1068.2010年4月16日(金) 中国政府の愚かな言論封殺

 二男が4年前に転勤以来勤務先である新潟へ行かなかったので、妻ともども1泊2日のスケジュールで新潟を訪れ、新潟駅前のホテルで本ブログを書いている。他には何の計画も立てなかったので、特別に訪れる名所旧跡もなく、その意味ではあまり建設的な旅行ではない。

 二男に会う前に時間があったので、「朱鷺メッセ」に行ってみようと考えた。調査不足とはこんなことも言うのだろう。観光コースにも入っていて市内バスも寄る場所なので、ついトキを飼育しているか、関係資料を展示している博物館ではないかと思ったが早トチリだった。何のことはない、コンベンション会場だった。「メッセ」という名の通り、日航ホテルに隣接された国際会議場で、早トチリもお粗末と言えばお粗末だった。メッセの隣に31階建ての高層ビルが建っていて、その屋上の展望台から佐渡も見渡せ雪山も見える展望が素晴らしく観光客が押し寄せると聞いたので、行ってみた。確かにその点では中々のビュースポットだった。可笑しいと感じたのは、「ベフコばかうけ展望室」というその名前だった。「朱鷺メッセ」を勘違いして訪れた場所が、「ばかうけ」というのは、いかにも馬鹿にされたようで情けない。

 夕食は久しぶりに二男と寿司店でゆっくり嗜むことができた。

 中国青海省の大地震は、死者が800人に迫っている。あまり素直でない中国政府は各国からの援助を断っている。まったく馬鹿げている。こんなことで苦しむのは、自国の住民であることが分かりそうなものなのに、中国政府は敢えて有難い援助の手を断わろうというのだから、やせ我慢していると云うべきか、思慮不足もいいところだ。中国政府はチベット族が多い地区に多くの外国人が入って実情をありのままにリポートされることを恐れているようだ。日本やアメリカなどは、救援・復興活動に取り組むとの声明を出したが、中国は外国からの救援隊の受け入れに消極的である。被災地までは遠く、外国の救援隊が現場に到着するのはかなり遅れるとか、四川大地震よりも政治的に敏感な地域に外国の部隊は受け入れられないと明かしている。台湾当局も、日本赤十字社も現地の混乱を理由に被災地入りを謝絶された。

 しかし、中国当局の真意ははっきりしている。共産党中央宣伝部が主要メディアに対して軍や救援隊による救助の遅れを批判する報道を禁じたり、被災者を慰問して回る共産党幹部の活躍を強調する報道を支持したり、詰まるところ通達では政府批判の報道を禁止し、党員を称揚することにある。

 ワシントン・ポスト紙では、核安全サミットの最大の勝利者は胡錦濤主席とヨイショしたが、救助が必要な被災者に救助の機会を与えず、事実を報道して、国民を惑わせて将来に禍根を残すことになりはしないか。言論弾圧がかつてのスターリン批判を引き起こした過去の実例を、現在の中国の指導部は気がつかないのだろうか。

 今のまま進むとすれば、いずれ中国指導層は大衆から激しく突き上げられる時代が来ると思うのだが・・・・・・。

2010年4月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1067.2010年4月15日(木) 国を代表する人物の器の違い

 一昨年の四川大地震に次いで、中国内陸部でまた大きな地震があった。前の地震震源地と600㎞程度しか離れていない、青海省玉樹チベット族自治州玉樹県において起きたM7.1の大災害である。既に600人を超える犠牲者を出しているらしい。チベット人が居住する貧しい山間部で、住宅も土台が弱くて8割の建物が崩壊したと聞く。映像を見る限り貧弱な住居に住む貧しい人びとが罹災者となっている。訪米中の胡錦濤主席は、即座に人命救助を優先して災害救助隊を派遣するよう指示した。自然災害とは云え、犠牲者をお気の毒に思う。

