902.2009年11月1日(日) 新しいヨーロッパ東西の壁

 相変わらずバタバタしている間に、早くも晩秋の11月に入った。今月9日には、早いものでベルリンの壁の崩壊から20年になる。あのニュースはあまりにも衝撃的だった。戦後長きに亘って世界を東西2つに分けていた壁がついに壊され、そのウェーブはあっという間に社会主義国家全域へ波及していった。ベルリンの壁の近くにある検問所「チャーリー・チェックポイント」には、沢山の思い出がある。西ベルリン滞在中に日帰り観光で入国したこともあり、カール・マルクス・シュタットへ向かった時もここを通過して東ドイツへ入って行った。その際のバス車体検査に大きな鏡をシャシーの下に潜らせるような原始的な密出入国チェックをしていた。このやり方を見ていて驚きもし、呆れもしたが、これもある意味では懐かしい。東ドイツのビザ取得の手配をした代議士一行の通過もここでもめて、東ドイツへ入国せず、その後衆議院事務局から事情を聞かれたことがあった。代議士が入国しなかったのは、時間がかかった入国手続きにしびれを切らして勝手に引き返してしまったという我侭なもので、周囲が翻弄されたこともあった。とにかく私にとってもいわくつきの検問所だった。それがあっという間にベルリンの壁の崩壊はチェコやポーランドへ波及して、挙句のはてにソ連学校の優等生と見られていたブルガリアやルーマニアに至るまで、彼らの社会主義体制は大きく揺れた。

 社会主義体制が崩れて、民主主義体制になった筈であるが、それが一向に国家の発展とまではいかない。ドイツは同じ民族なので東西統合はスムーズに進展すると見られていたが、中々一筋縄ではいかなかった。東西ドイツの間にあった拭いきれない溝が表面化した。しばらく東側には失業者が溢れる有様だった。2年後本家であるソ連の国家体制も崩壊した。いずれも多くの複雑な国内問題を抱えたまま体制だけは、社会主義から民主主義に変ったのである。

 それが今ヨーロッパに新たな壁が出来つつあるという。その後西ヨーロッパに欧州連合(EU)が結成された。そこへ旧東欧諸国の中から新たなEU加盟国が加わってきた。昔の東西の対立線(国境)が、やや東側へ移動したような対立構造になったのである。現実に元ソ連のロシアシンパであり続ける、ウクライナ、グルジア、アルメニアなどと、旧東欧でロシアのクビキから脱却したポーランド、ブルガリア、ルーマニアとの間に南北に新たな壁ができてしまった。

 しかも、両陣営にはその背後で、ロシアとアメリカの対立が昔とは異なった形で影響力を与えている。その接点となったウクライナやポーランド国民の間には、抜き差しがたい米ロ両国への不信感が生まれつつある。東西対立は形こそ変ったが、姿を変えてまた新しい国境線を構築している。NATOラインと呼んだら良いだろうか。

 日本としては、面倒な外交関係に深入りしたくないため、政治的にまったく接触している様子が見えないし、その詳しいニュースは国内ではほとんど報道されない。だが、その間に世界は刻一刻とチェンジしている。

 さて、9日に予定されていたアフガニスタン大統領選挙の決選投票にカルザイ候補の対立候補として挙げられていた、アブドラ元外相が今日になって立候補を取り止めると発表した。何のことはない。カルザイ側の露骨な選挙妨害が予想され、投票の公正さや透明性が期待出来ず、これでは勝負は決まっていると降りてしまったのだ。仮にカルザイ大統領が再選されても、これではカルザイ2期目の政権の正統性が問われかねないとアメリカ政府も苦りきっている。相変わらずの泥仕合でアフガンの民主化、並びに治安の安定はまた遠のいてしまった。

 これからアフガンはどうなるのだろうか。

2009年11月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

901.2009年10月31日(土) 尾崎秀実処刑65周年と「海ゆかば」

 午後駿河台の明治大学で日露歴史研究センター主催の「尾崎・ゾルゲ処刑65周年記念講演会」が開催されたので、ゼミの池田くんと誘い合わせて聴講した。昨夕図らずも尾崎秀実の実弟・秀樹について書いた峯島正行著「荒野も歩めば径になる」の出版記念会に出席したので、今日は頭の中が「尾崎」に占領されている。

