パレード

 相も変わらず中国関連ニュースがひっきりなしである。拘束されていたフジタ社員が昨日解放され、今日帰国した。中国を刺激しては今後の仕事上不味いと考えて会社から釘を刺されているのか、逮捕の理由、ひとりだけ残されたわけ、そして中国当局に対する意見などについては禁じられた地域に足を踏み入れたと過失を認め、あまり刺激的なことは語ってくれない。多分政治的な理由が隠されているので、現状では多くは語れない状況に置かれているのだろう。

 一方、ノーベル平和賞を受賞した収監中の劉暁波氏と妻の面会が実現したようだ。受賞の知らせは妻の口から直接伝えられたのではないか。劉氏はこの受賞を聞いて何を思っただろうか。本心を聞いてみたいものである。収監されている東北部の遼寧省錦州の刑務所周辺には外国メディアが押し寄せ、厳重警戒している公安当局ともめて取材も妨害されている。当局の過度の警戒の様子は尋常ではない。

 ノーベル平和賞と劉暁波氏、それぞれについて中国人はあまり関心も知識もないようだ。無理もない。昨日中国国内からノーベル賞関係の情報が発せられるテレビや、日本を始め海外から伝えられるこのニュースに関しては、突然映像が黒画面に変わり放映不可となり、国民には伝えられていない。完全に国家による情報管理であり、不都合なことは国民に知らせようとしない中国政府の姿勢が世界中に宣伝されてしまった。ノーベル賞選考委員長がいくら中国は大国としての責任を負わなければならないと言ったところで、情報管理国家・中国には馬耳東風なのである。

 もうひとつの嫌われ者国家・北朝鮮では、今日朝鮮労働党創立65周年を祝う大軍事パレードが首都ピョンヤンで行われた。3年ぶりに革命広場で行進する軍隊だけを見ていると、勇ましく国威発揚にはもってこいなのだろう。その陰には、大洪水とデノミの失敗で抜き差しならなくなった財政事情を隠し、大パレードの様子は朝鮮中央テレビを通じて国際社会へ伝えられた。これには、先日要職に就いたばかりの後継者・金正恩幹部を内外へアピールする狙いがあるようだ。

 自然災害によって悲惨な状況に追いやられた地方の農民を抱えながら、巨大な経費を投じて核弾道ミサイルまでお披露目して大式典を行う金一族の腹の内が分らない。これらのミサイルは、すでに日本海を射程距離内に収めているという。物騒な国である。

 偶々取材を認められたアメリカのCNN特派員が、北朝鮮取材班のカメラを茶化しながら、「このカメラは古いもので、未だにフィルムを使用しています」などと口走っていた。

 金正日一族の権威を守ることだけを目標にして国家を支配している北朝鮮が、この先どういう動きをするのか不気味である。親分格の中国もなりふり構わない強権国家となったので、頗る気分は不愉快である。

2010年10月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1244.2010年10月9日(土) 劉暁波氏ノーベル賞受賞にてんやわんやの中国

 劉暁波氏のノーベル平和賞受賞が大きな波紋を呼んでいる。やはりと言うべきであろうか中国政府が強く反発している。中国政府は自国の権威と実力の評価を高めてくれると考え、近年ノーベル賞受賞を強く渇望していた。あれだけの人口を抱えながら、過去に中国在住の中国人でノーベル賞を受賞した人はいなかった。国際ペン大会のため来日したノーベル賞作家の高行健氏にしても母国を離れ、今ではフランス国籍を取得しているし、チベット仏教最高指導者・ダライ・ラマ14世にしても中国を追われ、海外生活が長い。それが今回は中国在住者で正真正銘の中国人であるが、劉氏の言動が政府のお気に召さず、劉氏は刑務所に収監されたままである。

 中国政府はノーベル賞をいただきたいが、それは中国にとって都合が良い形でという条件付だったのである。胡錦祷・国家主席に授与されるなら大歓迎だっただろう。況や自国にとって犯罪行為を行ったと断定した人物に、外国が彼らの基準で国際的評価を下すというのは、へそ曲がりの中国にとっては内政干渉であり、許し難いと捉えているようである。

 案の定海外における中国の評判は中国にとって頗る芳しくない。今回の非常識なパフォーマンスは国際社会における中国の信用を著しく低下させるものである。昨年の平和賞受賞者はアメリカのオバマ大統領だったが、そのオバマ氏が即座に中国政府に対して拘束中の劉氏を釈放するよう呼びかけた。ほかにも民主化運動の活動家たちが中国政府に身柄の解放を求めている。

