1178.2010年8月4日(火) ロシアの「第2次世界大戦終結の日」とは何だ?

 先月ロシアは日本が降伏文書に署名した9月2日を一方的に「第2次世界大戦終結の日」という記念日に決めた。ロシア国内の国事行為とは言え、ロシアが北方領土の実効支配を正当化することを恐れた日本政府は、ロシア政府に見合わせるよう伝えていたが、結局覇権国家・ロシアが独断的な考えを引っ込めるはずもなく、ロシアにとって特別の記念日となった。

 夜にNHK「クローズアップ現代」では北方問題を取り上げ、「北方問題の真相」と題してロシアの終戦直後の北方4島への侵略・占領を伝えていた。ロシアの図々しさには、今更ながら驚き呆れるばかりである。

 現在沖縄の米軍基地ばかりが騒がれているが、戦後旧ソ連とロシアが行った山賊行為、日本兵のシベリア抑留と北方4島の実効支配は、考え方によってはもっと強引であくどい。冒頭の記念日は、その日にちを9月2日に決めることによって、ロシアの4島支配を戦利品として認めさせようとの意図がありありである。日本がポツダム宣言を受け入れ降伏宣言をしたのは、8月15日であることは国際的にも承認されている。そもそもそのポツダム会談にはソ連から軍服を着たスターリンが偉そうに出席して、その一部始終を承知していたのではなかったか。ポツダム会談の目的は第2次大戦の戦後処理と日本を早く降伏させることであり、ソ連の強引な漁夫の利を容認するものではなかった筈である。しかもポツダム会談が終ったのは8月2日だった。スターリンが8月15日の日本の降伏宣言を知らないわけがない。手続き上書名は9月2日になったが、それを日本の降伏日とこじつけるにはいかにも無理がある。

 ロシアには、シベリア抑留について抑留中に生命を落とした日本兵と日本国民に謝罪する責任だってあるのではないだろうか。戦後60万人近い日本兵を厳しい条件下に抑留し、ほぼ1割の兵士を死に至らしめた。そのうえに北方領土の永久占領とは、盗人猛々しいにもほどがある。この件については、旧ソ連と現ロシア政府ともにまったく知らん顔である。

 日本政府もロシア政府に対して筋道を立てて論理的に日本の立場を強く主張するべきではないだろうか。勝者と敗者であってもこんな理不尽なパフォーマンスをされては、堪ったものではない。うかうかしているとロシアには、北方4島の次に、利尻・礼文島まで奪われるような悪夢を見させられそうだ。

2010年8月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1177.2010年8月3日(月) 先の戦争の正式名は何と呼ぶのか。

 朝日夕刊の「終わりと始まり」という連載エッセイ欄に作家・池澤夏樹氏が、「(土地の名・戦争の名)呼称の困難について」と題する文を寄稿している。いろいろなものの名前に関心があり、こだわりもあるようだ。わが自宅近くの自由が丘の名のいわれについても、語源は学校名から来ているという。自由が丘は丘ではないともいう。確かにそれほど大きな丘ではないが、東横線自由が丘駅前ロータリーから自由通りを通らず目黒通り方面へ向かえば、石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」と呼ばれているなだらかな上り坂がある。自由通りに出れば、そこには「自由が丘学園」がある。この学園も歌手・舟木一夫が卒業し、歌った「高校三年生」のモデル校である。池澤氏が言うように、この学園の名前を拝借したのかどうかは分らない。

 それより池澤氏が触れた戦争の名の方が気になる。65年前に終戦となった先の戦争である。開戦直後に当時の東條英機内閣が閣議で「大東亜戦争」と正式に名づけた筈であり、その事実を知ってから私自身それまで太平洋戦争と呼んでいたのを「大東亜戦争」と言い、講演などでもそう話している。

 池澤氏によると大東亜戦争という言い方は敗戦後使えなくなったらしい。それで何と呼ぶべきか困っている。日中戦争と呼んではアメリカが見えなくなり、太平洋戦争と呼んでは日中がすっぽり抜けると悩んでいる。そこで第2次大戦でドイツに東部戦線と西部戦線があったように、日本にも大陸戦線と太平洋戦線があったということにしようということで、エッセイはチョンとなっている。だが、こうも付け加えている。アジア・太平洋戦争と呼ぶのが一般的らしいが、アジアという名はトルコ方面まで含めるので広すぎるのではないかと。