 昨日は小中さんからも尾崎家の人間関係を聞かせてもらった。異母兄弟で21歳も年齢が離れているので、昔のこととは言いながらちょっと尋常ではないと思っていたが、秀樹はおめかけさんの子だと伺った。

 今日明大の講演では作家・西木正明氏が「近衛新体制とゾルゲ事件」、孫崎享・元外務省国際情報局長が「ゾルゲ事件時の国際環境と第二次大戦後の諜報活動」、下斗米伸夫・法政大学教授の「ゾルゲ事件・冷戦・共産党―モロトフ文書から」とそれぞれ専門家が話をされた。

 興味本位に題材を捜し求める作家として西木氏の話が魅力的だったし一番面白かった。孫崎氏はソフトな語り口だが、外務省で長らく諜報部門にも携わっていたせいで、日本人の中でも一番インテリジェンスに詳しいと自画自賛されておられた。ノンキャリアで苦労された休職中の佐藤優氏の話の方がよほど詳細で、相手の懐に入り込み活劇的で興味津々である。それに、孫崎氏はもう少しパワーポイントの使い方を研究して工夫しないと説明が分かりにくい。下斗米伸夫・法政大学教授は、最近ロンドンから帰ったばかりだと話されていたが、留学前にテレビにも度々出演して話している姿を観ているが、今日の話しぶりには少々失望した。もう少し整理して話されるのかと期待していた。話す内容を欲張りすぎているために早口の説明になり、一寸内容が理解しにくい。これは、池田くんに聞いても同じだったので、口幅ったい言い方だが、内容をカットして、もっと整理して、しかもパワーポイントの使い方をもう少し工夫した方がよいのではないかと感じた。

 5時前に池田くんに失礼して、JR西国分寺駅前「いずみホール」で開催の「第3回武蔵天平の郷・信時潔コンサート」に行った。昨年出席したのは、映画監督の篠田正浩氏と山崎洋さんがゾルゲ事件をテーマにトークショーをやったので、出かけたのだが、今年は昨年同様に信時潔の音楽に、山崎さんの平和へのメッセージの読み上げがあるということだった。彼も中々うまいメッセージと挨拶をしていた。1年ぶりに話をすることが出来て良かった。

 司会進行役を務めた田口精一さんと仰る89歳の劇団民芸の俳優さんが、山崎さんがブーケリッチ氏の遺児であることを初めて知ったと言い、かつて出演した「オットーと呼ばれる日本人」の主演俳優・宇野重吉と劇作家の木下順二が存命なら、驚き喜ばれたことだろうと話された。

 これからこの国分寺に信時潔が定着するのだろうが、名曲「海ゆかば」だけではなく、慶応義塾塾歌も良いメロディなので、演奏したら良いのではないかと思う。その他の演奏曲は知らない曲ばかりだったので、余計そのように感じた。

2009年10月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

900.2009年10月30日(金) 日航は立ち直ることが出来るか。

 このところ日本航空の再建問題が大きな話題となり、国交省が主導して再建策を考えている。それもいよいよ最終コーナーを回ったようで、昨日公表された再建案は再生組織を根本的に替えるドラスチックなものとなった。

 日航の経営状況を調査していた専門家チーム「JAL再生タスクフォース」は、発足してからまだ1ヶ月だが、前原大臣に報告書を提出して解散することになった。その中身も公表せず、タスクフォース代表の高木新二郎氏も不満を露にしている。結論は、今後日航支援は「㈱企業再生支援機構」に移ることになった。弁護士である高木氏の前職は「産業再生機構」産業再生委員長だった。どうも名前も似ていてわかり難い。そのわかり難いことを「企業再生支援機構」の下に実務の場でやろうとしている。

 最大の問題は、日航自体がすでに2,500億円の債務超過であることで、資金繰りも苦しく、11月中に1,800億円のつなぎ融資が必要で、更に来年3月までに3,000億円の資本増強が必要であることだ。今後は再建を「企業再生支援機構」の下に進めていくことになるが、そう簡単に作業は進まないと思う。

 ビジネスはこのまま実行しながら、債務の処理、事業の建て直しを実施しなければならない。銀行団の債権放棄、赤字路線からの撤退、9,000人の従業員解雇などが考えられているが、最大のネックは企業年金の積み立て不足である。

