547.2008年11月11日(火) 田母神・前航空幕僚長の歪んだ考え

 先日来政府見解と異なる論文によって物議を醸し、その職を解かれた前防衛省航空幕僚長・田母神俊雄氏の参考人招致が参議院外交防衛委員会で行われた。久しぶりに出席した駒沢大学公開講座でも講師は田母神氏に対して批判的だった。この田母神氏は偏った持論に凝り固まり過ぎており、その持論をどうあっても取り消そうとの気持ちはないようだ。それが間違いであっても自分は正しいと信じていると述べる点を考えれば、元々こういう人を責任あるポストに就けたこと自体がエラーであったと看做されても止むを得ないのではないか。また、自衛隊幹部の中には田母神氏擁護論もかなりあるという。これもまた問題である。中には「歴史論争の一方の側の主張なのに、それをけしからんという方がおかしい。思想統制につながる」との声もあるやに聞く。個人の思想や主義より、国家の文民統制の方がより大事だということが軍人としてよく分っていない。結局は幹部教育が作戦とか、戦術などの事例研究がほとんどで史実を学ぶことが不十分であることを露呈した。

 しかし、それにしても田母神氏の歴史観はおかしい。間違っている。「日本が相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」等の主張に対しては、現代史家の秦郁彦氏がこう切り替えしている。「思い違いだ。『満州事変はどうだったのか』と反論するだけで崩れてしまう論理だ」。更に「満州事変は日本の関東軍の謀略で鉄道を爆破し一方的に始めた戦争だ。謀議者から実行部隊の兵士まで、すでに関係者の多くの証言がある。当時の軍首脳も政府も追認し、予算も支出している。日中戦争も大東亜戦争も相手国の了承なしに始めた戦争だ」と強く田母神論を非難している。この一点だけ見ても田母神氏の考えがおかしいことは分る。

 他の自衛隊幹部にもこのような考えに共鳴する者がいるとするなら、また似たような問題が起こる可能性は否定出来ない。このところ不祥事続きの自衛隊であるが、ここは世間から隔離された自衛隊だからこそ、腰を据えて国民と同じ教育を受けられるような手立てを考える必要があるのではないかと思う。

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546.2008年11月10日(月) 定額給付金は一体どうなるのか?

 今朝一番に電話で八木哲郎・知研会長に韓国でのシンポジウムの様子について報告した。うまく出来たとの報告にホッとしたと仰っていた。やはり事前にシンポジウムの様子を充分に把握出来なかったので、どんな結果になるかと心配されていたようだ。まあ期待を裏切らない結果だと思うので、私としても一安心だった。

 いくつか頼まれていた原稿が溜ってしまったので、今日から執筆に気合を入れている。「慶38」第3号の編集、発行をすべてひとりでやってくれている杉田士郎くんから不意に電話があった。9月中に原稿を送るはずだったのだが、つい遅れたままに韓国の資料作成に注力してしまった。約束を大きく遅らせてしまったが、あまり遅れたことがないのに連絡もしなかったので杉田くんとしては、もしやと思ったらしい。元気だと思っていたら亡くなっていたという例が結構多いので、私もその1人かとも考えられたらしい。原稿の遅れが余計な心配をかけることになって申し訳ないと思っている。

 さて、帰ってみると政府が考えている陳腐な経済対策の一環である定額給付金の支給方法がまだ決まっていない。所得制限を設けるか設けないかというバリアが浮上している。麻生首相と与謝野財政相の考えが一致しない。自民党内でも言いたい放題の発言をする議員もいて一向に決まる様子がない。所得を把握するのは、大変で自治体にとってはその作業に費やす労力は身に余るというのが自治体の考えだ。それに押されて、毎度のことながら腰の定まらない麻生首相の考えがくるくる変わっている。自分自身の確たる信念の下に出した提案ではなく、選挙対策用にお手軽に周囲が考え出した案であることが明白である。まるで朝礼暮改で、首相はこれに一体どうケリをつけるのか分らない。好い加減にしろと言いたい。