 戦後65年にもなってまだ正式に戦争の名をつけないのはどうしてだろうか。前九年の役、後三年の役、壬申の乱、壇ノ浦の合戦、応仁の乱、関が原の戦い、川中島の戦い、戊辰戦争、西南戦争、日清・日露戦争、等々のようにすべて大戦争には正式な名前がついているから後世の人間が記憶に留めるのに役立つのだ。これではあと65年も経ったら、「戦前は大東亜戦争と呼ばれたが、戦後は名前がない」戦争とでも呼ばれるようになるのだろうか。

 これを連鎖反応と呼ぶのだろうか。1966年冬航空機墜落事故が3件も連続して起きたが、今度は山の遭難事故と高齢者の行方不明の連鎖である。特に後者の高齢者について、各自治体が百歳以上の高齢者を自発的に調査したら出るわ出るわ後から後から、行方不明者が明らかになった。都内でも港区、荒川区、八王子市などから、また名古屋市でも、静岡県、長野県からも不明の高齢者が明らかになった。流石に長妻昭・厚生労働相も、110歳以上の高齢者で年金受給者については各自治体が訪問して本人に会って確認するよう指示したと記者会見で応えた。

2010年8月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1176.2010 年8月2日(月) 2人のジャーナリストはなぜガイドの忠告を無視したか。

 小型航空機やヘリの墜落事故が頻発している。それも登山事故とリンクしているから不思議である。その中でもオヤッと思ったのは、秩父山中で遭難者を救出中にヘリが墜落して5名が亡くなり、遭難者も結局死亡した事故である。救われるべき者も救うべき者も死んでしまっては、何のための救出活動だったのか、脱力感が拭えない。

 ところが、昨日この遭難事故を取材しようと山中に入った日本テレビの記者とカメラマンが沢で亡くなった。この2人は、当初ガイドに案内されて事故現場へ向かったが、沢登りをするには軽装すぎるし、天候が悪化しそうだと考えたガイドの決断で引き返した。その後2人はガイドを連れずに山へ入り、結局遭難死した。

 日本テレビ側とガイドの言い分が食い違っていて、真実ははっきりしない。しかし、状況証拠からするとガイドの言うことが正しいようだ。大体ガイドが止めようと言ったことを軽視して、敢えて強行した強引な行動が事故につながったと思う。

 やはり2人は山を舐めていたとしか言いようがない。特に、カメラマンは大学山岳部に属し、仕事でもヒマラヤを始め海外の山を度々歩き登山経験は充分だったようだ。だが、私の浅い登山経験から言っても、尾根歩きと沢登りは大分違う。今度の秩父山中の事故現場は、どちらかと言えば沢登りである。これに対して服装は沢登りのものではなかった。日本テレビは、問題なかったと思っていると好い加減な説明をしていたが、やはり会社側に責任ありだと思う。

 一昨日ブログで111歳の男性がミイラ化していたことについて書き込んだ。ところが、今日杉並区では113歳の都内最高齢者の女性が住民登録をしているアパートに住んでいないというミステリーもどきが明らかになった。これだって111歳の男性の事件を受けて、杉並区がその女性を調べた結果判明したらしい。常識的には長寿の方なので近隣の人びとがお祝いするのが普通だが、今度の2件はいずれも近所付き合いがまったくなく、そういう人がいるとも知らなかったというのが近所の話だ。近所の人々と関わりを持たなくなったというのが、昨今の風情である。もう昔あった向う三軒両隣のような隣組の人情は消えてしまったようだ。寂しい時代になったものである。

2010年8月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1175.2010年8月1日(日) 日本人の人口減少

 総務省が昨日発表した今年3月末の人口調査によると、総人口は1億2,705万人で3年ぶりの減少である。47都道府県の内38府県で減少した。逆に人口が増えたのは大都市圏で、東京、名古屋、関西圏内の大都市への流入が連綿と続いている。

 今や少子高齢化は大きな問題となっているが、その傾向の一端として65歳以上の人口が25%を超えている県が20県もある。高齢者とされる、日本人の65歳以上の人口が平均25%を超えるのは、2015年と言われている。因みに四国4県はすべて25%を超えているので、すでに2015年の日本のスタンダードに達している。それらの県では、いずれも財政的に苦境に追い込まれている。

 これはいずれわが国が直面する難題が、単に部分的に現れてきただけである。国は益々財政的に苦しくなる一方である。早い内に対策を講じないといけない。それには、やはり国として消費税値上げを真剣に検討する必要がある。民主党は、参院選前に菅首相が消費税について触れた発言のせいで大敗を喫したとして、一昨日の両院議員総会で総括し菅首相をつるし上げ、消費税論議を彼方へ追いやってしまった。本末転倒である。国の財政が大事なのか、自分たちの主導権争いが大切なのか、いつもながらの政治ゴッコに呆れるばかりである。

