1038.2010年3月17日(水) 「三軒並んだラーメン屋」のネタはどこから?

 落語の初代・林家三平師匠の十八番「三軒並んだラーメン屋」の小咄を引き合いに出して、博多・長浜ラーメンの元祖争いを今朝の朝日「天声人語」が面白おかしく紹介している。

 三平の小咄に出てくる「三軒並んだラーメン屋」とは、右端のラーメン屋が「日本一うまい」と看板を出すと、左端は「世界一うまい」と看板を出した。困った真ん中のオヤジが寝ないで考えた看板が「入口はこちら」というユーモア溢れる小咄である。

 しかし、この三平の小咄は、果たして三平独自のアイディアがネタとなって高座で語られるようになったのか、私の体験上些か疑問に感じた。

 というのは、まだ東西冷戦中の1979年にブルガリア・トラキア地方のプロブディフで学校訪問をした時、同じような話をブルガリア人通訳から聞かされたからである。8日間も行動を共にして、気分的にも打ち解けた通訳さんは、笑いながらブルガリアのユーモア話として聞かせてくれた。

 そのジョークというのが、3軒並んだ端の1軒には「天国に舞い上がったような気分になるフランス料理店」との看板があり、もう1軒は「舌がとろける中華料理店」と看板を掲げていた。しかし、お客はみんな3軒目のレストランに入った。何とそのレストランの看板には、ただ一語「ENTRANCE」とだけ書かれていたというユーモラスなものだった。当時社会主義体制のクビキによりソ連にがんじがらめにされ、ソ連の申し子とされていたブルガリアに滞在して、窮屈な中でほっとするようなジョークだったので、殊更印象に残っている。

 三平師匠がこの落語を話したのを聞いたことはないが、どこにもありそうな小咄でもあり、断定的なことは言えないが、多分これは三平のアイディアから生まれた小咄ではないような気がする。

 それにしてもどこにも似たような話があるものである。

 さて、昨日子ども手当法案と高校無償化法案が衆議院で可決され、法案は参議院へ回った。今年度内に成立する見通しである。その高校無償化法案の朝鮮学校を対象外とするとの主旨が、懸念していたように国連の人種差別撤廃委員会で問題となった。同委員会報告書は「在日コリアンや中国人指定の学校が公的支援や補助金などの面で差別的扱いを受けている」と指摘した。これについて、あるNGOは、もし勧告に反して朝鮮学校外しを強行するなら、国際的批判を浴びるだろうと厳しい見方をしている。

 どうするのか、まだ政府は決めていないようだが、そんなにぐずぐずしている時間はないのではないか。

2010年3月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1037.2010年3月16日(火) 録画で「ベン・ハー」を半世紀ぶりに観る。

 先日録画しておいたMGM映画「ベン・ハー」を半世紀ぶりに観た。1959年にアカデミー賞の11部門で賞を獲得し、大ヒットして日本映画史上初の天覧上映となった映画である。

 日本では翌1960年に東京・京橋の「テアトル東京」で一般公開され大きな話題となった。それまでのスクリーンと違って横長の画面で、大きなシネマスコープだと思いこんでいたが、後年になってパナビジョン社が開発して「ウルトラ・パナビジョン70」に発展した、当時の新型スクリーンだったようだ。チャールトン・ヘストン主演の4時間近い長編映画だった。あの当時の迫力とサスペンスは今観ても色褪せず面白い。大作と云われる所以だろう。

 映画を観たその年は60年安保の真っ盛りで、当時世俗的な情報には上の空だったが、この映画だけは観てみたいと思い、大学演劇部に入っていた同じクラスの肥後留太郎くんと「テアトル東京」へ観賞に行ったことを思い出す。

 この映画で関心を惹いた「戦車競争」が、奴隷を使役したガレー船、ライ病に冒された母と妹の悲劇的な情景とともに強く印象に残っている。その後度々ローマを訪れたが、戦車競走の撮影場所、パラティーノの丘の下にあるチルコ・マッシモを眺める度に「戦車競走」のシーンを断片的に思い出したものだ。