 このたびの核安全サミットにおける鳩山首相の影の薄い存在感に比べて、圧倒的な存在感を与えた胡主席は、今や中国がアメリカと並んで世界の世論をリードする象徴であると評してもいい。実際ワシントン・ポスト紙のコラムでは、胡主席に対して最大の勝者と評価したのに対して、残念ながら鳩山首相は最大の敗者であると決めつけられた。さらに、オバマ大統領は首相に対して普天間移設問題が一向に進展していないと指摘し、首相に不信感を表明した。この不信感を今後どう払拭させることが出来るだろうか。そして基地移設問題をどこに落としどころを見つけるのか。やれやれである。

 さて、一昨年の地震にしろ、今回の地震にせよ、偶然であろうが、前回は北京オリンピック3ヶ月前の惨事で胡錦濤主席が来日中だったが、今回も上海万博1ヶ月前で胡主席が訪米中である。「好事(胡氏)魔多し」を証明することになってしまった。

 中国経済は好調を維持しているようで、今日発表された1~3月のGDP実質成長率は、対前年11.9%の伸びを示した。世界中でひとり勝ちの感がある。貧富の差が激しい中国で、特に取り残されている内陸部の映像を見た限りではではとてもそれだけの経済力があるとは思えない。地震被害を受けた地域の住民は貧しく、事故が起きてもすぐ対応出来ない。結局メンツに拘る中国政府も諸外国の緊急援助を仰がざるを得ないことになる。

 余計なお世話だが、中国は貧富の差の激しい社会構造をもう少し平均的に恩恵を受けられる、中間層の多い国民生活のパターンへ改造していかないと、国民にとっては幸せな生きがいを感じない国になってしまうのではないか。

 振り返ってみると1970年代後半に初めて中国を訪れた当時の写真に見られる、自転車がひしめきあう街頭風景や、紅衛兵の人民服姿などを今日の街の姿と比較してみると、まったく別世界である。一足飛びに経済的に豊かな生活を望み、労働より享楽を選んだ結果が現在のような国の隅々までは恩恵が行き届かない歪んだ社会構造になったのだと思う。

 それにしてもことの是非は別にして中国の存在感と勢いは凄まじいものだ。中国のトップは、近年の日本の総理大臣らと比べてもその差は歴然としている。これは現在の両首脳、胡錦濤と鳩山由紀夫の器と格の違いだろう。今朝の週刊誌の広告でも、わが国総理大臣・鳩山由紀夫はアメリカの一部のメディアでは馬鹿者扱いにされているという。「鳩山総理にアメリカが音を上げた。バカが専用機でやって来た」(週刊文春4.22号)。もうこうなるとがっかりを通り越している。

 歴代首相がほとんど2世政治家の甘いお坊ちゃんばかりということが大きな原因だろうか。苦境を切り開くことができない温室育ちばかりが総理大臣にな(れ)る。トップがこれほど外から馬鹿にされては、情けなさも尋常ではない。坂本竜馬に人気が出てくるわけだ。

2010年4月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1066.2010年4月14日(水) 日本の政治力は劣化する一方?

 どうしてこうも日本の政治がメチャクチャになってしまったのだろうか。昨日から始まった核安全サミットを考えてみると、言い出しっぺはオバマ大統領で、会議を仕切るのもオバマである。47ヶ国首脳が参加した国際会議でありながら、事前にそれほど日本では報道されなかった。開催のテーマが内々に日本政府に伝えられたのも、他の主要国に比べてかなり遅れていたのではないかと思っている。その結果オバマ大統領との公式会談が実現出来たのは10数ヶ国首脳だけであり、その中で最も注目を集めたのは胡錦濤中国主席との会談で、台湾への武器売却、ダライ・ラマ14世との会談、イランへの制裁、などについて話し合ったようだが、一番の懸案事項は、人民元の切り上げ、グーグル問題から透けて見える言論弾圧等々、話し合いのテーマは尽きなかったようだ。これらの問題をすべて話し合ったわけではないが、予定をオーバーして1時間半も両首脳の話し合いが持たれた。