 この日航の年金問題は一日航だけの問題だけではなく、ひとつの例として広く世間の注目を集めている。国としても年金問題解決が注目の的である。

 しかし、日航のOBと社員の2/3以上の賛成が得られなければ、企業年金契約を変更することが出来ない。現役社員の間では諦めムードで、減額を認める空気があるようだが、現実に現在受給者となっているOBの間では、財産権の侵害として反対する空気が強い。比較的高額と言われている日航社員の給付利回りは現在4.5%だそうだが、これを1.5%にまで引き下げて、年金資産不足額を3,300億円から1,000億円程度にまで減らすことを検討している。一般の国民からすれば、会社が火の車になって、国が救済しようという時に被救済企業は贅沢を言うべきではなく、元も子もなくなっては、話にならないではないかと言いたい。

 在職中日本航空にも随分お世話になっただけに、何ともお気の毒ではある。

 さて、神田の学士会館で「荒野も歩めば径になる―ロマンの狩人・尾崎秀樹の世界」出版記念会が開催されると小中陽太郎さんからご連絡があり、出かけた。ところが、学士会館にはそんな予定はないという。小中さんの携帯へ聞いてみると何と如水会館だという。すぐ近くなので、大して気にすることもなかったが、一瞬どうすべきか当惑した。

 著者の峯島正行氏のお名前は初めて伺ったが実業の日本社で長らく編集に携わっておられた方である。「漫画サンデー」を発行したこともあり、藤子不二雄氏のような有名な漫画家を始めとして、多くの漫画家の姿が見られた。

 如水会館に入った途端「出版記念会ですか?」と尋ねられたが、風体が作家風だったのか。少しずつサラリーマンから遠ざかっていく感じである。

 冒頭に直木賞作家の伊藤桂一氏が挨拶された。尾崎秀樹の娘さんも挨拶された。会場はかなり混み合い折角オペラ「椿姫」のアリアを歌ってくれた時でも、雑談で少々うるさい。作家ならもう少し静かになるのだが、漫画家はどうもうるさいし、服装にしても帽子を被ったままだったり、ラフな格好をしている人が多い。ちょっと雰囲気が違うような感じがする。

 小中さんの挨拶では、尾崎秀樹は台湾で生まれたが、台湾ではスパイの弟と言われ続けて苦労したということを話されたことが印象深かった。帰りに小中さんから都立大学駅の「コーナーポケット」で、ご馳走になる。

2009年10月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

899.2009年10月29日(木) 腰が定まらない各大臣の発言

 ここ数日戦乱の地、アフガニスタンとパキスタンの治安が一層悪化して多数の死者が出ている。アフガンでは米軍兵士の戦死者数が過去最悪となり、パキスタン西北部でもテロリストの攻撃を受けて政府の建物が爆破され、ペシャワールでは昨日90人が死亡している。この政情不安の中で、クリントン国務長官がパキスタンを電撃訪問した。対アフガンにせよ、対パキスタンにしろ、アメリカとしては難しい舵取りを迫られている。

 そんなイライラ感が、とばっちりとなったのか、アメリカ政府首脳は日本に対して不信を募らせている。民主党がインド洋の海自艦の補給中止を公表したことについて不満を表明している。沖縄の米軍普天間基地移設問題でアメリカが呑めない代替案を模索していることについても、否定的なニュアンスの言葉を漏らしている。それより何より民主党がはっきり日本の立場と考えをアメリカに伝えないことが一番悪い。何を考えているのか。早く決めなければならないことをのらりくらりして結論を先延ばししているから、不安感を与え、妙な勘ぐりをされるのだ。子どもじみている。さらに関係閣僚の言うことが、人によってぶれて二転三転している。これではアメリカとしては誰に対して自分たちの考えを伝えたら良いのか分からない。そのせいであろうか、オバマ大統領が来日する前に日米間で意見調整をするべく、岡田外相が渡米する話が持ち上がっているが、アメリカは受け入れに消極的である。

 国会論戦でも大臣のばらばらの発言が鳩山首相への質問になっている。首相曰く「最後は私が決める」。まるで中高の生徒集会と変わらない。

2009年10月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

898.2009年10月28日(水) 2つの海難事故の原因と対応

 昨晩関門海峡で海上自衛隊所属の護衛艦「くらま」と韓国のコンテナ船が正面衝突して、両船とも火災を引き起こした。鎮火するまでにかなり時間がかかったが、幸い死者がいなかったのは不幸中の幸いと言える。観光船で何度もあの海峡を渡った経験から言えば、7,000トン級の大きな船舶があのような狭い海峡ですれ違うこと自体に事故発生の危険性が潜んでいる。門司港と下関港間を往復する観光用のボートでもほんの5分ほどしかかからない。狭い箇所では僅か5~600mの海峡幅しかない。それほどの至近距離で、しかも潮の流れは速く、時間によっては流れが逆流する。もちろん遊泳は禁止されている。