 50年経ってもそれらのシーンは強く心に残っており、改めてあの時の臨場感を思い出したが、いくつかの場面はどうしても思い出せなかった。特に情けなく感じたのは、ある若いタレントが1番印象に残っているシーンとして挙げた、キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘へ引き立てられて行く場面が、まったく記憶になかったことだ。些細なシーンならともかく映画の中でもひとつのクライマックス・シーンをすっかり忘れ去っていたことは、ちょっとショックだった。これが半世紀間の空白なのだろうか。

 こうして記憶が徐々にまだら模様となり、完全空白になって老いていくのだろうか。

 まあ、くよくよしても始まらない。記憶力は確かに少しずつ減退してはいるが、前向きな気持ちは弱まっているとは自分では思っていない。むしろ時間が足りないくらい忙しない毎日だ。

 さて、カタールのドーハで今日開幕されたワシントン条約締約国会議(175ヶ国加盟)では、モナコから提案されている、大西洋で絶滅が危惧されるクロマグロの捕獲と国際取引を禁止する附属書への掲載を議論することになる。EU諸国やアメリカがモナコの提案に同調する態度を示したことにより、反対の立場にいる日本は窮地に追い込まれている。世界のマグロ漁獲量のうち、その約8割を日本が消費している。差し当たり、大西洋の捕獲禁止が日本の消費市場に大きく影響することはなさそうだが、今後のクロマグロの市場を考えると深刻な問題である。

 ところで日本はマグロ船で太平洋海域を中心にマグロを捕獲し、大西洋にも船を出し、同時に多くのマグロを輸入している。日本人のマグロ好きがここへ来て自然資源減少の張本人扱いされ、諸外国の目は厳しい。ニュース番組で専門家も言っていたが、食文化の違いとか、クロマグロをパンダやシーラカンスと同じように絶滅危惧種扱いすることを非難することより、マグロ好きな人たちも美味しいからとか、安いからとかの理由だけでむしゃむしゃ食べるのではなく、日本の食文化ならお寿司の食べ方として、数少なくじっくり味わうということも考えた方がよいと言っていたが、なるほどと思った。そう言えば、贅沢になった近頃の子どもは、回転寿司屋でお腹一杯食べているが、あまりお勧めできないと話していた。確かに日本の食文化を主張するのも良いが、世界中から非難されるようなら、ここはひとつ立ち止まって考えてみることも必要ではないか。

2010年3月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1036.2010年3月15日(月) やっと消費税論議を始めるという。

 景気が低迷する中で、新卒者の就職活動が苦戦している。一般企業の正規雇用が減り、非正規雇用で採用された社員や派遣社員もその影響を受けて困惑している。こればかりは景気の回復がなければ好転する見通しが立たない。

 しかし、一方で雇用を抑え気味の大手企業の中にあって、採用を減らさず前年並みとか、むしろ雇用を増やしている安定した企業もある。そういう景気にあまり影響のない会社で働く人は恵まれていると思う。

 景気が悪くなれば、税収が落ちるのは当然である。2011年度の一般会計予算が過去に前例がないほどの税収不足の中で編成された。そのため税収不足を賄おうと大幅な国債発行で切り抜けようとして、将来の財政状況に暗雲をもたらしたのはつい最近のことである。税収減少の最大の原因は、法人税の減少によるものだが、このため景気に左右されない消費税をいずれ税収の柱にする考えがあるらしい。家庭事情が火の車なら、それも充分検討してしかるべきだと思う。