 9日にイスラエルの聖墳墓教会内でアルメニア正教とギリシャ正教の聖職者同士の殴りあいの様子をテレビは生々しく伝えていた。あの黒い聖衣を身にまとった聖職者と青い聖衣の聖職者が殴りあうとは呆れ果てて言葉もない。もともとこの聖墳墓教会はイエス・キリストの遺体が埋葬されているということから、キリスト教各宗派がその所有権を主張して、問題になっているところである。それにしてもその地下で眠るキリスト様もえらく落胆していることだろう。

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545.2008年11月9日(日) 充実した韓国3日間の滞在

 昨晩はぐっすり眠れて目覚めがよく起床した。今日の予定を急遽変更した。献身的にフォローしてくれた桂さんがもうひとつ私が希望していた、ソウル市内の世界遺産「昌徳宮」を案内してくれることになっていたが、そのためには束草を6:30発のバスでソウルへ向かわなければ難しいので当初の予定を取り止めることにした。昨日の成功で気分を良くして桂さんと、ゆっくり金浦出発までの少ない時間を有効に楽しむことにした。

 それにしても韓国政府は韓国内の500万人の高齢者に対して金銭的な支援を行い、地下鉄のフリー乗車に限らず、老人関係の社団法人への助成により高齢者の活動にその成果が表れていることが印象に残った。韓国国内に「大韓老人会」という社団法人組織が各市町村に設置され、政府がそれぞれ補助金を出している。それによって活動の幅を広げることが出来ている。ただ、年金とか、定年後の再雇用には課題が沢山残されているようでもある。

 バスセンター6:30発でソウルへ向かった。所要時間は4時間である。高速道路へ入ってからKARPの朱会長から桂さんの携帯へ電話が入り、昨日のシンポジウムで私たちの話がずば抜けて良かったと誉めてくれ、パワーポイントをコピーにして欲しいと要望された。ここで2人、75歳の桂さんと古希を迎えたばかりの私が子どものようにまた喜び合った。講演がうまく行ったことを主催者がはっきり認めてくれたわけである。実に愉快な気分である。ソウルには途中1回15分の休憩を入れてほぼ11時に到着した。その足で高麗人参を物色に「ソウル薬令市」へ出かけたが、周囲一帯が漢方薬の匂いに満ち溢れている。軒並み薬がらみの店舗が軒を並べていて、やはり歴史と伝統という、古来の環境整備はすごいなあと感じた。

 4時に今回講師を務めるきっかけを作ってくれた八木哲郎・知研会長の幼少時代のご友人、李愚伯さんに指定の韓国料理店で初めてお会いしてご馳走していただいた。今も元気にして忙しく会社の経営に当っておられ地域でも活動しておられる。一連の内容と結果について桂さんと一緒に報告したところ、喜んでいただき労苦を労っていただいた。桂さんとは良い関係で仕事をうまくマネージすることが出来たし、2泊3日の旅は充実して実りが多く、楽しいものだった。桂さんには本当にお世話になった。これからも人生の先輩である桂さんとはいつまでも切磋琢磨して自分を磨くための師匠としてお付き合い願いたいと思っている。

 帰りの日航機内でも気分よく休むことが出来た。

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544.2008年11月8日(土) 講演はまずうまく行った。ウッヒッヒ。

 待望の講演当日である。どうなるか半信半疑なところもあるが、まあ準備はある程度やってきたのであまり心配することもない。

 講演会という形ではなく、実際はシンポジウムである。それも「国際老人福利交流文化祭」(6日~9日開催)行事の一環として、アカデミックなシンポジウムが企画されたことのようだ。会場の「ドン・ウ大学」講堂へ向かうフリーのシャトルバスの中で隣席にいた大連外国語学院で日本語を教えている朴扮玉さんという女性から声をかけられ、このイベントに日本のグループが参加していないことが残念だと言われたが、実際私が唯一の日本人参加者で、全体を通してみても日本から参加者がいれば歓迎されるだろうと少し惜しい気もした。