 護衛艦とコンテナ船のどちらに衝突の責任があるのか、今のところまだはっきりしないが、これまでに得た情報から個人的に判断すれば、どうやら海上保安庁海上交通センターに大きな誤った情報提供があったようだ。

 この海域は狭過ぎるために普通追い越しは出来ない。両船ともルールに従い右側通行で航行していた。コンテナ船の前方に速度の遅い貨物船があったので、コンテナ船の要望に従い海上保安庁がコンテナ船に追い越しの許可を与えた。その際貨物船の右側ではなく左側から追い越しさせて、護衛艦の前に飛び出させ、護衛艦と衝突するという事故を引き起こした。

 海上保安庁海上交通センターは何ゆえに判断と指示を間違えたのか。貨物船が左側から追い越させて欲しいと言ったにせよ、時と場所、そしてルールを考えれば、異常な指示であることは明らかである。外国航路の元船長は、この海峡が世界で最も危険な箇所で、追い越しは考えられないと述べていた。

 空で言えば航空管制官とも言うべき海上保安庁海上交通センターなるものが、こんな杜撰で危険な船舶航行コントロールをやっているようでは、船舶も安心して航行出来ないだろう。犠牲者が出なかったせいか海上保安庁からは、一片のお詫びも反省の言葉もない。指示ではなく情報提供しただけで、最終判断は船長が行うべきものだと開き直っている。これは正に相手に責任をなすりつけるものだ。海上保安庁の対応とその後の言動は、無責任になりつつある現代社会の風潮を反映しているものだと言える。

 同じ海難事故でも、24日以来行方が分からなくなり遭難したと見られていた、長崎県鎮西町の漁船「第一幸福丸」が転覆した状態で発見された。八丈島近海で台風20号に遭遇し転覆、漂浪し、4日ぶりに見つかった中で乗組員3名が救助された。船長は亡くなり、他に4名の乗組員の行方は依然として分からない。絶望視されていた全漁船乗組員の内3名の生存が確認されたのは奇跡的であり、必死に生き抜こうとした乗組員の強い生への執着心があったからこそであろう。彼らの生存は、好い加減な海上保安庁の職員に対して、生命の尊さを無言の内に教えてくれる。それにしても、残りの4名の行方を思うと気が重くなる。「幸福」の船名の通り、残りの乗組員の生存を願って止まない。

2009年10月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

897.2009年10月27日(火) 新たな「図解」研修の話

 昨夕ベオグラードから一時帰国中の山崎洋さんへ電話して、「古事記」セルビア語訳本が翻訳特別賞を受賞したことにお祝いの気持ちを伝えた。来月10日に離日されるので、その間に会うことにしているが、彼も予定が詰まっていて会えるのは、1日と3日しかない。国際ペン大会に参加中の小中陽太郎さんと国際ペンの理事でもある堀武昭さんを交えて一杯やろうと考えているが、お2人ともリンツから帰っておられるのかどうか分からない。とりあえず小中さんにメールを送信した。堀さんにも電話したところ、夫人の話では来月27日に帰国するということだった。国際ペンを終えてから、フランスや他の国を回るそうだ。それにしても随分長い出張だなあとほとほと感心する。

 山崎さんの一時帰国については、31日に「尾崎・ゾルゲ処刑65周年記念講演会」を主催する日露歴史研究センター事務局の川田博史氏へも連絡を取ったところ、知らなかったという。31日は山崎さんに別用があるので、出席することは難しいと伝えておいた。川田氏に依れば、来月7日に多摩墓地で尾崎・ゾルゲの墓前祭を行うそうだ。山崎さんの都合はともかく、これは彼に伝えようと思っている。