 しかし、民主党は総選挙を前に当面4年間は消費税を上げないと約束してしまった。鳩山政権になってからも首相は「約束は実行する」と言い続けている。他方で、財政事情は益々悪化の傾向を辿っている。この苦しい財政事情を切り抜けるために、菅副総理・財務相はついに「所得税、法人税、場合によっては消費税、環境税といった本格的な税制の議論を3月には始める」と言い出した。この苦しい財政事情なら、国民に丁寧に説明して納得を得たうえで、ある程度マニフェストの修正も已むを得まい。やっとのろまの民主党も本気になって税制論議を進めるのかと今後の議論の進め方に注目したい。

 出来ることなら3月と言わず、検討だけでももっと早くスタートすべきだった。国民に評判の良くない政策は先延ばしにして、追い詰められてから苦し紛れに行うからすべてが遅れるのだ。

 さて、鳩山首相の実弟である鳩山邦夫・元総務相が、今日自民党を離党すると発表し、党も容認するという。数日前自民党首脳部に対する不満をぶちまけ、GW前に新党を結成すると広言した。その前に与謝野馨・元経済財政相や舛添要一・元厚生労働相らも党内秩序を乱すような不穏な発言をして、政権を手放した自民党の落ち目ぶりをくっきりと映し出していたが、それにしても各党とも内部はまとまりに欠けている。

 鳩山邦夫氏はお金持ちのお坊ちゃんというイメージがぴったりだ。言うことも行うこともこれまでの言動を見ているとわがままで気分屋だなと感じる。理念も哲学もなくただ暴れまわっているという印象である。立派な政治家の家系に育ったから、世襲議員として政治家になれただけの人ではないかと思う。いくら自由な発言が許されるからと言って、昨年郵政会社問題で大臣を辞めさせられた腹いせか、言いたい放題だったあのパフォーマンスを考えても、気に食わないと八つ当たり発言を繰り返している。果たしてこういう短気で思慮分別のない人に、政治を任せて大丈夫なのかと不安が拭えない。

2010年3月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1035.2010年3月14日(日) 葉山峻・元藤沢市長ご逝去

 元藤沢市長の葉山峻さんが昨日亡くなられた。高校では石原慎太郎・東京都知事と同級生で、私の5年先輩に当たる。何年か前に六本木アーク・ヒルズで開催された高校の在京有志同窓会でお会いした時、少しお話した。当時民主党の代議士だったのにかつての闘士の面影が消え、心なしか元気がない様子だったので、体調を崩されているのではないかと秘かに気にかかっていた。

 個人的にそれほど親しくお話したことはないが、鵠沼に住んでいた亡父が生前敬老の日の祝賀会で高齢者を代表して挨拶した時、当時の葉山市長から記念品と賞状をいただいた。

 葉山さんは25歳にして藤沢市議会議員選挙でトップ当選を果たし、その後市長選で保守派の市長として長い間務めていた当時の金子小一郎市長に果敢に挑戦して一敗地にまみれた。次の選挙で前市長の後継者を破り、以降は圧倒的に市民の支持を得て連続6回当選し、市政に多大な貢献をされた。市民派市長として、その当時左翼政党として元気だった社会党のプリンスとしてアピールし、全国革新市長会会長や非核都市宣言自治体連絡協議会会長を歴任した存在感のある市長だった。60年安保国会で藤山愛一郎外相を問い詰めた社会党代議士飛鳥田一雄氏(後社会党委員長を経て横浜市長)と共同戦線を張って、リベラルで堅実な市民活動に力を入れ、それが藤沢市民から高く評価された。

 葉山さんの次弟・水樹さんは同じ高校ラグビーの1年先輩で一緒にスクラムを組んでいたので、より親しみを感じていたが、あの時のフォワードはみな揃って体格がガッチリとした大型フォワードだった。論客で弁護士になられた葉山さん、東大へ進まれ全学連書記長として60年安保闘争の中心となって運動をリードした清水さん、耳鼻咽喉科医師となられた渡辺さん、新進作曲家の娘さんがコンサートで度々新曲を披露している武智さん、拙宅近くに住まわれ今もお付き合いの深い元エリート銀行員の和田さんら、1年上級のフォワードには個性的で話題の豊富な素晴らしい先輩がおられた。中でも清水さんは学生時代の闘争心が未だに衰えず、今でも今世紀中に世界革命を起こすとの固い決意と信念を抱いて、タイミングを待ちつつ今も潜伏している。現代社会で世界革命が成就するとは信じ難いが、60年安保へ誘ってくれた先輩でもあり、気になっている。

