1247.2010年10月12日(火) 日米安保条約の背後にあるもの

 今年は「60年安保闘争」50周年記念の年に当たる。敗れたりとは言え、あの時われわれ学生は権力に対して闘ったのである。今年国内各地でいろいろな催しが開かれているが、その中でNHKが、先月安保特別番組として4回に亘って「安保とその時代」を放送した。その中で1、3回分を録画しておいたので、今日は9月上旬に録画した第1回分「日米安保を生んだ冷戦」を観てみた。

 終戦から昭和26年のサンフランシスコ平和条約締結までの国内外の政治、社会情勢を巧く映し出していた。当時の細かい点は大方忘れてしまっていたが、日本の米軍基地常駐の経緯や、戦後日本国土の占領をアメリカだけが担った事情を事細かに解説して、改めて納得出来たように思った。

 日本にとって何が幸いし、何が不幸につながったのかは、何とも言えないが、はっきりしているのは、日本の国家統治について当初アメリカ以外に考えられていたイギリス、ソ連と中国が関与せず、結局アメリカ1国だけが占領政策を行ったことは結果的に良かったのではないか。仮にソ連が占領したら、朝鮮半島やドイツの占領政策と同じように国が分裂され、恐らく北海道はソ連に占領され、現在の北方4島と同じ道を辿ってしまったかも知れない。

 大戦直後は、戦勝国にもそれぞれお家の事情があり、日本領土は喉から手が出るほど興味があったようだが、ソ連にしてみればヨーロッパの中でルーマニア、ブルガリア、更に東欧と呼ばれた社会主義国家を指導し、彼らのリーダーとして体制を束ねていくことにエネルギーを使わなければならなかった。とても極東の小国まで支配する余裕がなかったのである。中国は、中華民国と中国共産党の内戦でそれどころではなかった。イギリスにしても、大戦の代償は大きかった。植民地だった途上国が続々独立し、その後始末にてんてこ舞いをさせられている状態だった。

 結局これらの国々の事情により、アメリカだけが日本を統治支配することになった。朝鮮戦争が始まると米軍基地が日本各地に設置され、それが今日まで継続している。漸く昭和26年になってサンフランシスコ平和条約が締結され、同時に日米安保条約が発効した。それが表面的には今日まで日米間の絆となり、日本はアメリカの軍事力によって安全保障が担保されている。

 しかし、これからの日米軍事同盟は維持していくのが中々難しい。日本国内にある米軍基地、とりわけいま問題となっている沖縄・普天間基地があり、そこに中国軍事力の脅威が増大され、日本の安全のためには日米共同をスムーズに進めなければならない。

 今日から衆議院予算委員会が始まった。与野党の論戦が展開されたが、相変わらず鞘当てばかりで建設的な議論が見られない。

 尖閣諸島問題の中国人船長の釈放ばかり言い合っているが、日本がとりあえず中国から緊急避難出来るのは、アメリカが声明した日本との共同歩調(尖閣諸島海域は日米安保の範囲内)が効いていることは間違いない。是々非々は別にして、日本はアメリカからの厳しい要求、偶々昨日本ブログに書き込んだ3つの内容について議論をして早く結論を出すべきではないのか。

2010年10月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com