 ところで、今までわが家から富士山が見えるとは考えてもいなかったが、妻が自分の部屋を開けて窓の外を見たら、あの天下の富士山が見えたと慌てて飛んできた。これまで邪魔していた大きな倉庫をいつの間にか取り壊したらしく、わが家から富士山まで一直線に見える。今日は台風一過で空は真っ青、塵ひとつない見通しの良さに、冠雪の富士山がくっきりと浮かび上がっていた。正に感激ものである。これでこれからは贅沢にも毎日富士山を眺めることが出来る。願わくば、今後も富士山の方向に大きな遮蔽物が建築されないよう祈るばかりである。

 さて、知研が請け負っている行政や企業、事業体の「図解」講習について、新たな依頼を受けたとの話があり、八木会長、久恒理事長、秋田県の講師を務めている中村茂昭さんに私が加わって、新宿で最初の打ち合わせをした。私が過去10年以上に亘って担当していた福島県が研修を中止し、昨年初めて担当した岩手県広域連合からご下命がなく、予算が削られたので中止したのではないかと失望していた矢先に新しい話が持ち込まれ、新たな企画をスタートさせることになった。

 久恒理事長のお顔でいただいた仕事だが、うまくいけば来年以降も受注出来そうだ。今までの講習と違いシリーズ形式で毎日2時間6日間のセットで3回分である。初日は理事長が、2日目は八木会長が、3、4日目と5、6日目を中村さんと私が受け持つことで凡そフォーメーションは固まった。現時点では、4月にアスキー・メディアワークス社から発行された久恒理事長著「図解の極意」を主材料にして教材を考える。講義の内容と講義方法については、近日再び集まって検討することにした。

 こうなると1月から3月まで毎月研修を行うことになり、新年になったら忙しくなりそうだ。

2009年10月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

896.2009年10月26日(月) 鳩山首相所信表明演説

 イラクではバグダッドで連続爆弾によるテロ攻撃により147名が亡くなった。アフガニスタンも一向に治安が改善されない。

 ところで振り返ってわが国はどうか。

 急に陽気が冷え込んできた。昨晩京都から帰ってきた時も外は寒かった。ところが、南方洋上には台風20 号が発生しているらしい。10 月下旬の台風というのも珍しい。

 今日やっと臨時国会が始まった。鳩山首相が初めて所信表明演説を行った。これまでの首相の最初の所信表明演説としては、過去10年で最長の52 分も費やした。最近では安倍首相の34分が最も長かった。中身はどうだろうか。相変わらず政治家の言葉である抽象的な表現が多い。しかし、目標を大きく全面に出して分かり易くしたのは良い方だ。

 所信表明で解決策を提示するのはいい。だが、具体的にどうするかとのプランや計画性がまったく示されない。目先の問題では、マニフェスト上の公約テンコ盛りで来年度の概算要求が大きく膨らんで、解決策は数字を削るということしかアイディアが浮かんで来ない。優先順位を決めて必要なら取り入れ、不要不急なら削るという選択がなぜ出来ないのか。

 更に問題化しそうなのは、沖縄の米軍基地移設問題と、基地問題とインド洋上の海自艦の補給中止を絡ませた対米関係だろう。アメリカ政府では大分イライラしているらしい。どうして日本政府は大事な外交問題に早く方針を示せないのだろうか。首相の都合がつかないなら、副総理や防衛相でも、どんどんアメリカと下交渉を進めたら良いのではないかと考える。そのための副総理であり、防衛問題担当大臣ではないか。どうしてそういうプロセスを進められないのだろうか。これでは予定が遅れるばかりか、相手国から不信感を買うばかりだ。

 鳩山首相の演説を聞いていて、嫌な感じはしない。一所懸命説明しようと真剣で意欲的なのは理解出来る。だから、割合評判は良いようだ。しかし、実が伴わなければ所詮絵に描いた餅だ。鳩山政権のやっていることは、派手なビジョンと実行力を示しているが、やりたくない政策には中々手を打たない。急ぐ必要がないとか、時間をかける必要があるとか、この辺りは首相にリーダーシップが欠けるところだと思う。これが国内だけの問題ならまだ外交問題に発展することはないが、今頓挫しているのはすべてアメリカがらみの外交問題である。

 なぜ一歩踏み出して積極的にアメリカと交渉しないのか。まずは日米同盟を基盤にした外交と言いながら、思いがけずアメリカの機嫌を損ねている。もっとアメリカと真摯に話し合い、対米交渉を前進させよ!