 さて、宮内庁が所蔵の公式文書原本控えなどを公開した。その中には、桂小五郎の求めに応じて坂本龍馬が薩長同盟の成立を保証するために認めた「薩長同盟裏書」や、「五箇条の御誓文」の原本控えなど、幕末・明治維新の激動を伝える貴重な記録がある。今夜の大河ドラマ「龍馬伝」で、小五郎と龍馬がからんだ薩長同盟の厳しいやりとりを放映していたが偶然だったのだろうか。 宮内庁がどうして今頃になってこのような資料を公開したのか、その真意は判然としないが、もう少し早く公開してそのコピーを書籍で紹介してくれれば、もっと歴史に興味を覚えた人が増えただろう。

 宮内庁の役人は自分たちなりに、国のため、皇室のためを慮って閉鎖性に拘っているように見えるが、どうも戦後の文明開化?に逆行しているのではないか。もっと史実を正確に伝えるため、国民のために秘蔵の情報公開に踏み切って欲しいものである。

 夜のNHKスポーツニュースで高校野球の沖縄県代表校・興南高校の練習風景を紹介していた。春の選抜で優勝した実力校であるが、それだけに監督は自分たちのやり方に絶対的な自信があるのだろうか、首を傾げたくなるシーンがあった。甲子園出発前に炎天下の練習で選手全員がユニフォームの下にビニールのウィンドブレーカーを着込んでいた。強い日射が気になる中で、全員が普通より汗をかく格好で練習に励んでいたのだ。暑い甲子園に慣れるためと称していたが、炎天下で必要以上に厚着で練習する異常なパフォーマンスは、少々行過ぎて無茶だと思う。こんな一時代前のスパルタ練習が特に医学的な根拠もなく、ひとりの監督の浅はかな思い込みだけで選手たちにハードワークを強いているのはあまりにも常識を欠いていると思う。この監督は高校のクラブ活動の指導者として果たして適任なのかどうか。事故が起きてからでは遅いと思う。

2010年8月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1174.2010年7月31日(土) スイス「氷河特急」転覆事故原因

 1週間前スイスで「氷河特急」が横転転覆して日本人観光客が死亡したが、昨日事故調査局が事故原因は運転士の速度制限超過と断定した。それまで日本の専門家あたりが気候の寒暖差によるレール損傷とか、車輪のせり上がりとか、道床の弛みとか、いろいろ言っていたが、何のことはない。単純なスピード違反だったわけである。

 しかし、どうも納得がいかない気がする。本当にスピード違反だけが原因だろうか疑念がある。というのは、鉄道会社としては鉄道、及び施設の整備不良が原因だとなると会社全体が責任を負い、完全な復旧工事を終えるまで運行許可が出ない。最高の稼ぎ時に長期間の運行休止は絶対に避けたいところである。1人の運転士の責任として処分してしまえば、後に残らない。さらにスピード違反との根拠に、あまりにも運転状況の詳細な原因を発表したのは出来過ぎと思われても致し方がない。

 制限速度が時速35㎞のカーブ区間から55㎞の直線区間へ入った時点で加速したため、まだ最後尾の1両前の車両が35㎞区間にあるにも拘わらず55㎞区間のスピードで走行して最後尾車両が脱線したと分析したのである。このピーク・シーズンに稼がなければとの想いは、事故調査結果を発表する前にすでに平常運転をしていたことでも分る。

 本当のところは分らないが、天下の「氷河特急」にしては先を急ぎ、事故調査は杜撰で作為的な匂いを感じる。

 さて、昨日東京・足立区の住宅で戸籍上111歳の男性のミイラ化した遺体が見つかった。ミステリアスなことにこの人は、すでに30年前ごろに亡くなっていたと見られている。もし生きていれば東京都内で男性最高年齢者だった。この間年金はきちんともらっていた。しかも、足立区の高齢者お祝い金には申請書まで提出してちゃっかりいただいていた。難しい問題をはらんでいるだろうが、年金をいただいていた家族の責任はどうなるのか。行政は年金を出すわけだから、しっかりチェック出来なかったものだろうか。罪人扱いされて幻の最高齢者は、あの世で恨んでいるのではないだろうか。