 毅然としているのは、トールビョルン・ヤーグラン・ノーベル平和賞選考委員長である。平和賞を授与した最大の理由は、民主主義と人権が世界平和には不可欠だからと語った。更に中国は大国として批判や監視、議論の対象になる責任を引き受けなければならないとも述べた。当然のことである。中国はいつまで経っても利己的な自己主張ばかりして、他国のことをまったく配慮しない。まるで駄々っ子だ。再三にわたる中国政府の嫌がらせや圧力に対して、委員会は政府から独立した組織であり、まったく考慮していないと一顧だにしていない。

 それにしても今回の劉氏への平和賞授与は、世界的に大きな関心事となったのであろう。ウェブサイトを見ても新しい書き込みが随所に見られる。それだけ日本でも多くの人々の関心を呼んでいるのだろう。反って中国が早く目覚めるきっかけになるかも知れない。

 ところでワシントンD.C.で開催されたG7で世界的な通貨安戦争について議論が交わされたが、結局中国政府の対応が焦点で、人民元の切り上げを促す姿勢で参加各国は意見の一致を見た。今や世界は偏屈国家中国のつむじ風に席捲されている。その中で先日中国において逮捕されたフジタ社員4人のうち、ただ1人拘束されたままだった社員が、やっと今日解放された。

2010年10月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1243.2010年10月8日(金) ノーベル平和賞は中国の民主化運動家・劉暁波氏に

 このところ連日ノーベル賞の話題で持ちきりである。昨日は文学賞受賞者が発表されたが、ひょっとすると受賞の可能性があると注目されていた村上春樹氏が賞を逃したことで緊張がほぐれた。

 さらに今日は平和賞受賞に際して、中国の民主化運動活動家で作家の劉暁波氏に受賞されるかどうかに世界中の視線が注がれた。予想されていたように、平和賞は劉氏に決まった。事前に中国政府が、劉氏は中国の法律を犯した犯罪人で、そのような人物にノーベル賞を授与することはノーベル賞の主旨に合致しないし、ノーベル賞の権威を失墜させると中国流の過剰な警告を発していた。仮に劉氏に賞を授与するなら、ノルウェイと中国の外交関係に支障を来たすことになるだろうとの尊大な圧力もかけていた。

 劉氏は天安門事件の中心的な活動家として、かねてより中国政府が監視を怠らなかった人物だが、2008年に中国共産党の1党独裁を批判する「08憲章」を起草しウェブサイトに発表して、国家政権転覆扇動の罪で捕えられ懲役11年の刑が確定して現在服役中である。

 中国政府の反応はまだ正確に伝えられてはいないが、このホットニュースを中国国民に知らしめることに神経を尖らせている中国は、日本からの海外ニュースや、中国国内の外国メディアから発信される情報を遮断すべく、テレビ画面に一時暗幕をかけて国民の知る権利を奪ってしまったようだ。政府に批判的な民主化運動と言論の自由を国民が知って、第2の天安門事件やクーデターの発生を恐れているからだ。

 さて、一方で最近の急激な円高に対して日本政府は先日一部為替市場介入を行ったが、あまり効果的でなく、ついに1ドル=82円台まで進んだ。この円高相場に対して次の手を打つべく思案中である。

 これに対してG7財務相・中央銀行総裁会議がまもなくワシントンD.C.で始まる。G7に先立ち温家宝・中国首相は、もし人民元が高くなれば多くの輸出に頼っている中国企業は倒産し、地方から出稼ぎに出ている農民は故郷に帰らなければならなくなり、中国社会は混乱すると、相変わらず自己中心的な理由で諸外国からの人民元切り上げ圧力を跳ね返そうとしている。これも中国の自分たちの論理だけを押し通すいつもながらのやり方である。中国が人民元の固定相場を維持させて、人民元安のまま各国の批判をかわそうという虫のいい論理である。世界も中国の狡い戦略を見抜いて、何とか自分たちの利だけを追求しようという中国を説得しようとするが、したたかな中国には中々通じない。

 平和賞にしろ、人民元安にしろ、中国は自分たちの都合だけを優先させて、これから経済大国としてどう世界に対して責任を果たそうというのか。今後の動向を注目してみてみたい。