2009年10月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

895.2009年10月25日(日) 懐かしい京都・上桂中学同期生会

 昨日の高校の同期生会に引き続き、今日は京都市立上桂中学時代の同期生会に出席のため、朝早く新幹線で京都へ向かった。会場は「アークホテル京都」という小さなホテルで昔の四条大宮交差点の近く。京都駅からタクシーに乗らずに、地下鉄で四条烏丸まで行き、そこから阪急で四条大宮へ出た。

 JR京都駅前の地下街は明るく中々センスのあるお店が並んでいるが、何せ案内表示板が分かりにくい。それに地下鉄と阪急の駅構内にエスカレーターがないのが、キャリーバッグを持つ身にはやや不満だった。外国人観光客の姿も多く見られたが、日本人にも分かりにくい案内という点を考えても、彼らからの評判も悪いだろうことが想像出来る。久しぶりに訪れた観光都市・京都だったが、観光目的で訪れる人のために親切に分かり易くPRするにはハードウエアが充分とは思えなかった。行政や観光協会などが初めて京都を訪れる人の視点に立って、もう少しきめ細かくチェックして、訪れる人たちが迷わない建設的な方策をもっと検討すべきではないかと感じた。

 昭和29年に卒業して、すでに55年8ヶ月の歳月が経過したが、同期生会には初めて出席した。この上桂中学には3年生時の僅か1年間だけしか在学しなかったが、思い出は深い。校内対組柔道大会でいきなり黒帯の奥くんに投げ飛ばされたが、学校だけではなく校外でも近所の湯浅くんや穴田くんと松尾山で小鳥を獲ったり、桂川で泳いだ楽しい思い出がたくさんある。山では彼らと一緒に手負いの猪に追いかけられ、必死になって逃げ回ったこともあった。

 聞けば10年前にも同期生会を企画したようだが、案内があったのかどうか、残念ながら出席することが出来なかった。6クラスの担任の先生方の内、ご存命なのはわがクラス担任で理科担当の清水義一先生と国語の岩崎光先生だけだ。嬉しいことにお二人の恩師には今日ご出席いただいた。清水先生は80歳、岩崎先生は米寿だと仰っていたから長い年月を感じさせられる。

 清水先生には1年間随分お世話になった。卒業と同時に父の東京本社転勤が分かっていたので、高校受験が微妙になり、先生にもご心配とお世話をおかけした。結局京都府立桂高校と湘南高校の両校を受験して、幸いいずれも合格し、兄の桂高校から湘南高校への転校も実現したので、家族全員が揃って鵠沼へ転居することが出来た。もし湘南高に入れなかったら桂高校に1学期だけでも在学してその後転校しようとの話もあった。その当時短期間の間だったが、なにか慌しくドタバタしていた印象がある。

 湘南高に入学してから直ぐに清水先生には2度ほどお便りを差し上げたが、ご返事をいただけず、その後今日まで連絡をとれなかった。先生からはそのことが気になっていたとお話いただいて納得することが出来た。

 国語の岩崎先生は生徒たちから陰で「お光っちゃん」という愛称で呼ばれていたが、最初の授業で「水郷」を「すいきょう」と読まれたので、転校直後だったが思い切って「『すいごう』が正しいのではないか」と訂正を申し入れた。ところが、先生がどうしても「すいきょう」だと強調されるので、その2年前に毎日新聞社の日本観光地百選に「日本水郷」を千葉・幕張小学校のクラスの友だちとハガキで投書推薦した経緯もあり、小生意気だった私も「すいごう」だと言い張って譲らず、結局先生が折れて次回までに正式に調べてくるということになった。次の授業冒頭にいきなりお光っちゃんは「『水郷』はやはり『すいきょう』が正しい読み方です」と仰ったのには驚いた。確かにどちらも間違いではない。でも一般的には「すいごう」が優先して使用されるし、日本水郷の場合は「すいごう」と発音する。国語専門の先生が生徒の指摘した「すいごう」を否定され、「すいきょう」と主張される根拠が分からなかった。一体どこでお調べになられたのか、その時はどうにも納得出来ず、父親にも憤懣をぶちまけたことがある。未だに脳裏にもやもやが残っている中学時代の苦い思い出のひとつである。今回お光っちゃんが出席されると聞いていたので、遊び心でもう一度尋ねてみようかなとも思ったが、今更との気持ちもあり、先生があまり元気そうなご様子にも見えなかったので、お尋ねするのは差し控えることにした。