 それにしても世知辛い世の中になったものだ。

2010年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1173.2010年7月30日(金) 臨時国会召集、西岡武夫氏参議院議長に

 毎日暑い日が続いているが、このところ朝のテレビ番組は決まったように熱中症対策を解説している。

 この暑い中を昨日お隣の日夏さんが引っ越して行かれた。4年ほど居住しておられたが、昨日挨拶代わりに拙著「停年オヤジの海外武者修行」と共著「知の現場」を差し上げようと持参して立ち話をした時、先日亡くなられた「知的生産の技術研究会」名誉顧問・梅棹忠夫先生についていろいろ話し合った。日夏さんも梅棹先生に傾倒されておられると伺ってちょっと嬉しい気持ちになった。「知研」から機関誌「知研フォーラム」へ梅棹先生に関する文を寄せてもらいたいと連絡があったので、書いてみようかと考えている。ただ、梅棹学については民俗学でも特異な研究であり、あまりにも奥が深くボリュームも多く、とても手に負えない。そこで、梅棹先生も強く影響を受けたという登山について書いてみようと思っている。

 さて、日夏さんが去って、この後オーナーの西本さんが入居される。西本さんは3月にJETROニューヨーク支店から帰任されたが、現在岐阜所長をなさっている。子どもさんの学校関係の都合でしばらくしてから入居されると言っておられた。子どもの時分転居の多かった自分自身の体験を振り返っても、転居は大変だとつくづく思う。

 参院選を受けて今日から臨時国会が召集された。多くの新人議員も登院したが、柔道の谷亮子さんも元気に初登院された。ロンドン・オリンピックで金メダルを狙うには、国会議員兼職は荷が重いのではないかと心配する。

 参議院は野党が多数を占めてねじれ現象である。これから与党・民主党は国会運営に相当苦労されるのではないか。参議院議長に民主党の西岡武夫氏が、副議長に自民党の尾辻秀久氏が選出された。過去と異なり自民党は議長を野党から選出すべきと主張していたが、結局折れて議長は第1党の民主党から選出することに決まった。流石に慣例を覆すような主張は他の野党からも同意を得られなかった。

 新議長になった西岡氏は変節の人で、個性的でアクの強い議員である。過去に自民党政調会長や文部大臣を歴任したが、パフォーマンスばかり目立っていた典型的な世襲議員であり、かつて新自由クラブ幹事長を務めていた頃には、母親が国会までしゃしゃり出て代表だった河野洋平氏に文句をつけていたほどマザコンでもあった。長崎の地元民の間ではまったく人望がなく、その後衆院選で敗れ、長崎県知事選に敗れて苦労したようだ。74歳にして少しは人間的に成長しただろうか。

 それにしても良識の府・参議院の議長としての識見・力量には疑問符がつく。

2010年7月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1172.2010年7月29日(木) 分かりにくい年金申請書類

 数年前年金問題が大きな社会問題となり、社会保険庁の杜撰な事務処理と台帳の改ざんがその原因であると指摘され、世の非難を浴びたのはまだ記憶に新しい。その当時年金問題を国会で徹底的に追及したのが、現在の厚生労働大臣・長妻昭氏だった。今度は立場が変わり厚労相就任直後に、行方が分らない年金受給資格者を徹底的に探す努力をすると国民に約束した。社会保険庁の過去の不真面目な業務の有様が次々と明るみに出て不信感が極度に達し、ついに昨年社会保険庁は解体され、新たに日本年金機構として再出発した。だが、まだまだだなぁと感じた。

 今月10日に妻が65歳となり、年金受給者の資格を得た。間もなく申請書類が送付されてきた。申請者である妻が書き込み方が分らないというので、7年前に同じ手続きを行った経験から申請書類をチェックしたが、確かに分かりにくい。今日を含めて日本年金機構「ねんきんダイヤル」へ電話した回数が実に3度である。親切に教えてはくれるが、やはり分かりにくい。

 なぜこれほど分かりにくいのか考えてみた。申請書類とともに多くの添付書類を提出するのだが、その説明が複雑で多すぎて、その結果説明が充分行き届かず分らなくなることである。例えば、要求される提出資料が多すぎるうえに、その提出資料がすべて説明書に明記されているわけではないのだ。

 妻のケースだと、住民票、戸籍謄本、振込銀行の残高証明書、課税証明書、年金手帳のコピー等々と提出書類が多い。しかも、まとめてこれらの書類を教えてくれるなら良いが、そうではなく必要だと説明書にも書かれていない。後になってその書類は必要だと要求されると、再びその書類を受け取りに行かなければならない。

