539.2008年11月3日(月) 懐かしい幼年時の思い出

 昭和13年の今日、この世に生を享けてからちょうど70年になる。正真正銘の「古希の人」となった。当時は「文化の日」ではなく「明治節」と呼ばれた旗日で、名前のいわれもこの明治節に由来する。

 些か感慨に耽っていた今朝、思いがけず千葉県勝山小学校時代の同級生、笹生嵩夫くんから電話をもらった。言葉を交わしたのは、1983年5月にステンレス・ミッションの添乗員としてロンドンを訪れたときに、当時住友商事㈱ロンドン支店駐在員だった笹生くんと、市内の日本食レストラン「サントリー」で慌しく会って以来のことである。実に四半世紀ぶりに懐かしい肉声を聞くことと相成った。

 終戦直後の勝山はまだ貧しく、ほとんどの家庭が漁業、農業に従事しており、笹生くんの話では、高校へ進学したのは同級生の20%程度だったのではないかと言っていた。萩原建二、平野二郎、坂井脩、平島義雄、井高義久、平田八重子、三浦三千代、川崎順子等々の懐かしい名前も出てきた。勝山時代の友人はもう彼をおいて他にはいない。父は会社勤めで、彼の実家は呉服商店を営んでいたが、割合両家の家庭環境が似ていたこともあり、小学校5年生時に勝山を離れて以来会う機会はほとんどなかったにも関わらず、お互いの学校、仕事ルートを通じて辛うじて今日まで切れることなくつながっている。

 昨日一橋大学の昭和37年卒業生同期会があることを高校同級生で同じ年度の卒業生である大塚武夫くんから聞き、可能なら笹生くんへの連絡をお願いしていた。それが古希の誕生日に正夢となった。お互いに古希の身であり、これから知己の数は減る一方である。せめて一期一会で戦後のどさくさ時代に交流した縁をこのまま友情として絶やすことなく、いつまでも続けていければ有難い。早速韓国から帰ったら会おうということになった。

 今日渦中の前航空幕僚長・田母神俊雄氏が定年退職した。随分回りくどい手段を弄したなあという感じがする。彼は今年60歳で、普通なら定年だが自衛隊の規則では定年年齢に達しているが、幕僚長は特例として62歳まで勤めることができるらしい。それが、今回の騒動による更迭によって幕僚長の職を解かれたことから、特例からはずれ他の空将と同様に定年ということになった。今日の会見でも国家のため、国民のために自分の信念を貫いて論文を書いたと反省する様子は微塵も見られない。自分の歪んだ考えが国家に贖うことになったことにはまったく触れず仕舞いである。この様子では民間人になってこれから思い切って自分の考えをおしゃべりするのだろう。好い加減な奴だ。

 実は、この結論にいたるまでに内部で相当の議論があったらしい。結局オーソドックスな結論に落ち着いたが、いつも役所というのは自分たちの過ちを追及されないような策を講じたり、内輪の人間が傷つかないように妙にプライドを守ってやったり、断固とした処置を採らない。それが、奇妙な内部の庇いあいとか、隠蔽を育む体質となっている。一件落着したことでもうこれ以上不祥事を出さないよう防衛省には責任感、コンプライアンス、人事管理等に気を配ってもらいたいものである。

2008年11月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com