1061.2010年4月9日(金) 米ロ、核軍縮へスタート

 やはり今朝の新聞のトップ記事は、「米ロ、核軍縮条約署名」だった。アメリカのオバマ大統領とロシアのメドベージェフ大統領が新たな核削減条約に署名した。昨年4月8日チェコのプラハでオバマ大統領が核廃絶に向けて電撃的な宣言を行い、世界中をあっと言わせた。実現には多くの課題があるが、これまで拡大に次ぐ拡大の道を歩んできた核開発に一時的にストップをかけたことは評価されるべきである。実際、米ロ両国の所有する核は全世界が持つ核の約9割に相当するので、強いメッセージとなった筈である。オバマ大統領へのノーベル賞受賞が、1年後の大統領のスピーチとなり、昨年のスピーチと同じプラハで、2大核保有国が揃って軍縮について発表することになった。

 まだまだ前途は遼遠である。実際オバマ大統領は「長い旅の一歩」と語り、これから戦術核や保管中の核兵器の削減を進めるとの考えを示した。

 しかし、核保有国の間で核不拡散条約(NPT)により核保有を認められている英仏中は、米ロに次いで自ら核を削減しようという動きを示そうとの考えはないようだ。サルコジ・仏大統領の如きは、減らすことはいいことだが、米ロが自分たちの保有量まで減らしたら、自分たちも削減を考えようとまったく不誠実なコメントを述べている。中国もほぼ同じような考え方である。これでは広島や長崎市民を始め、多くの平和を願う人びとの核廃絶へ向けた願いを逆撫でするようなものだ。それほど一旦広げた核拡散の流れを元へ戻すのは難しいということでもある。

 それにしても、つくづくオバマ大統領とメドベージェフ大統領の舞台回しの上手さに舌を巻く。日本ももう少し外交舞台で上手く立ち回ることができないだろうか。

 JN協会の4月定期セミナーは、ラオスについて「千葉県JICAシニアボランティアの会」の後藤優さんと仰る方が話された。ラオスについては、ベトナム戦争中パテト・ラオの活動を通じてかなり関心を持っていたが、実際には行ったことがない。ラオスは今もって貧しい国で、日本の有償、無償協力援助により開発が進められている。そんな恩義を感じてか、海のない国でありながら、鯨の捕獲に対して国際委員会で日本の立場に理解を示してくれている。

 しかし、国家として経済発展の阻害となったベトナム戦争が終っても、相変わらず復興、発展は遅々として進まず、周辺諸国に大きく立ち遅れているのが現状である。ラオスの現状についてパワーポイントを使いながら、現地に足を置いた活動をしなければ分からないことをたっぷり話してくれた。

 昔ビルマ巡拝慰霊団をお世話していた頃に、戦時中ビルマ・メイクテーラ周辺に作戦展開していた第5飛行師団隷下第52飛行場大隊の旧軍人さんから何度か生々しい話を聞いた。第52飛行場大隊に所属していた岩村さん?という方が、終戦後部隊から脱走しラオスへ侵入して、現地有力者の娘と結婚してラオス軍内部で昇進し、ラオス陸軍士官学校長にまで上り詰めた。ラオス軍兵士の教育に当たり旧日本軍仕込の厳しいやり方で辣腕を揮っていた。事実NHKドキュメンタリー番組で、岩村?陸軍士官学校長が軍服を身につけ溌剌とした活躍ぶりを観た記憶がある。ベトナム戦争が終わり王室系の保守政権が倒れ、岩村さんは失職した。

 しかし、前政権時代にラオス政府と現地の日本大使館とのパイプ役も務めたので、大使館に嘱託雇用されていたと戦友会で伺った。しばらくして岩村さんの消息は、すっかりマス・メディアから聞かれなくなった。

 後藤さんは、長らくラオスに滞在して活動していたので、その辺りの事情についてひょっとすると知っているのではないかと考えたが、ご存知ではなかった。特殊なケースなので、関係のあった在ラオス日本大使館に確認するのが手っ取り早いかも知れない。後藤さんは、日本人のラオス関係者に尋ねてみるというお話だった。

 岩村さんを過酷で波乱の運命へ引きずり込んだのは、あの大東亜戦争である。核削減により多少明るさが見えてきたとは言え、たったひとつの核保有でも戦争の危険を孕んでいる。何とか戦争への道を途絶させる術はないものか。

2010年4月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com