 最近は葉山さんの健康状態もさほど良さそうに見えなかったし、威勢の良かった時代を思うと晩年はちょっと寂しかったのではないかと感じている。心よりご冥福をお祈りしたい。

 さて、昨日本稿で取り上げた高校授業料無償化問題で朝鮮学校生を対象外とすることに異を唱え、橋下大阪府知事の朝鮮学校への条件付支給に賛同すると書き込んだが、今朝の朝日を読むとなんとまぁ拉致問題担当の中井洽大臣が、橋下知事の考えは甘いと非難している。推察するところでは、大臣の考えは拉致問題の解決が一向に進展しない手詰まり状態に焦燥感を爆発させたもので、論理的な説明がまったくなされていない。単に北朝鮮関係者を利するものには何でもかんでも反対するの一点張りである。こういう無節操で短絡思考の人が大臣をやっているのは反って危険ですらある。大臣は知事の何が甘いというのか。納得出来きる説明もなしに、大臣たるものが単純に日本で生活する朝鮮高校生を一方的に差別しても良いのかと逆に問いたい。ただ、反対しているだけでは、賢明な国民を納得させることなぞできまい。担当部門の最高責任者として、少しでも拉致被害者家族会の受けを狙った発言としか思えない。

2010年3月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1034.2010年3月13日(土) 高校授業料無償化の壁

 民主党のマニフェストの最大の目玉だった子ども手当てのうち、高校授業料無償化が大いに歓迎されているが、一部にその対象から朝鮮学校を除外しようとする動きがある。あくまで北朝鮮に対する制裁の考えと軌を一にするもので、個人的には私は賛同出来ない。確かに北朝鮮政府の政策、特に日本人拉致問題に対する不誠実な対応には憤りすら憶える。経済制裁もあってしかるべきだと日本政府の対応に賛成である。しかし、高校授業料の支給対象から外すとの短絡的な考えには、ことが教育に絡む問題だけにちょっと賛成できない。

 高校生の授業料と拉致問題は一緒くたにするべき問題ではないと思う。反対者は北朝鮮系の学校だけを対象から除外することを考えているようだが、日本のルールに従い、文科省も専門学校として承認している学校を、北朝鮮を懲らしめるために日本で育ち、日本的な考えを育んでいる在日朝鮮人高校生に懲罰的な措置を取るのはいかがなものか。しかも生徒の親は日本で生活して、日本人と同じように税金を納めている。文科省内にも疑問に感じている役人が多い。

 どうも鳩山首相は自分の考えかどうか分からないが、第三者機関で判断させると言っているが、本音は除外したいようだ。

 その点大阪府の橋下徹知事には、仮に国が朝鮮学校無償化の対象から外しても大阪府として独自に助成する考えがあるようだ。ただ、その場合大阪府の要望を朝鮮学校が受け入れた場合という条件付きである。それは良いと思う。昨日知事は大阪府内の2つの朝鮮学校を視察して、学校側にその条件を提示した。

 その条件とは、①北朝鮮系の朝鮮総連から寄付を受けない、②朝鮮総連の行事に学校幹部が参加しない、③大阪朝鮮高級学校の教室の黒板の上に掲げられた故金日成主席、金正日総書記の肖像画を外す、ということである。学校側は検討を約した。