 韓国隠退者協会(KARP)会長でシンポジウム主催者である、朱明龍氏にお会いしてご挨拶したが、朱会長は在米30年で上手なアメリカ英語を話される。今日はシンポジウムのコーディネーターも務めて大童の活躍ぶりである。

 シンポジウムは、「高齢者の生活と今後の生き方」というような統一テーマであった。日本、韓国、中国、アメリカからのパネリストが30分弱の時間内に自国の現状を説明し、その後4人のパネリストが通訳ともども登壇して会場からの質問に答えるスタイルで進められた。会場の参加者が約300人でその6割が中国人だったが、半分ほど進んだところで、朱会長から中国人が多いので、彼らに理解しやすいように韓国語を桂さんに通訳してもらい、次いで中国人の通訳を付けて話をして欲しいと注文があった。この期に及んでという気もしたが、一方でそれもそうだと思い了承した。

 配慮により私を最後のパネリストにしてくれたので、急遽桂さんと効率的な通訳方法とその内容について簡単に作戦を練り直した。私がパワーポイントを操作し説明しながら、言葉を極力短くする。それを桂さんが簡潔に韓国語に直し、新たに付いた中国人通訳の女性がそれを中国語にして伝えた。結果的にはその後の質疑応答も含めて実に良いタイミングで的確に説明し、質問にも答えることができたと思う。終っての感触は成功だと確信した。顔を覚えられたせいか、参加者の接する対応が急に人懐っこく、好意的になった。写真を一緒に撮って欲しいとか、移動用のバス車内でも座席を譲ってくれたりした。桂さんともうまくいったとお互いに喜び合った。大連の先生も理解しやすかったと述べてくれた。ホテルへ戻ってきてからエレベーターの中でも中国人の女性からお褒めの言葉をもらった。まずまず八木会長の期待を裏切ることもなく役目を果たせてほっとした。

 午後市立体育館で行われた民族舞踊の多彩なショーは中々見ごたえのあるものだった。各出し物が3時間に亘って次から次へと展開され、飽きることもなく珍しい民族舞踏を堪能させてもらった。内モンゴル自治区、吉林省、黒龍江省、北京、済州島他中国と韓国各地から多くの人たちがやって来てお国自慢を披露していたが、心から楽しめるものだった。

 今日は一日楽しい日程の中で自分の責任を果たすことが出来て、それが何より嬉しい。それは、桂さんも同じことのようですっかりご機嫌を良くして楽しかったとお互いの健闘を讃え合った。会場が市街から離れていることもあり、市民とは親しく交流することは出来なかったが、今日一日は爽やかな一日でもあった。今夜はぐっすり眠れそうだ。

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543.2008年11月7日(金) 講演のため束草(ソク・チョ)へ向かう。

 早朝起床して妻に車で羽田まで送ってもらい、予定通りソウル金浦空港に着いた。3日間ずっとお世話になる桂明洙さんに出迎えられ簡単な打ち合わせの後、地下鉄で鐘路3路に出て、国一館の韓国料理店で昼食をご馳走になる。29年ぶりの韓国の変貌に感慨に耽っていると桂さんが「韓国では10年で大きく変わります。30年経つと別世界です」と言われたが、その通りで私が知らなかった地下鉄にも多くの点で驚かされた。

 地下鉄は65歳以上の高齢者は無料だというのにまずびっくりした。実際駅員が申告者の顔を一目見ただけで疑うこともなく乗車券を発行してくれる。外国人である私にも躊躇なく切符をくれる。元鉄道員としては、車両の幅が広いのと、座席がすべてアルミ製なのが珍しかった。車内で行商人が商売をやるのにも少々驚いた。ソウル市内を縦横に走っている地下鉄ネットワークもすべて右側通行だが、1号線だけが左側通行というのには妙な感じがした。

