895.2009年10月25日(日) 懐かしい京都・上桂中学同期生会

 昨日の高校の同期生会に引き続き、今日は京都市立上桂中学時代の同期生会に出席のため、朝早く新幹線で京都へ向かった。会場は「アークホテル京都」という小さなホテルで昔の四条大宮交差点の近く。京都駅からタクシーに乗らずに、地下鉄で四条烏丸まで行き、そこから阪急で四条大宮へ出た。

 JR京都駅前の地下街は明るく中々センスのあるお店が並んでいるが、何せ案内表示板が分かりにくい。それに地下鉄と阪急の駅構内にエスカレーターがないのが、キャリーバッグを持つ身にはやや不満だった。外国人観光客の姿も多く見られたが、日本人にも分かりにくい案内という点を考えても、彼らからの評判も悪いだろうことが想像出来る。久しぶりに訪れた観光都市・京都だったが、観光目的で訪れる人のために親切に分かり易くPRするにはハードウエアが充分とは思えなかった。行政や観光協会などが初めて京都を訪れる人の視点に立って、もう少しきめ細かくチェックして、訪れる人たちが迷わない建設的な方策をもっと検討すべきではないかと感じた。

 昭和29年に卒業して、すでに55年8ヶ月の歳月が経過したが、同期生会には初めて出席した。この上桂中学には3年生時の僅か1年間だけしか在学しなかったが、思い出は深い。校内対組柔道大会でいきなり黒帯の奥くんに投げ飛ばされたが、学校だけではなく校外でも近所の湯浅くんや穴田くんと松尾山で小鳥を獲ったり、桂川で泳いだ楽しい思い出がたくさんある。山では彼らと一緒に手負いの猪に追いかけられ、必死になって逃げ回ったこともあった。

 聞けば10年前にも同期生会を企画したようだが、案内があったのかどうか、残念ながら出席することが出来なかった。6クラスの担任の先生方の内、ご存命なのはわがクラス担任で理科担当の清水義一先生と国語の岩崎光先生だけだ。嬉しいことにお二人の恩師には今日ご出席いただいた。清水先生は80歳、岩崎先生は米寿だと仰っていたから長い年月を感じさせられる。

 清水先生には1年間随分お世話になった。卒業と同時に父の東京本社転勤が分かっていたので、高校受験が微妙になり、先生にもご心配とお世話をおかけした。結局京都府立桂高校と湘南高校の両校を受験して、幸いいずれも合格し、兄の桂高校から湘南高校への転校も実現したので、家族全員が揃って鵠沼へ転居することが出来た。もし湘南高に入れなかったら桂高校に1学期だけでも在学してその後転校しようとの話もあった。その当時短期間の間だったが、なにか慌しくドタバタしていた印象がある。

 湘南高に入学してから直ぐに清水先生には2度ほどお便りを差し上げたが、ご返事をいただけず、その後今日まで連絡をとれなかった。先生からはそのことが気になっていたとお話いただいて納得することが出来た。

 国語の岩崎先生は生徒たちから陰で「お光っちゃん」という愛称で呼ばれていたが、最初の授業で「水郷」を「すいきょう」と読まれたので、転校直後だったが思い切って「『すいごう』が正しいのではないか」と訂正を申し入れた。ところが、先生がどうしても「すいきょう」だと強調されるので、その2年前に毎日新聞社の日本観光地百選に「日本水郷」を千葉・幕張小学校のクラスの友だちとハガキで投書推薦した経緯もあり、小生意気だった私も「すいごう」だと言い張って譲らず、結局先生が折れて次回までに正式に調べてくるということになった。次の授業冒頭にいきなりお光っちゃんは「『水郷』はやはり『すいきょう』が正しい読み方です」と仰ったのには驚いた。確かにどちらも間違いではない。でも一般的には「すいごう」が優先して使用されるし、日本水郷の場合は「すいごう」と発音する。国語専門の先生が生徒の指摘した「すいごう」を否定され、「すいきょう」と主張される根拠が分からなかった。一体どこでお調べになられたのか、その時はどうにも納得出来ず、父親にも憤懣をぶちまけたことがある。未だに脳裏にもやもやが残っている中学時代の苦い思い出のひとつである。今回お光っちゃんが出席されると聞いていたので、遊び心でもう一度尋ねてみようかなとも思ったが、今更との気持ちもあり、先生があまり元気そうなご様子にも見えなかったので、お尋ねするのは差し控えることにした。

 在学中も、卒業後も親しくしていた岡本勲くん、湯浅登喜夫くん、穴田弘くん、河内一くんは先日ハガキを出しておいたせいもあり、みんな来てくれた。久しぶりに実に懐かしく楽しいひとときを過ごすことができた。女性も特に覚えていたのは、馬場さん、荒木さん、藤森さんらだが、彼女らも出席してくれて、本当に懐かしい55年ぶりの再会だった。忘れていたお顔だったが、やはり時間とともに少しずつ思い出してくるものだ。

 同期生は約280名いたが、今日はちょうど50名の旧友が出席した。歳月の経過を考えるとまずまずの出席率ではないだろうか。穴田くんと岡本くんも幹事役を務めてくれたが、遠路出席したということから私も挨拶することになった。6つのテーブルに拙著を各1冊差し上げて近況をざっと話した。

 穴田くんからは古く懐かしい写真を3枚もらったが、その内の1枚は彼が西京高校バレー部選手として神奈川国体に出場した時に、藤沢市内のバレーボール会場で撮ったものだ。その中に西京高の選手たちとともにマネージャー然として下駄履きで坊主頭の私が写っている。半世紀以上前の世相を反映してスタイルがいかにも垢抜けない。改めてこんな時代だったんだと思うと感慨無量である。

 ホテルを出てから、幹事の岡本くんがアレンジしてくれた近くの喫茶店を貸切状態にしてコーヒーを飲み、ほんの半年間だったが毎日通った七条大宮の平安中学前を市内バスで通り過ぎJR京都駅へ。そしてJR京都駅にあるホテル・グランヴィア京都15 階のスカイラウンジ「サザンコート」で3次会を楽しんだ。

 これからもお互いに健康に留意して次回も参加しようと、再会を約束して京都駅で別れた。

2009年10月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com