 在学中も、卒業後も親しくしていた岡本勲くん、湯浅登喜夫くん、穴田弘くん、河内一くんは先日ハガキを出しておいたせいもあり、みんな来てくれた。久しぶりに実に懐かしく楽しいひとときを過ごすことができた。女性も特に覚えていたのは、馬場さん、荒木さん、藤森さんらだが、彼女らも出席してくれて、本当に懐かしい55年ぶりの再会だった。忘れていたお顔だったが、やはり時間とともに少しずつ思い出してくるものだ。

 同期生は約280名いたが、今日はちょうど50名の旧友が出席した。歳月の経過を考えるとまずまずの出席率ではないだろうか。穴田くんと岡本くんも幹事役を務めてくれたが、遠路出席したということから私も挨拶することになった。6つのテーブルに拙著を各1冊差し上げて近況をざっと話した。

 穴田くんからは古く懐かしい写真を3枚もらったが、その内の1枚は彼が西京高校バレー部選手として神奈川国体に出場した時に、藤沢市内のバレーボール会場で撮ったものだ。その中に西京高の選手たちとともにマネージャー然として下駄履きで坊主頭の私が写っている。半世紀以上前の世相を反映してスタイルがいかにも垢抜けない。改めてこんな時代だったんだと思うと感慨無量である。

 ホテルを出てから、幹事の岡本くんがアレンジしてくれた近くの喫茶店を貸切状態にしてコーヒーを飲み、ほんの半年間だったが毎日通った七条大宮の平安中学前を市内バスで通り過ぎJR京都駅へ。そしてJR京都駅にあるホテル・グランヴィア京都15 階のスカイラウンジ「サザンコート」で3次会を楽しんだ。

 これからもお互いに健康に留意して次回も参加しようと、再会を約束して京都駅で別れた。

2009年10月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

894.2009年10月24日(土) 気のおけない高校同期会

 羽田空港内の「ギャラクシー」というレストランで高校時代の同期生会が開かれた。ここは同期の金川くんが社長をやっていたところだ。年々参加者が減っていくのは止むを得ないと思う。卒業して52年で同期生401名の内、すでに53名が黄泉の国へ旅立った。今年は昨年よりまた減って70名弱の参加者だった。誰かが言っていたが、こういう会に出席出来るのは、「健康」「心配事」「金銭」にあまり気にかけるほどのことがないからだと。幹事の冒頭の挨拶が良かった。話の話題が偏り勝ちになるので、今日は「健康」「年金」「孫」の話は避けようと言った。20歳ほど年長なら、さらに「軍隊」「戦争」が要注意用語になるのだろう。もう70歳を過ぎているので、容貌を見ると差があるのは止むを得ない。老けて見える同級生がいる一方で、やけに若く見える同級生がいる。久しぶりに出席する仲間同士では話は大体通じるから気楽である。

 ラグビー部の大島くんの奥さんの具合が悪いと聞いていたが、やはり特殊な病に冒され身体が自由に動かないと言っていた。長期の旅行も出来ないと言っていた。揃って元気な時は、夫婦でニュージーランド、アメリカ、イギリスにも行っていたようだし、気の毒に思う。

 民主党政権についても話が出たが、亀井金融・郵政担当大臣の強引な手法と、日本郵政㈱社長に内定した斉藤次郎氏の人となりについて批判的な話が出た。元通産次官の牧野くんが出席予定だったが、その場にいなかったので、元大蔵次官だった斉藤氏の記者会見における受け答えが話題に上がった。周囲の政治家が、次官を辞めて14年になるので、斉藤氏が元官僚というのがおかしいとの説に口裏を合わせるが如く、斉藤氏自身が自分は官僚とは思っていないとの言葉が嫌がられる。誰が何と言おうと、斉藤氏が官僚中の官僚であることは紛れもない。こういう居直り人間を、「民より官へ」の道を作ろうとして任命するところに、鳩山首相や亀井大臣らの鈍感さがある。とにかくこういう気楽な同窓会でも、悪評サクサクなのは相当タチが悪いということだ。

 明日は京都の中学時代の同窓会で、卒業以来55年ぶりに会う清水先生や、可愛い女生徒だった麗人たちの顔を見るのが楽しみである。同窓会が終ってから親しかったクラスメートとは会うことを約束しているので、これが大きな楽しみ。