 昼食後に桂さんが気を遣って世界遺産「宗廟」を案内してくれるという願ったり叶ったりの提案をしてくれた。今回は諦めていた世界遺産の見学であるが、桂さんの好意により拝観させていただくことになった。宗廟は市内の賑やかな一角に朝鮮風の庭園とともにある。朝鮮王朝歴代の国王と王妃の位牌を祀り、祭祀を執り行ったところで1495年に造営された。正殿に太祖をはじめとして49位を、近くの永寧殿には34位が祀ってある。朝鮮宮廷色の建物と庭園とのバランスが見事で、ちょうど紅葉の見ごろでもあり渾然一体となった造形美は、流石に世界遺産と云われるに相応しい。敷地面積があまり広くないのも私のようなショート・ビジターにとっては好都合である。これで世界遺産見学は143箇所目になる。

 この後再び地下鉄に乗り市内数箇所にあるバスセンターの中で最大のバスセンターから15:30発の高速バスで束草(ソク・チョ)へ向かう。韓国の市街地と農村を車窓からじっくり見ることができて、中々楽しいバスの旅だった。景色は日本の地方風景に似てほとんど違和感はないが、高速道路はやたらにカーブが多かったり、中央センターライン寄りにブルーのバス車線専用レーンがあったり、車線変更にもウィンカーを出さなかったり、日が暮れてくると外灯があまりなく全体に暗い感じがあったり、これもお国柄だろう。270kmの道のりを約4時間かけて束草へ到着した。聞けば、束草市は江原道の中心都市であるが、国境線38度線より北に位置していて、敢えて言えば北朝鮮領土内である。それが1952年朝鮮戦争休戦協定の際、西側の開城(ケソン)が南にあるのに北側へ編入されたのと同時に、束草が南の韓国領へ入れられたという話だった。今は一時盛んだった漁業も不漁で寂びれ、人口も8万人程度に減少してしまったという暗い話だった。

 宿泊施設は「SORAK PINE RESORT」と云われて外観は立派だが、ソフト面と内部のハード面はイマイチであまり感心できるものではない。済州島の高校生が修学旅行で宿泊していた。近くの観光地「雪岳山」を観光基地として、市当局とともども新たな発展を計画しているように見受けられた。ここの宿泊部屋はすべてオンドル形式になっていて、桂さんと同じ部屋に宿泊することになった。夕食は近所の韓国料理店で食べることになったが、すべて豆腐料理店で焼肉店がない。レストランは豆腐料理で競っていることと、値段がソウルに比べて1割方高いと桂さんは言っていた。

 夕食後明日の講演について、パワーポイントのスライドを見ながら桂さんと打ち合わせて、初めてオンドル部屋で休んだ。

2008年11月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

542.2008年11月6日(木) 初のアフリカ系黒人大統領の誕生

 オバマ旋風が吹き荒れている。まさに勝てば官軍である。アメリカ大統領として始めてのアフリカ系黒人である。オバマ氏に大きな欠点は見当たらないし、これまでの選挙運動におけるアグレッシブで誠意のあるパフォーマンスは好感を持って迎えられたと思う。テレビではケニヤに健在の父方の祖母が田舎の集落で生活しているサマまで見せて、苦労した親の世代を偲ばせている。

 各国の首脳が早速オバマ氏へ祝電やら、お祝いのスピーチを贈っているが、ロシアのメドベージェフ大統領は嫌味の一発をかました。実にロシアらしい。アメリカのミサイル防衛施設(MD)の東欧配備への対抗手段として、ロシアの飛び地、カリーニングラードにミサイル基地を作ることを宣言した。どうも米ロはかつての2大強国だっただけに、今もお互いにそりが合わないようだ。ロシアはアメリカのMD施設をかく乱するために、妨害電波装置もカリーニングラードへ配備することも言明した。

 麻生首相は相変わらずぐずぐずして祝電を贈った素振りもない。まったく空気が読めないのではないかと思う。

 午後突然ローマにいる赤松幹之さんから長距離電話があった。取り立てて緊急とか、大事な話ではなくご機嫌伺いの電話だった。以前にパキスタンの仕事をしていて機会があれば手伝って欲しいような話があったが、好意は謝してお断わりしていたところ、ムシャラク政権が崩壊してプロジェクトもダメになったという。それにしてもよく後から後から政府がらみの話をまとめるものだなぁと驚くばかりである。今はガーナと中央アフリカのプロジェクトに関与していると元気そうだった。今更身体を使って海外で動く気はさらさらないが、今年64歳になったという赤松氏は元気いっぱいである。積極的に関わることはできないが、彼が事業に成功するよう出来る範囲で応援してあげたい。