2010年10月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

878.2009年10月8日(木) 台風18号日本列島を縦断

 南洋沖で発生した時から強大な台風と予想された18号は、予想通り暴風雨となり南大東島から北上して昨夜から今日にかけて日本各地に大きな被害をもたらした。午前5時に愛知県知多半島に上陸して青森県まであっという間に本州を縦断した。夜11時現在で死者2名、行方不明1名程度で納まっているが、風が強く竜巻となって、家屋の倒壊が頻発して、茨城県では家ごと吹き飛ばされたところがあった。とにかく午前中は風が強かった。交通機関にもかなり支障が出て、JRの如きはほぼ都内全線が影響を受け、運転中止と運転見合わせという状態だった。例によって私鉄が割合動いているのに、なぜJRばかり動かないのかという議論になっている。

 大学の公開講座を今年も受講しているが、春季講座は多摩大学と駒沢大学で受講した。秋は、引き続き駒沢大学を受講するほかに、多摩大学を止めて新しく多摩美術大学で6回に亘る美術の生涯学習講座を受けることにした。昨夕初めて多摩美大上野毛キャンパスで、「フランス『パリ』を歩く―永続的アート革命都市」と題して清水敏男・学習院女子大学教授がパワーポイントを使いながら、パリ市内の街角、ストリートと美術館を紹介してくれた。中々面白い趣向で、例えればグーグルのストリート・ビューと同じようなスタイルでパリ市内を紹介しながら、専門家の見方で講義してパリ市内のアートとアーチストの関わり具合を分かり易く説明してくれる。

 約30名の熱心な受講生は、男女取り混ぜいろいろな年代層に分かれているが、それぞれに美術に関心の深い人たちばかりで質問も的を射た、専門的なものだった。ほとんどの受講生がパリを訪れたことがあるようで、美術にも造詣が深く、知的レベルは相当高いとみた。ただ、7年間もパリに在住した講師が講義するだけに、細部に亘り街角を説明しても1~2回パリを訪れた程度では、シチュエーションをすんなりとは理解出来ないかも知れない。

 来週は別の講師がウィーンについて講義されるようだが、この様子なら今後期待が持てそうだ。

 さて、鳩山新政権で年金問題を切り札に役所へ乗り込んで行った、‘ミスター年金’長妻昭・厚生労働大臣が初めて「貧困率」という言葉を使い出した。

 経済協力開発機構(OECD)が貧困割合を示す指標として、所得の高い順に並べた時に真ん中の人の所得を基準にして、その半分に満たない人が占める割合を「相対的貧困率」としたものだ。

 日本政府はこれまで公式には貧困率を発表していないし、況してやそれを基準に貧困率を下げるような政策も採り入れていなかった。国が保障すべき最低限度の生活をどう考えるのかとか、いかに支援するのかとの長期的なビジョンが欠けてはあまり意味がない。しかし、遅かれとは言え、とかく目こぼれしていた貧困者の生活に、具体的な数値が加味されて俎上に上がったことは善しとすべきであろう。

 ところで、貧困率というのは一体どれほどの数値なのかと言えば、対象国が現状では極めて少なく僅か30カ国である点から世界のレベルを比較するのは難しいが、意外なのは日本がその30ヶ国の中で4番目に高い(14.9%)という実情である。対象国は高々30カ国ではあるが、OECDによれば、日本は貧困国ということだ。アメリカに至ってはもっと貧困国ということで、すんなり受け入れ難い数値ではある。一番高いのは、メキシコ(18.4%)、以下トルコ(17.5%)、アメリカ(17.1%)、日本、ドイツ、イギリス、オランダ、フランス、スェーデン、デンマークの順になっている。アジア・アフリカ諸国が一国も入っていないのは、統計がないからで、メキシコ、トルコは別にして先進諸国内での比較ということになる。

 それにしても中国、インド、ロシア、シンガポール、韓国、アジア・アフリカの発展途上国が入らなくては比較すること自体に格別意味があるようには思えない。指標として価値のある資料に肉付け出来るかどうかが、今後広く活用されるかどうかの生命線となるだろう。いずれにしろ、これまでどうして厚労省はこのような国際指標を発表しなかったのだろうか。

2010年10月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1242.2010年10月7日(木) 根岸英一先輩にノーベル化学賞

 昨日に続いてノーベル賞に関わる嬉しいニュースがあった。ノーベル化学賞を受賞した2人の科学者のうち、アメリカ在住の根岸英一さんが何と母校・湘南高校の先輩であることを今日の夕刊とテレビ・ニュースで知った。早速卒業生名簿で調べてみると根岸さんは昭和28年卒業だから、私の4年先輩に当たるので在学中は残念ながら接点がなかった。ストレートで東大理一へ進んた。同級生の話しでは在学中は学年でいつも1~2番の成績だったそうだから、相当優秀だったことは想像がつく。