 今日は、「ねんきんダイヤル」に電話で確認して申請者の課税証明書が必要だとの説明を受けた。銀行の貸金庫に保管してある申請者の夫、つまり私の年金証明書から年金コードを書類に書き写すことになった(先日貸金庫にある年金手帳の年金番号を書き込んだばかりである)。その後区役所支所で課税証明書を受領して、帰宅したら「ねんきんダイヤル」から電話があり、私への説明が気になったのでと言いながら、改めて妻の年金手帳のコピーが必要と言うのである。こうなるとまた貸金庫へ行かなければならない。

 果たして7年前はどうだったか。はっきり思い出せないが、これほど複雑なことはなかったのではないかと思う。これでは大抵の人は申請書を書くのが億劫になってしまうのではないかと心配である。

 どうして、これほど年金申請手続きが複雑怪奇になってしまったのだろうか。確認する項目や内容が多いのは理解出来る。こんな状態だから、未だに5千万件も不明になっていると聞いても、やっぱりそうかとつい納得してしまう。新しい年金機構では現実に即したシステムを導入した筈であるが、これでは前途遼遠だ。やれやれである。

2010年7月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1171.2010年7月28日(水) 死刑制度は議論を提供するか。

 今朝死刑囚2人の死刑が執行された。昨年7月以来1年ぶりである。今回の処刑は何もかも異例である。

 千葉景子法務大臣が、法相として初めて執行に立ち会ったことにまず驚いた。法相は先日の参院選で現職ながら落選して、現在では民間人である。そのうえ元々法相は、死刑廃止議員連盟のメンバーで、心情的には死刑執行に反対の立場にあった筈である。当然ながらいくつかの疑問が呈されている。興奮したある議員の如きは、部屋の中で冷房と暖房を同時に使用しているようなものだと気炎を上げている。

 記者会見でも、報道番組でも質問者が、選挙に落ちて暫定的?大臣が、まもなく辞める前に、執行命令を出したのは問題であると尋ねたり、また仙石官房長官にしても期限前だから問題はないと答えたり、些かピントがずれており、党内外でもトンチンカンな議論が出て喧々諤々である。実は、法相は参議院議員としての議員期間が切れる今月25日の前日に命令書に署名していた。これに対して駆け込みという声が一部にある。これもナンセンスである。

 法相は法務省内に勉強会を立ち上げ、死刑制度の存廃を含めたあり方を検討したい意向を持っている。だが、それならもう少し時間をかけて執行と勉強会は別途に考えるべきではなかったかという気がする。それにしてもこの件に関して、暫定的な大臣とか、議員でもない大臣が云々との発言が聞かれたし、仙石氏のように、大臣かつ議員としての正当な権限行使のような発言があったが、まったく不勉強であり、憲法をよく知らないのではないか。

 憲法第68条には、国務大臣の過半数は国会議員でなければならないと条文に書かれている。つまり半数近くは民間人でも良いし、現実にこれまで民間人で大臣を務めた人は、数えられないほどいる。直近では、増田寛也・元総務相や竹中平蔵・元金融担当相がそうだった。その点では、落選した千葉法相がそのまま大臣の職に就いているのは決して異例でもおかしいことでもない。だからこの点で法相の資格や、行為を糾弾するのはおかしい。

 大臣職にいることがおかしいと詮索するより、死刑制度を真正面から捉えて議論すべきではないか。その点では、駆け込み執行の印象を与えた今回の処刑は、被害者の遺族の気持ちは理解出来るが、些か性急に過ぎたのではないだろうか。

2010年7月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1170.2010年7月27日(火) 堺利彦の孫・近藤千浪さんの死

 6月11日、片山正彦さんの「ここに記者あり!」(岩波書店刊)出版記念会に出席した。その際入れ替わり立ち代り片山さんや、主人公?の「記者」村岡博人氏に縁深い人が挨拶されたが、その中に近藤千浪さんという方がおられた。

 今日片山さんから出版記念会の時のスナップ写真を送っていただいたが、添えられた手紙によると近藤さんはその直後にガンで亡くなられたと記されていた。片山さんと近藤さんの出版記念会前後に交わされたメールのやりとりのコピーも添えてあった。近藤さんと村岡氏の写真も同封されていたが、一瞥してどういう意図かあまりよく分らなかったが、片山さんの手紙を読んで納得した。