 さて、明日から韓国である。ぎりぎりまで追い詰められたが、何とか資料も作成したので、あまり固くならずに聴衆に喜んでもらえるよう、アットホームな雰囲気の中で楽しんで話してきたい。

2008年11月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

541.2008年11月5日(水) 次期アメリカ大統領にバラク・オバマ上院議員

 アメリカ第44代大統領にバラク・オバマ民主党上院議員が選ばれた。長い選挙キャンペーンの末に、接戦との予想を覆し圧勝だった。各メディアが予想していた両候補の支持率の差は10%以内だったが、オバマ氏が全投票率の7割方を獲得した。オバマ氏の勝利は予想されていたこととは言え、金融危機をきっかけに流れが一気にオバマ・サイドへ傾いた。

 ところで日本の反応はどうか。麻生首相が今夕ぶら下がりの記者会見で、オバマ次期大統領についてどう思うかと聞かれて、いかにも軽薄にして、ノー天気ぶりを曝け出した。曰く「日米間は過去50年以上に亘って同盟関係にあり、誰が大統領になろうとも従来の関係が影響を受けるものではない」。こういうナンセンスな言葉が総理大臣の口からすらすらと出てくるとは思いも寄らなかった。日米関係についてもオバマ次期大統領についてもまったく考えてもいないし、勉強もしていない。これでは日米同盟ではなく、アメリカとの従属関係が一層強固になるだけではないかと心配でならない。ばりばりの弁護士上がりで、弁舌逞しく頭もきれるバラク氏を向うにまわして、日本の麻生首相の脳みそで本当に大丈夫なのだろうか?

 アルゼンチンのサッカー代表チームの監督にディエゴ・マラドーナが決まったとのニュースには、驚いたというより呆れはてた。マラドーナのような何をやり出すか分らないハチャメチャな男が、こともあろうにサッカー世界最強国のひとつである、アルゼンチンの代表監督に選出されるとは考えもしなかった。サッカーでは天才的なプレイを披露してくれたが、社会人としては物議を醸すパフォーマンスに流石のアルゼンチンの人々もさじを投げた人間である。実際アルゼンチン国内のネットでは、70%以上の「マラドーナ監督反対」論があったという。それもそうだろう。それを敢えて押し切っても強引に監督に押し上げたのは、特別の意図があるとしか思えない。ヤクザまがいのコワモテ手法である。麻薬、銃乱射、アメリカ・ワールドカップ出場停止、病的に太った体躯、等々折につけ問題児として話題になった元名選手だが、あまりにも引退後のゴシップが多すぎた。

 しかし、どうも理解できないのは、誰もが認める破滅型の人間をチーム、組織のリーダーとして認め推挙する希望、期待、思惑、空気はどこから出てくるのだろうか。これも農耕民族の発想では及びもつかないラテン系の感情だろうか。尤もこれでアルゼンチン・サッカーチームの黄金時代がずっと続くなら文句はないのだろうが、それでも監督として何かをやらかしかねない。リーダーとしては最も不似合いな怪しい男である。

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540.2008年11月4日(火) アメリカ大統領選挙投票日に思うこと

 昨日からチベットのダライ・ラマ14世が日本に滞在している。しかし、新聞はおろか、テレビでもあまり大きく報じない。今年3月に起きたチベット暴動事件の折には、連日連夜のべつ幕なしにチベット事件を伝えていたのに、手のひらを返すようなあまりにも冷淡な報道ぶりである。ダライ・ラマは中国政府のチベットに対する対応があまりにも非民主的で、チベット住民を益々窮地に追い詰めている中国政府の対応に悲観したと述べている。これでチベットの民主化は一層遠いものとなるだろう。それにしても日本政府のダライ・ラマ14世に対する姿勢はあまりにも冷たい。政府の閣僚は誰一人としてダライ・ラマに会おうとはしない。中国に遠慮しているとしか思えない。とても公平な対応とは思えない。ダライ・ラマはアメリカに行けば大統領以下多くの要人がわれ先に会おうというのに、対米追従国である日本政府の要人たちは、誰も彼に近づこうとしない。日本の政治家がいかに中国を怖がっているか明らかである。もっと虚心坦懐であってもいいのではないかと思う。