 橋下知事の考えと要望は正鵠を射たものだ。完全に北朝鮮の匂いを消してくれれば、日本人生徒と同じように助成金を支給しようという考えである。そのために橋下知事はすぐ現場を訪れ、責任者とじっくり話し合った。学校側も知事の要望について時間をかけて検討することを約束した。このプロセスはある程度筋が通るし、大阪府民も納得すると思う。少なくとも政府の門前払いのような一方的に決め付けるものとは違う。政府もせめて橋下知事と同じ程度の思いやりを朝鮮学校に対して示すことは出来ないものか。

2010年3月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1033.2010年3月12日(金) 明らかになった新たな外交密約

 昨日茨城空港が開港した。国内で98番目の空港である。せっかく開港したのに、韓国のアシアナ航空がソウル往復便を1日1便飛ばし、来月以降スカイマーク航空が神戸へ1日1便運行するだけという、ささやかな利用状況である。開港の記念祝賀行事も心なしか控え目で、国際空港であるのに航空行政の長である前原国交相も出席せず、寂しさの漂う開港風景となった。利用者の需要予測は、当初年間約81万人を計上したが、現在の試算では大幅に下方修正され17万人弱と見られている。黒字化のメドはまず立ちそうもない。

 現存する空港のうち、黒字で運営されているのはほんの僅かであるが、赤字経営の空港を抱えているにも拘わらず、問題なのは国交省所管の27公益法人のうち、天下りを受け入れている20法人の資産が290億円もあることである。現場は赤字であるが、その寄生虫が黒字というのではどうにも納得できない。

 空港の経営が赤字で多額の税金が投入されているにも拘わらず、法人はカネを溜め込み、天下りを養い、空港利権を思うがまま利用している。こういう自分たちの歪んだ特権を守るようなムダを続けているようでは、いくらカネがあっても有効なカネの使い方とは言えず、どぶへ捨てるようなものである。4月下旬に予定されている事業仕分け第2弾で、厳しく精査してムダなシステムと費用はカットしてほしいものである。

 今日また、新たな日米間の外交密約が明らかになった。これまで話題にもならなかった沖縄返還直前の円とUS$の貨幣の切り替えの際、沖縄で収受した1億ドル分のUS$をニューヨーク連銀に無利子で預けていたそうである。その利子分該当額がアメリカに流れていたことになる。夕方記者会見した菅副総理・財務相は、広義の密約だと思うなどとあまり深刻な顔をしていなかったが、冗談じゃない。約100億円を27年間も銀行へ預けていたらいくら利子がつくと思っているのだろうか。その運用益は約7千万$(約70億円)にも上がっているという。こういうところにも関係者だけが個人的な打算で貸借勘定を考えていた節があると勘ぐらざるを得ない。それに今回の密約が明らかになった背景にはアメリカ側の文書公開があって、日本側では肝心なオリジナルの公文書が紛失していたというのもおかしな話である。意図的であるか否かを問わず、国民を舐めきった無責任行政を行うのが、日本の役人らしいところと言えば言えるのかも知れない。

 さて、最近マナーの悪さで評判の悪い「撮り鉄」が、JR上野駅とJR金沢駅に群がった。明日から新ダイヤに変わるので、今夜がラストランになる急行「能登」と寝台特急「北陸」の写真を撮りに集まった鉄道ファンである。毎度人騒がせな鉄道ファンの対応には、鉄道各社でも頭を痛めている。

 また、首都圏で最後まで残っていた両国駅と千葉駅を結ぶ「新聞電車」も最後となった。今では、トラック輸送に切り替わったが、思い起こせば昭和38年~39年に見習い駅員を務めていた時、私も新聞列車の取り扱いをやったことがある。夜中に重い新聞梱包を投げながら方面別に仕分けして腰を傷めていた先輩も大分いた。もう半世紀近くも前のことだが、随分感慨深い。

2010年3月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1032.2010年3月11日(木) ネルソン・マンデラとラグビー・ワールドカップ