 寡聞にして知らなかったが、この近藤さんの祖父が社会主義者・堺利彦だったとは驚いた。「万朝報」の記者でもあった堺の著書は、学生時代に断片的にしか読まなかったが、社会主義運動同志の幸徳秋水、片山潜、山川均、荒畑寒村、河上肇らの著書は随分読み込んだので、堺が別の世界の人間のような気がしなかった。

 ノンフィクション作家・鎌田慧氏のコラムによると近藤さんの母、つまり堺の娘の近藤真柄さんは市川房枝と日本婦人有権者同盟の運動をした人だという。父親の近藤憲二氏は、大杉栄と伊藤野枝の遺児を育てた人だった。そろって社会主義と博愛主義に貫かれていた家族である。今にして思うと近藤さんと少しでも話をしなかったのは惜しかった。享年68歳でまだ若かった。

 それにしてもわざわざ手紙に添えて写真まで送ってくれるとは、片山さんも親切な方である。おかげで久しぶりに今年百周年を迎えた大逆事件以降の明治・大正期の社会主義運動を思い起こした。

 今日午後記者会見で衆議院議員・辻元清美氏が社民党を離党したと発表した。いつもパフォーマンスが目立つ人だが、理由は釈然としない。小党での限界みたいなことを言っているが、それならもっと不利な立場の無所属になって、これからどうやって自己主張をやり国民の期待に応えようというのか。今回もパフォーマンスばかりが目立って、言わんとしていることがよく分らない。

 敢えて弱い人たちのために闘うときれいごとを言っているが、かつて「ワーク・シェアリング」を悪用して議員秘書給与流用事件を犯して議員を辞職したような人に、果たしてそんな立派なことが本当に出来るのか? ある新聞には、「辻元氏民主党へ」と書かれていた。民主党からの三顧の礼を待っているのはミエミエである。辻元氏にはどうも大義が見られない。こういう器の小さい人間でも政治家集団の中では、それなりの存在感を示せるというのがまたシャクに触る。

2010年7月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

1169.2010年7月26日(月) ポル・ポト政権虐殺事件に判決

 僅か4年のポル・ポト政権時代に約170万人の国民が虐殺された。すでにポル・ポト将軍は1998年に亡くなっているが、彼が残した負の遺産は大きい。

 今日プノンペンで事件当時虐殺に関わった元収容所所長に対する裁判が開かれ、懲役35年の刑が下された。こんな一介の裁判で納得するほど国民の気持ちは穏やかではない。何せ国民の1/4がひとつの政権、ひとりの独裁者によってこの世から抹殺されてしまったのである。ちょうどベトナム戦争が終末に近づいていたので、世界的な関心がこの事件に強く及ばなかったことも不幸だった。

 なぜ自国の国民を国の最高責任者で、当時クメール・ルージュ(赤いクメール)書記長だったポル・ポト将軍が残虐にも殺したのか、今もなお謎に包まれている。

 ポル・ポトは共産主義者ではあったが、彼は真の革命、そして平等な共産社会を作り上げるまでには相当な時間がかかると考えていた。そんなに待てないと考えた彼は、そのためには私有権を主張する家族制度を打破する必要があると信じきり、親を殺した。生まれたこどもは親と生き別れさせられ、家族の破壊を続けたということになっている。随分無茶な理屈であるが、共産主義が目指す財産の共有とか、私有財産の禁止が行過ぎると、独裁者の思うままになってしまう。スターリン、毛沢東、金正日らの半生に見るまでもなく、結局国民には私有財産を禁じ国民には我慢を強いていながら、自分たちだけは巨額の財産に囲まれ、思いのままに権力を行使していた。

 ポル・ポト事件の真実は今もってあまり伝わっていない。これだけの人間をいとも容易く葬り去った罪状を暴き、検証することもそろそろ必要ではないだろうか。その過程で共産主義の本性も検証する必要がある。今の中国は共産主義を標榜しているが、果たしてカール・マルクスが初めて考え出した頃のセオリーに叶っているだろうか。かつて「物言えば唇寒し」のムードが中国全土に漂っていたが、今もそうではないだろうか。それは今も政府の言論封鎖や、国家統制という形で表れる。

 今も世界のどこかで似たような事件は起きているかも知れない。その点では世界の良識、力にも限界を感じることがある。

 しかし、戦争中とは言え、人間の神経が麻痺するとこうも狂気の沙汰を繰り返すようになってしまうのだろうか。あれから40年近く経つが、考えさせられる悲惨な事件である。

2010年7月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com