 さて、今日はアメリカ大統領選挙の投票日である。民主党のバラク・オバマ氏と共和党ジョン・マケイン氏の一騎打ちであるが、このところオバマ氏優位は動かない。マケイン氏にとって痛いのは、リーマン・ブラザーズ社倒産以来の金融不安がブッシュ共和党による経済混乱のせいだと受け取られて、一気に共和党員マケイン氏の旗色が悪くなったことである。最後の一日になっても、両者は最後の最後まで地方を遊説して少しでも票を掘り起こそうとしている。その意欲とエネルギー、スタミナは見上げたものである。

 しかし、とにかく選挙キャンペーン期間が長過ぎる。選挙戦がスタートしてからもう2年近くになる。全米中の考えを掬い上げる点で、遊説に遊説を続けてこれだけ草の根民主主義を貫くのは素晴らしいと思う。だが、一方であまりにも時間をかけ過ぎていないだろうか。時間の浪費があまりにも大きい。金もかかる。オバマがこの選挙のために集めた金だけでも何億ドルと言われている。大きなお世話かも知れないが、これだけ多忙な時代に、大統領ひとりを選ぶために全米で2年間に使う資金、時間、マン・パワー、エネルギーを考えるとそろそろその選出方法も考え直すべき時に来ているのではないかと思う。

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539.2008年11月3日(月) 懐かしい幼年時の思い出

 昭和13年の今日、この世に生を享けてからちょうど70年になる。正真正銘の「古希の人」となった。当時は「文化の日」ではなく「明治節」と呼ばれた旗日で、名前のいわれもこの明治節に由来する。

 些か感慨に耽っていた今朝、思いがけず千葉県勝山小学校時代の同級生、笹生嵩夫くんから電話をもらった。言葉を交わしたのは、1983年5月にステンレス・ミッションの添乗員としてロンドンを訪れたときに、当時住友商事㈱ロンドン支店駐在員だった笹生くんと、市内の日本食レストラン「サントリー」で慌しく会って以来のことである。実に四半世紀ぶりに懐かしい肉声を聞くことと相成った。

 終戦直後の勝山はまだ貧しく、ほとんどの家庭が漁業、農業に従事しており、笹生くんの話では、高校へ進学したのは同級生の20%程度だったのではないかと言っていた。萩原建二、平野二郎、坂井脩、平島義雄、井高義久、平田八重子、三浦三千代、川崎順子等々の懐かしい名前も出てきた。勝山時代の友人はもう彼をおいて他にはいない。父は会社勤めで、彼の実家は呉服商店を営んでいたが、割合両家の家庭環境が似ていたこともあり、小学校5年生時に勝山を離れて以来会う機会はほとんどなかったにも関わらず、お互いの学校、仕事ルートを通じて辛うじて今日まで切れることなくつながっている。

 昨日一橋大学の昭和37年卒業生同期会があることを高校同級生で同じ年度の卒業生である大塚武夫くんから聞き、可能なら笹生くんへの連絡をお願いしていた。それが古希の誕生日に正夢となった。お互いに古希の身であり、これから知己の数は減る一方である。せめて一期一会で戦後のどさくさ時代に交流した縁をこのまま友情として絶やすことなく、いつまでも続けていければ有難い。早速韓国から帰ったら会おうということになった。