 一方鳩山首相とオバマとの会談は、昨日夕食時間の合間にたった10分間だけだった。それもまったく実りのない非公式会談に過ぎなかった。

 その挙句に次の2012年開催地は韓国に決定した。北朝鮮を意識したものであるにせよ唯一の原爆被爆国であるわが国は、単に「原爆被爆国」という認証札をもらっただけで、被爆国の反原爆活動も惨禍もまったく軽視された事実は捨て置けない。日本が広島か長崎で開催することをアメリカは警戒したのだろう。いずれにせよアメリカの意向が何となく日本を忌避している印象を受ける。一方鳩山首相とオバマとの会談は、昨日夕食時間の合間にたった10分間だけだった。それもまったく実りのない非公式会談に過ぎなかった。

 鳩山首相は政権発足時これからはアメリカに対して物申すと勇ましかったが、膠着している沖縄普天間基地移設問題を始めとして、トヨタ・リコール問題等々を見ても、最近のアメリカの日本に対する態度は決して友好的と言えるものではなくなった。こういうギクシャクした関係を、かつての蜜月まで復活させるためにどうすれば良いのか。鳩山首相には大きな責任がある。

 国内では普天間の移設候補地問題で、名前の挙がった候補地では強い反対運動が起きつつある。この辺りの民主党の物事の決定のやり方が上手くない。今朝の新聞を見ると、「普天間5月決着絶望的」と書かれている。その他にも有明海干拓地問題もこじれている。今日13年目を迎えて、干拓地の扉を再び開けるかどうかで、佐賀県と長崎県で意見が割れ、農業従事者と漁業関係者でもまったく対立している。どうしてこういう馬鹿なことが繰り返されるのだろうか。これは必ずしも鳩山政権の責任ではないが、政治の非力さとか、政治家の好い加減さ、思いやりのなさが偶々表れたに過ぎない。

 こんな状態が続いていると日本は、どんどん劣化していくのではないかと心配である。

2010年4月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1065.2010年4月13日(火) わが国の前途に光明が見えない。

 アメリカのオバマ大統領のお声掛かりによってワシントンで核安全サミット‘NUCLEAR SECURITY SUMMIT’が開催され、日本からも鳩山首相が出席した。核不拡散から最終的にはオバマ大統領の宣言通り核廃絶を目指しているが、各国の思惑に左右されそうな様子で、ことは簡単にはいかない。この会議の一番の目標は、テロリストに小さな核でも手に入れさせないようにすることである。‘Dirty bomb’といわれる核燃料のチリやゴミを含めてのことである。

 それにしても鳩山首相のこの会議における影の薄さはあまりにも情けない。まるで幽霊である。核の安全に関する国際会議で、唯一の被爆国という切り札がある日本の存在があまり顧みられないのはどういうことだろうか。首相だけではなく、外務省の事務方にも問題があるのではないか。

 国際的な評価という点でこんな有様だから、国内的な評価は推して知るべしである。このところ鳩山民主党政権に対する世論の支持が下がりっ放しで、大体各メディアの世論調査でも支持率が30%前後にまで落ちている。これも最近の国際社会における日本の薄い存在感と軌を一にしているのではないか。発足当初は、70%にも達していたのが、その正反対となり、支持しない人も増える一方である。

 民主主義の原則として政権は国民の支持によって支えられていることは言わずもがなである。民主党政権が信頼を失ったとするなら、その対立軸にある自民党が上昇気流に乗るかと思いきや、この党は「伝統」の内部紛争が表面化して一向に支持率が上がらず、民主党と轡を並べて地盤沈下している。結果的に無党派層と称せられる人たちの数が増え、今ではどの調査をみても無党派層が全体の1/3を占める状態である。

 しかし、意見がない人たちが全体の1/3もいることは異常な事態だと言わざるを得ない。国家の政策も戦略もその都度、意見を持たない人びとに尋ねるということになる。これでは国家百年の計なぞ確立しようがないではないか。