 一昨日観た加藤周一先生のドキュメント映画「しかし それだけではない。」について、小中陽太郎さんとメールでやりとりして今日も加藤先生の晩年になってからのクリスチャン受洗について小中さんの考えをお知らせいただいた。一部には、加藤先生がキリスト教徒として洗礼を受けたのかどうかという点について、論議を呼んだようである。その辺りの議論は複雑なようだが、中々面白そうだ。無神論者だった加藤先生の受洗については、先生を知る教え子や周囲の間でも意外だったようだ。なぜ受洗されたのか。小中さんの考えるところでは、死への恐れと母親への追憶があると言っておられる。そして、実存主義も影響を与えているという。中々難しいものだ。

 新潟にいる二男から、「インビクタス(負けざる者たち)」という映画が南アフリカのネルソン・マンデラ大統領と1995年に南アで開催されたラグビー・ワールドカップが絡んだ物語に仕上げられて面白いので、ぜひ観てはどうかと勧めてくれた。早速今日は特別予定のない妻ともども、渋谷へ観賞に出かけた。

 かつて世界的に大きな波紋を投げたアパルトヘイトについて、クリント・イーストウッド監督がさりげなく取り上げた野心作で、アパルトヘイト廃止後のネルソン・マンデラ新大統領の苦悩と、南アの人種間の対立と憎しみ合いをラグビー・ワールドカップ開催に絡ませながら、実在のオールブラックスのスーパースター・ロムー選手らを登場させて臨場感を掻き立てている。1992年に南アフリカを訪れたが、当時はまだアパルトヘイトが厳然として存在して、黒人は隔離された居住地区で、白人からの差別に甘んじていると認識した。それが、この映画では、ネルソンが釈放された後総選挙で勝ち、初代大統領に就任した時、黒人の間に漂っている白人への対立と憎しみの感情をどうやって抑えさせ、国のために白人との融合を図っていくかということに腐心している様子をラグビーというスポーツを通じて映し出していた。

 今では表面的には差別はなくなったことになっている。しかし、表から一旦消えた差別は、逆に陰湿な形で顔を出すこともあると思う。そのあたりの感情を大統領の黒人と白人の護衛官たちが、ラグビー場における大統領の警備を通じて国の発展のために、黒人と白人がお互いの愛国心から少しずつ分かり合っていくという筋書きである。

 しかし、ワールドカップの大凡その結果は知っていたが、決勝戦の南ア・スプリングボックス対ニュージーランド・オールブラックス戦が、ペナルティ・ゴール合戦でノートライの引き分け延長の末、決勝点が南アのドロップ・ゴールで決まったとは迂闊にも知らなかった。

 ラグビーファンならずとも、楽しめる映画ではないかと思う。

2010年3月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1031.2010年3月10日(水) 外務省公文書密約の調査結果を公表

 日米外交文書密約問題を調査していた有識者委員会の報告書を昨日岡田外相が発表したが、昨日の夕方からマス・メディアでは蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。

 昨夕からのテレビ・ニュースはもちろん、今朝の朝日新聞の如きは、40頁の内全面広告が12頁で、残りの記事と広告28頁の中で実に8頁分も密約文書関係に費やしている。

 今更言うまでもないが、日本政府が国民に対して嘘を言い続けていた不誠実さが30年経ってこの大騒ぎとなった。当然新聞の論調は日経紙も併せて政府に対して極めて批判的である。

 国がまやかしとその場しのぎの逃げ口上で国民を騙していたことは歴然としている。今更何を言おうと元の鞘には収まらない。しかし、この嘘八百によって多くの人が迷惑を蒙り、その一方で嘘をついていながら我関せずと知らん振りは酷い。

 日本政府が国民を騙した外交密約は4つある。

 ひとつは有名な「非核3原則」であり、国内ではこれをよりどころに核廃絶を世界へ訴えてきた。それが嘘だと分かれば、世界へ発信していた日本の非核運動は何の説得力も持たなくなる。原子力空母により核が持ち込まれたとされる横須賀市では、前市長、現市長ともに憤慨している。長崎の被爆者代表も政府に裏切られたと悔しさが拭えない。