 今日渦中の前航空幕僚長・田母神俊雄氏が定年退職した。随分回りくどい手段を弄したなあという感じがする。彼は今年60歳で、普通なら定年だが自衛隊の規則では定年年齢に達しているが、幕僚長は特例として62歳まで勤めることができるらしい。それが、今回の騒動による更迭によって幕僚長の職を解かれたことから、特例からはずれ他の空将と同様に定年ということになった。今日の会見でも国家のため、国民のために自分の信念を貫いて論文を書いたと反省する様子は微塵も見られない。自分の歪んだ考えが国家に贖うことになったことにはまったく触れず仕舞いである。この様子では民間人になってこれから思い切って自分の考えをおしゃべりするのだろう。好い加減な奴だ。

 実は、この結論にいたるまでに内部で相当の議論があったらしい。結局オーソドックスな結論に落ち着いたが、いつも役所というのは自分たちの過ちを追及されないような策を講じたり、内輪の人間が傷つかないように妙にプライドを守ってやったり、断固とした処置を採らない。それが、奇妙な内部の庇いあいとか、隠蔽を育む体質となっている。一件落着したことでもうこれ以上不祥事を出さないよう防衛省には責任感、コンプライアンス、人事管理等に気を配ってもらいたいものである。

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538.2008年11月2日(日) はみ出し航空幕僚長と日本の軟弱外交

 昨日のブログ「自衛隊航空幕僚長の勇み足」を読んだ高校の同級生・呉忠士くんから感動的なメールをもらった。彼も田母神幕僚長の論文に当然批判的であるが、戦争遺族だったということは初めて知った。彼のご養父はかつて古代ギリシャ文学の碩学だった故呉茂一東大教授であるが、実の父上は戦時中撫順で病院勤務され、その後徴兵されて沖縄で戦死されたという。遺族としては当然であるかも知れないが、田母神氏の極右の論理が呉くんを始め多くの人々から理解されたり、共感を得られるわけがない。

 今朝の朝日の「天声人語」でも「社説」でも、田母神論文はぼろくそだった。前々から奇矯な言動は目立っていたらしい。しかし、それが憲法に触れる発言であっても不問に付され制服組のトップにまで上り詰めた。これでは文民統制なんかまったく関係ない。制服組の人事については、政治家や制服組の事務官がまったく口出しできないという。しかし、シビリアン・コントロールの視点で言えば、これは実におかしい。社説では、この仕組みを抜本的に改めない限り、組織の健全さは保てないことを示していると書いている。その通りだと思う。

 NHKスペシャル「日本をアメリカに売り込め」を見て感じたことがあった。この番組は、ワシントンの日本大使館がアメリカの知日派の政治家や有力シンクタンク研究員に対して日米同盟の緊密化を図り、基盤を固めたいとの意向のもとに作られたドキュメント報道である。この背景には、明らかに中国の強力な存在感がある。アメリカが日本より、中国を重視し出していることは紛れもない。

 しかし、アメリカのひとりよがりの対日姿勢の背景にはアメリカの狡い利己主義、日本のアメリカ従属観、そして日本の押しの弱さがあると思う。日本にはアメリカにはっきり物を言えない軟弱さがある。今日のドキュメンタリーを見ていても、お互いに強固な同盟関係にあるので、まあうまくやりましょうというのが結論であるが、その直前になって安全保障に積極的になって欲しいとアメリカが釘を差す有様だ。つまり、イラク戦争にも、アフガニスタン対テロ作戦にももっと協力しろというのがアメリカの本心である。日本が国際協力にもっと力を入れないとアメリカはもちろんヨーロッパ諸国の信頼を失い、アジアでも日本の求心力は衰えると半ば脅迫している。どうして日本はアメリカの言いなりになってこういう軟弱外交のスタンスをとり続けているのか。日本が自分の主義主張を押し通す場面はいくらでもある。実際イラク戦争やアフガニスタン駐留はアメリカの論理でアメリカが引き起こした戦争ではないか。自国の戦死者が増えたからと言って、その代役を日本も少し負担しろというのは少し虫が良すぎるし、身勝手すぎるのではないか。これらの点について日本は歯に衣着せずに物を言うしたたかさを身に着けて欲しいものである。それが外交官の職務ではないだろうか。

2008年11月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com