1169.2010年7月26日(月) ポル・ポト政権虐殺事件に判決

 僅か4年のポル・ポト政権時代に約170万人の国民が虐殺された。すでにポル・ポト将軍は1998年に亡くなっているが、彼が残した負の遺産は大きい。

 今日プノンペンで事件当時虐殺に関わった元収容所所長に対する裁判が開かれ、懲役35年の刑が下された。こんな一介の裁判で納得するほど国民の気持ちは穏やかではない。何せ国民の1/4がひとつの政権、ひとりの独裁者によってこの世から抹殺されてしまったのである。ちょうどベトナム戦争が終末に近づいていたので、世界的な関心がこの事件に強く及ばなかったことも不幸だった。

 なぜ自国の国民を国の最高責任者で、当時クメール・ルージュ(赤いクメール)書記長だったポル・ポト将軍が残虐にも殺したのか、今もなお謎に包まれている。

 ポル・ポトは共産主義者ではあったが、彼は真の革命、そして平等な共産社会を作り上げるまでには相当な時間がかかると考えていた。そんなに待てないと考えた彼は、そのためには私有権を主張する家族制度を打破する必要があると信じきり、親を殺した。生まれたこどもは親と生き別れさせられ、家族の破壊を続けたということになっている。随分無茶な理屈であるが、共産主義が目指す財産の共有とか、私有財産の禁止が行過ぎると、独裁者の思うままになってしまう。スターリン、毛沢東、金正日らの半生に見るまでもなく、結局国民には私有財産を禁じ国民には我慢を強いていながら、自分たちだけは巨額の財産に囲まれ、思いのままに権力を行使していた。

 ポル・ポト事件の真実は今もってあまり伝わっていない。これだけの人間をいとも容易く葬り去った罪状を暴き、検証することもそろそろ必要ではないだろうか。その過程で共産主義の本性も検証する必要がある。今の中国は共産主義を標榜しているが、果たしてカール・マルクスが初めて考え出した頃のセオリーに叶っているだろうか。かつて「物言えば唇寒し」のムードが中国全土に漂っていたが、今もそうではないだろうか。それは今も政府の言論封鎖や、国家統制という形で表れる。

 今も世界のどこかで似たような事件は起きているかも知れない。その点では世界の良識、力にも限界を感じることがある。

 しかし、戦争中とは言え、人間の神経が麻痺するとこうも狂気の沙汰を繰り返すようになってしまうのだろうか。あれから40年近く経つが、考えさせられる悲惨な事件である。

2010年7月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com