 60年安保では、みんなとにかく当面の安保条約改定を阻止するとの強い意気込みで反対運動を続け、密約にまでは考えが及ばなかったが、その後何年か経過してどうも怪しいのではないかとの疑念を持った。

 2つ目は、有事発生の場合米軍に日本国内基地の使用を認めるというもので、米ソ冷戦時代における朝鮮半島の戦闘行為を想定したケースである。

 3つ目は、沖縄返還後に緊急事態発生の場合、アメリカが沖縄に核を持ち込むことに目をつぶるというものである。

 4つ目は、沖縄返還時の原状回復補償額を日本が肩代わりすることである。

 どうも不信感が消えないのは、肝心の公文書それ自体が紛失しているものがあることである。意図的に廃棄処分した可能性が強い。担当者がもうすでに退職しているからという理由だけで、この責任を追及しないのはおかしいと思う。

 また、当事者がどの程度の情報を承知していたのか知らないが、首相在職時に白々と「承知していない」とか、「歴代の首相が密約はないと言っている以上ない」との空疎な言葉を、今以って言い、あまつさえ密約に拘わった人を堂々擁護するがごとき発言をする元首相のような人物をこのまま放っておいて良いものだろうか。

 その最たる人物をひとり挙げれば、それは首相の座を放り出した安倍普三・元首相である。国家の大事に拘わった係累を弁護せんがために、安保条約改定を行った祖父の岸信介・元首相、沖縄返還交渉を成功させた叔父の佐藤栄作・元首相、核密約の東郷メモに記載された父の安倍晋太郎・元外相らに対して、国民への裏切り行為への反省や非難よりも、肉親を庇う言葉を悪びれることなく語り、自ら政権をいとも簡単に捨てた責任感の伴わない軽薄そのものの人物である。

 こういう国民を騙しぬいたかつての国家のトップに言いたい放題言わせて良いものだろうか。

 それに引き換え、密約を暴き自身職を失いながら、今も国家を相手に裁判で戦っている西山太吉元毎日新聞記者の執念には頭が下がる。

 さて、今日3月10日は、65年前東京大空襲のあった日である。当時の遺族は今でも涙が止まらないという。その年私は国民学校へ入学した。

 夕べから今朝にかけて強風が吹き冬型の荒れた天気で雪が積もった。この気象異変に、鎌倉八幡宮の樹齢1,000年とも言われる「大銀杏」が倒れた。鎌倉幕府3代将軍源実朝が、その陰に隠れていた甥の公暁に殺害されたという伝説的樹木である。地元の人も落胆している。

 もう1件落胆させられたのは、佐渡で育てられていたトキ9羽が今朝死んでいた。どうもトキが飼育されていたケージに野生の動物が侵入して殺されたらしい。これも可哀相で切ない。

2010年3月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1030.2010年3月9日(火) 鳩山内閣及び民主党の支持率低下

 鳩山内閣と民主党の支持率低下が止まらない。マス・メディアが行っている世論調査でも、発足当初には考えられなかったほどの落ち込みである。昨日NHKが発表した支持率は、1月には50%もあったが今月は38%にまで下落している。政治とカネの問題が直撃したうえに、鳩山首相の決断力とリーダーシップの欠如、加えて普天間基地移設問題のもたつきぶりに国民が愛想をつかしているのだと思う。

 民主党では、小沢幹事長の渡米問題でアメリカ政府高官らが鳩山首相と幹事長との力関係について予断を持ったコメントを述べたり、藤田幸久国際局長がアメリカのワシントン・ポスト紙に対して9.11テロについて必ずしもアルカィーダの仕業ではないというアメリカ人の神経を逆撫でするような発言をして顰蹙を買ったり、日米間の外交関係がまたまたギクシャクしてきた。すべて首相に責任があるわけではないが、どうも末期の自民党長期政権時代とあまり変わらなくなって来た。

