1177.2010年8月3日(月) 先の戦争の正式名は何と呼ぶのか。

 朝日夕刊の「終わりと始まり」という連載エッセイ欄に作家・池澤夏樹氏が、「(土地の名・戦争の名)呼称の困難について」と題する文を寄稿している。いろいろなものの名前に関心があり、こだわりもあるようだ。わが自宅近くの自由が丘の名のいわれについても、語源は学校名から来ているという。自由が丘は丘ではないともいう。確かにそれほど大きな丘ではないが、東横線自由が丘駅前ロータリーから自由通りを通らず目黒通り方面へ向かえば、石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」と呼ばれているなだらかな上り坂がある。自由通りに出れば、そこには「自由が丘学園」がある。この学園も歌手・舟木一夫が卒業し、歌った「高校三年生」のモデル校である。池澤氏が言うように、この学園の名前を拝借したのかどうかは分らない。

 それより池澤氏が触れた戦争の名の方が気になる。65年前に終戦となった先の戦争である。開戦直後に当時の東條英機内閣が閣議で「大東亜戦争」と正式に名づけた筈であり、その事実を知ってから私自身それまで太平洋戦争と呼んでいたのを「大東亜戦争」と言い、講演などでもそう話している。

 池澤氏によると大東亜戦争という言い方は敗戦後使えなくなったらしい。それで何と呼ぶべきか困っている。日中戦争と呼んではアメリカが見えなくなり、太平洋戦争と呼んでは日中がすっぽり抜けると悩んでいる。そこで第2次大戦でドイツに東部戦線と西部戦線があったように、日本にも大陸戦線と太平洋戦線があったということにしようということで、エッセイはチョンとなっている。だが、こうも付け加えている。アジア・太平洋戦争と呼ぶのが一般的らしいが、アジアという名はトルコ方面まで含めるので広すぎるのではないかと。

 戦後65年にもなってまだ正式に戦争の名をつけないのはどうしてだろうか。前九年の役、後三年の役、壬申の乱、壇ノ浦の合戦、応仁の乱、関が原の戦い、川中島の戦い、戊辰戦争、西南戦争、日清・日露戦争、等々のようにすべて大戦争には正式な名前がついているから後世の人間が記憶に留めるのに役立つのだ。これではあと65年も経ったら、「戦前は大東亜戦争と呼ばれたが、戦後は名前がない」戦争とでも呼ばれるようになるのだろうか。

 これを連鎖反応と呼ぶのだろうか。1966年冬航空機墜落事故が3件も連続して起きたが、今度は山の遭難事故と高齢者の行方不明の連鎖である。特に後者の高齢者について、各自治体が百歳以上の高齢者を自発的に調査したら出るわ出るわ後から後から、行方不明者が明らかになった。都内でも港区、荒川区、八王子市などから、また名古屋市でも、静岡県、長野県からも不明の高齢者が明らかになった。流石に長妻昭・厚生労働相も、110歳以上の高齢者で年金受給者については各自治体が訪問して本人に会って確認するよう指示したと記者会見で応えた。

2010年8月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com