2009年10月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

893.2009年10月23日(金) 日本外交の先行きは大丈夫か。

 鳩山政権誕生以来大分気になっていたことがある。今バタバタしている国内政治はもちろんであるが、対米関係がギクシャクする気配のあった外交政策である。その遠因は、民主党が総選挙中からアジア外交重視と対米関係見直しをしきりに内外に訴えていたからだ。しかも、その対米関係では沖縄の普天間基地移設問題がすっきり解決しそうになく、加えて沖縄基地県外移設問題も解決への道はほど遠い感じである。

 来日中のゲーツ国防長官が、日本政府ののらりくらりした回答に相当いらだったらしく、日本の要求にはまず応じられないとの発言があった。そんな中で、アメリカ国内のマス・メディアはアメリカ政府高官が強い警告を発したことを大きく取り上げている。「拡がる日米同盟の亀裂」とか、「東アジアの安全保障の礎石の日米同盟を蝕む恐れがある」「中国の軍事力の増大や北朝鮮の核・ミサイルの脅威にどう対抗するのか」との批判が出ている。

 一方で、岡田外相が個人的な見解と断りながらも、普天間基地の沖縄県外移設は難しいと述べた。こんな国家にとって大事な事象を個人的な見解だけで口外すべきではないと思う。民主党マニフェストには県外移転、または移設と書いてあるではないか。それを内閣の統一意見ではなく個人としてそう考えていると断りながらも、無責任な発言をしているところから察するに、外相は反応を見るために観測気球を上げてみて、その様子によって有利な方向へこの問題を持っていこうとしていることが考えられる。他の大臣とは相談していないというなら、発言するなと言いたい。この人は割合まともな政治家だと思い、外務大臣には現在の民主党内では、岡田氏しかいないと大分期待していたのだが、こんな重要なことを軽率に発言したり、国会開会の際の天皇のお言葉に注文をつけたり、案外軽い発言をする人だということが分かった。

 しかし、これではこれからの言動が心配である。海千山千で練達の外国の外交官に対して岡田外交は果たして対抗していけるのだろうか。

 仮に米軍基地沖縄県外移設を行わないなら、アメリカとしてはホッとするだろうが、日本国内の収拾がつかない茶番劇を見て足元を見透かし、これからは思うような筋書きで米軍基地問題は進められるだろう。

 はったりも偶にはよいが、いとも気軽に個人的な見解とか、思いつきだけで重要発言をされたのでは国政がうまくいく筈がない。段々各大臣の言動が心配になってきた。

 今日の駒沢大の清田義昭講師の講義内容も考えさせられるテーマだった。ハンセン病患者の苦しみを取り扱い、南日本放送が制作したビデオ「人間として―ハンセン病患者人間としての闘い」と題した1時間半近い長編ドキュメンタリー番組を見せてくれた。10年以上に亘ってハンセン病患者の裁判を執拗に追った記録で、ストーリーが暗く見るのも辛い画面だったが、分かり易く立ち上がる患者が裁判で勝利を勝ち取り、それに対して控訴しようとする国に、控訴を諦めさせる闘争記録である。

 1907年に国の民族浄化という名の下に強制隔離によりハンセン病患者は施設に囲い込まれ、世間からは一切閉ざされた隔離生活を送るようになった。その経緯と立ち上がる患者をきめ細かく追った。ライ病予防法なる法律ができたのは、1953年だったが、実際にはそれ以前から患者は人間としての扱いではなかった。その法律が廃止になった1996年以降になって、患者が国へ賠償請求裁判を起こし、2001年に勝訴を勝ち取った。それに対して政府が控訴裁判を起こすとの空気があったが、原告団の国民への訴えかけやマス・メディアの啓蒙により、政府が控訴を取り下げたことが時系列的に取り扱われていた。

 番組では明るいシーンが少なく、見ていてあまり気持ちのよいものではないが、深く考えさせられた。それにしてもプロデューサーはよくここまで取材したものだと思う。毎回清田講師の授業では、見過ごしがちの重要な社会的事件を、改めて考える機会を与えてもらって背筋が伸びる感じになる。しかし、裏腹にどうも気持ちが落ち込んでしまうことが、こういう社会問題を見つめることから気持ちを遠ざけてしまうのではないかという気持ちもある。

2009年10月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com