 昨日は、国民新党と社民党が普天間基地移設問題で党としての移設案を提案したとの報道があった。国民新党は前々からキャンプ・シュワーブ陸上案を考えているようだ。ところが、この日キャンプ・シュワーブのある名護市議会が全会一致で受け入れ反対決議をした。1月には市長選で反対派の市長が当選した。決定までの前途は厳しい。

 他方社民党の提案は、県外移設・国外移設案らしい。ところが、先日もこのブログで触れたが、社民党は相変わらず海外移設案でもグアムに拘っている。グアム知事があれだけ受け入れ反対を公言しているにも拘わらず、可能性のまったくない案に固執するのはなぜか。しかも、グアムのすぐ隣のサイパンでは、知事自ら受け入れに前向きな姿勢を示している。サイパンに見向きもせず、可能性のない国外と県外一辺倒の移設案は、社民党が非現実的政党であることを如実に物語っている。

 それにしても、民主党の態度はあまりにももたもたしている。

 夕方近くなって岡田外相が記者会見で、昨年9月以来調査していた日米の外交文書に密約があったことが明らかになったと公表した。

2010年3月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1029.2010年3月8日(月) 加藤周一先生が語る「ドキュメンタリー映画」

 ロサンゼルスで今年の映画アカデミー賞授賞式が行われた今日、それにあやかったわけではないが、久しぶりに映画鑑賞に出かけた。

 一昨年12月に亡くなられた加藤周一先生が語りかける映画「しかし それだけではない。」を渋谷で上映していると新聞広告で知ったので、玉川税務署へ納税申告をした後渋谷へ向かった。道玄坂界隈で立地の分かりにくい「シネマ・アンジェリカ」を交番で尋ね、何とか探し当てた。副題に「加藤周一・幽霊と語る」とふざけたタイトルが付けられているだけに一風変わった、だが心に訴える記録映画だった。

 亡くなった年の夏までの間にすべて収録されたフィルムであるが、「知の巨人」と呼ばれる知性とぶれない信念、論理的な整合性を持って反戦、恩師、戦死した友人の思い出等について、東大本郷、駒場、信濃追分で淡々と、しかし信念と愛情を込めて真摯に話された加藤先生のお人柄とそれまでの活動を紹介する意欲的な試みである。学生時代と大東亜戦争、平和運動の話に終始して、意外にも外国生活の長かった先生にしては海外の話が少なかった。確か先生は1968年の「プラハの春」の際、車を運転してチェコへ入国し、その当時の緊迫した空気を体で感じ取った筈である。出来れば「プラハの春」について一言でも良いから話してほしかった。

 映画を通して先生の言葉の中に、絶対戦争はやってはならないという強い意思を感じた。何のために戦争をやるのか、まったく無意味であると強調されていた。「九条の会」の世話人を務めながら、長い間平和運動に関わり、その生き方や考え方はぶれることなく終始一貫していた。それが、多くの人びとの心を捉えたのだと思う。

 2007年夏亡くなった小田実さんの葬儀の折お姿をお見かけしたが、その時小田さんへの弔辞で「あなたはべ平連を始めとして、いつでも仕掛け人として先頭に立った」と小田さんの行動力を高く評価したことが印象に残っている。

 この映画は大手映画会社ではなく、「加藤周一映画製作実行委員会」が自主的に製作したものである。恐らくプロデューサー、監督ともに加藤先生の生き方と考え方に心酔して採算を度外視して作られたものだと思う。座席も100席程度の小さな映画館で1日に4回の上映では、果たしてペイできるのか気になるところである。こういう地味で良心的な映画をもっと多くの人、特に映画の中で加藤先生が「老人と結託すべきだ」と煽っていた若者に観てもらいたいものである。

2010年3月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com