 母校はかつて夏の甲子園で全国優勝し、サッカーでも全国優勝して文武両道校と喧伝され、しばしばマス・メディアにも登場した。一時は東大へ毎年80名前後も進学して進学名門校としても名を馳せたが、その後学校群制度導入により優秀な生徒が私立校へ進学して、神奈川県内公立校としての地盤沈下が始まった。かつては男子生徒が圧倒的に多く、私の同期生は生徒数401人のうち、女子は僅か26人しかいなかった。それが、今ではむしろ女子の数が男子を上回るようになった。激しいスポーツが弱くなったのはその影響もあると思う。

 石原慎太郎先輩らも一時母校に質実剛健の気風が薄れるのを懸念して、大分前に学校群制度の廃止と学区の拡大を働きかけたように仄聞した。まさかその影響でもあるまいが、少しは以前の校風に近づいてきたようだ。だが、どうしても受験戦争の影響が強く名門私立校へ進学する傾向は止まず、根本的な解決にはなっていない。

 それでも近年は一時のどん底に比べれば、少しは往年の伝統校らしさが戻ってきたようだ。先日韓国テレビ局のKBSが母校を訪れ取材して、日本の文武両道のモデル校として韓国国内で放映されたようだから、海外でもその名を少しは知られるようになったかも知れない。

 幸いラグビー部はわれわれの時代より遥かに力をつけ、かつてのように弱小チームではなくなった。久しぶりに慶応でレギュラー・ポジションを獲得した栗原大介くんのような逸材も現れてきた。

 根岸先輩は最近の若者に対して素晴らしいことを言ってくれている。彼らへ贈る言葉として「若いうちに単なる観光ではなく、ひとりで海外へどんどん出て外から日本を見てほしい」と正にわが意を得たりの発信をされている。私自身実際そのように感じているし、若い時にひとりで海外を歩き、それが在職中の仕事でも、現在の著述業という仕事にもかなり役立っていると考えている。海外をひとりで歩いて随分多くのことを学んだ。根岸先輩は若い時代にアメリカで学び、アメリカで研究生活を送ってこられたようだが、単に象牙の塔に篭っているようなことはなく、異文化社会をみてその息吹を実感しておられるのだと思う。素晴らしいことを、またわれわれにとっても刺激的なことを発信してくれた。

 折りも折り例年開催の東京湘南有志会が、来月26日に先輩の森ビル社長・森稔氏がオーナーの六本木のアークヒルズクラブで開催される。きっと盛り上がることだろう。楽しみにしたい。

 それにしても先輩がノーベル賞を受賞されるとは、何とも誇らしく、嬉しい気分である。

2010年10月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1241.2010年10月6日(水) 日本人科学者2人にノーベル化学賞

 今日夕刻になって嬉しいニュースが入ってきた。ノーベル化学賞受賞者に日本から鈴木章・北海道大学名誉教授と、根岸英一・パデュー大学特別教授が選ばれた。一昨年4人の日本人が受賞したのに続く快挙である。これで日本人のノーベル賞受賞者は18人となった。

 さて、このところ本ブログに取り上げているテーマが、その後も大きなニュースとなっていくケースが多い。昨日厚労省のフィリピン戦没者遺骨収集事業に関して記者会見した細田律夫大臣は、今後の遺骨収集事業について不適切な点があるかどうか検証していくと述べた。フィリピンの遺骨収集作業で現地人の人骨を、不謹慎にも日本人兵の遺骨として「買い取り」、一部の悪質な現地人を潤すことがあり、現地でも遺骨収集作業そのものに反発する空気が生まれていることを取り上げたドキュメントが2日NHKで放映されたことを受けて、調査することになったようだ。当然のことであるが、以前と同じように厚労省が本来の主旨を充分理解して、厚労省主導できちんとやっていれば問題は起こらなかったはずである。問題になった以上しっかり検証して、厚労省が手抜きをせず事業を継続してほしいと願っている。

 もう一点最近の検察について、今日駒沢大学・清田義昭講師の講座で冤罪について重いビデオを見せてもらった。NHKが昨年放映した1時間30分の「裁判員へ 元死刑囚免田栄の旅」と題する力作である。免田さんは自分が冤罪で34年半もの間服役し、出所した時は57歳になっていた。