 こういう無党派層が増える中で、新たな息吹として新しい政党の誕生が待たれるところだが、先日結党した「立ちあがれ日本」には、あまり好意的な賛同意見が寄せられていない。「反民主党」「非自民党」と打ち出した点が、孤高の存在感を示したが、こういう戦法だと賛否両論の決着をつける際に、キャスティングボードを握ることが出来ないのではないか。それが、ひとつ国民からあまり期待を寄せられない原因ではないだろうか。それに、中心人物の与謝野馨氏と平沼赳夫氏の郵政民主化に対する考え方が正反対であり、それが不満分子の寄せ集め集団と見られ、国民から信頼されない最大の原因なのではないだろうか。

 国内的にも国際的にもわが国の前途には一向に光が見えない。

2010年4月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1064.2010年4月12日(月) 井上ひさしさん逝く。

 作家・井上ひさしさんが肺がんのため9日亡くなられた。9日朝退院して鎌倉の自宅へ帰ったその晩に容態が急変して、家族に看取られながら逝かれた。

 健康上の理由からだろうか、日本ペンクラブの会長も1期しか務められず、現会長・阿刀田高氏へ譲られた。4年前の日本ペンクラブ総会では、総会議長の役割を担うべき職責にあったが総会を欠席された。その当日、井上夫人の実姉である作家・日本ペンクラブ理事の米原万里さんが亡くなられたからである。2度ばかり議長としての采配ぶりを間近に拝見させてもらったが、どことなくユーモラスな語り口だったような記憶がある。

 昨夕刊と今朝刊が休刊だったので、記事が溜っている筈なのに、今夕刊を見ると意外なくらい井上さんの訃報に大きなスペースを割いている。あまり気がつかなかったが、それだけ存在感が大きかったのだ。前会長の哲学者・梅原猛氏、現会長の阿刀田高氏、演出家の蜷川幸雄氏らが死を惜しむコメントを述べている。作家として、劇作家としてたくさんの小説、演劇作品を残した。文化功労者でもある。

 氏を有名にしたのは、本業以外で遅筆家としてである。台本が間に合わず、度々公演の延期や中止があり、本気なのか冗談なのか自らを「遅筆堂」と名乗っていた。前夫人とのどたばた離婚も世間の注目を集めた。

 NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」の原作者であり、「吉里吉里人」のユーモア溢れる作風とストーリーはあまりにも有名で、実際読んでいても面白く、つい含み笑いをしてしまったくらいである。結末があまりにも意外で呆気に取られた。何でも大切なものを隠した場所がトイレットの「キンカクシ」だった。思わず噴出してしまった。こういう馬鹿げた話を真面目に取り上げて小説にしてしまうところが井上流らしい。何でも「・・・まじめなことをおもしろく、おもしろいことはいっそうおもしろく」と言っていたそうである。そう言えば、どうやらこの「キンカクシ」というのが、強烈なエスプリを効かせるのか、先日友人・呉忠士くんから送ってもらった手紙のコピーを思い出す。

 手紙とは、呉くんの父上で古代ギリシャ文学の碩学・呉茂一東大教授へ宛てた弟子三島由紀夫の手紙である。三島はその手紙の中で、自作品「金閣寺」について大岡昇平が「キンカクジ」ではなく、「キンカクシ」と読んだと言って呆れている。「キンカクシ」というと大抵は碌なものを思い出さないが、小説のネタや、文学者が使うと「キンカクシ」も多少格が上がるから不思議なものである。

 いずれにせよ、異色な作家はまだ75歳だった。惜しい人をまた喪った。ご冥福をお祈りする。

2010年4月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1063.2010年4月11日(日) 世界が注目する2つの事件

 昨日衝撃的な事件が2件起きた。ひとつは、ポーランドのカチンスキ大統領夫妻、中央銀行総裁、軍幹部らポーランド要人が搭乗した同国特別機が、ロシア西部スモレンスク州カチン周辺で墜落炎上して搭乗員を含む96人全員が亡くなったニュースであり、もうひとつはタイ・バンコック市内で警察と前首相タクシン派デモ隊の衝突により、ロイター通信の日本人カメラマンが昨年のビルマ騒動に続き亡くなった、残念なニュースである。

