6月11日、片山正彦さんの「ここに記者あり!」(岩波書店刊)出版記念会に出席した。その際入れ替わり立ち代り片山さんや、主人公?の「記者」村岡博人氏に縁深い人が挨拶されたが、その中に近藤千浪さんという方がおられた。
今日片山さんから出版記念会の時のスナップ写真を送っていただいたが、添えられた手紙によると近藤さんはその直後にガンで亡くなられたと記されていた。片山さんと近藤さんの出版記念会前後に交わされたメールのやりとりのコピーも添えてあった。近藤さんと村岡氏の写真も同封されていたが、一瞥してどういう意図かあまりよく分らなかったが、片山さんの手紙を読んで納得した。
寡聞にして知らなかったが、この近藤さんの祖父が社会主義者・堺利彦だったとは驚いた。「万朝報」の記者でもあった堺の著書は、学生時代に断片的にしか読まなかったが、社会主義運動同志の幸徳秋水、片山潜、山川均、荒畑寒村、河上肇らの著書は随分読み込んだので、堺が別の世界の人間のような気がしなかった。
ノンフィクション作家・鎌田慧氏のコラムによると近藤さんの母、つまり堺の娘の近藤真柄さんは市川房枝と日本婦人有権者同盟の運動をした人だという。父親の近藤憲二氏は、大杉栄と伊藤野枝の遺児を育てた人だった。そろって社会主義と博愛主義に貫かれていた家族である。今にして思うと近藤さんと少しでも話をしなかったのは惜しかった。享年68歳でまだ若かった。
それにしてもわざわざ手紙に添えて写真まで送ってくれるとは、片山さんも親切な方である。おかげで久しぶりに今年百周年を迎えた大逆事件以降の明治・大正期の社会主義運動を思い起こした。
今日午後記者会見で衆議院議員・辻元清美氏が社民党を離党したと発表した。いつもパフォーマンスが目立つ人だが、理由は釈然としない。小党での限界みたいなことを言っているが、それならもっと不利な立場の無所属になって、これからどうやって自己主張をやり国民の期待に応えようというのか。今回もパフォーマンスばかりが目立って、言わんとしていることがよく分らない。
敢えて弱い人たちのために闘うときれいごとを言っているが、かつて「ワーク・シェアリング」を悪用して議員秘書給与流用事件を犯して議員を辞職したような人に、果たしてそんな立派なことが本当に出来るのか? ある新聞には、「辻元氏民主党へ」と書かれていた。民主党からの三顧の礼を待っているのはミエミエである。辻元氏にはどうも大義が見られない。こういう器の小さい人間でも政治家集団の中では、それなりの存在感を示せるというのがまたシャクに触る。