 現在84歳になった冤罪の被害者が、年金ももらえず生活も不安定な中で、冤罪で死刑を宣告された受刑者を支援するために国内外で活動している地道な行動を追っていた。

 さらに、裁判員制度導入により法律の素人である裁判員が裁判に立会い、判断を下すことについて、アドバイスと警告を行っていた。免田さんは、裁判員に対して自分が冤罪で容疑者とされる可能性があることもよく考えて判断してほしいとアドバイスしている。免田さんに敬服するのは、自分がはめられた個人的な不幸に対する復讐を考えるよりも、こういう冤罪をなくすための活動、現在冤罪に苦しんでいる受刑者を救うことに力を入れていることだ。

 免田さんの日本の裁判史上でも話題となった、甲山事件と袴田事件への支援取り組みに対する姿勢には頭が下がる。甲山事件では無罪になった心身障害児施設の元職員が検察控訴によって有罪の逆転判決を下されても、その都度控訴して「3度の無罪」判決を勝ち取った異例の裁判である。袴田事件は、最高裁で受刑者袴田巌の死刑が確定したが、3人の裁判官のひとりである熊本典道氏が無罪を信じて、裁判官を辞職して応援した。免田さんはこの裁判官からも悩みと苦しい心情を聞きだしている。

 いま小沢一郎強制起訴でプロの法律家と素人の裁判官の判断の違いが、論議を呼んでいる。ドキュメントを観ていて痛切に感じることだが、人の運命を分ける冤罪は絶対あってはならないことであり、「疑わしきは罰せず」の真意をもう一度しっかり肝に銘じるべきではないかと思った。

2010年10月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1240.2010年10月5日(火) 小沢一郎・前民主党幹事長、強制起訴へ

 昨日の夕方からメディアの伝える情報が周囲で喧しくなった。小沢一郎・民主党前幹事長に対する東京第5検察審査会が小沢氏に対して政治資金規正法違反容疑で起訴すべきとの議決を公表した。これにより小沢氏は強制起訴される。

 小沢氏起訴は、数多くの、そして極めて難しい問題を提起している。すでに検察では2度に亘り証拠不十分として不起訴処分とした。一方検察審査会は2度に亘り起訴相当として、今回起訴議決、強制起訴となったものである。

 起訴か不起訴かの判断を委ねられている法律の専門家である検察が下した不起訴の判断が、素人の検察審査会の判断で覆された。今後裁判となった場合、検察の役割は裁判所が指名する弁護士が果たすことになる。指名された弁護士は、これまで検察が持っていた証拠をすべて引き取り、新たな証拠を見つけ出して小沢氏の違法性を立証し、有罪の根拠へ持っていかなければならない。検察業務を行う弁護士にとっては1からのスタートであり、長い茨の道が予想される。証拠を集めて立証するには相当な壁がある。専門家は決着には、1年から数年の時間がかかるだろうと考えている。取り敢えず公判は来年になるだろうと予測されている。

 この小沢氏の起訴は、政界にも多くの波紋を投げかけた。野党が鬼の首でも取ったように勢いづき小沢氏に議員辞職を迫るのは当然としても、小沢氏が半月前に民主党党首選で闘った大物であり時限爆弾を抱えているため、この先の思惑と動向も絡んで民主党内をも揺さぶっている。

 衝撃的なのは、われわれにも可能性のある裁判員が参加した検察審査会で下された「起訴議決」が、専門家の検察官が下した「不起訴」に優先する判定となったことである。これには法律で認められているとは言え、一部の法律家の間でも問題視する声がある。確かに客観的に見て、小沢氏の行為は法に触れているような感触があり、加えて小沢氏の政治資金団体「陸山会」のカネの出入りが不透明であることは誰の目にもはっきりしている。

 しかし、それにしても法の番人である検察が2度までも証拠不十分との判断を下したのである。結局黒白の決着を公開の場、つまり裁判で明らかにしてほしいというのが裁判員の強い希望だったのである。国民の気持としてもそうだったと言えるのかも知れない。今や素人の考えを無視出来なくなったのである。世間の見方は大きく変わっている。小沢氏はその辺の空気を見誤ったと言うべきかも知れない。

 難問山積の国会の場で、小沢氏起訴問題ばかりが取り上げられるなら、政治が機能しなくなる恐れがある。小沢氏はあくまで身の潔白を主張して、長い裁判に関わりながら一兵卒としてこのまま一身を国会活動に捧げるのだろうか。潔く民主党を離党するのか、或いは国会議員を辞職するのか、目が離せなくなってきた。本人はいずれもその気はないらしい。