 前者は、今年70年目を迎えた「カチンの森事件」犠牲者約2万2千人のための追悼式典に出席するため現地へ向かう途上で事故に遭った。「カチンの森事件」については、つい2年ほど前まで寡聞にして知らなかった。1940年第2次世界大戦中に、ロシアがポーランド軍将兵を大量虐殺したとして、ロシアにとっては心の棘となっていた事件であり、つい最近まで頬被りをしていたが、近年その事実を率直に認め公表してポーランドとの和解を図っていた矢先の不慮の事故である。不思議なことに、すでに1度追悼式典を行い、プーチン首相が弔意を表したその式典にポーランドのトゥスク首相も出席している。大統領は首相とは肌が合わず、何らかの思惑があるようで最初の式典に出席せず、改めて2度目の式典に出席する予定だった。理由はともかく、大統領夫妻にとっては不運だったとしか言いようがない。

 後者は、タイ・アピシッド政権と対立しているタクシン前首相派の反政府集会の取材中にデモに巻き込まれ命を落とした。死者は21名に上がる。4年前の軍部クーデター事件以来タイ政権は不安定な状態が続いている。これまでは、東南アジア諸国でも比較的政権が安定していると言われていたタイだが、最近政治の不安定と社会秩序は少々酷い。タイ在住の日本人も不安が消えないとこぼしていた。タイの政情が不安定になると、いずれその不安は近隣諸国に伝播して、アジア全域が不安定になる。すると経済活動に影響が出て日本にも余波が押し寄せてくる。何とかタイの政情が落ち着いてくれることを祈りたい。

2010年4月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1062.2010年4月10日(土) 外交機密文書裁判で原告団が全面勝訴

 民主党政権になって以来、外交文書密約について外務省も広義の密約があったという言い方で密約を認めた。しかし、どうにもすっきりしなかったのは肝心の外交文書を紛失したとの外務省側の説明である。国家機密が盛られた重要文書が無くなっても、それを公式に発表しないばかりでなく、関係者が誰1人として誤りを認めようともせず、責任もとろうとしないことである。日米間の外交文書という重要書類がいかに時は経過したとはいえ、重要書類だけに管理責任者が金庫へしっかり保管し、閲覧の際にも目を光らせておけば、そう簡単に自然紛失するものではないのではないかとの疑問は以前からあった。密約がありながら、ないと嘘の証言を繰り返してきた政治家や外務省幹部職員にとって、隠し通せなくなって都合が悪くなり意図的に廃棄処分したのではないかとの疑念が拭いきれない。

 折りも折昨日東京地裁は、密約の存在を認定したうえで、文書は極めて重要性が高く、国が保有していると判断した。それにも拘わらず充分探さずに不開示としたのは違法と述べ、外務省と財務省に関連文書を全面開示するよう命じた。さらに、国民の知る権利をないがしろにした対応は不誠実とまで決め付けた。紛失されたとされたこれらの外交文書は、永久保存対象など重要性が極めて高く、外務省などの通り一編の調査だけでは合理的かつ十分な探索をしたとはいえず、廃棄されたとも認められないとして文書の存在も認定した。

 つまり裁判所として外交文書は外務省が隠匿していると看做している。判決では、歴代外務事務次官をはじめ、文書作成の時期移行に関与した可能性のある者に聴取することが求められるとして、徹底した再調査をするよう求めた。ここまではっきり証拠の提出を求められるとは考えていなかった岡田外相もちょっと戸惑い気味である。だが、司法はそう認定した。外相は裁判所に対して控訴も検討しているなどと馬鹿なことを言っているが、最早矢は放たれた。裁判所も指摘しているように、すぐさま歴代外務次官以下に事情聴取するべきではないか。さもないと外交機密があったかどうかを徹底的に内部調査すると言った手前、外相も格好がつかなくなるのではないだろうか。

