近所にイタリア・レストランがある。そのチェーン店のアルバイト店員が残業代の未払い分を要求して裁判を起こした。労働基準法に変形労働時間制というのがあり、一定期間の労働時間が平均週40時間以内であれば、特定の日に8時間を越えて働かせることができる。このチェーン店はこの法律を乱用して1日8時間を超える労働時間分に賃金を支払わなかった。この未払いに対して店員が訴訟を起こし、当然の結果として、昨日裁判所はレストラン側に支払いを命じる判決を下した。
賃金未払いに関して自分自身の経験上こんなことがあった。鉄道会社入社後1年半の間見習い駅員として駅の現場で日夜働いたが、当時は24時間勤務の隔勤勤務という特殊な勤務体制が施行されていた。朝9時から翌朝9時まで勤務した後仕事から解放され、翌朝9時に出勤してまた翌々日の朝9時まで働く勤務状態だった。
ある朝、明け番となって帰ろうとしていた時、不意に当時の駅助役から呼び止められた。勤務駅近くに住む本社直属部署管理職自宅の大掃除を、勤務に当たる先輩に手伝ってもらうから、明け番で帰ってもいいが、出来れば先輩の代わりとしてそのまま勤務を続けて欲しいと頼まれ、大掃除の終る夕刻まで引き続いて駅に勤務して、結果的に一昼夜半勤務をすることになった。先輩がボランティア活動で開けた穴を、私が業務として肩代わりする結果となった。
夕方になり手伝いを終えて戻ってきた先輩に業務を引き継ぎ、やっと仕事から解放されたが、結局手伝った先輩は上司に好い顔をし、一方でそのまま勤務を続けた私は賃金に値するものは何ももらえなかった。無償で働いたことになった。新人社員でもあった私は、そのまま黙って引き下がったが、その時言い知れぬ理不尽さを感じ、大学ゼミの恩師にその事実をお話したことがある。労働問題の専門家である恩師は、はっきりこれは看過し出来ない問題だと仰っておられた。話を聞いた亡父も、この行為は従業員をタダで働かせるものだと怒っていた。新人であるが故に騒いでことを荒立てることは本意でなかったので、そのまま黙って放念することにしたが、その事実に割り切れなさを感じ、終日不愉快でならなかったことを思い出す。
他にもこういう理不尽な扱いを受けた駅員もいたのではないかと思う。あの時代は、適当に上司にゴマをすり、点数稼ぎをする人間がいる反面、そんな気持ちをうまく利用したずるい上司がいたのだろう。いつも皺寄せを受けるのは、タダ働きのペエペエである。もう亡くなったが、あの時大掃除を手伝ってもらった管理職や、その手配をした助役は、部下である見習い駅員を1日私的なことで時間外に働かせたことに対して、その時何の痛痒も感じなかったのだろうかと今でも不信感が残っている。
今なら大きな問題となりそうな、こんな馬鹿げたことはしないと思うが、半世紀近くも前はまだまだ、労働者は本音や正論を言えず押さえつけられていた。そして、現場には上司に逆らえない「物言えば唇寒し」の空気が流れていた。アルバイト店員とは言え、きちんと裁判で筋を通したことは勇気のいることであり、訴えたのは気骨のある人だと思う。