2010年10月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1239.2010年10月4日(月) 一時日本も核保有を考えた。

 俗に「西山事件」とも言われる、外務省外交機密文書漏えい事件に関しては、日本への核の持ち込みや、沖縄返還、沖縄米軍の駐留費用負担など闇に伏せられた案件がいくつもあるが、最近になってもうひとつ日本が核開発に前向きだった事実が、外務省保管の西ドイツとの外交文書で明らかになった。これを公表したのは、元外務事務次官だった村田良平氏であるが、村田氏は今年2月これをNHKのインタビューで公に話した後、翌3月に80歳で亡くなられた。「永久にごまかしをやって闇の中に放っておくより、真剣な議論をすべきだ」と述べ、在職中関係者の間では秘密裏に核開発について積極的に話されていたことを明かした。ガンで余命幾ばくもないことを悟ったうえで、このまま真実を明かさないで現世を去るのを潔しとしなかったのである。

 今年は私自身学生時代に参加した「60年安保闘争」50周年という節目の年でもあり、これに関連した大きな催しが各地で開催されているが、NHKでは安保以外にも中々硬派で、事実を解明したような意欲的な番組を放送してくれるので、随分勉強になる。

 昨日放映されたのはスクープドキュメント、「‘核’を求めた日本~被爆国の知られざる真実~」という番組は特に印象的である。

 実は1964年の中国の原爆実験により、日本は中国の脅威に晒されるとの懸念から、超大国を目指す以上核開発、核保有を目指したいと考えていた。敗戦、経済復興と日本と同じ道を辿った西ドイツは米ソの谷間で押しつぶされないよう願っていたが、秘かに日本側から核開発の話を持ちかけられた時には、西ドイツ外交筋も仰天したようだ。

 即ち1968年佐藤栄作首相当時、村田良平・外務省調査課長は、西ドイツ外交の先端にいたエゴン・バール氏(後の首相府副長官)ら3氏と日本から村田氏ほか外務省部長、課長2名が箱根で秘かに会って、日本が核の製造能力があり、その製造自体は難しいことではなく、西ドイツに米ソ2大国に対抗して核共同開発の提案をした。しかし、西ドイツは東西分離の国家情勢から日本との立場の違いを主張したので、結局この話は立ち消えとなった。

 一方、アメリカは核保有国の立場からその時点における核保有国をこれ以上増やさないと、日本に対して核拡散防止条約(NPT)への加盟を迫り、結局日本はアメリカの傘の下に入ることになった。

 それにしても、国はこれほどの重要事項の決定をまったく国民に知らせずに処理していたのである。その渦中にあって内閣調査室主幹だった志垣民郎氏が語った「外交には裏がある。国民はそのくらいは知るべきで、知らないのは国民がアホだからだ」との発言には、国家官僚の思い上がりも極まれりだ。国は真実を隠蔽して、国民は自ら勉強して知るべきだとの言い分は、あまりにも国民を愚弄している。

 1974年佐藤元首相のノーベル平和賞授与式におけるスピーチ原稿から、核絶滅への高邁な表現「日本は非核3原則を宣言し、世界中が核廃絶を念願し、世界が日本の非核3原則に従ってくれるよう希望する」との文言が突然削除された。その数日前佐藤首相が来日したキッシンジャー国務長官から、それとなくアメリカはその文言を歓迎しないと聞かされたからである。肝心なその言葉を世界への核廃絶のメッセージとして発信することに賛成していた学者の中に、高坂正尭・京大教授、京極純一・東大教授、そしてわれらが梅棹忠夫先生が含まれていたのである。梅棹先生の思いもノーベル平和賞受賞式では佐藤元首相には、まるで通じなかったようだ。

 国連軍縮会議では、日本はアメリカに遠慮して棄権したり、反対票を投じたり、核廃絶に向けたアピールは年々弱くなった。日本国内ではあまり知られていないが、当時のメキシコ国連軍縮大使の如きは、核絶滅の動きに対して日本の姿勢に一番がっかりさせられたと述べた。結局密約の空気が軍縮の動きを日本国内で今ひとつ拡大させない理由ではないか。一方で、ドイツの核廃絶運動は大きな広がりを見せている。

 その意味でも少数派の西山太吉氏、吉野文六氏、村田良平氏らは国の将来を憂いていた勇気ある人たちだと言うべきであろう。

2010年10月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com