 これまでとかく官には逆らわずという諦めムードと、役所がすべて調べたという言葉を本当かどうかまで追求する裁判はなかったような気がする。その意味では、好い加減に対処する役所の体質に鉄槌を下したとも受け取れる。

 それにしても本裁判の原告団の中心人物・西山太吉氏の国家に対する真相究明の辛抱強い戦いには頭が下がる思いである。今晩NHKドキュメンタリー45分番組「追跡!A to Z-密約問題の真相を追う」でも、事件の本質と裁判の経緯が詳しく放映された。

 今月2日に広島球場グランドで倒れ亡くなったプロ野球巨人軍・木村拓也コーチの葬儀が広島市内で行われたが、その場面をNHK7時のニュースで放送したのは極めて珍しい。昨年まで現役プレーヤーとして活躍し、今季からコーチとしてスタートしたばかりだった。練習熱心で、人柄も良く人望もあったようだ。それが、野辺の送りに多くの人が集まった原因だろう。偶々そこで弔辞を述べていたのが、ゼミの友人で巨人軍オーナーの滝鼻卓雄くんだった。最近会う機会が少なくなったが、読売新聞社社長を辞めてもまあ元気そうで安心した。

2010年4月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1061.2010年4月9日(金) 米ロ、核軍縮へスタート

 やはり今朝の新聞のトップ記事は、「米ロ、核軍縮条約署名」だった。アメリカのオバマ大統領とロシアのメドベージェフ大統領が新たな核削減条約に署名した。昨年4月8日チェコのプラハでオバマ大統領が核廃絶に向けて電撃的な宣言を行い、世界中をあっと言わせた。実現には多くの課題があるが、これまで拡大に次ぐ拡大の道を歩んできた核開発に一時的にストップをかけたことは評価されるべきである。実際、米ロ両国の所有する核は全世界が持つ核の約9割に相当するので、強いメッセージとなった筈である。オバマ大統領へのノーベル賞受賞が、1年後の大統領のスピーチとなり、昨年のスピーチと同じプラハで、2大核保有国が揃って軍縮について発表することになった。

 まだまだ前途は遼遠である。実際オバマ大統領は「長い旅の一歩」と語り、これから戦術核や保管中の核兵器の削減を進めるとの考えを示した。

 しかし、核保有国の間で核不拡散条約(NPT)により核保有を認められている英仏中は、米ロに次いで自ら核を削減しようという動きを示そうとの考えはないようだ。サルコジ・仏大統領の如きは、減らすことはいいことだが、米ロが自分たちの保有量まで減らしたら、自分たちも削減を考えようとまったく不誠実なコメントを述べている。中国もほぼ同じような考え方である。これでは広島や長崎市民を始め、多くの平和を願う人びとの核廃絶へ向けた願いを逆撫でするようなものだ。それほど一旦広げた核拡散の流れを元へ戻すのは難しいということでもある。

 それにしても、つくづくオバマ大統領とメドベージェフ大統領の舞台回しの上手さに舌を巻く。日本ももう少し外交舞台で上手く立ち回ることができないだろうか。

 JN協会の4月定期セミナーは、ラオスについて「千葉県JICAシニアボランティアの会」の後藤優さんと仰る方が話された。ラオスについては、ベトナム戦争中パテト・ラオの活動を通じてかなり関心を持っていたが、実際には行ったことがない。ラオスは今もって貧しい国で、日本の有償、無償協力援助により開発が進められている。そんな恩義を感じてか、海のない国でありながら、鯨の捕獲に対して国際委員会で日本の立場に理解を示してくれている。

 しかし、国家として経済発展の阻害となったベトナム戦争が終っても、相変わらず復興、発展は遅々として進まず、周辺諸国に大きく立ち遅れているのが現状である。ラオスの現状についてパワーポイントを使いながら、現地に足を置いた活動をしなければ分からないことをたっぷり話してくれた。

 昔ビルマ巡拝慰霊団をお世話していた頃に、戦時中ビルマ・メイクテーラ周辺に作戦展開していた第5飛行師団隷下第52飛行場大隊の旧軍人さんから何度か生々しい話を聞いた。第52飛行場大隊に所属していた岩村さん?という方が、終戦後部隊から脱走しラオスへ侵入して、現地有力者の娘と結婚してラオス軍内部で昇進し、ラオス陸軍士官学校長にまで上り詰めた。ラオス軍兵士の教育に当たり旧日本軍仕込の厳しいやり方で辣腕を揮っていた。事実NHKドキュメンタリー番組で、岩村?陸軍士官学校長が軍服を身につけ溌剌とした活躍ぶりを観た記憶がある。ベトナム戦争が終わり王室系の保守政権が倒れ、岩村さんは失職した。

 しかし、前政権時代にラオス政府と現地の日本大使館とのパイプ役も務めたので、大使館に嘱託雇用されていたと戦友会で伺った。しばらくして岩村さんの消息は、すっかりマス・メディアから聞かれなくなった。

 後藤さんは、長らくラオスに滞在して活動していたので、その辺りの事情についてひょっとすると知っているのではないかと考えたが、ご存知ではなかった。特殊なケースなので、関係のあった在ラオス日本大使館に確認するのが手っ取り早いかも知れない。後藤さんは、日本人のラオス関係者に尋ねてみるというお話だった。

 岩村さんを過酷で波乱の運命へ引きずり込んだのは、あの大東亜戦争である。核削減により多少明るさが見えてきたとは言え、たったひとつの核保有でも戦争の危険を孕んでいる。何とか戦争への道を途絶させる術はないものか。

2010年4月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1060.2010年4月8日(木) 理不尽な賃金未払い労働

 近所にイタリア・レストランがある。そのチェーン店のアルバイト店員が残業代の未払い分を要求して裁判を起こした。労働基準法に変形労働時間制というのがあり、一定期間の労働時間が平均週40時間以内であれば、特定の日に8時間を越えて働かせることができる。このチェーン店はこの法律を乱用して1日8時間を超える労働時間分に賃金を支払わなかった。この未払いに対して店員が訴訟を起こし、当然の結果として、昨日裁判所はレストラン側に支払いを命じる判決を下した。

 賃金未払いに関して自分自身の経験上こんなことがあった。鉄道会社入社後1年半の間見習い駅員として駅の現場で日夜働いたが、当時は24時間勤務の隔勤勤務という特殊な勤務体制が施行されていた。朝9時から翌朝9時まで勤務した後仕事から解放され、翌朝9時に出勤してまた翌々日の朝9時まで働く勤務状態だった。

 ある朝、明け番となって帰ろうとしていた時、不意に当時の駅助役から呼び止められた。勤務駅近くに住む本社直属部署管理職自宅の大掃除を、勤務に当たる先輩に手伝ってもらうから、明け番で帰ってもいいが、出来れば先輩の代わりとしてそのまま勤務を続けて欲しいと頼まれ、大掃除の終る夕刻まで引き続いて駅に勤務して、結果的に一昼夜半勤務をすることになった。先輩がボランティア活動で開けた穴を、私が業務として肩代わりする結果となった。

 夕方になり手伝いを終えて戻ってきた先輩に業務を引き継ぎ、やっと仕事から解放されたが、結局手伝った先輩は上司に好い顔をし、一方でそのまま勤務を続けた私は賃金に値するものは何ももらえなかった。無償で働いたことになった。新人社員でもあった私は、そのまま黙って引き下がったが、その時言い知れぬ理不尽さを感じ、大学ゼミの恩師にその事実をお話したことがある。労働問題の専門家である恩師は、はっきりこれは看過し出来ない問題だと仰っておられた。話を聞いた亡父も、この行為は従業員をタダで働かせるものだと怒っていた。新人であるが故に騒いでことを荒立てることは本意でなかったので、そのまま黙って放念することにしたが、その事実に割り切れなさを感じ、終日不愉快でならなかったことを思い出す。

 他にもこういう理不尽な扱いを受けた駅員もいたのではないかと思う。あの時代は、適当に上司にゴマをすり、点数稼ぎをする人間がいる反面、そんな気持ちをうまく利用したずるい上司がいたのだろう。いつも皺寄せを受けるのは、タダ働きのペエペエである。もう亡くなったが、あの時大掃除を手伝ってもらった管理職や、その手配をした助役は、部下である見習い駅員を1日私的なことで時間外に働かせたことに対して、その時何の痛痒も感じなかったのだろうかと今でも不信感が残っている。

 今なら大きな問題となりそうな、こんな馬鹿げたことはしないと思うが、半世紀近くも前はまだまだ、労働者は本音や正論を言えず押さえつけられていた。そして、現場には上司に逆らえない「物言えば唇寒し」の空気が流れていた。アルバイト店員とは言え、きちんと裁判で筋を通したことは勇気のいることであり、訴えたのは気骨のある人だと思う。

2010年4月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1059.2010年4月7日(水) アメリカ、核制限へ新戦略

 オバマ大統領が中期的な核政策の指針、核戦略見直しを発表した。ふたつほど大きなポイントがある。ひとつは、アメリカは核不拡散条約加盟国で核不拡散条約を遵守する非核保有国に対しては核攻撃をしないということと、もうひとつは新たな核弾頭開発をしないということである。

 昨年4月8日にオバマ大統領がチェコ・プラハで将来の核廃絶「核なき世界」を目指すとのスピーチを行った。それを国際社会は高く評価し、一斉に歓迎し、大いに期待した。それが、昨年オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した大きな理由となった。ノーベル賞委員会は、平和に対して確たる実績のないオバマ大統領に、敢えてノーベル平和賞を授与することにより、平和への貢献を無言のうちに望んでいたのである。今日のスピーチは取り敢えずオバマ大統領のひとつの理念と構想を発表する形となった。

 しかし、戦争なんて相手国に先制攻撃をかけることにより優位に立つことが出来る。過去の戦争を見てみても相手国を出し抜くことで戦われてきた例は数限りなくある。核保有国も非核保有国も、果たしてどこまでオバマ・ステートメントを信用し、また先制攻撃をかけないと言えるだろうか。理想がどこまで現実の世界で実現出来るか。それでもなおオバマ大統領の心意気は大いに善しとしたい。今後もオバマ大統領の行動を注目して見てみたい。

 さて、案の定というべきか、新党結成を目論んで自民党を離党した与謝野馨氏らの行動に対して、メディアの評価は厳しい。取り敢えず意思を表明した議員が4人である。あと1人が参加して党員5人にならなければ政党助成法の対象にはならない。しかも4人の平均年齢が69歳とやや高齢で、フレッシュな若者の出現が望まれている現状ではあまり評判がよろしくない。母校の先輩である石原慎太郎・東京都知事がバックアップしているようだが、ムード的にも新党発足時に漂う清新さとかエネルギーのような、新しい政治を起こすという期待感とか、わくわくするような高揚感のようなイメージが湧いてこない。それに政策的にもただ民主党を倒すためと言っているが、具体的な政策とかビジョンを明確に打ち出さないことも彼らの目指す目的が明確に伝わらない原因だろう。

 幸いにして72歳でやや年齢が高いが、中川義雄参議院議員が自民党を離党して新党への参加を示唆している。これで取り敢えず政党助成法の成立要件を満たすこは出来そうだ。さらに石原都知事が新党を「たちあがれ日本」と命名した。漸く党としての形が出来て出発出来ることになりそうだ。

 それにしても、これまでの経緯を見ていると政党を新たに立ち上げるというのは、如何に大変であるかと想像出来る。これだけの大物が寄り集まっても中々同士を集められない。ずばり言えば、リーダーである与謝野氏と平沼氏にかつての魅力がなくなったからだろう。

2010年4月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com